或いはひとつの可能性



第37話・掴み取るべき運命





御殿場市街地から第3新東京市に通じる国道138号線。

夕闇の迫る原生林の間の道を、伊豆箱根鉄道のバスは、第3新東京市に向かって疾走していた。

「・・・・やれやれ・・・・とんだ時間食っちまったな・・・・・」

橋立は、ようやく自分の顔が映るようになってきた車窓に向かって独り呟いた。

(・・・・御殿場市の進めてる有料道路整備、あんまり第3新東京市の参考にはならなかったな・・・・)

冷房の効いている車内で、橋立は日中、各所を歩き回った疲労を痛感していた。

(・・・・ったく、八雲さんも抜け目ないよな・・・・使徒撃退戦で破壊された市道の再建に

目を付けるなんて・・・・それにしても民間活力の導入とは、いいところに目を付けたな・・・・

こうすれば財政支出を低く抑えることができるからな・・・・・)

橋立は、乗客が誰もいない車内で、「BOT方式の活用について」と題されたA4版の書類を

カバンから取り出した。  

(・・・・Build Operation Transferか・・・・・破壊された市道を民間業者に無料で復旧させ、

完成後10年間は民間業者に貸与して、業者に有料道路として使用するのを認めて、建設費を

交通料金で回収させる。そののち、市に道路を返却させるってわけか・・・・こうすれば市は

道路復旧費を払わなくて済む・・・なかなかいいところに目を付けたな、って言いたいところだけど、

ま、どうせ途上国で手がけている似たようなプロジェクトについて、大手ゼネコンが八雲さんに耳打ち

したんだろうけどな・・・・・なんにせよ、これ以上、市財政が悪化すると、もう住民税や固定資産税を

引き上げるしか手がなくなるから、この際、少々の癒着にも目をつぶらなきゃいけないのかもな・・・・・)

橋立は、建設業者と太いパイプを持つ八雲議員の顔を思い浮かべて、皮肉っぽい微笑みを浮かべて、

資料を再びカバンに納めた。

腕組みをして眼を閉じると、車体の単調で心地良い振動とよく効いている冷房のせいで、

視察のために日中ずっと歩きまわっていた橋立は、すぐに意識が遠くなりかけた。

「次は深沢、深沢。富士カントリー倶楽部入り口です。車内が混み合ってまいりましたら、ご順に

中ほどまでお詰め下さい。」

次の停留所を知らせるテープ音声を夢うつつで聞いていた橋立は、やがてバスが停車したのに気づいて

薄く目を開けた。

(・・・・なんだよ。こんなところで乗る客がいるのかよ? こんな物騒な時に、こんなとこで

よくゴルフなんてやるよな・・・・・まったく金持ちのすることは理解できないね・・・・)

軽く溜め息をついて再び目を閉じた橋立の耳に、バスの前部扉の開く「プシュー」という音と、

それに続いて、階段を上がってくる「トン、トン、トン」という足音、そして

備え付けのカードリーダーに電子マネーのカードを差し込む微かな音が聞こえてきた。

(・・・・ま、誰だろうと俺には関係のないことさ・・・・どうせ終点まで乗るんだから、

この際、熟睡しちまって疲れをとるとするか・・・・そうだ。帰りにサウナにでも寄って

汗を流していくかな・・・・NERV問題、使徒襲来、みんな肩の凝る話ばっかりだよな・・・・・

・・・・そういえば、明日は高橋さんとNERVの件で打ち合わせしなきゃいけなかったっけ・・・・・)

橋立はそこまで想いをめぐらせていたとき、睡魔に負けて意識が遠ざかった。



(・・・・・ん? もう着いたのか? なんか、幾らも寝てない感じだぞ・・・・・)

バスが停車したのに気づいて橋立が目を開けたとき、既に車窓は真っ暗に変わっていた。

慌てて立ち上がった橋立の目に映ったのは、第3新東京駅前バスターミナルの灯りではなく、

鬱蒼とした杉木立に囲まれたトンネルの入り口だった。

(・・・・・ここは乙女峠のトンネルじゃないか・・・・・どうしたんだ?事故か?・・・・)

橋立が車窓に顔を近づけて外を眺めようとしたとき、突然、まばゆいばかりの光を当てられて、目がくらんだ。

「うわっ、なんなんだ!?」

思わず顔を手で覆った橋立の耳に、ガラス窓を通じて野太い声が聞こえてきた。

「ドアを開けろ!! 早くしろ!!!」

(なんだ!? バスジャックか?! こりゃ、やばいぜ!!)

内心、焦りを感じながら、橋立は目を凝らして再び外の景色を眺めた。

(サーチライト!!!  戦自の検問だ!! 一体、なんで??? まさか、また使徒襲来か?? 

こりゃバスジャックより、たちが悪いな・・・・ったく、間が悪いってのはこのことだな・・・・・)

橋立が見たものは、迷彩服を着た数多くの戦自隊員と、道路を封鎖する形で止まっている

1台のジープだった。

前部扉が開く音に、慌ててフロントガラスの方向に視線を移した橋立の目に、広い車内の真ん中ほどの

席に座る栗色のショートカットの髪が飛び込んできた。

(・・・・さっき乗ってきた客・・・・・女の子だったのか・・・・・珍しいな・・・・・)

そんな思いを吹き飛ばすように、すぐさま荒々しい足音が階段を駆け登ってきた。

「おい!! 御殿場からここまで来る間に、男の子が乗ってこなかったか?」

バスに駆け上がってきた迷彩服の隊員は、車内を一瞥すると、運転手に向かって自動小銃を突き付けながら、

目を吊り上げて大声で詰問した。

「ひっ!! い、い、いえ!! い、一番奥のお客さんが始発の御殿場ターミナルから乗ってこられたほかは、

あのお嬢ちゃんが深沢で乗ってきただけですよ!! それ以外のお客さんは、乗ってませんよ!!

い、一体、なんかあったんですか?!」

いきなり銃を突き付けられて狼狽する運転手の声が車内に響き渡る。

その質問を黙殺しながら、隊員はゆっくりと車内の中ほどまで足を進めると、栗色のショートカットの少女の前に

立ちはだかった。

「すまないが、IDカードを拝見したい。」

先ほどとは打って変わった丁重な、それでも有無を言わせぬ厳しい語感を伴って、隊員の言葉が少女に

投げつけられるのを、橋立は映画の1シーンを見ているような不思議な感覚でぼんやりと眺めていた。

(・・・・・・おいおい、あれじゃあの子、怯えちゃうじゃないかよ・・・・これだから、軍人さんは

武骨で困るんだよな・・・・)

少女がポシェットの中からIDカードを取り出して黙って隊員に渡したとき、橋立にも

初めて少女の横顔が見えた。

その横顔は明らかに不快の感情を漂わせているものの、運転手と違って、大きな黒い瞳は震えることもなく

真っ直ぐ隊員の顔を射すくめている。

(・・・・・・あの子・・・・・全然、動揺してない・・・・・よっぽど度胸が据わってるんだな・・・・)

IDカードを受け取った隊員の表情に驚愕が走り、そして一段と厳しい表情に変わった。

そして何度もカードと少女の顔を見比べたあと、カードを少女に返しながら、

隊員は明らかに緊張した声で尋ねた。

「どうしてこんな場所に!? どこに、なにしに行くんだ!?」

「公用で、第3新東京市に行く途中です。了解はとってます。調べてもらってもいいです。

それより、何か、あったんですか?」

初めて聞く少女の声は、歳相応の華やいだ声にもかかわらず、何の感情も込められていない事務的なものだった。

「君は知らんのか!? さっき・・・・」

大声で話し始めた隊員は、唖然として事態を傍観している橋立に視線を走らせると、慌てて

言葉を途中で呑み込み、急に声量を絞り込んだ。

橋立にはもはや隊員の声は聞こえなくなってしまったが、すぐに少女の目が大きく見開かれ、

みるみるうちに顔から血の気が失せていくのだけはわかった。

二言三言、少女と言葉を交わした後、隊員は橋立を一瞥すると踵を返してバスから降りていった。

「なんなんだ、一体・・・・・ま、取り敢えずは無罪放免ってことか・・・・」

橋立は栗色の髪の少女に視線を移しながら、ぽつりと呟くと、再び座席に腰を下ろした。

(・・・・何かトラブルがあったみたいだな・・・・戦自の奴、男の子とか言ってたな・・・・・

・・・・・誰なんだ、それは?・・・・・なんで戦自が血眼になって探し回ってるんだ?・・・・・)

幾つかの疑問を立て続けに頭に浮かばせながら、橋立はただじっと少女の髪を後ろから見つめつづけた。

(・・・・しかし、この子のあの機械的な受け答えと年齢不相応な落ち着きぶり・・・・・

・・・・・ただ者じゃないかもしれないな・・・・・戻ったら、高橋さんに話しておくか・・・・・)

路線バスは戦自隊員たちの注視を浴びながら、ゆっくりと発車し、奈落の底に向かうかのように

黒々と口を開けたトンネルに吸い込まれて行った。

たちまち、トンネルの中の誘導灯が光の流列となって、車窓を次々と流れていく。

バスの車内は、再び静寂に包まれて、低くうなるようなエンジン音と、時折聞こえる運転手の咳だけが

聞こえている。

(・・・・・これを抜ければ第3新東京市か・・・・・また戻ってきてしまったな・・・・・)

トンネルの出口がフロントガラスの中央に小さく口を開けているのを眺めながら、

橋立は微かな疲れを感じて、座席の背もたれに身体を軽く押し当てた。

やがて光の帯が途切れ、バスは再び漆黒の闇に包まれた山間部の国道を走り始めた。

橋立は車窓に視線を移して、杉林の間からちらほらと見え隠れする、兵装ビルの赤い航空誘導灯を

ぼんやりと眺め続けていた。



突然、バスが甲高いブレーキ音を響かせて急停車し、その反動で橋立は前の座席の背もたれに

思わず手をついた。

ふと、前を見ると、栗色の髪の少女も訝しげな表情で、少しだけ首をかしげて、座席から身を乗り出している。

(・・・・なんだよ、今度はタヌキかなんかか?・・・・ここ、よくあるんだよな、タヌキが突然飛び出して

きたりするから・・・・やれやれ、これ以上の面倒はごめんだな・・・・・)

橋立が不愉快そうな眉間に皺を刻みながら、乱れた前髪を掻き上げようとしたとき、

バスの前部扉が開き、間髪を入れずに、色の黒い少年が階段を駆け上がってきた。

「山に遊びに来てて迷っちゃって、そしたら、バスのヘッドライトが見えたから、慌てて道路に

降りてきたんです!!」

幾分、緊張気味の少年の少しだけかすれた声が車内に響き渡った瞬間、栗色の髪の少女が立ち上がった。

「ケイタ!!」

少年は車内に視線を移すと、目を大きく見開いき、そして少女の前に駈け寄ってきた。

「マナ!! どうして、ここに?!」

栗色の髪の少女は心配そうな表情で少年を見つめながら、切迫した声で叫んだ。

「トンネルの向こう、もう検問やってたよ!! こんなところにいたら、見つかっちゃうよ!!」

その声を聞いて、たちまち少年の表情が強張る。

「ちっ!! もうパレたか!! 仕方ないな。尾根伝いに湖尻の方に抜けるか・・・・・」

「なんで脱走なんか!? 捕まったら、連れ戻されるだけじゃなくて営倉(謹慎場所)行きよ!!

なんで、こんな無茶なこと・・・・・」

少女は少し顔を紅潮させて、少年に詰め寄っている。

「・・・・・こんな束縛だらけの生活なんて、もういやだ!!・・・・・それに、あんなとこにいたら、

いずれ戦地に送られて、人を殺さなきゃいけないんだ!! 僕は、もうそんなの、いやなんだ!!」

少年は汗を滴らせながら、まなじりを決して少女を見据えている。

「・・・・・ケイタ・・・・・」

「マナだって、そう言ってたじゃないか!! 僕たちは騙されて連れてこられたんだから、逃げ出したって

別に咎められるようなことはなんにもないじゃないか!! 僕は父さんや母さん、妹たちと昔みたいに

一緒に暮らしたいんだ!! ただ、それだけなんだ!! それなのに、なんで奴等は連れ戻そうとするんだ!!」

「ケイタ、落ち着いて!! 部外者もいるのよ!!」

少女は、事態の成り行きを茫然として傍観している橋立に素早く視線を走らせると、

少年を後ろの席に座らせ、自分は運転手の方に近づいていった。

「バス、出して下さい!! お願いします!!」

少女は切羽詰まった表情で運転手に向かって頭を下げて懇願したが、

運転手は運転席から身を乗り出し、うな垂れて座っている少年を眺めると、困ったような声を上げた。

「あの子、さっき、戦自が探してた子だろ? ・・・・・私は面倒なことには関わり合いたくないね・・・・

二人とも、バスから降りてくれないか? そうでないと、携帯電話で戦自に通報しなきゃ

ならなくなるよ。バスから降りてくれるなら、あの子のことは見なかったことにしてもいいけど・・・・」

少女は厳しい表情で運転手を無言のまま睨んでいたが、やがて少年の隣に戻ってきて、

その小刻みに震えている腕にそっと手を添えた。

「・・・・バスから降りて、一緒に行こうね・・・・」

その言葉が終わらないうちに、二人を急き立てるように運転手が後部の降車口を開けた。

「駄目だよ!! マナは関係ないじゃないか!! 僕と一緒に逃げたら、マナまで同罪になっちゃうよ!!

僕は一人で行けるから、大丈夫だよ!! 処罰されるのは僕だけで十分だよ!!」

少年は、悲しそうな光をたたえた瞳の少女を見上げると、慌てて首を振った。

「・・・・でも・・・・私も、こうしたいと何度も思ってたから・・・・ただ、今まで機会がなかっただけなの・・・

・・・・・それに一人より二人の方がうまく切り抜けられることもあるし・・・・・」

「・・・・マナ・・・・巻き込んじゃって、ごめん・・・・・」

二人が意を決したようにうなづき合って、降車口に向かって歩き出したとき、別の声が響いた。

「ちょっと待てよ、君たち!! なにがあったか知らないが、二人で逃げたってどうにもならないことも

多いんだぞ!!  どんな理由があるかは詮索しないけど、このまま逃げたって戦自に追い詰められて

最後には心中でもしなきゃならなくなるのが関の山だぜ!!  俺にいい考えがあるんだ!!

初めて会ったぎかりの俺を信じろというのは、虫が好すぎるかもしれないけど・・・・・」

座席から立ちあがって心配そうな表情で二人を凝視する橋立の姿を見て、

少年と少女はさすがに警戒感を隠し切れずに当惑して、顔を見合わせた。

「心配するなって!! ま、詳しい話はバスを降りてからにしよう。ここじゃ、戦自に捕まえて下さいって

言ってるようなもんだ・・・・」

橋立は依然として硬い表情の二人を急かすと、バスから国道脇の狭い歩道に降り立った。

3人が降りるやいなや、降車口が閉まり、一刻も早く、厄介な問題から離れたいという

運転手の願望をそのまま表したような猛スピードで、バスは第3新東京市方面に向けて走り去った。

「さてと、こんなところに長居は無用っと・・・・とにかく一刻も早く、ここから離れないとヤバイよな・・・」

素早くあたりを見回した後、橋立は緊張した面持ちの二人に視線を移した。

「あっ、取り敢えず君たちが無用の心配をしないように言っとくけど、俺は橋立トオル。

第3新東京市議会事務局に勤めているんだ。だから、この辺の地理には詳しいんだよ。

君たちは戦自の関係者らしいけど、なんか深い訳があるみたいだな。市民の安全を守る立場の

市議会なら、それなりの影響力もあるから、なんとか君たちの力になれるかもしれないよ。

いずれにせよ、俺は君たちをすんなりと戦自に引き渡すようなことはしないから安心していいよ。」

栗色の髪の少女は、ほんの少しだけ表情を和らげると、黒い瞳で橋立を見つめた。

「・・・・私、霧島マナです。この子は、勢多ケイタ・・・・ケイタは別に犯罪をやって

逃げているんじゃないんです・・・私たち、ちょっと事情があって・・・・・」

そこまで話すと、マナは口をつぐんで、橋立から視線を反らしてしまった。

「別に言いたくないことを聞こうとは思ってないから。それにさっきのバスの中での君たちの話から

だいたいの事情はわかったから・・・・えっと、霧島さんは、さっき公用で第3新東京市に行くって

行ってたよね? それじゃ、取り敢えず君は戦自には追われているわけじゃないんだから、

彼が無事に逃げ延びたのを見届けたら、もとの生活に戻った方が良いよ。戦自の探索を受けている

人を二人も抱えて行動するのは、はっきり言って非常な困難を伴うからね」

橋立の言葉を聞いて、マナとケイタは顔を見合わせた。

「・・・・私・・・・ケイタと一緒にどこかに行ってしまいたい・・・・」

「駄目だよ。マナまで追われるようになっちゃうのは・・・・橋立さんの言う通りだよ。

とにかく一段落したら、公用に戻った方がいいよ。僕は大丈夫だから・・・・」

諭すようなケイタの言葉に、マナは瞳を伏せて俯いた。いつのまにか硬く握り締めていた右手が

小刻みに震えている。

(・・・・私・・・・ケイタのためだけじゃなくて、自分のためにも、もう、どこかに行ってしまいたいのに・・・・

・・・・・もう、戦自の訓練所には戻りたくない・・・・今なら、まだやり直せそうなのに・・・・・

・・・・・今、つくばで開発してるアレが完成してしまったら、パイロットとしての私たちは、監視が

厳しくなってしまって、もう逃げ出すチャンスなんてなくなっちゃうから・・・・・

・・・・・もう、誰かを傷つけるための訓練をしたり、みんなに隠し事をしたりしながら生きるのは嫌・・・・

・・・・・私はみんなとおなじように普通に生きたいの・・・・普通の14歳の女の子として生きたいの・・・・)

「そうと決まれば、取り敢えず君たちはそこの保線用通路に隠れていてくれよ。俺が今、車を調達するから」

橋立は携帯電話を取り出すと、ボタンを押し始めた。



保線用通路の暗がりに息を殺してしゃがみながら、マナは行き交う自動車のヘッドライトの灯りを

目で追っていた。

(・・・・・ケイタに会うの、3ヶ月ぶりね・・・・・いっぱい話したいことがあるはずなのに、

何から話したら良いのか、わかんない・・・・・なんで、こんなにとまどっているんだろ・・・・・

・・・・・・どうしちゃったのかな・・・・・・なんだか不思議な感じ・・・・・夜間訓練のときなんか

いつもいろんなこと、二人で話してたのになぁ・・・・私、なんでこんなに緊張してるのかな・・・・・)

さんざん迷った末、ようやくマナは口を開いた。

「・・・・・あの・・・・・どうやって脱走したの?・・・・」

マナのあまりにもストレートな物言いに、ケイタは思わず苦笑した。

「今日の昼、食料搬入用の外部業者のトラックが来るって聞いてたから、「朝から腹が痛いから部屋で寝てる」って

上官に嘘ついて、私服に着替えてタイミングを狙ってたのさ。そしたら、運転手がちょっとの間、

トラックから離れたんで、その隙に荷台に潜り込んだけど、トラックが御殿場市街地に向かっているんで、

信号で停車した時に慌てて荷台から飛び降りて、そこから歩きつづけて夕方にようやく乙女峠のトンネルに

さしかかったんだ。子供が一人でトンネルの中を歩いてたら、やっぱり目立つと思って、自動車の流れが途絶えるのを

待って、とにかく一気に走り抜けて、トンネルの向こう側に出て、それから山の中を国道に沿って歩いてたんだよ。

でもさ、だんだん暗くなってきて、そのうえ戦自のヘリがサーチライトを当てながら低空で飛びはじめたから、

とにかく第3新東京市の市街地に逃げ込んじゃおうと思って、人気の無さそうなバスが通りかかるのを待ってたんだ」

ケイタは、汗と土ぼこりで黒く汚れた顔で、白い歯を見せて、マナににっこりと笑ってみせた。

「マナは、もう病気は大丈夫なの?」

「うん。もう先生は退院しても良いって言ってるよ。でも、退院した後、私、第3新東京市に住むことに

なりそうなの。それで第3新東京市連絡事務所の桂一尉のところに挨拶に行くように言われて・・・・」

「それで、路線バスに乗ったのか・・・・・」

「うん。今日、つまり金曜日の夜から日曜日のお昼まで事務所に泊って、いろんなところを案内してもらう

予定になってるの。だから、ちょっとだけ楽しみだった・・・・・」

「そんなときに、こんな騒ぎに巻き込んじゃって、ほんとにごめん。まさかマナが乗ってるなんて

全然思わなかったから・・・・・」

ケイタはすまなそうに俯いて、足元の湿った地面に視線を落とした。

「・・・・・ケイタのせいじゃないよ・・・・・」

(・・・・・このまま・・・・このまま、ずっと・・・・・ここにいられたら・・・・・

・・・・・・私、何考えてるんだろう?・・・・・一刻も早くここから立ち去らなきゃいけないのに・・・・)

再び途切れてしまった二人の会話。

行き交う自動車のエンジン音が、時折途絶えた後に訪れる静寂の中、無数のコオロギの声だけが

路傍にうずくまる二人を包み込んでいた。




20分後、大きな運送用トラックが国道138号線の乙女トンネルから少し離れた路上に停車していた。

「おーい、トオル!! 今、着いたぞ!!」

運転席の窓から少し頭髪が薄くなった中年の男が顔を覗かせた。

「あっ、おっちゃん!! こんな時間にごめん!! 助かったよ!!」

橋立はトラックの運転席の窓下に駆け寄ると、伯父である早雲山運送社長の顔を見上げた。

「で、さっき電話で言ってた荷物ってどこだ? それにしても、お前もへんな頼みごとをするよなぁ。

どうやったら、こんなところに、大事な荷物を落っことせるんだよ? そのうえ、空の茶箱と、あんなもんが

入った茶箱をを持ってこいなんて、一体、何を運ぼうって了見だい?」 

陸奥は懐中電灯であたりを照らしながら、狐につままれたような顔で橋立に尋ねた。

「これにはちっとばかり訳ありでね。詳しい話は後でするから、「荷物」を摘んでくれないか?

おーい、君たち出てきていいぞ!!」

橋立の声を聞いて、国道の脇を走る保線用通路の暗がりから二人の子供が現れたのを見て、陸奥は目を見張った。

「おいおいっ、お前の言ってた荷物って・・・・・こりゃあ、相当、訳ありだな・・・・ま、いいや!!

なんであれ、この俺を頼ってこられたからには、俺もできる限りのことはさせてもらうぜ!! 

窮鳥も懐に入れば漁師もなんとか、って言うくれえだからな。そうでなけりゃあ、江戸っ子の名がすたるって

もんだ!! さあ、あんたたち、とっとと荷台に乗ってくれよ!! 荷台の中に茶箱があるから、

そん中に隠れてたらいい。そうするつもりで、茶箱積んでこいって言ったんだろ?」

陸奥は、景気をつけるために腕まくりをしながら、唯一の肉親である甥に向かって、ニヤリと笑ってみせた。

「へへ、ご明察!! さすが、おっちゃん!! 呑み込みが早えや!! ああ、この人はね、俺の伯父で

新箱根湯本で運送屋やってるんだ。弱きを助け強きをくじく、っていう、時代劇のヒーローみたいな

おっちゃんだから、安心していいぜ。さあ、早く乗った乗った!!」

橋立に急きたてられて、まずケイタが荷台によじ登り、マナを引っ張り上げた。

「それじゃ、取り敢えず、うちの店に連れて行くか?」

橋立が助手席に座ると、陸奥は打って変わった低い声で、しきりにバックミラーを気にしながら尋ねた。

「・・・・そうだね。そこで二人とも下ろして、一休みさせたあと、女の子は第3新東京駅まで連れていって

ほしいんだけど・・・・それと、男の子の方なんだけど、どうやら戦自から逃げてきたみたいなんだよ。

なるべく早くに、どこか別のところに逃がした方が安心だと思うんだ。」

「そうか・・・・そういう事情があったから、携帯電話では詳しいことを言わなかったんだな・・・・

・・・・盗聴されてたら、一発でアウトだからな・・・・・」

「そうだよ。乙女トンネルの向こう側では、戦自が検問やって、血眼になって男の子の行方を

探ってたよ。どうやら、あの子達は、とてつもない秘密を握ってるみたいなんだ。それに、騙されて

連れてこられたっていうようなことも言ってたし・・・・」

橋立は、伯父から渡された缶コーヒーのブルトップを引き上げながら呟いた。

「そういうことかい・・・・ま、昔から、お前はこういうことに首突っ込んじゃ、損ばかりしてるよなぁ。

ま、そういうとこは、俺も一緒だけどさ・・・・困ってる奴がいたら見捨てられないってのは、

江戸っ子の遺伝子みたいなもんなのかねぇ・・・・・さてと、愚図愚図してられねえや!!」

陸奥は、少しだけほっとしたような顔で缶コーヒーを飲んでいる甥を見て、ひどく懐かしそうに微笑むと、

アクセルを踏んだ。




「まったく、あんときはさすがの俺も焦ったよ!! 検問してた戦自の奴が荷台に上がり込んで

茶箱を開けはじめたときには、もう駄目かと思ったぜ。それにしても、あいつ、慌ててたな。

ざまあかんかん河童の屁ってなもんだ!! がはははは」

陸奥は自宅の座敷で胡座をかいて、茶を一口啜ると、破顔一笑した

「当たり前だよ。荷台の一番手前に積んでた茶箱には、おっちゃんとこの台所の生ゴミがたんまりと

詰まってたんだからね。こんなこともあろうかと思って、おっちゃんにゴミ積んできてくれるように言っといて

正解だったよ。それにしても、よくもまあ、あんなにゴミを溜め込んでたもんだね?」

橋立も、足を伸ばして、畳に手をついて体を支えてリラックスしている。

「ったりめえよ!! 男やもめをなめちゃあいけねえ!!って、こんなこと自慢できねえなぁ。あっはっはっは。

ところで、あんちゃんは、これからどうするね? このまんま、ここに置いててもいいんだけど、じきに

見つかっちまうような気がするけど・・・・もし、あんたさえその気なら、奈良に知合いの運送屋が住んでて

そいつなら信用できるから、そこで住み込みで働いたらどうかね? どんな理由があるかは聞かねえが、

あんた、戦自に追われてるんだろ? だったら、一刻も早く、第3新東京市近辺から離れて、どっか地方、

とくに戦自の駐屯地とかがないところに行った方がいいぜ。その点、奈良市内は戦自の駐屯地もないし、

安心だと思うんだけどな・・・・・」

ケイタとマナは顔を見合わせていたが、やがてケイタがおずおずと口を開いた。

「僕、奈良に行きます。でも、その方にご迷惑がかからなきゃいいんですけど・・・・」

「ああ、その点は抜かりないよ。安心したらいいよ」

陸奥の明るい声に励まされて、安堵の表情を浮かべている二人をみながら、橋立は自分の心の奥底が

めらめらと燃え上がっていることに気がついた。

(・・・・こんな年端もいかない子供たちを辛い目に遭わせやがって・・・・NERVという、戦自といい、

一体、ヒトをなんだと思ってんだ!? 将棋の駒とは訳が違うんだぞ!!)

「さて、それじゃ、そろそろお嬢ちゃんを第3新東京駅に送っていくとするかね・・・・そのまえに

ちょっとトイレに行ってくるか・・・・運転してる途中で腹が痛くなったら困るからな」

陸奥は立ち上がりざまに橋立をちらっと一瞥すると、トイレに向かってゆっくりと歩いていった。

「俺も、ちょっと外の様子をみてくるよ」

橋立も立ち上がると、玄関に向かって歩き出した。

陸奥邸の座敷に残されたマナとケイタは、しばらく黙ったままだった。

「・・・・・私が病院に送られた後、みんなはどうしてるの?・・・・」

重苦しい沈黙を破ったのはマナだった。

「・・・・・相変わらずだよ。みんなロボットに乗る訓練を続けてる・・・・この間、つくばから

組み立て中のロボットの写真が送られてきたよ・・・・みんな、それ見て、初めて怖くなっちゃったみたいでさ

・・・・・・僕も、そう思ったよ・・・・あんなのをちゃんと操縦して、そのうえ実戦に出るなんて・・・・・」

ケイタは畳の上に伏せていた視線を上げて、マナを見つめた。

「・・・・・それで逃げようと思ったの?・・・・・」

そんなケイタの視線から逃れるように、マナは窓の外に広がる漆黒の闇を眺めながら尋ねた。

「・・・・・それだけじゃないんだ・・・・・あの日、僕たちの輸送車が野外演習のための移動中に

御殿場市の郊外を通りかかったとき、学校帰りの中学生たちが楽しそうに笑いさざめきながら、

下校していくのを見ちゃったんだ・・・・・小学生2年生の頃、突然選抜されて入隊させられた僕たちにとって、

普通の中学生の生活を実際に見るのは初めてだったんだ・・・・・それからだよ。みんなの口数が減って

しまったのは・・・・・それまで僕も「自分は特別に選ばれた名誉ある戦自隊員だ」って自分に

言い聞かせたり、「ここから逃げたりしたら、戦自隊員の父さんにも迷惑がかかる」って思って我慢して

きたけど・・・・・やっぱり、自分の人生なんだから、自分で決めて、生きていきたいと思ったから・・・・」

ケイタは、闇を見つめたままのマナの横顔に向かって、淡々と話し続けた。

「・・・・・私もそうだったのよ・・・・それにね、パイロットの中で女の子は私一人だったから、

相談相手もいなくて寂しかったし・・・・そんな矢先、私は耐震訓練で体調を崩して入院したの・・・・

・・・・・・戦自病院では監視こそ付けられてたけど、比較的自由な生活が送れたわ・・・・・

・・・・・・でもね、もうすぐ、また訓練所に戻されるの・・・・・・もうロボットには乗らないみたいなんだけど、

また別の任務が用意されてるらしいの・・・・・私、本当は戻りたくない・・・・・でもね、ケイタのところと

同じように、うちもお父さんが二佐だから・・・・・それに、新しい任務、もしかしたら楽しいかもしれないから・・・

・・・・・・だから・・・・だから、もうちょっとがんばってみる!!  ケイタも元気でね!!」

にっこりと笑って立ち上がったマナの言葉は、最後の方がかすれて震えていた。

「・・・・・うん。マナも元気で・・・・・自分の人生なんだから、大切に生きろよ・・・・・」

ケイタは、障子を開けて座敷から出て行こうとしているマナの背中に向かって呟いた。

一瞬、マナの足が止まった。

が、振り返ることもなく、マナは橋立と陸奥の待つトラックへと歩み去って行った。

 
    つづく
   
   
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