自動車たるもの、工業製品として市場導入されるためには、その国に存在するあらゆる法規制への適合が求められます。新型車として当局で型式認定を受ける時はもちろんのこと、年々強化/追加されていく新たな法規にも対応しながら、排ガス成分や安全性、セキュリティ、騒音等の諸性能の向上が図られていきます。
 昭和30年代半ばに登場し、日本の急速なモータリゼーションの発展とともに歩んだTシリーズもその例に漏れず、10年を超える長いモデルライフの途中で、様々な法規への適合を図りながら、随所に変更が加えられていきました。

 ここでは、こうしたモデル途中での法規適合のうち、外観や内装の変更等、可視領域に影響を与えたものに絞り、その対応の歴史を検証していきたいと思います。





■保安基準改正■


 自動車に関する法規として非常にポピュラーな存在であり、かつ、Tシリーズの外観変遷上、とても大きな影響を与えたのが、この保安基準改正です。

 一口に保安基準といってもその範囲は多岐にわたり、安全対策/事故防止に関するもの、公害対策に関するもの、騒音防止に関するものなど様々で、より社会環境にマッチした優れた自動車製品を生み出すため、日々規制の強化/追加が実施されています。
 とくに、Tシリーズが生きた日本の'60年代は、自動車が爆発的に普及していく裏側で、交通事故の急増や公害の発生など様々な社会的問題が明るみとなり、矢継ぎ早に緊急対策が打たれていった激動の時代にあたります。


 下表1は、1968年から1969年までの一時期における、小型トラックに関する保安基準改正について示したものです。
 

●昭和43年7月保安基準改正
歩行者安全対策 側面方向指示器 S44.10.1(新型)
後退灯 S44.4.1(新型)
衝突事故防止対策 駐車灯 S44.10.1(新型)
尾灯 S44.4.1(新型)
衝突時の乗員被害軽減対策 座席ベルト S44.10.1(新型)
頭部後傾抑止装置
(安全まくら)
S45.4.1(新型)
●昭和44年6月改正分
安全確保対策 前面ガラス規制強化 S45.6.1(新車)
公害対策 CO濃度2.5%以下 S45.4.1(継続車)

●表1 保安基準改正(1968年〜1969年)●
(※小型トラックに関するものを抜粋)


 このように、規定自体もかなり細分化されていることがわかりますが、その適用についても、新型車と継続生産車、あるいは乗用車と商用車とで適用期限が分かれているのが通例です。(上の表ではすべての適用期限を網羅できていません・・・)
 また、その適用リミットに対して対策を実施したタイミングも、各自動車メーカー、各車種によって一律ではないため、保安基準対応の歴史を外野から解明するのは決して楽ではありません・・・。




 ところが、Tシリーズの保安基準対応の歴史を紐解くにあたっては、ひとつの有力な手掛かりがあります。それは、製造プレートに記された「
保基ナンバー」の刻印です。


●71年式・T2000の製造プレート●
「保基5-6」


 この刻印はTシリーズに限らず、他のマツダ車の製造プレートにも散見されますが、他メーカーと表現の共通性はなく、あくまで東洋工業独自の表記方法と思われます。

 これまでに私自身が把握しているTシリーズの保基ナンバーの種類は、
  
【保基4-10】、【保基5-4】、【保基5-6】、【保基7-1】
の4種類です。(何れも実車あるいは誌面で確認したものですが、まだ他にあるかもしれません)

 一方で、この時期のTシリーズの外観変更から、明らかに保安基準改正絡みと思われるものには、
  
【サイドマーカー装着】、【運転席ヘッドレスト装着】
の2つが少なくともあります。じつは他にも「運転席シートベルト装着」という重要な項目があるのですが、残念ながら、過去に私が撮影したTシリーズではシートベルトの有無まで確認した例はありません(涙)。


 これらの相関関係をまとめると、ひとまず表2の仮定が成り立ちます。

保基No. 対応時期
(推定)
サイドマーカー
装着
ヘッドレスト
装着
シートベルト
装着
保基4-10 1969.10 ×
保基5-4 1970.4
保基5-6 1970.6
保基7-1 1972.1

●表2 保基ナンバーと外観変更との相関●


 これによると1970年の保基「5-4」の時点で、サイドマーカー/ヘッドレストという外観変更上の主要アイテムは揃っていたことになり、続く保基「5-6」や保基「7-1」では、排気ガスや騒音対策等、外観だけでは識別し難い対策が実施されたものと推測できます。
 シートベルト装着については、実車での確認実績はないものの、表1で座席ベルトの適用が1969年10月(新型車)とされていること、および、この「43年7月改正」時点では継続生産車の定義が明確でないことから、1969年10月から同時対応したものと結論付けたいと思います。

 ・・・が、まだまだ不明点が多いこのコーナー、今後の研究次第では新事実が次々に判明しそうなので(汗)、その都度更新を進めていきたいと思います。






 上記は、モデルライフ途中で追加/強化された規制に対する適応事例を紹介しましたが、これとは逆で、当初は存在していた規制が後に廃止されたことで、外観上の変化が起きたものもあります。




■丸ハンドル車識別マーク■
  (1958年〜)


 正直なところ、こんな規制が存在したこと自体驚きなのですが、この規制は、1958年10月1日に改正された「道路交通取締法施行令」に端を発するものです。

 この施行令の中で、当時のオート3輪の主流を占めるようになってきた「丸ハンドル3輪車」に対し、最高速度と積載高さの制限が緩和されたのですが、これに伴い、
バーハンドル車と丸ハンドル車を容易に識別する必要が生じたことから、当時の運輸省の通達により、丸ハンドル3輪車のための「識別マーク」なるものが誕生しました。

 マークは白い中抜きの丸を赤で縁取ったもので、車両後方のボックス右下隅の見やすい位置への表示義務がありました。東洋工業では赤い「マツダ」文字マークの上にこの識別マークを配しています。

  
●T1100の当時のカタログより●


 丸ハンドル車・HBR型/MBR型の1959年式から装着されることになったこのマークは、間もなく登場した水冷エンジン車のT1100/T1500にもしっかりと受け継がれたようです。
 適用時期が古いことから実際の確認事例は少ないのですが、発売当時のT1100カタログの写真(写真・上)や、私が2004年に愛媛県で撮影した1961年式のT1500(写真・下)などにこのマークを確認することができます。


●61年式・T1500(2t積)の後部●


 しかし、1962年に登場した新T1500/T2000になると、このマークは突如姿を消し、ごく初期の車両にしか確認できません。
 このマークの法令上の廃止時期は定かではないのですが、昭和30年代も後半に入れば、小型貨物車の主流は完全に4輪トラックへ移っており、かつ、ダイハツやマツダ等の”生き残り組”の小型オート3輪もすべて丸ハンドル車だったわけですから、その頃のバーハンドル型3輪の残存率を考慮すると、もはや積極的に識別する必要もなかったのでしょう。

 





■年式表示(製造プレート)■
  (〜1964年)


 外観上の相違とは言い難い細かなアイテムですが、Tシリーズには製造プレートの記載内容の変遷が存在します。
 発祥時期については不明なのですが、かつて自動車の製造プレート上には製造年(または年式)の表示が義務付けられていました。残存資料に乏しい戦中・戦後の個体であっても、年式だけはハッキリした場合が多いのは、きっとこの製造プレートの功績に違いありません。
 ところが1964年(昭和39年)をもってこの表示義務がなくなり、それ以降、製造プレートから年式に関する表示が消えてしまいます。

 1964年といえば、Tシリーズでは新T1500/T2000の時代。言われてみるとたしかに、私のTシリーズ撮影記録の中で製造プレートに年式表示のあるものは、「1964年式」が最後となっています。
 Tシリーズは翌1965年に大掛かりな商品対策を実施しますが、現代に残る個体は殆どがこの対策後のモデルであるため、製造プレートから車体年式が特定できるラッキーケースは滅多にありません(涙)。


●1961年式の製造プレート●
(T1500・13尺)
●1969年式の製造プレート●
(T2000・10尺)


 上の写真でその新旧を比較していますが、左側(1961年式)には年式と製造年月が記載されているほか、車体番号の先頭にも年式を示す「61-」の数字が確認できます。これに対し右側(1969年式)にはそれらの表示がなく、全体的にシンプルな記載内容となっています。