NAKAGWA's 12th GIG 中川一郎 第12回公然ギグ 971214 高橋琢哉 Duo 3題 2000- 荻窪GOODMAN


回想録 98.01.17

声がかかったのはとても嬉しかった・・・

首都圏では2回も大雪が降った。街中が雪化粧する非日常的な光景が2週に渡って繰り広げられたものだから、それ以前のことがずっと遠い風景のように思い起こされる。雪国の人々からすれば、笑止千万なのかもしれないけれども、一ヵ月少し前のことだけれども、すっかりと回想しているような気分になってしまう。

12.14。ぼくにとってはチャレンジであった。1997年の1月から、ソロで人前で歌うという活動を続けた。これは、自分の音楽表現者としての在り方のなかでも、初めてのことであったし、また、ならせば月1回以上人前で歌うというペースも、これまでの人生で初めてのことであった。

自分なりに、「こうだ」みたいな姿ができ上がったであろうか?と思われた時、即興演奏表現者の高橋琢哉さんから声がかかったのだ。高橋さんから声がかかった時、ぼくは嬉しかった。彼のようなピュアな音楽家に一緒にやろうと声をかけられる。それは、歌つくり、歌い手としてのぼくにとっては、まさに「光栄」としかいいようのないことだ。

高橋さんと国江さんの「一対」というシリーズの公演は何度か見にいっていた。ぼくは彼等の公演に立ち合うと、自分のなかからビートが湧き出してくる、自分があるビートに満たされるのを感じた。それは、彼等の在り方にぼくが感応してぼくのなかからビートがあふれ出してくる。そんな感じがあった。

11.30 「同調はしない。無視するのだったら意味がない。そこにいるのを認めつつ、でも離れようとする」禅の公案のようなメッセージ・・

声がかかってから、しばらくして、11.30に練習のようなことをplan Bでやった時、ぼくは戸惑っていたと思う。その戸惑いは、自分なりに「こうだ」ということをひたすらやるということでは済まない。あらかじめ曲順を決め、しゃべることを決め、それを練習し、繰り返し・・という方法ではどうも違う。そんな戸惑いだった。

11.30は、都電荒川線で行われた高橋さんのパフォーマンスに同行し、plan B入り口で行われた高橋さん、国江さんのパフォーマンスに立ち合って、そして、その後に練習のようなことをしたのだった。ぼくは何となくぎこちなかった。そこで高橋さんがギターを弾いたり、さまざまな音を出している。ぼくはぼくで歌っている。その情況をどうするのがいいのかよくわからなかった。

終了後、高橋さんからは、禅の公案のような命題が示された。「同調するのでもなく、無視するのでもなく。それぞれがそこにいるのを確認しながら、しかし、離れようとする。それぞれがそれぞれに展開しえたら、自在の境地に至れるのではないですか・・・」と。

それから後、12.14まで。ぼくは、その稽古の時の録音を何度も聴きながら、街を歩き、高橋さんがそこで音楽を展開していることをイメージしながら、自分の歌を歌ったりした。

そういうことをするプロセスのなかで、これまでぼくが歌ってきた歌を、必ずしもこれまで通りの歌い方、在り方で繰り返すこと自体が絶対的なことではないのではないか。そんな感じがしてきたのだった。

12.14 1900- 荻窪グッドマン

この場所は、とても不思議な場所だ。古典とも呼べる本がたくさんならぶ。その雰囲気。さまざまな表現者の気がこもっているような空気。

この日の構成は、成田さんのソロ。高橋さん/中川のデュオ。国広さんのソロ。成田さん、高橋さんのデュオ。中川のソロ。国広さん、高橋さんおデュオ。デュオが30分程度。ソロが10分程度というものだった。

成田さんのソロが終って、ぼくと高橋さんが前に出ていく。その時、自然な感じだった。力みがなかったし、何が何でもあらかじめ決めたことをやる・・というたぐいの力み。これはもうぼくのなかからは、なくなっていたように思う。ぼくは歌いながら、ギターを弾きながら・・・時折、高橋さんがそこにいるのを確認して、そこで展開されている音楽を確認して、ぼくの目の前。やや遠くの方に拡がっている闇に向かって歌う。そんな心積りだった。あの闇に向かって歌おう。そんな気持ちで続けたのであった。

何度か、シンクロしたような気がする。そのシンクロが意図せざるものであったけれども、そのシンクロの時は永続するような気もしたし、とても必然的なことのような気もした。そういう瞬間。瞬間なのだけれども、ずっと続く感じの瞬間。それが何度もあった。高橋さんが言っていたのはもしかしたら、こういう時だったのかもしれない。などという気がしていた。

以上の曲をないまぜにしたような構成であった。一曲、一曲をかっちり終らせるということではなくて、折々のメッセージを、あの遠くの闇に向かって投げかけ続ける。そんな感じであった。

高橋さんの在り方は自在で、即興的であった。けれども、「即興」ということで括ってしまわれないうねりのようなことが時折あったように思う。不思議な時間であった。

ソロでは、

という構成であった。これは、おしゃべりも交えて楽しくやれたと思う。

公演終了後、成田さん、高橋さん、樋口さん、戸田さん、中川Rさんとともに、荻窪でもんじゃ焼などを食べながら、宴をもった。

自律的な一人と一人が、それぞれ自律的に展開しつつ、時折、交錯して、その瞬間が永遠のように思える。こういう試みはこれからも続けていきたい。高橋さんからは、実に貴重な機会を与えていただいた。ありがたいことである。実に。


事前の口上など

荻窪グッドマンへのアクセス方法

荻窪グッドマン 電話 03-3398-3881

            ↑
                                  寿通り
        コンビニの2F
                        ★||
           ||
 -----------------||----
  青梅街道
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    ●
         荻窪駅北口

荻窪駅北口下車 青梅街道を渡って、右折。数分
行ったところの寿通りに入ってすぐ見える、コンビニの2F
であります。

【連絡先】

【口上】

97.10.23 高橋琢哉さんと国広さんの大隈講堂横でのパフォーマンスを見てから書いたこと

12月14日。荻窪のグッドマンにて。高橋琢哉君は、10月からはじめた疾走する3カ月のしめくくりのパフォーマンスを3人の歌うたいとともに行う。国広君、成田譲君、そして、ぼく・・中川とである。どうやるか。まだ白紙。

97.11.30 高橋琢哉さんの都電荒川線におけるパフォーマンスに聴衆、乗客として参加し、plan Bでのリハみたいなことをやってから書いたこと

高橋琢哉氏の都電荒川線におけるパフォーマンスに同行する。東京の秋景色・・、ろくに見てはいないのだけれども、小津映画で描かれていたところの東京の風物と重なるものたくさん。今どき、東京でなっているのは、夏みかん?大きな柚?それとも、ザボン?

さまざまな看板が街としてのメッセージを発していて、そのメッセージの喚起することと、自分が勝手に刻むビートと高橋氏のギターなどが交錯する。不思議な電車の旅であった。

その後、plan Bにて、高橋、国江のSession Duo番外編へ。plan Bの階段が客席。いつもの受け付けが舞台という設定。高橋氏のギター。スライドギターがさえまくっていた。

その後、12.14に向けた公開稽古みたいな展開になる。即興を目指す高橋氏とこの通りにしかやれませんという歌うたいのぼくとのセッション。安易に同調せず、かといって互いの存在を無視するわけでもない。そのようなからみ方からどこかに突き抜けることができる。自在の境地。自在の在り方。この試みで何をしようとするのかを感じながら展開する時間であった。

さらに精進を重ねようと思う。

97.12.09 朝、このページを書きながら思っていること

いつも歌っている通りのことを、いつも歌っているやり方でない方法で、自分の歌は情況によって変幻するという在り方でいいんじゃないか。「いつも」ということ自体がちょっと変なのかもしれない。決められたことを繰り返すというのではなく、その時、その時の「これしかない」を真面目にやるということなのではないか。ギターを弾く人が他にいるのだから、ギターの音はそこにあるわけだから、歌に専念する・・という在り方を考えようか。

971209


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