或いはひとつの可能性

この小説はフィクションです。小説の中に登場する全ての人物、団体名は、実在の人物、団体等とは一切、関係はありません。



第42話・屠られる未来





   一向に止みそうにない雨の中、加持は黒い、やや大き目の傘を差してゆっくりと

   新霞ヶ関の官庁街を歩いていた。
  
   低く垂れ込めた雲の下、日曜日の官庁街は人影もまばらで、所々にレインコートを着て立っている

   警官の姿だけがやけに目につく。

   加持は、窓に「平成27年度 国土整備白書 入荷」と書かれた紙が張られている
  
   政府刊行物サービスセンターの前を通り、農務省、外交省、財務省、産業省に面している交差点に差し掛かった。
      
   (・・・・財務省か・・・・政府の中で、唯一、全てを知っているところだな・・・・官は政を凌ぐっていう

   わけか・・・・・)

   加持は立ち止まって、目の前にそびえ立つ白亜のビルを見上げ、僅かに目を細めたが、

   すぐに、点滅し始めた青信号に気づいて、足を速めて横断歩道を渡り終えた。

   雨は一段と強さを増し、加持の周りにはザーッという雨足の音しか聞こえていない。

   加持が交通通信省ビルの前に差し掛かったとき、道路の真ん中に口を開けている

   官庁共用地下駐車場の入り口に、黒塗りの公用車が音もなく静かに滑り込んで行った。

   加持は公用車が消えた後の入り口の暗闇をしばらく見つめていたが、やがて何事もなかったかのように

   なだらかな坂をゆっくりと上り始めた。

   (・・・・あのとき、葛城がゲヒルンに就職しなかったら、俺も今ごろはここで

   働いていたかもしれないな。ちょうど課長補佐になりたてのはず、か・・・・ま、今となっては、

   どっちが幸せだったかなんて、考えるだけ無駄なことだ・・・・ただ・・・・俺はいつも後悔のないような

   選択をしてきたってことだけには自信がある・・・・だから、今、幸せかどうかはわからないけど、

   これで良かったんだとは断言できる・・・・・)

   微笑んで自分を見つめているミサトの顔を脳裏に描きながら、加持は無意識のうちに傘を持つ手に力を込めた。

   行き交う自動車のエンジン音がだんだんと近くなり、やがて目の前に国会議事堂の大屋根がみえてきた。

   もはや存在していない旧東京の国会議事堂を忠実に再現した、その重厚な建物は、折りからの冷たい雨の中、

   加持の目前に大きく立ちはだかっていた。

   (・・・・国連の一機関に過ぎないNERVと国家の闘い、これからとくと拝見させて

   もらうとするか。しかし、そろそろ、またドイツに戻らないとならないなぁ。弐号機とアスカを

   第3新東京市に連れてこなきゃいけないからな。この芝居の続きは、9月に日本に戻ってきてから、

   特等の桟敷席でゆっくりと見物させてもらうとしよう。ま、国連太平洋艦隊の護衛が完璧であることが

   前提だけどな・・・・洋上で使徒に襲われたら・・・・その時は、その時、だな・・・・

   さて、取り敢えず、空港の近くのホテルに入って、この資料をNERV本部に送信しておこうか・・・)

   加持はもう一度、国会議事堂を仰ぎ見ると、緩慢な動作で手を挙げて、通りかかったタクシーを止めた。

   「第2新東京国際空港の全日航ホテルまで。」

   運転手からの返答がないまま、タクシーは勢いよく発車した。

   (やれやれ、無愛想な運転手に当たっちまったようだな。ま、そのほうがこっちは自分の考え事が

   邪魔されないから、助かるけどな・・・)

   加持はふっと小さな溜め息をつくと、シートに深く体を沈めて、眼を閉じた。

   (しかし、噂には聞いていたけど、あまりにも財務省の考え方は特異だな。国連分担金の削減と

   復興費用の無償供与っていう餌に、あんなにすぐに飛びついてくるとは信じられなかったよ。

   財政均衡のためには、なりふり構っていられないってことか・・・・バーターとして提示した

   国防省の新型ロボット開発プロジェクトと憲法擁護庁の査察人員増員計画の予算削減に

   あんなに簡単に応じるとはね・・・まあ、予算を増やせって言うのならともかく、予算削減なんて

   彼らにとっては、むしろ願ってもない話、渡りに船だったかもしれないな。

   そして、ドラスティックな予算削減を強いられた国防省は、彼らに割り当たられる予定だった予算額が

   憲法擁護庁プロジェクトに転用されたと、国防関係雑誌「月刊 自由と国防」の天津編集長から

   吹き込んでおいた。憲法擁護庁の予算削減額が自分達よりもかなり少ないのを見て、

   国防省は憲法擁護庁の予算横取り工作の存在をいとも簡単に信じ込んでしまった。

   天津編集長は、憲法擁護庁プロジェクトの機密情報を出向者を通じて

   マスコミにリークすれば、プロジェクトの進捗を遅らせれると国防省幹部に提案する。

   そして・・・・今、こうして俺がその情報を握っている・・・・・こんなに簡単に工作が

   進んだのも、縦割り行政と官庁間の相互不信、「省あって国なし」という意識構造が

   あったからだよな・・・・もし、あのとき、俺が、交通通信省に入っていたら、

   こんな傍目八目(オカメハチモク)的なことを言ってられずに、この構造にまみれて

   必死に仕事していたんだろうなぁ・・・・おっと、忘れるとこだった。

   天津君の口座に今月の活動資金を振り込んでおかないとな。・・・・・)

   再び加持が目を開けとき、着陸態勢に入った飛行機が車窓に映っていた。




   第3新東京市議会ビルの会派別控室では、日曜返上で、第3新東京・自由改進党の幹部が集まっていた。

   「国の補正予算に第3新東京市復興支援金が計上されるのはありがたいが、あんな金額では所詮、

   焼け石に水だな。損壊した市道や水道の復旧、倒壊したビルに入居していた商工業者への

   営業再開・運転資金の支援融資、この機会を捉えた市街地再開発計画の推進・・・・どれをとっても

   多額の費用を要するものばかりだよ。まいったな・・・・それでなくても、今は、逆さに振っても鼻血も出ない

   財政事情だってのに・・・・・」

   三笠幹事長は、腕組みをしながら、険しい表情で呟くと、眼を閉じて天を仰いだ。

   「市債を発行しても、金融機関は利率の低い市債の購入には二の足を踏むでしょうし、

   かと言って、公募しても、使徒襲来が続く街の債券なんて、誰が買いますかね?

   仮に政府の保証を付けてもらうとかして、なんかとうまく消化できたとしても、償還財源はどうするんです?

   地方税も、つい先日、すったもんだして、別荘等保有税を創設したばかりですから、とても

   税率引上げなんて無理ですし、そのうえ、使徒襲来で経済活動が大きな打撃を受けてるから、

   今年の税収はきっと惨澹たるものになりますよ。歳出急増と歳入激減、ダブルパンチですな、こりゃ・・・」

   今度はうな垂れて頭を抱えてしまった三笠を眺めながら、高橋は厳しい表情で淡々と呟いた。

   「復興支援金の増額を求めて、第2新東京市の吾妻さん(第3新東京市選出の衆院議員)と一緒に、

   新霞ヶ関に陳情に行きましょうか?」

   いつもは元気な若手議員の熊野の声も、さすがに今日は力がない。

   そして、それに応える高橋も、力なく首を振るだけだった。

   「そりゃあ、やんないよりはましだろうけど、それで上積みできる金額なんて多寡が知れてるよ。

   セカンドインパクト前に既に財政事情がかなり悪化していた上に、セカンドインパクトの復興費用が

   加わって、国家財政も火の車だからね。今は、財務省も「出すものは舌でも嫌」っていう気分だろうよ。

   もっと、こう、一度にどかんとまとまった歳入になるものがないと、苦しいなぁ・・・」

   絞り出すような高橋の声のあと、議員たちの発言は止まってしまい、

   窓ガラスを震わせる風の音と、時折、吹き付けられる雨の音だけが、静まり返った室内に響いている。

   「NERVに頭を下げて、市債を購入してもらうか、無利子融資を出してもらったらいいんじゃないのかね?」

   少ししわがれた声に、議員たちは一斉に弾かれたように顔を上げ、八雲を見つめた。

   「何を言っているんですか?! NERVが何をしてきたか、八雲さんもよくご存知でしょう?

   今更、なんてことをおっしゃるんですか?! 磐手さんの件だって・・・・」

   高橋はさっと頬を上気させると、椅子が後ろに弾き倒しながら、勢いよく立ち上がり、眉間に深々と皺を刻んで

   八雲を睨み付けた。

   「確かに、我々はNERVと対立してきたよ。しかし、ことここに及んでは、一時休戦もやむを得ないんじゃ

   ないかね? 我々が面子にこだわって、こうして手をこまねいている間にも、市民生活は経済的に大きく

   脅かされつづけているんだからな。我々が頭を下げれば、市民が救われるんだ。これは一種の政治決断

   だよ。君も、それくらいのことはわかるだろ? 理想だけに燃えている新人議員じゃないんだから・・・」

   八雲は、眉一つ動かさずに、敢えて表情を消した顔で高橋をじっと見つめた。

   「私は面子云々を言ってるんじゃないんです!! NERVのとってきた行動は市民生活の自由と安全を

   大きく毀損するもので」

   「今は、自由が多少束縛されても仕方ないんじゃないかな。なにしろ、非常時なんだから。市民は、みんな

   今日明日を生き抜くのに精一杯なんだぞ! 奇麗事言ってる場合じゃないだろ?! 君は、市民が食い詰めて

   首を括ったり、心中したり、あるいは犯罪に走ったりしても、それでも仕方ないと言うのかっ!? 

   それが政治家のとるべき道かっ?!」

   高橋の言葉を遮って、八雲はかっと目を見開いて珍しく大声を上げた。

   今まで静かだった室内は、議員たちの私語で騒然となり始めた。

   (・・・・ほう・・・・私の言葉で動揺しとるな・・・・みんな、支持者からなんとかしてくれと

   泣きつかれているようだ・・・・もう一押し、か・・・・)

   八雲はゆっくりと椅子から立ちあがると、苦々しげな表情で自分を睨みつけている高橋には一瞥も与えず、

   他の議員たちを見渡して、心持ち胸を張った。

   「私が申し上げたいのは、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、市民生活の復興を最優先すべきだと

   いうことです。NERV問題の追及は、それからでも遅くはないんじゃないでしょうか? 要するに、

   明日伸びんが為に今日縮む、ということなんですよ。それに、もうすぐ選挙も近い。NERVとエヴァの活躍で

   この街が使徒から救われていることは紛れもない事実で、これは誰も否定できない。今や、市民のNERVへの

   人気は絶大で、過去にNERVによって被ってきた不利益などすっかり忘却の彼方なんだ。そんな時に

   経済対策よりもNERV問題の追及を優先するのは、市民のニーズとは正反対で、こんなことをやってては

   次の選挙で勝てるわけがないっ!!」

   ぱらぱらとあちこちから拍手が上がり始め、やがて潮が満ちるように、ほぼ半数の議員がこれに同調していった。

   一方、その他の議員たちは、そんな同僚たちを冷たい目で、あるいは困った顔で眺めている。

   敢えて、俯いて、その様子を見ないようにしている議員もいる。

   「賛否同数というところかな・・・・うーん、民協党との協議の時間も迫ってきたし、取り敢えず続きは

   明日の10時からということにしよう。」

   議論が紛糾して収拾がつかなくなる気配を感じた会派代表の高千穂は、やや強引に会議を散会させた。

   八雲は明らかに不服そうな顔で口をへの字に曲げたが、ほぼ勝利を確信した余裕から、自分の周りに

   集まってきた議員たちに囲まれて、談笑しながら部屋を出て行きかけた。

   そして、部屋の出口で、一瞬、振り返って、僅かに頬を緩めた。

   八雲が出て行ったのを見届けると、松島幹事長代理が、茫然と立ちすくんでいる高橋のもとに駆けつけてきた。

   「高橋君、相当まずいぜ。今まで党内に、NERV問題追及に消極的、あるいは批判的な議員がいるのは

   俺もよく知ってたけど、みんなバラバラだったから、たいしたことないと思って放って置いたんだ。

   でも、今日の八雲演説で彼らが初めて組織化されちゃったよ。反執行部グループの誕生ってことさ。

   これは、明日までに代案をひねり出さないと、議員総会の開催を要求されて執行部は総退陣を余儀なくされるぞ!

   こうしてる間にも、反執行部グループがこちらサイドの議員の猛烈な切り崩しに取り掛かっているだろうからなぁ。

   こうなってくると、みんな勝ち馬に乗りたがるから、結構しんどいよ。とにかく、こっちは議員の足止めに動くから、

   君は代案を考えるのに専念してくれ!! 頼んだぞ!!」

   松島は一方的に話すと、控室から数人の議員とともに駆け出して行った。

   高橋は、力なく顔を上げると、そんな松島の後ろ姿を虚ろな目で眺めた。

   (・・・・代案って言ったって、ほかにどんな方策があるってんだよ?  打ち出の小槌を持ってるわけじゃ

   ねえってのに・・・・それに・・・・みんな支持者からせっつかれてるのはわかるけど、目先の利益のために

   NERVの軍門に下るなんていう馬鹿な話にいとも簡単に雪崩を打つなんて・・・・今まで俺が議員として

   して取り組んできたことを、誰もわかっちゃいなかったんだ・・・・民意って何なんだ? 民主主義って

   何なんだ?・・・・・これじゃ、衆愚政治と変わらないじゃないか・・・・・・)

   同僚たちが立ち去ってしまった控室の中に、たったひとり取り残された高橋は、糸の切れた操り人形のように

   椅子にどすんと腰を下ろすと、前かがみになって頭を抱えた。

   「・・・・くそっ・・・・・もはや、これまでか・・・・・」

   しばらくその姿勢のまま、控室の冷たい床を凝視していた高橋は、ようやく立ち上がると、

   焦点の定まらぬ目つきのまま、足取りも重く、議会事務局へと向かった。

   事務局に通じる廊下では、やはり日曜返上で駆け付けている数人の事務局員が談笑していたが、

   幽鬼のような高橋が現れると、みな目をそらして、気まずそうな表情で黙ってしまった。

   そんな周囲の様子も目に入らないまま、高橋は事務局のドアの前までふらつく足取りで辿り着くと、

   真鍮製のドアノブに手を伸ばした。

   (・・・・・・・・いつもより・・・・・・重い・・・・・・・)

   蝶つがいの軋む音を聞きながら、高橋は事務局に足を踏み入れ、見慣れた横顔の隣の席にどすっと

   身を投げ出すと、ほうっと大きな息を吐き出した。

   「そろそろおいでになる頃じゃないかと思ってましたよ」

   彼が尋ねていった相手は、案に相違して、にこやかな表情でゆっくりと振り返った。

   「ま、既にお聞き及びのとおりってわけさ。俺もとうとう、年貢の納め時ってやつらしい・・・・」

   高橋は、強張った顔のまま無理に笑おうとしたが、引きつった微笑みしか浮かばなかった。

   「NERVの前に膝を屈して、首を差し出すおつもりですか? それは、高橋さんらしくないじゃないですか?」

   橋立は、くるっと椅子を回転させて、高橋に向き直ると、意味ありげににやっと笑った。

   「なんだよ、そのにやけた笑いは? 君まで勝ち馬に乗ろうって寸法かい?」

   高橋は絶望的な視線で、橋立を恨めし気に見つめた。

   「そんな了見だったら、僕はここに座って調べ物なんかしてやしませんよ。ま、そんなに悲観することも

   ありません。そろそろお出でになる頃だと思って、これを探し出しておいたんですよ」

   橋立は、得意そうに頬を緩めると、手元のファイルを開いて、茶色く変色しかかった古い書類を取り出すと、

   高橋の前に押しやった。

   「なんだい、こりゃ? ずいぶんと古い書類だなぁ。一体、いつのものだい?」

   高橋は、まだ疑わしいそうな表情のまま、書類に目を近づけた。

   「おい、こりゃあ!!」

   静まり返った事務局に、高橋の大きな声がひときわ大きく響き渡った。
   
  

     つづく
   
   

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