片言集 1998.07


980802 

成田着。亜熱帯とR氏が言うが、本当にむっと来た。NYからプエルト・リコに降り立った時のような感じだった。

そばが食べたかった。
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980801 パリ

エッフェル塔へ出かける。

間違えて、1階まで歩いてしまう。へなへなになる。

以降はエスカレータで最上のところまで。眺め良し。晴れたパリ。凱旋門、新凱旋門、モンマルトル。パリの眺めを満喫する。

エッフェル塔に月・・・という絵葉書を買う。

今回の旅。パリのさまざまな風景にはまったのだ。

sightseeingを文字どおり地でいく。

Fauchonにて、喫茶とケーキ。お土産購入。

泊まったホテルのSofitel de severeのBrasserieにてカレー風味のSoupe de poissonとリブ・ステーキの食事。結局、本格ディナーは食べなかったけれど、それは今度にしよう。その時、外では雷をともなって、激しい雨が降っていた。今回の旅は、本当に天候に恵まれた。

ロンドン、パリに避暑に来たような感じだった。
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980731 パリ

アレジア通り散策。

地元の人たちが、バーゲンハンティングをするべく、さまざまなブティックが並ぶ
。(ストックというそうだ。)ここでは、あまり英語は通じなかった。のんびりと
昼食を食べてから、新市街であるところのLa Defenseへ。新凱旋門と凱旋門との位
置関係に感激する。都市空間として非常に魅力。

Auchanにて買い物。

この新都心空間も、そこにいるだけで、心がときめく空間である。オブジェが凝っ
ている。こういう場所を求めて、東京を歩くと、また、発見も多いのかもしれない
と思う。


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980730 パリ

モンマルトルの丘へ、バスを乗り継ぎながら辿りつく。眺めよし。
(そう、夜景は一層、すばらしかったのだ。)

そこから移動中。地下鉄にてスリに合う。が、ぎりぎりのところで、次の駅に降り
たので被害なし。ポケットの中の定期入れを手が持ち上げていて今に逃げようとす
るばかり、すんでの所で、気がついた。近くにいた子供だったのだろうか。「俺は
、この街が好きなんだ。だから、いやな思いをさせないでくれ」という思いが頭を
かすめる。そういう思いが通じたのか、被害はなかったのだろう。

ノートルダム寺院を見学してから、Batteu Busにのって、エッフェル塔へ。シャイ
ヨー宮からのエッフェル塔の眺めを楽しみ、その後、シャイヨー宮2階のカフェにて
お茶を楽しむ。

バスで凱旋門に出てから、シャンゼリゼ通りをコンコルド広場に向けて歩く。tour de Franceの準備をしている。

その後、カルチェ・ラ・タンにてシャンソンを楽しもうとするが、ガイドブックに
紹介されていた店ではライブはやっていなかった。残念。その代わりでもないが、Soup de Poissonを楽しむ。夜のカルチェラタン。賑やかでいい。

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980729 パリ

向きを間違えてバスにのり、終点で下ろされて途方に暮れていたところ、親切な日
系のおじさんに、Paris Visitの買い方を教えてもらう。めでたく、12番の地下鉄に
のって、モンパルナス・タワーへ。エッフェル塔、凱旋門などを一望。大いに満足
。ほれぼれとする風景である。

オペラ座近くのLe Grand Cafeにて昼食。海鮮盛りに大いに感激。一人前だけれども
、相当な満腹感。その後、ルーブル美術館へ。「自由の女神」「モナリザ」「ファ
ラオ像」「ミロのヴィーナス」。教科書で見たことはあったさまざまな作品の実物
を見る。それだけで感激も高まる。

帰り道に見た夜のエッフェル塔が神々しかった。

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980728 パリ

朝、ロンドンからパリへ移動。

以前、訪れた時にほれぼれとしてしまったコンコルド広場に出てから、パリにて出
迎えの在住の人に薦められた、Bateu MoushceのDinner Cruiseにのる。夜景がすば
らしい。

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980727 ロンドン

District Lineの地下鉄でPutney Bridgeへ。そこから、Roe Humpton Instituteまでバスで。Putney Bridgeは、ロンドンの都心から30分程度。車窓はすっかり郊外の風情。ゆったりした何か。東京の郊外では感じられない余裕みたいなものを感じる。


バスで眺めていたら、まったく、電線も何もない原っぱを、ビジネスという感じで
通勤するとぼとぼ歩いている人を見つける。とても不思議な光景であった。

ロンドン市内(ホテルは、Copthorn Tara)に戻り、kensington,Hyde Park散策。Hyde
Park Hotelにて、afternoon Tea。優雅な気持ちになれる。また、近くのHarrodsを
見る。百貨店の原形を見るような感じ。豪華さと、人の好奇心、購買意欲をそそる
作りに感激。

その後、Her Majesty’s theaterにて、the Phantom of the Operaを鑑賞。10年前
、NYで見て以来。物語をすっかり忘れていたことに気づく。最後、怪人は仮面だけ
を残して消える。完全に受け入れられてしまったら、もう、怪人としての自分の存
在意義はない。そのせつなさが盛り上がったところでのカーテン・コール。思わず
、大きく拍手してしまう。人として生きるということの本質的な切なさ。それにし
ても、Loyd Weber卿のメロディー・メーカーとしての力はすごい。これまた、大い
に心動かされる。

バスで夜のTower Bridgeへ。あまりにも人通りが少ないので、「大丈夫かなあ」と
一瞬、心配になるも同好の人たち多く、渡ってみる。


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980726 ロンドン

Greenwitchへ。ああ、ここが、標準時間。周りは公園でなかなか素敵。船でテムズ
河を下る。この風情は良い。GreenwitchのCrafts Marketにて、捜し求めていた帽子と、スコッチのネクタイを購入。

Pubを回るWalking Tourに参加。Sohoの語源やら、名物のPubを回る。このロンドン
のWalking Tourなかなか楽しい。街になじむにはこれがいい。案内のおじさん。こ
の道、長いんだろうなあという感じで、これぞ、職人芸というものを感じさせられ
る。Walking Tourはトラファルガー広場のあたりから始まり、ピカデリー・サーカ
スで終わる。

再び、ピカデリー・サーカスを経て、the Rock Gardenへ。日曜の夜は、Happy
Hourで、入場料3ポンドで、ライブが午後10時からある。地元のメタル+ニューウ
ェーブのバンドを見る。核になる10人くらいの若い客が、押し合い圧し合いしな
がら、激しく押しくらまんじゅうみたいなことをしながら、のっている。周りは遠
巻きにしている。こういうのり方があるのかと感心する。

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980725

ロンドン着

ディスコ Empolieumへ出かける。土曜の夜のピカデリー・サーカス。にぎわっている。the Gardening Club,the Rock Garden 地上は別の店だけれども、地下ではつながっている。the Gardening Clubはテクノ? the Rock Gardenは、ひたすら70年代ディスコ・サウンド。地元の若い人たちが結構、のっている。盛り上がっている。


98.07.23
久しぶりにEaterを読んだ。第5号である。

灰野さん、みちろうさん、ヒゴさん、山崎春美さん・・

等々の来し方、行く末、今の思い、今の生き様が伝わってくる。

思えば、この雑誌の80%は、インタビュー記事なのである。

聞き手が地引さんであるがゆえに、やはり、
あの頃一緒にやってきた人であるがゆえに、
生き生きとした言葉で語られ、また、地引さんが生き生きとした言葉で、
忠実にテキストとして再現しているがゆえに、力を持ち得ているのだろう。

と思った

98.07.21

「没にする」それが権威だ。メディアが希少である時、その権威は絶対的となり、編集サイドが権威をもって、「没にする」。それが権威だ。


98.07.21

「誉める」という単語に違和感を感じているだけなのだろうと思うのだけれども、どうも、偉い人が偉くない人に対して、自分がその偉くない人よりもしっかりした価値の尺度のようなものをもっていて、それに照らして、その偉くない人のしたことに対して、やはり、その偉い人が偉い人としての権威をもって、誉めることと誉められることの立場はそれぞれに固定されているという前提には疑いがもたれない。そのような構造を内包した言葉。単語。言い方。それが「誉める」ということではないだろうか。だから、違和感を感じてしまう。淡々と、できるだけ具体的に、「●●だと思いました。感じました。」ということを表明する。まあ、それだけ。そういう関係だけ。そのフラットさ。そういう言い方、表現、単語。そういうものでもって、そもそもの関係性を変える。言葉は、便利だけれども、落し穴もある。ということだ。


98.07.20

本日、久しぶりに相倉久人さんの「重力の復権」に出かける。勉強になる。というか、イメージを喚起される映像に多く出会うことができる。また、相倉さんの芸風も変わらず、実に素晴しい。8月は休みで、「9月のテーマ」は中川が本日、最初にかかったTalking Headsの映像を見ながら思い出した「Warning Sign」というフレーズをトリガーとして、「警報」ということとなった。9月。ぜひ、いきたい。


98.07.20

Design Festaのオフィスに行く。原宿。パワーがある。Design Festaもひとつの中心になるのかもしれない。


98.07.20

中川Rさんが、昨日から英国に行っている。それに先立ち、明治神宮にて方位除けを行う。方位除けの他、初宮や、お食い初めなど一緒にされましたけれども、畳の部屋、舞い、雅楽等々なかなか盛りだくさんでありました。最近、リノベーションも進んで、食事をするのにも良い。宣伝カーがたくさんやってきて、混雑をする日以外であれば、あれだけの緑は東京にはないわけであり、お得なのかもしれない。


98.07.19

笹山てるおと生田敬太郎さんのライブを高円寺Bamboo Houseにて見てくる。アコースティックでやるには、いい場所だと思った。笹山の完全なアコースティックというものは久しぶりというか初めてだったかもしれない。

生田さんのギターは、はりのあるブルースギターであった。ぼくは、あの域、あのスタイルにはなりそうにない。実に張りのあるブルースであり、ロックンロールであった。「開け、ポンキッキ」の音楽をなぎら氏とやっていたことがあり、その一環として埋め草にできたのが、生田さんの「泳げ、タイヤキ君」なのだそうである。「へえ、ええ、なるほど」と思える事実であった。
98.07.19

Box東中野にて、石井輝男監督の「ねじ式」を見てくる。あの作品を映像化するにあたって、いきなり、「ねじ式」からという展開は難しいということなのだろうか。そこが原作のスケールの大きいところなのかもしれない。何度も何度も読むうちに、ぼくの中で「ねじ式」のイメージができているようであり、それと今回の作品は合わなかった。それぞれの「ねじ式」を膨らませうるというところに原作の凄さがあったのかもしれない。未だ、具体的イメージが映像に結晶するに至っていないのであるが、どうも潜在意識のレベルでそうなっているのではないかと思う。


98.07.15

ヘッドホンを買いなおす。今度は、耳の中に入れる式のものではなく、耳の外に出る大きいものである。久しぶりに満足な音を聴いたような気がする。SONYのMDR-D11というものである。何年もつだろう?


98.07.15

「マネジメントを発明した男 ドラッカー」(ジャック・ビーティ著 平野誠一訳 ダイヤモンド社 '98.4)。その洞察力。その生き様。実にうらやましい限りである。最近、日本語訳も新訳となったという。読んでいて、もやが晴れる感じ。ドラッカーの本はそういう効果がある。この本は、「そういえば、そんなことが書いてあった。もう一度、読みなおさなければ・・」という気持ちに変えさせてくれた。


98.07.14

火曜日の午前0時45分より。「つげ義春ワールド」がはじまる。第1回は「退屈な部屋」。


98.07.12

岩波新書「過労自殺」(川人博著 98.4)を読了する。組織源病ともいうべき、過労とその過労がもたらす自殺。働くということのあまりにも悲しい帰結である。この書は世の多くの働く人々が読むべきだ。一人一人が、「ああ、これは、そうなるのかも」という時に備えて少しずつでも対処策を自分なりに用意しておくべきだ。それは、救いを求めることであったり、あるいは弁護士と相談することなのかもしれない。

かつて礼賛されていた頃からも、実は、日本的経営なるものは過労自殺をもたらしてきた。つきつめるならば、司法的なこと、宗教的なこと。こういうことが担うべきことも「会社」なり「役所」なりの組織が一元的に担う。これが組織源病のよってきたるところだ。

「おれは、ここで生きるしかない。だから、耐えるしかない。」これが理不尽な上司を冗長させる。「俺は耐えてきた。それに耐えられないのはおまえが弱いからだ。弱い者は不要だ。」理不尽な上司はそういうだろう。それに対し、「今、あなたがいったことは、本気か?弁護士にそのまま伝えるぞ。出るべきところに出よう。それでさらに何かあなたが変なことをするようだったら、あなた、一層、出るべきところに出ることになる。その覚悟できているね。この社会、市場経済と民主主義で動いているんだ。幕藩体制じゃないんだ。組織はしょせんその程度のものでしかないのだぞ。あなたもその中である役割を担っているだけであって、私の生殺与奪をもっているわけではないのだぞ」ということを淡々と言えなければいけないのだ。

企業内組合。これが、企業組織の中の秘め事に労働組合も荷担するような構造をつくってしまっているのかもしれない。ないよりは、もちろん増し。しかし、組織のなかの本当のところの労働条件が白日のもとにさらされ、オープンにされ、そして、本音レベルで過労ということが解決される。そういう努力をもっとやっても良いのかもしれない。

組織。大組織。無防備に信じないことだ。自分なりに、「いざ」ということを想定して、その時の動き方をはっきりと決めておくべき。今の日本ですら、「孤立無援」になる必要はない。さまざまなサポートの仕組みは揃っている。自分なりに、いざという時に、それを動員できるための準備をまず、はじめてみよう。備えて、備えすぎということはない。

命がけでやるほどの仕事はない。人が足りないのを揃えられないのは、あなたの組織の上司がするべき仕事をさぼっているからだ。人を揃えるか、それとも、その仕事を外注するか、それとも、優先順位をはっきりさせて、仕事を整理するか。

98.07.12

整体にかかる。心地よく眠れる。


98.07.12

Y --- O ----

長生きすることだけが、幸せとは限らないけれど
あまりにあっけなく、君は人生を終りにしてしまった。
最初に君の歌を聴いたときぼくはつくづく自分は歌っていなくてよかったと思った
そして今は君の歌をカラオケでも歌える。
皆は英雄を待望するが、はからずも英雄にされてしまった者の辛さや苦しさや惨めさや駄目さを想像するほどしなやかでもなく、やさしくもなく、いや、たとえしなやかであってやさしかったとしても、君に近づいてそれを告げることも語り合うこともできない。
ぼくも君のことを英雄だと思っていた。英雄らしきことを期待していた。
しかし、君を英雄だと思う人達が、君の人生に対して責任をとれるわけがない。
だから、君はもっと無責任で良かったのかもしれない。凡人宣言しても良かったのかもしれないよ。
と、君の人生に対して無責任でしかありえないぼくは、無責任に思う。
そして今日も君の歌を誰かがカラオケで歌っている。
君の記録も出版され、販売され、そして、読まれて、それにつれてささやかな経済が動いている。
天才は英雄にされ、経済の道具にされる。
ねえ、みんな。まだ英雄が必要なのかね。
英雄には非業の最期を向かえて貰わなくちゃ、気がすまないかね。
天才だって、天才になりたくて天才に生まれてきたわけではないのだろうから
そうっとしておいてあげようよ。
そこまでやらなくてはならないほど、ぼくら、一人一人は追い詰められていないのではないかね。


98.07.12

六本木シネ・ヴィヴァンにてニコ主演・音楽の「内なる傷痕」を見る。そして、久しぶりにNicoを聴く。John Caleのアレンジとなっている。オルガンなのだろうが、不思議な味を出している。このニコをはじめて聴かせてもらったのは、もう20年以上も前のこととなる。

白い砂漠、白い氷原。一度、そこを訪れてみたい。そんな映像であった。


98.07.11

今年は、夏物のスーツを二着作った。ともに、古典的なダークスーツである。ピン・ストライプ。ビジネス・スーツには、いろいろな人がいろいろと工夫を凝らすであろうが、ぼくは法人営業をこの十数年間、生業としていて、一番最初に読んだ教科書のようなものが、バック・ロジャースの「IBMウェイ」であった。そのドレス・コードを今も忠実に守っているので、まあ、こんなことになる。これからもきっとそうであろう。


98.07.11

本日、スタジオに入る。デモテープに使えそうな音源を制作しよう・・・ということで。


98.07.11

本日、久しぶりにニコを聴く。ゆっくりとした歌を歌う女性ボーカルにひかれる時が結構ある。


98.07.11

昨日、長谷川雄二さんのライブをTake Off 7にいく。林美夏さんのパフォーマンスがダンスがついてなかなかよかった。長谷川さんとのカップリングでビシっと決まったダンスを見れるとは思って無かったので、お得な気分であった。長谷川さんの存在感は不思議で、ソウル・シンガーみたいな感じでかっこよかった。バンドをバックにするとしたら、ギターを持たずに、マイクを手に持って歌うのがもっとキマルのかもしれない。長谷川さんには、そういう面もあるのだと再認識した。バックバンドがスタジオ・ミュージシャンであったので、実に無難にまとまっていたのだけれども、長谷川さん独自のバンドで、たとえば、鋲のついたジャンパーの人達をバックに、ギンギンに飛ばすロックなんかやるとなおさらいいのかもしれない。


98.07.09

その時の人々の気分を代行しただけ。


98.07.09

いや、別に。いや。。


98.07.09

もっと多ければいいのに

もっと大きければいいのに

もっと速ければとてもいいのに

もっともっと優しければいいのに


98.07.09

返事の来ない長い長い手紙を書き続けることに疲れてしまったら

公園のベンチに腰を降ろして ぼんやりと名前を知らない木を眺めよう

ところで その名前のない木は 自分の名前を意識しながら 木としての一生を送るのだろうか


98.07.08

一日 一項目ずつ 百科事典の 項目を 順番に朗読していったら 確実に世界を理解できるのだろうか

すべての人々の すべての人生の瞬間を録画できるほどの ビデオテープが生産される日は一体いつ来るのだろうか。

宝くじがあたったら 近所にあるレンタルビデオ屋のすべてのビデオを見ることを日課にしようと思っているのだけれども 宝くじは本当にあたらないだろうか


98.07.08

愛情とか 友情とか 正義とか 真実とか そういう抽象的で 大ざっぱなことのために 命懸けで 戦えるというのだろうか。愛情とか 友情とか 正義とか 真実とか そういう大ざっぱで 気分だけの言葉で 語り合うことに 心底 空しさを感じるほどの 心の余裕がない。


98.07.08

わからないことばかりであり、知らないことだらけだ。
忘れずにはいられない。


98.07.08

ぼくにできることは、心をこめて手紙を出すことだけ。


98.07.08

返事が来る。それが励みとなる。そして、手紙を出す。


98.07.08

地下から空へ 会食。S,M,T,T,I,R,I,Sの8名。


98.07.08

七瀬再びが終る。

未来から来たメール。すべては背景となる。そろそろ休みだ。


98.07.08

国民という名の 誰でもない誰か


98.07.08

体調は大事だ。


98.07.08

「怒りをうたえ」を10.4にplan Bで上映することが決まる。


98.07.08

瀬戸内寂聴著「寂聴 あおぞら説法」を読了する。浄法寺に行き、説話をききたくなる。きっと心が洗われた気がするに違いない。理屈抜きで行くべきなのかもしれない。


98.07.08

盗め 逃げろ シラを切れ 切り通せ


98.07.05

くたびれながら ゲームを続けるのは

他にやることがないことを 認めたくないから?


98.07.05

DM用の封筒を仕込む。今、60枚くらい出している。今後、回数を重ねて、徐々にDMを出す数を増やしたい。自分にとってかけがえのない人たち。ひとつのメッセージ。それはたった30秒くらいの手間であるのだけれども、それが、DMを私信へと変える。こういう発見を今の段階でできた。実に良かった。音楽活動を再開したことがもたらした大きな価値である。


98.07.05

KOさん。さまざまあったけれども、無事出産との報。善し。


98.07.05

飲みながら、他人をネタにしてしゃべってしまった。反省。最悪の飲み方である。


98.07.05

地獄かヘルか。修羅場かパニックか。


98.07.05

盗め。逃げろ。シラを切れ。切り通せ。


98.07.05

それで、三次会までいってしまったものだから、それが終ったのが夜明け時であったのだから、すっかり昼夜が逆転してしまった。本日、公演日である。


98.07.05

先週末。7.3。某MLのオフミがあり、何と三次会までいく。今、大企業に勤めているが、学生時代に起業していたという人たちの話を興味深く聞く。経営ということ、どの数字を踏まえなければならないのかということ。それを体感できるらしいのである。
 思えば、日本という国の教育カリキュラムのなかで、財務、税務、法務という市場経済のいろはがあまりにも小さい位置しか占めていない。財務諸表の読み方も知らないで、学生が就職先を選ぶ。これは相当無謀なことだ。そして、ぼくもその無謀であった口だ。もっと全体を実学にふるべきだろう。それに対する抵抗もあるだろう。しかし、やらなくてはいけないことだ。


98.07.05

先週。4408 大同ほくさんを312円で売る。272円で買った銘柄なので手数料等を差し引くと、概算\30Kである。ここのところ、日経平均が連騰している。含み損がほとんどゼロとなる。あとは、値ごろで売っていければ、いいだろう。月末に日本を離れることもあり、しばらくは手仕舞モードで好機を見ては売るという展開としたい。私鉄株のつっこみがあれば、そこを拾っていくくらいであろう。





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