或いはひとつの可能性



第5話・日常の終わり





  「また、特別非常事態宣言かよ。今月に入って4度目じゃないか。こんなときに勘弁してくれよな・・・」

  今までの3度の特別非常事態宣言は、第3国の偵察機による上空1万メートルからの第三新東京市の防空システムの

  査察に対するものだった。当然、地上への実質的な被害は皆無である。

  こんなふうに被害も出ないままに宣言が繰り返し出されると、自然と市民の関心も低下してくるし、宣言そのものを

  甘く見る者もでてくる。

  この夜の新赤坂の酔客たちもそうだった。楽しみにしていた酒宴を中止させられ、みな朱に染まった不満顔で

  シェルターへと、のろのろと歩いていく。

  「なんか、いつもと雰囲気が違うぞ」

  一番年長の三笠幹事長が最初に気づいた。

  「戦自の装甲車や爆撃機が出ている。警官も拳銃のホルダーを外してやがる。こりゃ本物だぞ!!」


  
  装甲車が多数、市街地を走りまわったり、爆撃機が低空飛行したりすれば、さすがに市民にも緊迫した雰囲気は

  ひしひしと伝わる。

  戦自の隊員が大声で怒鳴る、今までにないピリピリした雰囲気に、小学校低学年くらいの子供や乳児が

  おびえた泣き声を上げる。一方、幼稚園児は、この一大スペクタクルを単純に楽しんで歓声を上げている。

  老人は、14年前のように敵は空から来るものだと信じて、闇夜をしきりに見上げつつ、小走りに近所の

  シェルターに向かう。

  近くのホテルでの結婚式に出ていた客たちは、礼服を着たまま、ホテルの従業員の指示に従って、

  シェルターを目指して走っている。

  戦略自衛隊病院の入院患者は、寝間着のまま、あるいは担架に乗せられてシェルターに向かっている。

  市街地の商店は一斉にシャッターを閉め、環状線の電車は高架の上で止まって扉を開いている。

  路上には乗り捨てられた市営バスや自家用車が路肩に累々と止められている。

  公衆電話には一瞬、長蛇の列ができたが、全回線が止められているとのアナウンスを聞いて、

  並んでいた市民たちは一斉に四散した。携帯電話も使えない。    

  こんな時でも、略奪、窃盗の類を働こうとする不心得者はいる。警官の威嚇射撃の音が散発的に夜空に響く。  


  こうした光景が、新駒沢、新根津ほか、市内各所で展開されていた。

  リエは、新駒沢3丁目交番の地下シェルターの中で、近所の石河不動産の夫婦と一緒に寄り添っていた。

  子供のいない石河夫婦は「ルビー」を入れたケージを抱えて不安そうに辺りを見回している。

  「この子は預かりものだからね。怪我させないようにしなくちゃ。」

  ルビーのケージを見ながら、石河夫人(といっても、街の不動産屋のおばちゃんだが)が夫に向かって呟く。

  「お父さん、新赤坂だけど、大丈夫かしら・・・。この前みたいに何にも被害がなければいいけど・・・・」

  リエには祈ることしかできなかった。


  15分後、市内の陸上部から市民の姿は、ことごとく消えた。


  30分後、地下シェルターの市民は、大きな振動に襲われた。天井からは小さな砂塵が舞い落ちてきている。

  新用賀2丁目の公園の下のシェルター内のケンスケは携帯テレビをつけてみた。

  「だめだ。どっかの山を映した静止画像しか映らないよ。」

  「なんや、一体どーなっとるんや!!」
  
  トウジは、顔を紅潮させて声を張り上げた。 

  「報道管制ってやつさ。それだけ事態がやばいってこと」

  「おまえ、メカとか通信技術とか詳しいんやろ? なんとかならんのかい?」

  「俺がなんとかできるんだったら、とっくに戦自に採用されているさ」

  「冗談言うてる場合か!! なんぞ迷子のお知らせとかやっとらんのか? 妹がどこにおるのかわからへんのや」

  「そういえば今日は姿がみえないけど、一緒じゃなかったのか?」

  「途中ではぐれてもうたんや」

  「大丈夫だよ。きっとどっかのシェルターにいるさ」

  「鈴原に相田君じゃないの? 」

  「おお、委員長!! うちの妹、みかけんかったか?」

  「いいえ、みてないわ。ミツコちゃん、いないの?」

  「わしの不注意で、はぐれてもうたんや。わしのせいや」

  日頃、自分に向かって悪態をついているトウジが、妹を心から案じる優しい兄の顔になっている。

  ヒカリはトウジの顔をただみつめていた。


  同時刻、新根津。

  「っ!? ないっ!!」 

  リョウコは、一旦、近所の短大の地下シェルターに入ったものの、あわてて家に引き返した。

  母親の位牌と写真をバッグに入れてシェルターに戻ろうとしたが、シェルターの扉が閉鎖されている。

  「まずいわ。一旦、点呼に応じた後に出ちゃったから、全員待避とみなされて締め出されちゃったんだわ」

  「取り敢えず、神社の本殿にでも隠れていよう」

  リョウコは、町内から少し離れた高台の神社に駆け上がって、本殿の床下に潜り込んだ。

  「お母さん・・・守ってね・・・」

  そのとき、正面の山が突然、シルエットになって目に飛び込んできた。次の瞬間、雷が何個も落ちたような爆音が響く。

  「外輪山の外ね!!」

  しばらく周囲に静穏が訪れた。

  
   5分後、リョウコは人の形にも似た巨大な生き物が山を踏み越えて市街地に現れたのをみた。

  胸とおぼしきところに、顔のようなものがついている。

  「あれは何なの? 宇宙人? ロボット?」

  気丈なリョウコもさすがにわなわなと震えている。歯の根が合わない。

  そのうち、その生き物が腕の先から市街地の南部に向かって閃光をほとばしらせた。

  「あのあたりはジオフロントの入り口・・・・」

  閃光は地面に衝突すると、巨大な十字の形になって天空に伸びる。

  そんなことを2,3度繰り返しながら、その生き物は市街地の南部に向かって歩いていく。

  普段見慣れている市内のビルがいつのまにか砲台に変わっていたり、見慣れないビルが

  出現して、その生き物に砲弾を連射しているが、次々と破壊されて沈黙していく。

  その時、リョウコはみた。

  市街地の一つのビルの壁面が、すとん、と地中にスライドすると、中から紫色の巨人が現れたのを。

  その巨人はしばらく猫背で立ちすくんでいたが、やにわに一歩踏み出した。

  が、すぐによろめいて転倒してしまった。

  それを見透かしたように、生き物が襲いかかる。何度も殴打され、腕を折られ、挙げ句の果てに投げ飛ばされ、

  尻餅をついた巨人はがっくりと頭を垂れると、血潮のようなものを噴出させた。

  全てが終わった。


  リョウコは声を立てることもできず、ただ涙だけが流れていた。

  「怖いよ。死にたくないよ。いや、いや・・・」

  恐怖、絶望といった原始的な感情だけが頭の中を支配している。
  

  が、突然、巨人はすっくと立ちあがった。

  夜空に長く尾を引いて響く咆哮を繰り返すと、たちまち腕が再生した。

  その咆哮は、シェルター内の高橋たちにも聞こえた。

  「なんだ、あれは? 砲声か?」

  走って生き物に襲い掛かり、殴りつけ、投げ飛ばす。

  落下した生き物に走って近づいた巨人は、一瞬、何かに弾き飛ばされた。

  が、何かをこじ開けるような仕草をすると、

  生き物に難なく近寄り、頭部とおぼしき部分を連打しはじめた。

  5、6回、殴り付けられた生き物は、突然、伸び上がって巨人の頭部に巻き付くと、爆発した。

  閃光が天に向かって十字の形に伸びていった。

  その直後、巨人の頭部が地面に落下するのを、リョウコは映画の1シーンのようにただ呆然とみつめていた。



  特別非常事態宣言が解除されたのは、5時間後だった。すでに夜は白みはじめている。

  シェルターから出てきた人々は、市街地南部が激しく損壊しているのをみた。

  そして、道路のアスファルト上に幾つも残された巨大な足跡も。


  新用賀のシェルターから出てきたトウジは、ビルの大きな破片が住宅地と商店街に1つずつ落下しているのをみた。

  下敷きとなった住宅は全壊していたが、住人は避難していて無事だったようだ。

  商店街に落ちた方は、雑居ビルを半壊させており、巻き込まれて怪我人が出たらしい。

  「おとん、取り敢えず、うちに戻って近所をさがそう」

  「ああ、それがよろし」

  トウジ、父親、祖父の3人が自宅に着いたとき、電話が鳴り出した。

  「鈴原さんですね。こちら中央病院です。ミツコちゃんはお宅のお嬢さんですね」

  「はい。ミツコ、怪我してるんですか?」

  「新用賀商店街のビル崩壊に巻き込まれたようです。すぐにおいでください」



  高橋はシェルターから出ると、漸く動き始めた環状線の電車に乗り、急いで新駒沢の自宅に戻った。

  「リエ、無事か?」

  「うん。この辺は大丈夫だったの。お父さんは?」

  「このとおり怪我一つしてないよ」

  「よかった・・・。ほんとはね、とっても怖かったよ・・・・」

  「・・・・一緒にいてやれなくてすまんな・・・」

  「・・・もういいの・・・・。」

  高橋はテレビをつけてみた。どのチャンネルも昨夜の件を報道している。

  「どうやら市の南部と新用賀がやられたらしい」

  「新用賀? ヒカリや鈴原君たちの住んでるところじゃないの!! 大丈夫だったかしら・・・・」

  内閣府の広報室で官房長官の記者会見が始まった。

  「昨日、5月12日午後9時05分、戦略自衛隊の哨戒艇”日進”が新小田原沖において国籍不明の移動物体を発見。

  国際法に従い、警告電信を打電したものの、応答がなく、第三新東京市方面への移動をさらに続行したため、政府は

  午後9時25分、第三新東京市全域に特別非常事態宣言を発令した。同物体は、午後9時37分、神奈川県新小田原市

  山崎付近に上陸、戦略自衛隊の警告射撃に対し、レーザー砲と推定される新型兵器で応戦したため、同時刻をもって

  敵と判断し、全部隊による排除作戦を開始。午後10時08分、敵は第三新東京市に侵入し、一部地域に対する破壊

  活動を開始したため、全部隊による再度の一斉攻撃を以って、これを撃滅した。大破した同物体を調査した結果、

  某国が開発中の高性能ロボットが電子機器の誤作動等により暴走した可能性が高いものと判明。現在、国際連合を通じて、
 
  某国に事情を照会中である。・・・・・以上」

  官房長官はペーパーを棒読みして発表を終えた。記者との質疑応答が始まる。

  「某国とはどこの国ですか?」

  「現在、国際連合を通じて照会中なので、当該国の名誉のためにも、確たる結果が出るまで国名は申し上げられません」

  「政府は某国での高性能ロボットの開発を予め関知していたのですか?」

  「安全保障政策上の機微に触れる内容なのでお答えは差し控えさせていただきたいと思います」

  「今回の騒動による死傷者の数は?」

  「幸いにしてゼロであります」
 
  「仮に某国のロボットと判明した場合、政府はどのような対応策をとるんですか?」

  「謝罪は求めることとなろう。ただ、今後の外交交渉の手の内をそれ以上相手に知らしめるのは得策ではなかろうと思います」

  「今後の第三新東京市の防衛システム運営に関する基本方針は変えるのですか?」

  「戦略自衛隊の配備を厚くするほか、海上からの侵攻に備えた各種防衛システムの強化・再編を図る所存であります」


  官房長官の記者会見が終了すると、報道各社が解説番組を流し始めた。

  「某国ってどこかしら?」

  「おそらく、あの国だよ」

  高橋はセカンド・インパクト後の動乱の最中に独立した新興国家群の中から、1つの名前を挙げた。

  「あそこは独裁国家だからね。国民に開示せずに新型ロボット兵器の開発を進めることはありうるよ。

  常に隣国と緊張関係にあるし、5年前に世界最大のダイヤ鉱山が発見されて金回りも相当いいからね・・・」

  報道各社も似たような見解だった。

  「原因がわかったんだから、もうこんなことは起こらないよ。リエ、昨夜寝てないんだろ? 少し休んだ方がいい」

  高橋は蒼ざめて疲れきった顔の娘を心配して、自分の部屋へ行かせた。

  「二度とあってはならないことだ、市民がシェルターに追い込まれるようなことは・・・・」


  

  その後、3日間、市内の学校は臨時休校となり、市内では瓦礫の後片付けや路面の復旧工事が徹夜で行われた。

  市内中心部では破壊されたビルの復旧工事も進められている。

  大きな防塵幕で囲まれて道路から中の様子が全く見えない区画が市内南部に幾つかあったが、気に掛けるものはいなかった。


  一方、市議会は事件の翌々日から再開された。

  高橋は再建の槌音が響く中を第3新東京市議会に向かった。

  「おはようございます、松島さん」

  「おお、高橋君か。この間はえらい目に遭ったね。家の方は大丈夫だったかい?」

  「おかげさまで。松島さんのご自宅はどうでした?」

  「うちは新目黒だから被害はなかったよ」

  「今日の本会議では市当局は何か説明するんでしょうか?」

  「市内の被害状況と復旧計画について建設部から、復旧費用を盛り込んだ補正予算について財政部から報告するそうだ」
 
  「本予算の審議も終わっていないのに、もう補正予算を組まざるを得ないとは・・・・。また、財源は市債でしょうか」

  「国から災害見舞金が支給されるほか、地方自治庁も地方交付税交付金を緊急増額する方針らしいよ」
    
  「財政投融資も国土整備機構経由で集中的に出されるみたいですし、全国から義援金も集まっているようですね」

  「ああ、思ったよりも補正予算は少なくて済みそうだね」
 
  「被害者への個人保障はどうなるんでしょうか?」

  「国は、全国民の強制加入となっている全国災害共済基金に対して、今回の被害者に対する保険金給付を勧告する

  方針のようだ」

  「それではひと安心ですね。それにしても戦自は何やってたんでしょうかねぇ。市内まで入ってこられてから、

  迎撃するなんて・・・・。どうせやるなら、強羅あたりで一気にケリをつけちまえばいいのに・・・」

  「ま、今後はこんなことが起こらないようにがんばってもらうしかないさ。こっちは丸腰なんだからね」

  「・・・・・今回の騒ぎのとき、NERVは何していたんでしょうか?」

  「相変わらず、皆目わからん。ただ、技術者や職員に非常招集をかけていたのは事実だがな・・・。中で何を

  やっていたのかは、闇の中さ」

  「そうですか。一応、動きはあったんですね・・・・」

  本会議開会のベルが鳴り、松島幹事長代理と高橋は議場に入っていった。

  「あっ」

  高橋は幹事長代理が思わず小さな叫び声を上げたのを聞いて振り返った。

  「高橋君。彼が来ているよ。傍聴席に」

  「そうですね。何のためでしょうかね」

  彼らが見上げた傍聴席には白髪の詰襟姿の初老の男が座っていた。

  「冬月コウゾウ。NERV副司令。話してみると、決して悪い男ではないんだが・・・」

  「松島さんは彼と話されたことがあるんですか?」

  「ああ、家が近いんでね。時々、将棋を指しているよ。もっともお互いに仕事のことは一切話さないがね・・・」

  「人当たりの良さそうな紳士のようには見えますね。」

  「対外的なことは殆ど彼がやっているようだね」

  「それはそうでしょう。あの、何考えているんだかわからない碇司令では、まとまる話も砕け散りますよ」

  「そうだな。無愛想なくせに、気取って髭はやして色付き眼鏡なんてかけてるもんな。目が悪いわけじゃないのに」
  
  「そういえば、おととい、碇の息子に新箱根湯本で会いましたよ」

  「あいつに息子なんかいたのか」

  「ずっと第二新東京市の教師の元に預けられていたそうですよ。それが急にここに呼び付けられたって言ってました」

  「碇のやつ、年取って里心がついたかいな。ははは。」

  「なんか親父とは正反対で、おとなしくて気の弱そうな少年でしたよ」

  「そりゃそうだろう。あんなのが親父なら、子供は萎縮しちまうよ、俺だったら、あんな親父は嫌だね」



  「ただいま」

  「あ、お帰りなさい。今日は早いのね。珍しいわぁ」

  リエはあんな災厄の後なのに機嫌がいい。

  「ああ、まだ市内の復旧作業が続いているからね。みんな家のことが心配で、議会が終わった後に、会合の予定を

  入れるどころじゃないんだよ」

  「いつまで続くの?」

  「突貫工事で復旧しているから、あと1、2日間ぐらいかな。早く元どおりになってほしいよ。困ったもんだ・・・」

  「・・・・そう・・・」

  高橋の話は明るい内容なのに、リエは冴えない顔でキッチンに向かった。

  「どうしたんだろう? まだ、疲れているのかな?」




  4日目(正確には土、日を挟んで6日目の5月18日<月>)、漸く学校が再開された。

  「おはよう、リョウコ」

  「あ、リエ。おはよう・・・」

  「どうしたの? 元気ないわね。なんか被害があったの?」

  「そうじゃないんだけどね・・・・・。後でちょっと相談に乗ってくれる?」

  「それは、いいけど・・・・」

  (なんか様子が変ね。いつもなら、後で、とか言わずに、すぐにその場で相談してくるのに・・・)

  
  「おはよう、ヒカリ」

  「あ、リエ、おはよう。大丈夫だった?」

  「ヒカリの方こそ、新用賀、大変だったんでしょ?」

  「うちの近所で建物に少し被害が出ただけよ。テレビでも死傷者なしって言ってたでしょ」

  「よかった。心配したのよ」

  「シェルターでは鈴原や相田君と一緒だったのよ。鈴原、妹さんとはぐれてすごく心配そうだった・・・」

  「そう言えば、鈴原君、来てないわね。相田君、なんか聞いてる?」

  「シェルター出てからトウジとは会ってないんだ。それにしても惜しいよな。新型ロボット、この目で見たかったよ」

  「そんなこと言ってると、巻き添えで怪我しちゃうわよ。ねぇ、りョウ」

  リエはリョウコに話を振ろうとして言葉を呑み込んだ。

  リョウコは眉間にしわを寄せて、歯を食いしばり、自分の机の真ん中をみつめていた。

  

  「えー、本日の欠席は、綾波さん、碇君、鈴原君の3名ですね」

  出席を取り終えた担任の数学教師が締めくくった。



   つづく
   
   
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