きまぐれ日誌 960115



春先のように暑い一日だった。地震の前に気温が異様に上がることがある・・・という物騒な話を聞いたことがあるが、流言であることを祈りたい。

11時半にリエちゃんと家を出て、ノンベを大久保通りで拾って、新宿東口のKey Studioへ。ベティーズの練習のためである。貸練習スタジオというのは、15年前と基本的に変わっていない。ベティーズはメンバー2名なので、個人練習扱いにしてくれる。一人1時間500円。2時間で、2000円だから安い。昨日、中野文化センターの音楽練習スタジオを予約しようとしたが、まったくだめ。2年前はできたばかりだったので、結構空いていたのだが、もはや取れそうにない。

最初の40分ほどを使って、昨日つくった唄を練習する。譜面なし。(中川は五線符に関するリテラシーがない。だからこういうことになる。)言葉のカードとギターのフレーズだけという相変わらずの口頭伝承で、まあ、人前でやれる体をなす。

2.17に新宿のJAMでやることになった。他に4バンドほど出るそう。時刻はまだ聞いていない。持ち時間もまだ聞いていないのだが、持ち唄全部合わせても30分ほど。ラインアップは以下のとおり。

「とりあえず」(昨日、できた唄)
「早すぎた晩年」
「ハンカマンカの唄」(木村真哉氏作詞)
「雨の降る確率10%の都市」
「ポケットの中は夢でいっぱい」
「テーゼ」
「血を流さず。海を隔てず。」
「シティ・ボーイ」

というものである。82年までに作ったものが、6曲である。あと、自分自身で何曲作ることができるかいなか。まったく判らない。

ベティーズは当初、ジャックスの唄を歌える状況がないので、仕方がないから流しみたいな感じで歌おうという主旨で、当時、ジャックスに目覚めつつあったノンベを誘って、はじめたバンドであった。しかしながら、早川さんご本人がジャックス時代の歌を現在進行形で歌いはじめ、カラオケ(X2000だったと思います。)で「からっぽの世界」を歌えるようになってしまった今、ジャックスの唄をぼくらが流しみたいに歌う意味が感じられず、結局、全曲オリジナルをやっていこうということになった。

練習から帰ってから、勤務先の若手のご母堂の通夜のために、昭島に出かける。直腸癌 が原因だったとのこと。向かう電車のなかで、「観音経」「般若心経」を黙読。合掌。

その帰りに、中央線にて、勤務先の若い友人と、勤務先をやめて現在公認会計士事務所に勤めながら、受験勉強をしている人と会う。人生、自分が本当にやりたいことをしないと、会社機構などに依存してしまうと一生をつまらなくしてしまう・・・などと話しながら意気投合する。言うは易く行うは難し。彼は、一歩踏み出している。じゃあ、自分は・・・やはり、バンドなんだろうか。とも思う。

帰宅後、近所の中古CD屋にて、シド・ビシャス・ウィズ・アイドルズ、じゃがたらの「そらそれ」、ニールヤングなどを買ってくる。

何で日誌を付ける気になったか。中川理恵子さんが、樋口一葉、尾崎紅葉、国木田独歩、小波の日記を比較研究した小論を執筆しており、あとで、誰かが読んでくれるのかもしれない。などと、思った次第。気紛れもいいところで、また、いつか書き込むことがあるかもしれません。

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(960115)




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