或いはひとつの可能性



第41話・ヒトの敵は





   「相変わらず、暑いね、ここは。遷都してから15年も経つっていうのに、

   今だに慣れないよ、私は。・・・・旧東京もかなり暑かったが、この盆地の暑さは半端じゃないよ。

   クーラーなんぞ、全然効かんのじゃないかね。まあ、新大阪もなかなか暑いけどさ・・・・」

   安来トシユキは、ハンカチで汗を拭きながら、秘書の能代が開けた車のドアから降りた。

   目の前のビルの入り口の壁には、「中央合同庁舎3号館  内務省、憲法擁護庁」というシルバーのプレートが

   はめこまれている。

   安来は自動ドアをくぐり、ひんやりと冷房の効いたビル内へと足を進めた。

   守衛が慌てて立ち上がって一礼する前を、安来は急ぎ足で通り過ぎ、エレベーターに向かった。

   「庁議は11時からで良かったんだよな? 今日の議題はなんだっけ?」

   エレベーターを待つ間、安来は階数表示のランプを眺めながら、せわしなく能代に尋ねた。

   「はい。今日の議題は、憲法擁護庁設置法および情報公開法の改正についてです」

   能代は素早く背広の内ポケットから黒革の手帳を取り出すと、小さな付箋をつけたページを開けた。

   「えーと、なんだっけ、それ? ここんとこ、選挙が近いせいで会合が多くて、いちいち覚えていられないや。

   それにしても、土曜返上で会議とはたまらないね。おかげで総務会長とのゴルフをキャンセルしなきゃ

   ならなかったよ」

   安来は苦笑しながら答えると、ちょうど開いたエレベーターに乗り込んだ。




   合同庁舎3号館の8階。

   憲法擁護庁長官執務室には、万田長官以下、阿賀野事務次官、高雄内国調査局長、堅田調査一課長らが

   集まっている。

   誰も喋らない異様な静けさの中で、突然、部屋の隅に置かれた内線電話がけたたましく鳴り出す。

   「はい、もしもし、あ、そうですか。わかりました」

   慌てて立ち上がって受話器を取った堅田は、手短に答えると、何事もなかったように受話器を静かに置いて

   席に座り直した。

   「只今、安来政務次官が到着されたそうです。こちらに向かっておられます」

   その言葉が終わると同時に長官室のドアがノックされ、安来が汗だくの丸顔を覗かせた。

   「いや、すいません!! ちょっと道路が混んじゃってね!! 休日だってのに、渋滞が

   できてるもんだから・・・いやあ、参った参った!!」

   万田は腕組みをしたまま、渋い顔で安来を睨み付けた。

   「最近、第3新東京市からの転入者が増えてますからな。もともと、第2新東京市は首都となることを

   想定して建設された街じゃなく、松本市という城下町に起源を持つ地方都市が、臨時異例の措置で急遽、首都に

   されたわけですから。セカンドインパクトとその直後の新型爆弾投下で、突然、旧東京が消滅しなかったら、

   今ごろは那須野地域に首都機能が移転していたはずですよ。急ごしらえの第2新東京市で、インフラ面の

   ボトルネックが出て来るのは、やむを得ないことです。だからこそ、第3新東京市への遷都を決めたと

   いうのに・・・・・」

   万田は眉間に皺を寄せると、目を閉じた。

   一瞬の静寂が再び執務室を包み込んだ。

   「えー、それでは皆さんお揃いのようですので、庁議を始めさせていただきます。本日、6月6日は土曜で

   ありますが、緊急を要する事態でありますため、ご多忙のところお集まり頂いた次第であります。本日の議題は

   憲法擁護庁設置法および情報公開法の改正です。背景を堅田調査一課長から説明させていただきます。」

   高雄内国調査局長が重々しく口火を切って、庁議が開始された。

   「2015年5月12日、新小田原市山崎地区に正体不明の生命体が上陸し、第3新東京市に向けて侵攻しました。

   この生命体、後に国連の最高幹部会が「使徒」と呼称することになる訳ですが、これを殲滅したのが

   第3新東京市に本部を置いている国連直属の特務機関NERVであります。かねてから、NERVとその上部機関

   である人類補完委員会については、安全保障理事会常任理事国であるわが国にさえ情報が伝えられることが少なく、

   とくにNERVに関しては、国連決議第2052号によって超法規的機関と位置づけられているため、わが国国内に

   本部を置いているにも関わらず、その本部のある第3新東京市地下のジオ・フロントには、わが国の行政・警察権が

   一切及ばない状態となっております。」

   堅田が一旦、言葉を切ると、安来が苦々しげに呟いた。

   「まるで、幕末・明治初期の横浜の外国人居留地の如く、だね」

   その言葉を引き継いで、万田も銀製のフレームの中から鋭い視線で阿賀野事務次官を見つめる。

   「そんな場所が、新首都予定地のど真ん中に居座っていることも深刻な問題だよ。誰がそんなことを許可したの

   かね?」

   阿賀野は僅かに顔をしかめながら、ぽつりと呟いた。

   「2005年当時、官邸サイドと国連が直接交渉して、IMF・世銀からの多額の復興資金融資の見返りに

   NERVの第3新東京市誘致が決まったそうです。政府としても、国連の重要機関を誘致することで、

   周辺国からの武力攻撃の可能性が低減するものと判断したようですが、特務機関としての性格を甘く見ていたと

   いうのも事実です。蛇足ですが、当時の二見首相は、NERVの前身であるゲヒルンから政治献金を受けていた

   ことが、我々の調査で判明しております。」

   「なんて奴だ!! 国を売ったな!!」

   安来は、険しい顔でテーブルを拳でドンと強く叩いた。

   一呼吸置いて、堅田が書類を眺めながら、説明を再開した。

   「そのような治外法権地域が国内、しかも新首都予定地に存在すること自体が問題含みであるうえ、

   NERVには保安諜報部なる組織が存在し、最近、国会議員、官公庁職員、国防関係者などに対する内偵調査など

   わが国中枢に対する諜報活動を行っているのは、今や周知の事実となりつつあります。何よりも問題なのは、

   NERVが密かにジオ・フロントで建造していたエヴァンゲリオンと称されるロボットと、人類補完委員会が進めて

   いると言われる「人類補完計画」であります。エヴァンゲリオンについては、これまで3回の使徒迎撃戦での威力を

   見ても、通常兵器をはるかに上回る高性能兵器であることが推察されます。このような高性能兵器が国内の治外法権

   地域に存置されていることは、わが国の安全保障にとって極めて大きな脅威であるばかりでなく、仮に反政府活動

   組織またはテロリスト集団によってエヴァンゲリオンが奪取された場合には、国内の治安維持に深刻な打撃を与える

   可能性があります。また、人類補完計画についても、その全貌は関係国以外には全く知らされておらず、その一方、

   各国の国連分担金を原資として、莫大な予算が投入されている模様であります。NERVとの関係が深い同委員会の

   動向についても、一層の注意と調査が必要であります。」

   「人類補完委員会かね。欧米列強の世界戦略の隠れ蓑さ。その証拠にアジア・アフリカからは中国、インド、サウジ

   アラビア、エジプトといった大国も、参加を認められていないからね。もちろん大国と認められていない

   わが国が参加を認められていないのは、自明の理だがね」

   万田はテーブルの上の茶托を手元に引き寄せながら、自嘲気味に呟いた。

   堅田はちらっと万田の様子を窺い、万田がそれ以上、話さないようなので先を続けた。

   「そこで、今国会に憲法擁護庁設置法改正案と情報公開法改正案を内閣より提出することと致したいと思っており

   ます。改正案のポイントは、@緊急時における憲法擁護庁の立入調査権限を拡大し、刑法犯など明確な犯罪事由が

   認められる場合には、在日大使館・国際機関に対して、館員・機関職員立ち会いのうえ、立入調査が行えるように

   すること、A日本国民からの情報公開請求の対象に在日大使館・国際機関を含めること、B国内における諜報活動

   に対しては、わが国の安全保障および治安維持の観点から必要と思われる場合には、警察力による排除を認めるこ

   と、です。また、産業省も「国際機関への資材・エネルギー・水資源・通信・労役等の提供に際して、政府が

   当該国際機関と供給者との仲介を行う場合には、正当な対価の受け取りを前提としたケースに限定し、対価の受け

   取りを伴わない場合には、その都度、国会による承認を必要とすること」という趣旨の新規立法を検討中である

   ほか、総務省も「使徒襲来によって経済活動に著しい障害が発生すると見込まれる場合に、臨時に休日を宣言

   し、経済取引の決済日を延長すること、とくにBank Holidayを国際的に宣言すること」を盛り込んだ「国民の

   祝日に関する法律」の改正、これは法律の名前も「国民の祝日および臨時休日に関する法律」に変える見通し

   ですが、こういったことを検討しております」

   堅田は、手元の資料の骨子を一気に説明し終えると、小さな吐息を洩らして顔を上げ、周囲を見渡した。

   「うーん、趣旨はよく分かるんだが、この「憲法擁護庁設置法の一部を改正する法律案」は外交特権に抵触する

   内容を含んでいるなあ。外交省がうんと言うかね? 外交省が反対すれば、事務次官会議をクリアできない

   だろう?」

   万田は厳しい表情で眼鏡を押し上げると、阿賀野事務次官を眺めた。

   「立入調査条項の適用事例を厳しく絞り込むことと、相手先の職員の立ち会いを義務づけることで、外交省とは

   調整がついています。外交省も、国連でのわが国に対する扱いにはかねてから不満を持っていたことですし、

   NERV問題に対する国連の不誠実な対応に業を煮やしていた様子でしたから・・・・・」

   阿賀野は殆ど表情を変えることなく、淡々と答えた。

   「なるほどね。それじゃ、大した障害はないな。・・・で、法案はいつ提出するんだ?」

   万田は少し表情を緩めると、今度は高雄局長を見つめながら尋ねた。

   「一応、明日、念のために財務省から最終回答が来る予定なんですが、まあ、あまり関係も無い役所だから

   基本的には問題ないでしょう。そうすれば、あとは内閣法務局の審査をクリアするだけです。

   国会では、関係省庁の提出する諸法案と一括して、非常事態対策関連法案として、特別委員会を設置して

   ご審議頂く方向で話が進められております。ただ心配なのは、ちょうど補正予算の審議と同じタイミングに

   なるので、予算委員会に大臣を拘束されてしまって特別委員会が開けないことだけです」

   高雄は自信ありげに胸を張って、真っ直ぐ万田長官を見つめながら答えた。

   正午近くの太陽が、冷房の効いた執務室にプラインドの隙間から音も無く差し込んでいる。

   執務室の黄金の時計が、正午の時報を透き通った鐘の音で告げ始めた。



   

   「リエの奴、よっぽど張り切っていたんだなぁ。葛城さんのところから帰って来たら、すぐに疲れて

   寝ちまったよ。まあ、楽しそうで何よりだったね。」

   高橋は、出前の寿司の残りをつまみながら、ぼんやりとテレビのニュースを眺めている。

   「それでは、次のニュースです。財務省は第二次補正予算の骨格をまとめ、本日の夕方、各省庁に提示しま

   した。今回の補正予算は、長引く不況に対する景気対策に重点を置いており、公共事業、とくに使徒襲来により

   大きな被害を受けている第3新東京市の復興事業への補助が大幅に増額されている点です。一方、歳入面では、

   赤字国債の増発のほか、国連分担金の還付が予定されています。これは、度重なる使徒襲来による被害を受けて

   いるわが国に対して、国連が配慮を示して、わが国の分担金を過去に溯って大幅に減額したことによるものです。」

   テレビの画面には、第3新東京市の市街地に墜落した使徒の残骸が大写しになっている。

   「これは良いニュースだな!! しかし財源が国連分担金の還付金とは、ちょっと引っかかるものが

   あるけど・・・・・ま、なんにせよ、市街地復興が市の単独事業だけじゃなく国からの補助事業も

   展開できるようになると、かなり助かるよな・・・・・」

   缶ビール「黒生・新世紀」を飲みながら、高橋は色のあまり良くないトロをつまんで、口に放り込んだ。

   「・・・・ったく、使徒のおかげで寿司屋まで疎開しちまって、腕やネタの悪いところしか残ってない

   とはね・・・・こんなことなら、初瀬んところのコンビニの寿司でも買ってくればよかったよ・・・・」

   ぶつぶつと文句を言いながら、高橋はリモコンに手を伸ばしてチャンネルを変えようとした。

   プルルルルル。

   テーブルの傍の電話が鳴り出した。

   「やれやれ、こんな時間にかかってくる電話なんて、ろくな用件じゃねえからな・・・・はいはい、

   今、出ますよっと・・・・っこらしょい」

   高橋はちょっと嫌な顔をすると、のろのろと緩慢な動作で立ち上がって受話器を取った。

   「はい、もしもし、高橋ですけど・・・・」 

   「あ、もしもし、吾妻です。すみません、こんな遅い時間に・・・・」

   電話の主は、地元選出の吾妻代議士だった。

   「どうしたんです? こんな時間に・・・・・また、なんか事件ですか?」

   高橋は僅かに身構えると、無意識のうちに声のトーンを下げた。

   「いや、そうじゃないんですけど・・・・今朝、高橋さんが電話で言ってた昨晩の戦自の緊急配備について

   こっち(第2新東京市)でも調べてみたんですが、意外なことが分かりましてね。この間、こっちにおいでに

   なった時に、戦自のロボット開発計画の噂、お話しましたよね? 今度の補正予算の概算要求に計上されている

   戦自研の研究開発費が昨年度に比べてかなり膨らんでいたんで、自改党の国防部会が今日、ヒアリングを行った

   んですよ。その際の国防省側の説明の中で出てきたんですけどね、今、ロボット計画が最終段階に入っていて、

   8月には試作機が完成するって言うんですよ。それだけじゃなくて、パイロットについても、東富士演習場で

   もう訓練を始めているって説明だったんですが、こっちから何気なくパイロットの年齢を聞いたら、

   国防省の担当官が急に口ごもっちゃって・・・・それで、私、ピーンときたんですよ。今朝の高橋さんの

   話と符牒が合うんじゃないかってね。もしかしたら、そのパイロットって、エヴァのパイロットと同じように

   子供なんじゃないかって・・・・・確信はないんですけど・・・・・」

   高橋は低くうなった。

   「あの噂、やっぱり本当だったんですね。しかし戦自は何のために・・・・まさか使徒襲来を昨年から

   予見してたってんじゃないでしょうねぇ?」

   「いや、さすがにそうじゃないらしい。どうやら、一昨年、ドイツの兵器メーカーが開発した有人大型

   戦闘ロボットに刺激されて、昨年から開発プロジェクトが始まったらしいんですよ。昨年の本予算でも

   研究開発費がかなり増えていたんですけど、国防省からの説明は、「次世代戦闘兵器の研究開発」という

   漠然たるものに止まっていて、それ以上は「国防上の機密」ということで明らかにされなかったんです。

   でも、さすがに補正予算でも巨額の経費を計上するとなると、そういう説明では済まなくなって、やっと

   計画の全貌について渋々、説明を始めたって訳です。ただね、補正については、財務省がなんだか

   物凄く難色を示していて、結局、今日提示された予算案には一部の費用しか盛り込まれなかったん

   ですけどね・・・」

   電話の向こうの吾妻は、ここぞどばかりに一気にまくし立てた。

   「なるほどね・・・・まあ、この財政難の折りですからね。財務省が渋い顔するのも理解できますよ。

   東富士での訓練か・・・・そこからパイロットの少年が逃走してきたって線も十分に考えられる

   シナリオですね。ただ、これ以上、国防省や戦自に聞いても、もう無駄でしょう。こっちでも、NERV

   問題のほかに、この件も頭の片隅に置いて、調査を心がけるようにしますよ。わざわざどうもすみません

   でした。お気を遣わせちゃって・・・・今度は、いつこちらにお戻りですか? 」

   高橋はあきらめたように二、三度、瞬きをして、口をへの字に曲げながら、吾妻に尋ねた。

   「あ、次の金曜日には戻りますよ。こっちでは解散風が少しずつ強まり始めていますからね。

   しっかりと「田の草取り」(選挙区回り)をやっておかないとね。また、いろいろとお世話になりますね。

   ところで、先日、万田さんからお受けになった依頼の件、もう決心はつかれました?」

   高橋は「万田」という言葉を聞くと、眉間に皺を寄せて厳しい表情になった。

   「え、ええ、まあ・・・・・ただ、いろいろと考えなきゃならないこともあって・・・・・」

   「そうですか・・・・今、こっちでは憲法擁護庁設置法と情報公開法の改正案が国会に提出されるらしいって

   噂が出始めてましてね。私も、今日、知り合いの経済省の審議官から聞いたばかりなんですけどね。

   おそらく万田さんも、今はその件で手一杯でしょうから、すぐにはなんやかんやと言ってこないと思いますよ。

   なにぶん、ことがことですから、十分にお考えになった方がいいですよね。」 

   吾妻は、言いづらそうにどもりながら答えた。

   「ええ。あと1週間ぐらい猶予を頂けるとありがたいんですけどね。あ、今度、お帰りになったとき、

   新赤坂に新しくできた京風串揚げ屋に行きませんか? 使徒騒ぎで閉店する店が増えているんですけどね、

   そのおかげで、若い腕の良い料理人が一等地に店を構えられるようになってきましてね。この店もその

   ひとつなんですよ。どうです、久しぶりに一杯?」

   高橋は表情を緩めて話していたが、やがて無意識のうちにお銚子からお猪口に酒を注ぐ身振りをして

   にやっと笑った。

   「ははは、そりゃあ、いいですね。でも、いいんですか? 外食なんぞすると、お嬢ちゃんに怒られは

   しませんか?」

   吾妻の少しおどけた声が受話器の中から響く。

   「ちょっとぐらいなら、リエも大目に見てくれるでしょう。それじゃ、楽しみにしてますね」

   「ええ。それじゃ、失礼します。夜分遅くにすみませんでした」

   高橋は受話器を置くと、再び厳しい表情でソファに深々と腰掛けた。

   (・・・・・戦自がここにきて研究開発予算を大幅に増額したのは、エヴァに対抗してロボットの機能

   増幅を図っているに違いない。とすると、エヴァの性能を調査して自分のとこのロボット開発に取り入れ

   たいって考えるのは当たり前だな。これは、ひょっとすると、シンジ君たちも巻き込まれかねないな。

   NERV、戦自、憲法擁護庁、三つ巴の内偵合戦が繰り広げられるかも知れん・・・・・リエにも

   注意するように言っておかないとな・・・・・ま、取り敢えず、今日のところはもう寝るとするか・・・・)

   高橋はテレビのスイッチを消すと、憂鬱な気分のまま立ち上がって、部屋の電灯を消し、

   自分の書斎兼寝室に向かった。

   いつの間にか、窓の外では柔らかい音を立てて小雨が降り始めていた。


 

   翌日。午後1時。

   前夜遅くから降り始めた雨は、かなり激しさを増して、第2新東京市を包み込んでいる。

   憲法擁護庁の会議室では、阿賀野事務次官、高雄局長、堅田課長ら事務方の担当者が集まって

   テーブルを囲んでいた。

   昨日とは打って変わって、みな当惑した表情で、テーブルの上に置かれている二枚のペーパーを

   見つめて押し黙っている。  

   「・・・・・ともかく、財務省は、法案提出に反対なんだな。それと国防省も急に態度を翻して

   今朝になって反対すると言ってきたんだな?」

   いつもは冷静な阿賀野が、珍しく語気を強めて高雄に尋ねた。

   「はい。立入調査権の拡充に伴う調査官の増員に関する予算増枠を認めない旨、通告してきました。

   いつもは柔軟な財務省がこんなことを言ってくるとは、ちょっと予想外でした。国防省の豹変も理解しがたい

   動きです」

   血の気の引いた顔で堅田がうな垂れたまま、低い声で答えた。

   「この2法案は、今回の政府の法制整備の中心となる予定なんだ。これを提出できないと、法制整備は

   頓挫したも同然だぞ。百歩譲って財務省の姿勢は理解できるが、国防省はなんで態度を硬化させたんだ?」

   高雄は露骨に顔をしかめて唇を噛み締めた。

   「とにかく、なにがなんだか、さっぱりわからん・・・・・そうだ! 国防省からうちに出向している

   宇治君を介して、国防省サイドの本音を聞き出してみたらどうだ?」

   高雄は俯いていた顔を上げると、固く口を真一文字に閉ざしている堅田に向かって話し掛けた。

   「そうですね。この際、彼に担当者段階での情報交換をやってもらうしかないですね」

   堅田はそう呟くと、眼鏡を外して、疲れきった目をごしごしとこすった。

   会議室は静まり返り、内務官僚たちは苦虫を噛み潰したような苦情に満ちた表情でいつまでも

   2省からの回答書を睨み続けていた。



   

   「宇治さん、ですか?」

   憲法擁護庁の幹部会議が行われている時、宇治は降りしきる雨の中、新霞ヶ関にほど近いチェーン店の

   コーヒーショップで、長髪の男から声をかけられた。

   「ええ。あなたですね、月刊「自由と国防」の白瀬さんっていうのは?」

   宇治は幾分警戒した目で、長髪に不精髭を生やした長身の男を見つめた。

   「はい。で、例のものは、頂けるんでしょうね?」

   長身の男は、にやっと笑うと、背広の内ポケットからフロッピーディスクを取り出してみせた。

   「ええ。そのFDと引き換えに、ね。それにしても、国防省から、こんな指示を受けるなんて、

   思いもよりませんでしたよ。これもご時世ってやつですかね・・・・」

   宇治は皮肉っぽい微笑みを浮かべると、自分もワイシャツの胸ポケットからフロッピーディスクを
  
   取り出し、周りをゆっくりと見渡した。

   (・・・・・俺たちのほかには誰もいないな・・・・・・)

  そして、二人は同時にFDを交換すると、顔を見合わせて苦笑した。

  「なんかスパイ映画みたいですね。はははは」

  宇治は自分の行った行為の重さに耐えかねて、同意を求めるように長髪の男に話し掛けた。

  「ええ、まあ。で、確かにお渡ししましたよ。エヴァの操縦席に関する機密資料。念のため、

  FDの中身を出力しておきましたから、これも一緒に差し上げますよ。後で、FDの中身が空だった、

  なんて、いちゃもんをつけられちゃかないませんからね」

  長髪の男は、にやりと笑ってみせると、カバンから大型の書類入れの封筒を取り出して、宇治に手渡した。

  「こちらも、FDの内容を打ち出しておきましたよ。これが、憲法擁護庁が進めているJA開発計画に

  関する基本計画書とJAの中枢プログラムです。分厚いですから、紛失しないで下さいよ。じゃ・・・」

  宇治は男から受け取った書類を確かめると、自分も黒い鞄から分厚い書類入れを取り出して男に渡し、

  男が肯くのを見届けるとそそくさと席を立って、店頭に出た。

  そして、傘入れから黒い傘を取り出して店内を一瞥すると、そのまま傘を広げて雨の中に出て行った。

  男は、宇治が店を出て行つたあと、しばらくの間、頬杖を突いて書類を眺めていたが、やがてニヤリと満面の笑みを

  たたえると、ぽつりと、誰も聞き取れないような小さな声で呟いた。

  「毎度あり。JAに関する資料、NERVドイツ支部の加持リョウジが確かに頂戴しました。ご苦労さん」

  

     つづく
   

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