これまでの受講歴


1986年12月 大学3年。司法試験の勉強を始める。

 87年4月 初めて択一模試を受験。合格推定点どころか平均点にも及ばない点を取るなどさんざん。

 87年5月 択一式試験受験。思ったより易しいと思う。

 87年6月 論文直前予想答練(LEC)受験。むちゃくちゃ悪い点数を取りまくる。
(当時LECは15点が最低点だったのだが、15〜19点を取りまくっていた。20点取ると喜んでいた記憶がある。)

 87年7月 論文式試験受験。何を書いて良いのか全く分からない。「法の支配」とは?自ら招いた危難に対する緊急避難とは?やれやれ。

 87年9月 当然ながら不合格。

 87年10月 判定帰ってくる。総合G判定に唖然。

 87年10月〜88年3月 LECで答練受講。当時は、大学の講義のノートや、LECのテキスト(パーフェクトなんてものはまだ出たてで、徹底解析なんていうのを使っていた。)を見て受験していた。

 88年5月 LECの予想論点総整理講座を受ける。その時のレジュメは、部分的にだが今も持っている。

 88年7月 2度目の論文試験。直前の予想答練では相変わらず10点台を連発していた。答練は必死で復習していたので、或程度はできたかな、と予想。

 88年9月 不合格。結構出来たつもりでいたので、ショック。総合B。

 88年11月 家庭の事情でそれまでの下宿を引き払い、自宅へ。

 88年10月〜89年3月 早稲田セミナーの論文講座へ通う。辰巳の日曜答練を、大学の同級生3人で、回り持ちで受験。私名義で申し込んでいたため、友人の受けた回に優秀者として私の名前が載って勘違いされたこともあった。当時は(今もだが)金がなかった。

 88年12月〜89年1月 破産法正月特訓(早稲田セミナー)を受講。

 89年5月 択一受験。前年よりも難化し、受験後自信喪失。

 89年7月 論文受験。何か、前年よりも手応えが 悪い。

 89年9月 不合格。とりあえず、就職を決めてあったので、司法試験はもう終わりにすると決意。総合C。

 90年4月 公正取引委員会事務局に入局。
 92年7月 経済企画庁へ出向。

 92年8月 SVA(曹洞宗国際ボランティア会)主催のスタディーツアー(現地での活動を見て学ぶ、というもの。)に参加し、タイへ。帰国後、役人の仕事をこのままやっていてよいのか、何かNGOに役に立つことはできないかと考えるようになる。そして、何か資格を持って役に立ちたいと思うようになり、かって志した司法試験をもう一度やってみようと思う。

 93年4月 留学試験が終了。失敗を確信し、択一用勉強を開始。職場への行き帰りの電車の中で、択一式受験六法(自由国民社)を読み込む。4月の3週間で、民法の財産法の部分を読み終わる。辰巳と早稲田セミナーの択一模試を受験。

 93年5月 短答式試験受験。思ったより簡単だった。試験監督官の人、休日出勤ごくろうさまという気持ちで一杯。やはり同じ公務員同士、分かるよ。合格。

 93年7月 論文式試験受験。基礎的な問題ばかりだったが、勉強していないので、当然まともに書けず。

 93年9月 不合格。総合成績E。

 93年10月 辰巳の日曜答練を受験し始める。仕事帰りに背広姿で受けたことが何度もあった。

 94年5月 短答式試験受験。直前のゴールデンウィークに39度の熱を出し、こりゃあダメかと思う。まあおかげで役所も休めたけど。受けた感触は、思ったより解けた、という感じ。合格。

 94年7月 公正取引委員会へ戻る。
      論文式試験受験。試験前日、夜12時まで仕事。1日目から全然力が出ず。しかし、結果的には1日目が2、3日目に比べると全然よかった。

 94年9月 不合格。総合成績は何とG。3科目もGがあったのが響く。

 94年10月 また、辰巳の日曜答練を受験し始める。この頃は仕事も割と暇な部署であったため、前年のような事態は生じず。

 95年5月 短答式試験受験。思いっきり憲法、民法が難しくなっている。何だこれは!

 95年6月30日 退職。5年3か月の公務員生活に別れを告げる。

 95年7月 論文式試験受験。辞めてから20日間の成果を見せてやる!と意気込むが、憲法で時間切れ。全てが終わる。刑法も時間切れ。これもアカン!

 95年7月末 不合格確実だったので、辰巳小教室に申し込む。

 95年9月 不合格。総合成績E。時間切れを起こした憲法と刑法がGだった。

 95年10月 辰巳小教室開始。論文合格講座日曜答練がセットだった。

 96年1月 小教室の仲間と民法のゼミを始める。週1回集まり、過去問2問ずつ答案構成。吉澤先生の刑法論文過去問分析講座を通信で受講。

 96年1月 セミナーで早朝過去問征服講座(憲民刑)を受講。

 96年2月 やはり小教室の仲間と刑法のゼミを開始。

 96年5月 短答式試験受験 やはり憲法、民法が難しい。周りでは憲法は前年よりも平易になったと言われていたが、疑問だ。日曜答練の直前コースを受験続行。

 96年6月 辰巳の論文予想答練のハーフコース、セミナーと辰巳の直前公開模試(合計3回)を受験。

 96年7月 論文式試験受験。直前の模試でそこそこの成績だったこともあり、結構自身はあったのだが、初日の民法で失敗したと思い、初日の夜泣き暮れる。刑法で更にダメージ。

 96年9月 不合格を確信し、苦手の刑法の克服のため、吉澤刑法体系ゼミを受講開始。

 96年10月 不合格。役所の先輩が合格していた。総合成績B。守ったと思った憲法がEだったのはショック。刑法は予想通り悪かった(F)。日曜答練を受講開始。小教室時代の同級生と商法、民事訴訟法のゼミを週1回で組む。

 97年1月 高田馬場へ移転。友人と朝ゼミを開始。週5回、毎日1問過去問をその場で書き、答案を批評しあうというもの。7月上旬まで続行。

 97年5月 短答式試験受験。憲法が前年にも増して難しい。民法は、かなり易しくなったかなという感じ。前年合格した先輩からもらった、早稲田セミナーの基礎講座民事訴訟法(橋本講師)芦部憲法論文過去問講座(井上講師)のテープを聞く。

 97年6月 辰巳の論文予想答練のハーフコースを受験。セミナーのゼミでお世話になった吉澤先生の事務所で答案を見てもらう。憲法については結構ケチョンケチョンに言われ、ショックを受ける。。

 97年7月 論文式試験受験。結構好きなことを書いてきた、という感じ。何とか受からないかな〜。

 97年10月 不合格。総合A。ゼミの仲間で合格したのは1人。小教室の仲間は3人が合格。辰巳のS式答練と、伊藤真塾の公開答練を受講。

 97年11月 辻元清美衆議院議員の国会事務所で秘書のアルバイトを始める(週3日)。

 98年1月 辰巳の日曜答練を受講。

 98年2月 アルバイト終了。

 98年3月 元小教室の仲間と民事訴訟法のゼミを開始。憲民刑の答案書きも行う。

 98年5月 短答式試験受験。前年よりは簡単かな、という感じ。でも手応えは今一つ。不安になる。

 98年6月 辰巳の論文予想答練のハーフコースを受講。

 98年7月 論文式試験受験。今一つ切れがないなあと思いつつ、受験。

 98年9月30日 何と論文合格。小教室の仲間で合格したのは、私を含め4人。口述ゼミでは5人。

 98年10月 辰巳と早稲田セミナーの口述模試を受験。辰巳では刑法で形式面がC(最悪の評価)と評価される。なぜだ!

 98年10月12〜17日 口述試験受験。商法で計算書類を3つしか答えられず、落ち込む。その他の科目でも頓珍漢な答を多数行い、試験委員を困惑させていた・・。やはり口八丁だけでは乗り切れなかった(あたりまえか。)。

 98年10月30日 最終合格。勉強初めてから12年弱、受験勉強再開後5年半、退職からは3年でした。


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