研究課題報告の初っ端から「裏側」という表現が登場しますが、別に何かきな臭い話が出てくるわけではありません・・・。ここで最初に取り上げるのは、Tシリーズ登場の影に隠れたカタチとなった、旧型の空冷エンジン搭載車の顛末についてです。

 一般には、1959年11月のT1100/T1500登場をもって、マツダの小型3輪トラックは全車、水冷エンジン搭載のTシリーズへ切り替わったとされています。これに伴い、1957年に「丸ハンドル+完全鋼製キャビン」で華々しいデビューを飾った空冷のHBR型/MBR型はその使命を終え、姿を消したことになります。
 ところが、私の過去の撮影記録の中に、この説では説明できない中間的モデルが1台存在しました。この「たった1枚」の写真を、私は急遽研究課題として取り上げ、その結果として、モデル変遷における新説、
「空冷車併売説」を提唱するに至りました。

 以下にその経緯と根拠を示していきます。





 まずは簡単にTシリーズの基本スペックのおさらいです。

 1959年(昭和34年)11月に発売されたTシリーズは、マツダの小型3輪トラックにとって待望のメカニズムである、
@水冷エンジン および Aフロントブレーキ を引っ提げて華々しく登場しました。
 これを機に、従来の型式名称に代わってペットネームが与えられることとなり、1t積〜1.5t積クラスがMBR型からT1100(TTA型)へ、2t積クラスがHBR型からT1500(TUA型)へと呼称が一新されたわけです。

  
●T1100/T1500の当時のカタログより●


  こうして、メカニズム面では大きな進歩を見せた一方で、Tシリーズのデザイン上の変更は最小限に留まり、MBR型/HBR型からの変更点としては、

  
Bフロントグリルの設置
  C車名オーナメント新設
  D新ボディ色の採用(リバーブルー)

等が挙げられる程度で、MBR型/HBR型と比べて、外観上の共通点を数多く残していることがわかります。

 (※詳しくは「1.誕生と変遷」、「2.バリエーション」 の項をご参照ください)




 さて、私の旧車撮影歴は小学生時代からのもので、今年で約25年になります。

 この中でTシリーズを被写体とした写真は、実働車/廃車体を合わせて100台分を超え、もちろん全ての3輪トラック写真の中で最大勢力を保っています。その内訳は最後発モデルのT2000が最も多く、次にT1500(新)、T1100、T1500(旧)の順になりますが、私は過去に一度だけ、廃車体のTシリーズの製造プレート上の文字に、「
排気量;1005cc」という、一見理解し難い表記を確認したことがありました。それは私が中学生時代の1981年4月、市内のとある廃車置場に潜入した時のことでした。

 昨今の撮影であれば絶対にチェックを欠かさない製造プレートを、当時の私がわざわざ確認した理由は、その廃車体のドアに「T1100/T1500/T2000」という車名を示すオーナメントが一切見当たらず、やむを得ず製造プレートでエンジン排気量を確認しようと試みたためでした。

 当時はまだ、前モデルのMBR型や空冷2気筒エンジンの存在を知らなかった私は、この予期せぬ排気量の数字に戸惑い、全く車種を特定できないまま、苦し紛れに「T1000?」とのメモ書きを残すのがやっとでした。




 このように「謎のT」の撮影当時の状況はハッキリと思い出せるものの、肝心のその写真は不幸なことに、合計4千枚にも及ぶ私の旧車写真の中に完全に埋没してしまい、どの写真がその時の廃車体だったのか、確証が持てないままでいました・・・。

 しかし、昨年この「Tシリーズ特別室」のコーナーを製作したことをきっかけに、私は今一度その謎を徹底究明してみようと思い立ち、当時の手書きの撮影記録帳を引っ張り出して、手元に残っているTシリーズ撮影写真のとの照合を1枚1枚実施していきました。

 この地道な総点検作業の結果、私が24年前に謎の製造プレートを確認した廃車体は、おそらく下の写真で間違いないことが判明しました。

 
「排気量1005cc」のプレートを持つ個体●
(1981.4 徳山市内にて撮影)

あらためて写真を見ると、廃車置場の中の狭い空間での撮影だったため車体のあちこちが見切れていたり、前方からのこのショット1枚しか存在していなかったりと、研究素材としては幾分不満も残るのですが、とりあえずは長年の懸案がひとつ解消できたので、私はホッと胸を撫で下ろしました。




 こうして写真の特定を成し得た以上、私自身がこの目で確認した「排気量1005cc」という製造プレートを唯一かつ最大の根拠として、この車両を稀少な空冷エンジン車・MBR型とすぐにも認定したいところですが、皮肉なことに自称「T」研究家としての眼力がそれを許しませんでした(苦笑)。

 なぜなら、この写真から明確であるように、ノーズ部に設置された
フロントグリルの存在、さらに、お馴染みのリバーブルーのボディカラーは、水冷のTシリーズから初めて採用されたアイテムとされており、MBR型時代には未装備であるはずなのです。むしろ、この写真を見る限りにおいては、前述の製造プレート情報さえなければ、誰もが疑いなくTシリーズと認識するだけの典型的なTシリーズの外観を有しているのです。

 とするとこの車両、実体はT1100で製造プレート部分だけ付け替えたものか、もしくは、実体はMBR型ながらボディ修復のためにキャビンを別物へ載せ替えたもの、との推測が成立しますが、その理由を考えると、いずれもイマイチ説得力に欠けるものと言わざるを得ません。

 私があの時見た製造プレートは幻だったのか・・・





 しかしここで、頓挫しかけた研究に心強い援護射撃が待ち受けていました。新たな事実が発覚したのです。

 なおも諦めきれずに先の写真を眺め続けていた私は、ふとフロントフォークの先端部分に目が止まりました。

 フロントブレーキの新装着を謳うTシリーズなら、通常、前輪左側のホイールディスク部を埋め尽くすようにドラムブレーキのユニットが配置されているはずなのですが、この写真の車両にはそれが見当たりません。ちょうど前輪の反対側(右側)と同じようなシンプルな構造になっています。そう、明らかにこの車両は、Tシリーズ登場前の
フロントブレーキレス時代のモデルなのです。


  
●フロントブレーキが装備されたT1100(左)/T1500(右)●


 この重大発見と例の製造プレート・・・エンジン&シャシーの基幹部分に関する2つの大きな事実から、私は
この車両の正体はやはりTシリーズではない、と確信しました。




 ではキャビンにまつわる謎をどう説明するか・・・
 ここで私は、このページの冒頭に記したようにズバリ、

 「Tシリーズ用改良キャビンの採用による、空冷エンジン車の継続販売」

という大胆な新説を導き出しました。つまり、Tシリーズ用の最新キャビンに載せ替えることで、空冷のMBR型にも延命の道が残されたということです。

これを裏付ける一つの技術的背景として、私はMBR型→T1100への移行時、ボディワークに殆んど変更が加えられなかったことに着目しました。
 Tシリーズ用の改良型キャビンに加えられた変更(フロントグリル設置、オーナメント追加、ボディ色変更)は、ボディ形状の変更は一切含まず、旧型のボディパネル用の金型に直接、軽度の修正を施せば済むレベルに留まっています。そのため、シャシーとの結合部位に変更はなく、新旧キャビンの互換性は確保されていたと推測できます。そのうえ、ひとたび型修正を実施したとなると、旧型ボディパネルの生産はもはや困難になっていたと考えられます。

さらにもう一つ、営業的な背景として、当時のマツダ3輪トラックの商品ラインナップ事情があります。遡ること2年前、1957年(昭和32年)後半に相次いで丸ハンドルの新型車を導入し、商品ラインナップを一新したマツダ小型3輪トラックの中で、空冷1005ccエンジンを搭載する1t積のMBR型は、ボトムラインに位置付けられた最廉価モデルであり、販売上の存在意義は決して小さくなかったと思われます。
 そんな中、鋼製フロントカウルのバーハンドル車から、完全鋼製キャビンの丸ハンドル車へ一新されたことに伴い、すでに大幅な価格上昇を強いられていたところに、Tシリーズへの移行で水冷エンジン&フロントブレーキ装着分の価格アップ要素が加わることは、場合によっては低価格帯ユーザーのマツダ離れを促進し、販売面で大きな痛手となり兼ねません。

こうしたことから、キャビンの小変更を受容しつつ、廉価版としての価格据え置き使命を果たすための暫定的措置として、私は旧型の空冷エンジン搭載シャシーに改良型キャビンを組み合わせた「モディファイ版の」MBR型が、ごく僅かな期間、継続販売されたのではないかと推測するわけです。 




 ただし、キャビンについてはもう一点、リバーブルーのボディカラーという謎が残されていますが、この件については先日、同色に塗られた(正真正銘の)MBR型の目撃情報を入手したことから、Tシリーズ登場前にも何らかのカタチで設定されていたものと考え、別途研究を進めることとします。

(※写真は入手次第掲載します)




 どうでしょう。私の勝手な推論でしかありませんが、何となくもっともらしい話に聞こえませんか?

 本件に関する追加情報があれば、即ここに反映させていきたいと思いますので、何か関連情報をお持ちでしたらぜひ私までお知らせください。
 (真実なら当然、上記の推論を完全否定することも有り得ますね…汗)