○区勢
「面積9.15平方キロメ−トル(南北の長さ約4.7キロメ−トル、東西の長さ
2.94キロメ−トル)に及ぶ大正区は、大阪市の西南部に位置して大阪港に面し
、区の三方を木津川、尻無川、岩崎運河に囲まれているため水運の便がよく
各種工業が集まり臨海工業地帯として発展してきた。
大正区はO・Pゼロメ−トル地帯が多かったため、過去再三にわたり高潮の
被害を受けたが、その後盛土を伴う土地区画整理事業や防潮堤、防潮水門な
どの整備によって、現在では水害の恐れははほとんどなくなり、高層住宅の
建設が進んで、職住調和のとれた町づくりが進められている。
区の中央部の千島地区は、面積11万平方メ−トルの丘陵公園(千島公園)
が完成し、標高35メ−トルの港の見える丘「昭和山」を中心に、総合調査
、体育館、コミュニティ−広場を配し、背後に林立する住宅・都市整備公団
高層住宅群とともに新しい都市美を形成し、コミュニティ−づくりの拠点と
なっている。
道路交通網は、南北幹線の本田大運橋線拡幅工事と東西幹線の国道43号線
(尼崎平野線)新設工事が完成、橋は当区南部重工業地帯と西成区を結ぶ千本
松大橋の完成に加えて、大正区−港区間、大正区−住之江区間の新橋架橋も着
工され、無橋地帯が解消する。」
○区域
「大正区の土地は、江戸時代以前から続いてきた三軒家、難波島と、江戸時代
以後木津川、尻無川の河口に開発された新田と、さらに明治、大正時代に造成
された埋め立て地によって形成されている。
このうち、新田は、泉尾、炭屋、千島、今木、平尾、中口、上田が江戸時代
中期に、南恩加島、北恩加島、小林、岡田、千歳が同末期に開発され、埋め立
て地は船町、鶴町、福町の全部と南恩加島、平尾の各一部で埋め立てが完了し
た大正末に、ほぼ今の大正区の区域が確定した。
当区は江戸時代、摂津国西成郡に属し、幕府の直轄地として代官の支配下に
あったが、明治維新後、大阪府司農局に所属し、明治2年摂津県(のち豊崎
県と改称)・兵庫県を経て大阪府に所属、同5年地域割により西成郡第2区に
所属した。
明治34年4月大阪市に編入、西区の一部となり、大正14年4月港区が
西区から分区の際、港区の一部となっていたが、昭和7年10月1日、港区か
ら分区独立し大正区が成立した。」