[能][俳句][学校] [NAGAOの絵に]

『ゴチャゴチャ文化の中を……』


                                  長尾みのる
                                  〔絵と文〕
                                (イラストレーター)

 舞台美術家を目指し過した学生時代だった。が、それは戦後間もない頃で、戦禍の街にまともな舞台のある劇場は希少だった。立派な劇場は占領軍専用にされていたのだ。
 若き日の夢は敢無く消え、やがて、その失望は外国放浪への旅路となったものだ。
 やがて、イラストレーターという平面的な画家になり、立体感覚の舞台美術家とはかけ離れた仕事をするようになった。
 半世紀も前の事とはいえ、脳の隅に刷り込まれた感覚は消えない。映画、舞台、テレビなど見るにつけ、先ず目につくのは、その装置とか衣装などのデザインなのだ。因みに私の最初の著書は西欧服飾史でもある。
 能、狂言の『作り物』や『小道具』そして『装束』という舞台美術には、その現実を超えた奥のある面白さに妙な楽しさがある。
 簡素を旨とする能楽の舞台美術はその最少範囲で最大の効果を感じさせる。
学生時代のあの頃は、新劇であれ歌舞伎であれ、潜り込める舞台裏があれば何処へでも走った。新橋演舞場では、背景画家にどなられ乍ら、歌舞伎の『道成寺』ものなどの背景には満開の桜を徹夜で描かされた。桜の花びら一枚一枚を、何百いや何千あるか気の遠くなる気持ちで描き続けた。無報酬の修業だ。
 そして『道成寺』の幕は開き「何うだ!」とばかりに絢欄のパノラマ舞台を見せる。
 が、能の『道成寺』はそのように派手な桜も侮り物も無いのに絢欄たる場面になってしまう妙がある。豪華も簡素も所詮は、同じ道理に繋がっているのだろうか、能の作り物は、車、舟、宮など最少限度の立体で『まるで子供の工作』とさえ見える軽い作りだが無限大の効果を発揮するのだ。
 新劇のせかいにも似た感覚の時代があった。私の生まれ育った東京の下町には、戦前からの『築地小劇場』があった。そこでは、当時モダンな『丸太組構成舞台』という棒組み主体の舞台美術演出があった。昭和初期、日比谷公園での野外劇、ロマン・ローラン作「狼」土方興志・演出、吉田謙吉・美術がその始まりだ。私が師事した舞台装置家でもある。が、戦後はアメリカ演劇の写実的演出が主流になった。G・H・Q・極東管区・演芸監督のステーフェンサン氏は、その写実的技法の美術監督でもあった。
 学生時代の私は、彼の元へも走り弟子入りした。占領下の一般日本人は出入り不可の彼らの舞台にも潜り込んで写実技法を学んだ。そのアメリカン・リアリズム感覚と、日本の戦前からの大正・昭和の新劇育ち『丸太舞台』感覚との異質文化に迷い悩んだものだ。

 後年、薪能を観て、若き日のあの迷いを思い出した。薪能は周囲の緑もビルも忽ち無限の空間にしてしまう簡素の威力を発揮する。
あの簡素な丸太舞台も薪能舞台も、取り巻くゴチャゴチャ文化や自然の風景を連想無限の空間にしてしまう。
能の作り物は、やや現実的表現の狂言にも共用できる幅の広さがある。能・狂言と一口に云うが高尚と滑稽との異質同居なのだ。
現代のゴチャゴチャ文化の中を『能』は、乱れず美しく歩み続けている。
 不思議だ!                         (ながおみのる)

觀世会『能 Schedule』1999掲載