或いはひとつの可能性



第34話・甦った記憶





   午後3時35分、高橋は自改党本部7階の政務調査会事務局の会議室にいた。

   高橋の正面の大画面モニターには、美しい青色の使徒がボーリングマシンを

   伸ばして、第3新東京市の中心部である新銀座付近の道路を掘削している姿が

   大きく映し出されている。

   室内には吾妻を初めとして、自改党国防部会の副部会長たちが深刻な表情で

   黙ってモニター画面を見つめている。

   「一体、NERVも国防省も何をもたもたやってるんだ!! ただ手をこまねいている

   だけでは何の解決にもならないぞ!! 取り敢えず戦闘機でも飛ばして巡航ミサイルでも

   撃ってみたらどうなんだ?」

   部会長の竹生は、タバコを灰皿に押し付けてもみ消しながら、苛立った声を出した。

   「部会長、使徒には通常兵器は効きません・・・・今のところ、あれに対抗しうるのは

   NERVのエヴァだけなんです・・・」

   高橋は胸の奥から絞り出すような声で答えた。

   (・・・・このまま打つ手もないのか・・・・一体、住民はどうなるんだ?

   それにしても、政府はなんで特別非常事態宣言を解除したんだろう?・・・・・・)

   「だから、生野君(国防大臣)にアレの開発を急ぐように言ったんだ!! まったく、

   言わんこっちゃない・・・・」

   竹生は太った体を椅子から持ち上げると、部屋から大股で出ていった。

   「吾妻さん、竹生さんの言ってたアレってなんですか?」

   高橋は隣に座って腕組みをしている吾妻に向かって、小声で囁いた。

   「・・・・ここだけの話にしておいてくださいよ・・・・そうでないと、私が機密漏洩で

   手が後ろに回っちゃうから・・・・実は、戦自でも大型ロボットの開発に着手しているん

   ですよ。今、つくばの技術研究本部で密かに開発が進んでいるはずです。一応、年内には

   東富士の演習場で稼動実験が開始される予定なんです。我々のような与党の国防部会関係者

   以外には、まだ知らされていない話ですので、くれぐれも外には洩らさないで下さいね」

   吾妻はモニター画面を見つめたまま、高橋だけに聞き取れるような小声で呟いた。

   「ちなみに内務省も国防省に対抗して、民間を巻き込んで独自にロボット開発を進めている

   らしいというのが、ここ、第2新東京市でのもっばらの噂ですよ・・・・かくして、昔から
  
   連綿と続けられてきた縦割り行政と重複投資は、さらに命脈を保つというわけですね・・・」

   吾妻は、高橋の方に振り向くと、ニヤリと笑った。

   そんな時、先程、会議室から出て行った竹生が勢いよくドアを開けて戻ってきて、

   モニター画面を背にして立ちはだかった。

   「今、とんでもないニュースが舞い込んだ!!  午後3時30分、日本に参入したばかりの

   米系ニュースサービス会社のマロニー通信社が、インターネット上の有料ニュースサービスを

  通じて、「民自連幹部が匿名を条件に語ったことによると、第3新東京市に 高エネルギーの

  過粒子砲を装備した使徒が攻撃をかけており、これを撃退するため、日本国政府は国内全電力の

  NERVに対する供給を検討中」というニュースを配信したんだ!! 今、執行部にも確かめたんだが、

  どうやらこれは本当らしい。内閣の安全保障検討会議で、本件を国民に公表することの是非を

  議論したみたいなんだが、結局、総理の鶴の一声で、報道管制を敷いてニュースを公表しない、

  という結論に落ち着いたらしい。ところが、総理がそれを民自連の倉橋に連絡したら、奴ら、

  国民にとって重大な情報だから開示すべき、なんて言ってごねたんだ。どうやら後になって、

  この事実が明らかになった場合に「うちは反対したんだ」という言い逃れの口実を作りたかった

  らしい。その調整がつかないうちに、民自連の誰かが、報道管制が敷かれてるから大丈夫だと

  思って、マロニーにしゃべっちゃったらしいんだ。母国では報道管制なんていう慣行のない

  マロニーは、これ幸い、こんな特ダネを流せば日本市場における自社の知名度が上がると

  ばかりに、報道してしまったんだ。それにしても、けしからんとは思わないか? 本件は国防

  マターであるにも関わらず、執行部や総理は我々より先に連立先といえども他党に説明する

  とは?! あまつさえ、そのために国政運営上の極秘情報がリークされるとは、まさに言語道断だ!!」

  竹生は顔を赤くして大声で叫ぶと、テーブルをドンと叩いた。

  その反動で、テーブルの上の小さな灰皿がひっくり返って灰神楽を立てた。

  (竹生さんは、万田派の中でも反執行部色が強いからなぁ。どうやら、この件で執行部を

  糾弾するつもりらしいな・・・・) 

  高橋はオーバーな身振りで熱弁を奮う竹生を冷たい目で眺めると、手元の時計に視線を落とした。

  (・・・・まだ4時前か・・・・株式・債券市場はまだ開いてる・・・・市場が混乱しなければ

  いいけど・・・・他のメディアが追随すると、全国がパニックになるぞ・・・・・しかし・・・

  これでようやく分かった・・・・NERVは使徒を倒す作戦を持っているようだな・・・・・

  しかしまあ、日本全国の電力を使うとは、なんとも大胆な作戦だね・・・・葛城さんらしいや・・・)

  高橋は、髪の長い娘の愛嬌ある顔立ちを脳裏に思い浮かべてながら、鞄を開けて携帯端末を取り出し、

  インターネットに接続して、全国紙の第壱新報のニュースページを立ち上げた。

  携帯端末の画面には「第3新東京市に使徒襲来!! 使徒攻撃のために全国の電力を

  NERVに供給へ」という大見出しの下に、午後3時40分付けで「第2新東京外国為替

  市場では円が急落。前日比5円42銭安の1ドル=153円27銭」、「第2新東京証券

  取引所でも電力株を除いて株価が暴落。日経平均は前日比4000円安の1万561円」、

  「国債市場(大口業者間)が暴落し、長期金利は3.2%へ上昇(前日比+0.3%)」

  といった小見出しが並んでいる。

  (日本版ビッグバンのおかげで取引時間の制限がなくなったのが裏目に出たな・・・・・

  そういえば、あの時もそうだった・・・・・)

  高橋は竹生の怒鳴り声を聞きながら、人知れず目を閉じていた。

  


  有料情報サービスで流れたニュースは、瞬く間にまず金融市場に伝わり、大混乱を巻き起こした。

  度重なる使徒襲来が日本経済への不安感を呼び起こし、まず円相場が崩れた。株式市場も

  使徒の攻撃や戦自やNERVの応戦によって工場や店舗などの産業施設に被害が出ることを

  嫌気して、今回の作戦によって特需の出る電力株を除いて総崩れとなった。さらに債券市場も、

  日本経済への不安感から外人投資家の売りで相場が軟化したところへ、被害復興のために政府の

  財政が苦しくなり、国債増発に追い込まれるとの見方から売りが殺到した。

  首相執務室で、対馬は金融市況情報を表示するモニター端末を前にして苦虫をかみつぶしたような

  表情で座っていた。

  (・・・・・このままでは日本経済が破綻してしまう・・・・なんとかしなければ・・・・・

  ・・・・・・こうなったら、もはや使徒襲来の事実を隠し通そうとすれば、疑心暗鬼を招いて

  市場の混乱に拍車がかかってしまう・・・・ここは事実を公表して、国民に協力を呼びかける

  一方、使徒襲来は今回が最後ということを明言してしまうより他に、手段はない・・・・・・

  ・・・・・・今回のNERVの作戦が成功したら、直ちに国連に掛け合って、緊急時における

  報道管制を全世界的に制度化するように働きかけてみよう・・・・とにかく、ここは

  腹を括って対応しないと、再選はおろか身の破滅だ・・・・・)

  少しだけ陽が陰ってきた執務室で、対馬は机の上のインターフォンに手を伸ばした。 



  午後3時50分、対馬総理は緊急閣議を招集し、閣僚を前にして、国民に事実を公表するとともに

  今回の作戦への協力を要請することを明らかにした。閣僚たちは直ちに各省庁の事務方に

  NERVへの電力供給に伴って国内に生じる影響の洗い出しと対応策の策定を指示し、

  早速、各省庁の官房文書課では想定問答の作成に取り掛かった。



  午後4時5分、新箱根湯本の早雲山運送の陸奥社長は、駅前の榎理髪店で散髪の最中だった。

  「助さんや、もうしばらく様子をみましょう・・・・弥七、ご苦労であった」

  陸奥の左斜め前には大きな壁掛け型テレビがあり、4時から人気時代劇の再放送を放映している。

  平日の昼間に床屋にいるのは、彼のような自営業者くらいであり、今も床屋には彼以外には

  客はいない。

  陸奥はあまりの静かさと快適な冷房のせいで眠くなりはじめていた。

  先ほどから、店主の榎との世間話の相づちもやや遅れ気味になってきている。

  突然、番組が中断され、臨時ニュースの画面に変わった。

  「なんだい、また非常事態宣言かよ? たまらねぇな、こんなに頻繁に出したり引っ込めたり

  されちゃあな・・・・熱い豆腐を慌てて食ったんじゃねえんだから・・・・ったくいい加減に

  してくれよな・・・・」

  陸奥は億劫そうに視線をテレビの画面に移し、ぶつぶつと文句を言った。

  画面には対馬総理が明らかに緊張した顔で記者会見に臨んでいる姿が映っている。

  「お、対馬じゃねえか?! いよいよ退陣表明ってわけかい?! こいつはめでてえや!!」

  自由改進党の支持者ながら、民自連との連立には反対している陸奥は、対馬が嫌いだった。

  「・・・・このように使徒の再来は非常に遺憾なことでありますが、このセカンドインパクト

  以来の難局を国民の皆さんと力を合わせて乗り切っていかなければ、わが国の明日はないと、

  かように思うわけでございます。続きまして、今回の国際連合特務機関NERVへの電力供給に

  伴い、経済を初めとして国民生活の各方面に影響が及ぶわけでございますが、今晩から明日早朝に

  かけましての全国停電に対する政府の対応をご説明いたします。NERVからの通達によれば、

  停電は本日午後11時から明日午前4時までとなっておりますが、仮に戦闘が長引くことになれば

  必然的に停電時間が延長される可能性もあるものと考えられます。つきましては、政府と致しまし

  ては、国民生活への混乱防止の観点から、敢えて大事を取りまして、明日の各種経済取引を休止

  することとし、明日を臨時休日扱いと致します。このような措置は、過去にも昭和天皇の大喪の礼

  の際に採られた前例がございます。これに伴い、外国為替市場、株式市場、債券市場の金融取引は

  もちろんのこと、銀行、保険会社、証券会社の営業も行われなくなるため、手形交換も停止され

  ます。従いまして、災害援護法に定めのある決済猶予、これは従来は災害による被災地域に限定

  して適用されておりましたが、これを全国に適用することと致します。このため、国民の皆様に

  おかれましては、明日に期限を迎える手形、小切手、銀行引落などについて、決済日を一日だけ

  繰り延べする措置が講じられますので、不渡りや債務不履行などは発生いたしませんので、ご安心

  下さい」

  「ったりめーだよ!! いきなり明日が休みになっちまったら、こっちは運送契約がパーに

  なっちまうからな。要するに、明日予定されてる取引は、みーんなあさってにずらすっていう

  こったろ? 簡単に言やあいいんだよ、簡単にさ!!」

  陸奥は自分の仕事にも関わってくるだけに画面を真剣に見つめながら、対馬に向かって毒づいた。

  「続きまして、官公庁等の公共機関ですが、これも明日は休業となります。金融取引の休止に伴い、

  中央銀行の日本国民銀行、こちらは24時間営業を致しておりますが、明日は休業となります。

  ただ、最近の為替相場の動向等を勘案いたしまして、必要とあれば、海外の中央銀行との協調

  により、為替介入等の断固たる措置を講じていくとの連絡を受けております。」
        
  ここまでテレビを見ていた陸奥は、はっと目を大きく見開き、首に巻かれていた理髪シートを

  引き剥がした。

  「榎ちゃん、すまねえ。この続きはあさって頼むわ!! これから銀行行ってこなきゃ!!」

  陸奥は挨拶もそこそこに店から駆け出し、駅前の新陽銀行新箱根湯本支店に向かった。

  銀行の窓口は既に閉まっているため、店内のATM(現金自動預払機)の前には、既に

  長蛇の列ができている。  

  銀行側も混乱防止のため、支店長以下、行員が総出で客の整理に当たっている。

  「大丈夫です!! 現金は潤沢にありますので、皆さん、慌てなくても結構です!!

  ご自宅のインターネットをご使用になって、付属のカードリーダーからお手持ちのカードに

  入金することもできますので、そちらをご利用になっても大丈夫です!!」

  「久賀」というネームプレートを胸につけた行員が拡声器で、行列に並んでいる顧客に

  呼びかけている。

  「なんやと?! 明日は電気が使えんのやで!! 電子マネーなんぞ使えるかい!! わしらは

  現金が必要なんや!! そないなこともわからんのかい?!」

  会社を早退してきたとみられる中年の男性が行員に怒鳴り返す。

  ワイシャツの胸ポケットには「鈴原アキノブ」という名札がつけっぱなしになっている。 

  支店長が慌てて走り寄ろうとしたとき、行列の先頭が大きくどよめきはじめた。

  「おーい、お金が出ないぞー!!」

  行列の先頭に並んでいる客たちの中から大声が上がる。

  「まずいっ!! 装填しておいた現金が切れた!! 輸送車はまだかっ!?」

  行員達が慌ててATMの傍に駆け寄ると同時に、行列の後方では客たちが動揺しはじめる。

  「おい、もう、ここの銀行、お金がないみたいだぜ。どうしよう?」

  「6時までにシェルターに避難しなきゃいけないのに・・・・困ったな」

  「ここの銀行、前から大丈夫かなって心配してたんだよ。やっぱりなー」

  「一体どうなってんだよ!! こっちは電子マネーしか持ってないんだぜ!! 電気が

  止まっちゃったら、こんなのただのプラスチックカードになっちまうんだよ!! 

  どうしてくれるんだ!?」

  騒ぎが起こりそうな予感を感じて、陸奥は慌てて列を離れ、少し離れた東日本郵便銀行の支店に

  向かったが、既に行列は支店のキャッシュコーナーからかなり長く伸びている。

  (どこの銀行も、電子マネーが普及したんで、手持ちの現金を減らしてたからなぁ・・・・

  ・・・・・仕方ねえな。現金はあきらめて、電子マネーでモノを買い溜めしておこう・・・・)

  陸奥はその足で自宅の近所のコンビニに向かった。



  
  シェルターから出た後、リエはユリコと別れてすぐに自宅に戻った。

  (・・・・お父さん、もう議会に行っちゃったよね・・・・大丈夫かしら・・・・)

  リビングルームのテーブルの上には高橋が書いたメモが置かれていた。

  (あ、お父さん、第2新東京市へ行ったんだ。あーよかった。これで一安心ね・・・・)

  リエは自分の部屋に入ると、制服を着替えはじめた。

  (そう言えば、さっきの特別非常事態宣言って何だったのかしら?)

  下着姿のまま、リエはリモコンを取り出して、自分の部屋の小型テレビのスイッチを入れた。

  「あれ? まだテレビで放送してないの?」

  テレビでは、いつものようにワイドショーが放映されており、チャンネルを変えても、

  ニュースは放映されていない。

  「どうしたのかな? 変ね・・・・」

  リエは独り言を呟くと、白いスカートに履きかえて、ベッドに腰を下ろした。

  (・・・・綾波さんと碇君、大丈夫だったかしら・・・・)

  ぼんやりとテレビを眺めていたリエは、昨日、レイの紅い瞳の奥で揺らいでいた何かを

  思い出していた。

  (明日こそ、ちゃんと綾波さんに謝りたいな・・・・だから・・・・

  綾波さん、どうか無事でいてね・・・・絶対に死んだりしちゃ駄目だよ!!・・・・)

  リエはスカートの上においていた手を無意識のうちに堅く握り締めていた。

  (・・・・使徒との闘い・・・・きっと辛いんだろうな・・・・それなのに綾波さんは

  なんにも言わないで、じっと耐えてきたのね・・・・もっとわかってあげれば良かった・・・・

  ・・・・あ、また涙が滲んできちゃった・・・・ここでひとりで泣いてたってどうにも

  ならないのに・・・・夕ご飯の準備、早めに始めちゃおうかな・・・・料理してると、

  一瞬でも他のことを忘れられるから・・・・)

  リエは自分の部屋のテレビのスイッチを消すと、キッチンに向かった。

  冷蔵庫を開けようとしたとき、ふとリビングルームのテレビが目に入った。

  (さっきの宣言のこと、ニュースでやるかもしれないわ・・・・取り敢えず

  テレビ、点けておいた方が良さそうね・・・・今、4時3分か・・・・・・)

  リエはちらっと掛け時計に視線を走らせると、リビングルームのテーブルの上に置きっぱなしに

  なっていたリモコンを取り上げて、テレビのスイッチを点けた。

  「第2新東京0263、600の・・・・」

  テレホンショッピングのCMがちょうど終わり、サスペンスドラマの再放送に画面が切り替わる

  ところだった。

  テレビを背にして、リエがキッチンの方に歩きはじめたとき、ニュース速報を示す「ピン、ピン、

  ピン」という警告音が聞こえた。

  慌てて振り返ってみると、画面の上端に「本日の特別非常事態宣言は使徒襲来によるものである

  ことが判明。使徒は依然として第3新東京市地下のジオ・フロントに向けて攻撃を続行中であり、

  NERVでは全国の電力を使用して応戦することを決定。電力徴発を政府に申請した模様」という

  テロップが流れている。

  (やっぱり使徒だったのね・・・・それじゃ、エヴァが出撃したはず・・・・それなのに

  使徒が攻撃中ってことは・・・・エヴァが負けたってこと?・・・・パイロットは無事なの?・・・)

  リエは茫然とした表情で、リビングルームのグリーンのカーペットの上に座り込んでしまった。

  テレビの画面は、いつのまにか首相の記者会見に切り替えられていた。

  「NERVからの連絡によれば、第3新東京市においては午後7時までに住民の方々に対して

  再びシェルターに避難するように求めておりますので、政府としても、午後6時に特別非常

  事態宣言を再度発令する予定であります。市民の皆様におかれましては、流言などに惑わされる

  ことなく安心して避難していただきますようお願いいたします」

  (・・・・午後6時に宣言発令の予定?・・・・じゃ、夕ご飯どころじゃないわね・・・・

  ・・・・・それに、シェルターに入って汚れても大丈夫なように、Tシャツとジーンズに

  着替えておかなくちゃ・・・・・)

  自分の部屋に向かうため、リエが緩慢な動作で立ち上がった時、電話が鳴り出した。

  「もしもし、高橋です」

  「あっ、リエかっ?! どうした、大丈夫か? 怪我はないか?」

  「あ、お父さん!! うん、大丈夫!!」

  「そりゃ良かった!! 今まで電話が繋がらなかったんで、えらく心配したよ。どうやら

  今まで混乱を恐れて、政府が第3新東京市への電話回線を止めてたらしいんだ。ああ、
 
  そうだ!! 手元に現金はあるかい? もしないんだったら、すぐに銀行に行くんだ!!」

  「あんまり現金は持ってないよ。だって、カードにお金入れるようにしてるから・・・」

  「それじゃ駄目だ。どうやら、明日は金融機関が臨時休業になるらしいし、下手すると、
  
  停電が明日の日中まで続くかもしれないから、電子マネーなんぞ持ってても、カード

  リーダーや回線が動かないから、全然役に立たないかもしれないぞ!!」

  「じゃ、これから銀行のATMに行ってくるね」

  「ああ、そうした方がいい。あ、もし、ATMが混んでて、埒あかないようだったら、

  電子マネーを使って、乾電池とか蝋燭とか缶詰みたいな日持ちのする物を買い置きして

  置くんだぞ。そうそう、水や氷は必ず買っておくようにしなさいよ」

  「水や氷? どうして?」

  「リエはセカンド・インパクトを経験してないから、わからないだろうけど、電気が止まると

  浄水場のポンプが動かなくなって上水道が断水するんだ。それに、氷は、冷蔵庫の中の

  食品類が腐らないようにするためのものだよ。電気が止まれば、冷蔵庫も止まっちまうからね」

  「わかったわ。あ、お父さん、いつ、こっちに戻ってくるの?」

  「今日は第2新東京市に足止めされてるし、何よりもまず、交通規制が敷かれてて、

  第3新東京市には入れないんだよ。明日も停電が続くようなら、まず交通機関は駄目

  だろうし、最悪の場合、あさってになるかもしれないな・・・何か困ったことがあったら、

  新箱根湯本の陸奥んところに電話して相談したりすればいいよ」

  「うん、そうする。それじゃ、これから銀行とコンビニに行ってくるね」

  「とにかく気をつけるんだぞ。みんなパニックになりかかって興奮してるから、いつもより

  格段に慎重に行動するんだぞ」

  リエは受話器を置くと、すぐに自分の部屋に戻って着替えて、新駒沢駅前の新陽銀行に向かった。

  しかし、既にキャッシュコーナーには長蛇の列ができていた。

  慌てて近くの東日本郵便銀行の支店にも回ってみたが、やはり支店を取り囲むように長蛇の列が

  伸びている。

  (・・・・・遅かったみたい・・・・仕方ないから、コンビニに行ってみよう・・・・)

  リエは初瀬の店に駆け込んだ。

  店内は人波で溢れており、電池、蝋燭、懐中電灯、缶詰、パン、固形燃料、水、氷といった

  めぼしい商品は残り少なくなっていた。

  リエもこうした商品を一通り取り揃えると、レジに向かった。

  「あ、リエも来たの? 大丈夫だった? 商品、確保できた?」

  レジで商品の袋詰めをしていたユリコは、リエを見つけると心配そうに尋ねた。

  「うん、なんとかね・・・ユリコも大変そうね・・・」

  「ほんと、こんなにお店が繁盛したの、開店以来よ!! いわゆる「嬉しい悲鳴」っていう奴ね!」

  初瀬はリエが両手に重そうな袋を持ってよろけたのを見て、思わず声をかけた。

  「リエちゃん・・・・もう少し待てるなら、配達用のバイクで家まで送るよ・・・・」

  「ありがと、おじさん。でも、おじさんもレジの仕事あるでしょ? 悪いわよ・・・」

  「・・・・もうすぐ店仕舞いだよ・・・・もう商品がない・・・・・本部の配送センターからの

  入荷も無理だろう・・・・それに・・・・停電のときに店開けてたら物騒だ・・・・」

  「ほんとにいいの? こんな忙しいときに迷惑じゃないかしら・・・」

  「そんなの心配してなくていいよ。リエんちは、昔からのお馴染みさんだからね」

  ユリコが袋詰めの手を休めずに答える隣で、初瀬もレジを打ちながら、ちらっとリエを

  眺めて深く肯く。

  「・・・・・高橋さんは議会から戻ってきたのかい?・・・・」

  「ううん。今日は急に第2新東京市に出張になったんです。さっき電話があったの・・・」

  「・・・・・こんな時にひとりで大変だね・・・・・」

  初瀬が続けて何か言おうとしたとき、店の自動ドアからたくさんの人々が入ってきた。

  「まだ水、ありますか?」

  殺気立った様子で、OL風の女性が初瀬に尋ねる。

  「ええ・・・・あと少しですけど・・・・」

  その声を聞いて、店に入ってきた人々は飲料用冷蔵庫を目指して駆け出していった。

  「どこのお店でも、水とか生活物資が売り切れになってるのよ。それにね、さっき、

  厚木のうちのおばあちゃんから電話があったんだけどね、あっちじゃ、お水のペットボトルが

  急に値上がりして、今は1本550円もするんですって!!」

  レジを待っていた中年の主婦が初瀬に向かって話し掛けた。 

  「・・・・こういう時には必ずそういう悪どい商法をやる奴が出るもんです・・・・・

  ・・・・・セカンド・インパクトのときもそうでした・・・・・まったく商人の風上にも

  置けない奴等です・・・・どさくさ紛れにそんなことすれば、信用を無くして、騒ぎが

  治まったときに、お客様にそっぽを向かれてしまいますよ・・・・・」

  初瀬は憮然とした表情でバーコードを読み取る手を休めて、ため息をつくと、

  リエに向かって少しだけ表情を和らげた。

  「・・・・お店、もうすぐ仕舞うから、うちの居間で待ってるといい・・・・」

  「うん、じゃ、そうします。ほんとにすみません。ありがとうございます」

  リエは一礼すると、靴を脱いで、居間に上がり込んだ。

  (・・・・テレビ、点けちゃっても、いいよね・・・・)

  子供の頃からよく訪れている、勝手知ったる他人の家で、リエはリモコンを難なく探し出すと、

  テレビを点けた。

  「産業省は先程、電力9社とコジェネレーションシステムや売電設備を持つ企業に対して、

  緊急通達を発し、設備能力の上限まで発電を行うように要請しました。ここ北海道では、

  政府の要請を受けて、火力発電所の燃料確保のため、サハリンからの石油・天然ガスの

  パイプラインがフル稼動しています。また、ここ、千歳グループの発電部門である

  千歳エナジーでも職員が非常招集を受けて、今夜のNERVへの電力供給に備えています。

  また、第3新東京市の新築地では、冷蔵庫が止まっても魚を保存できるように、大量の液体
 
  窒素やドライアイスが運び込まれています。一方、各地で、生活物資の買い溜めと売り

  惜しみが発生しており、スーパーやコンビニの店頭から商品が姿を消しているほか、一部

  では商品の価格を不当に釣り上げる動きもみられており、内閣府では全国の自治体に対して

  消費者相談窓口を開設して、悪質な売り惜しみの取り締まりに当たるよう要請しました。

  また、各地で、金融機関から現金を引き出す動きが強まっており、明後日の短期金融市場で

  資金不足幅が大幅に拡大し、銀行間の資金決済が逼迫する可能性が強まっております。

  これに対して、日本国民銀行は緊急に執行委員会を招集し、先程、臨時措置として金融

  市場に対して資金を大幅に供給していくとの執行委員会議長談話を発表いたしました」

  各地の混乱ぶりを伝えるニュースを眺めていたリエは、店の方が騒がしいのに気がついた。

  そっと店の方を覗いてみると、4、5人の中年の男たちが初瀬に詰め寄っているのが

  見えた。

  「・・・・そういうことをおっしゃられても、もう品切れなんです・・・・」

  「そんなこと言って、倉庫には在庫があるんじゃないか? 売り惜しみなんかしたら、

  ただじゃおかねえぞ!!」

  「・・・・コンビニは本部からの指示で在庫を最小限にするようにしています・・・・

  ・・・・・なんなら倉庫をご覧になりますか?・・・・・うちはここで長く商売をやってく

  つもりなんだ・・・・自ら信用を落とすようなことをするわけ、ないだろっ!!」

  初瀬が無愛想な顔を一段と不愉快そうに歪めて語気を強めるのをみて、詰め寄っていた男は

  一瞬ひるんだ。

  「・・・・・店、閉めます・・・・・そろそろ避難時刻も近づいてますから・・・・・」

  初瀬が普段は眠そうな細い眼をかっと見開いて睨み付けると、騒いでいた人たちは

  口の中でぶつぶつと文句を言いながら店外に去っていった。

  (・・・・良かった、おおごとにならなくて・・・・お父さんが言ってた通り、みんな

  殺気立ってるのね・・・・・)

  リエが襖の陰から離れてテレビの前に戻ってきたとき、居間の電話が鳴り出した。

  一瞬、躊躇したものの、自分のほかには誰もいないので、リエは仕方なく受話器を取り上げた。

  「もしもし、初瀬ですが・・・・・」

  「あっ、え、ええと、ユリコさんと同じクラスの相田と申しますが・・・・」

  「ああ、相田君!! 私、高橋よ。今、ユリコのうちに来てるの」

  「なんだよ、びっくりさせるなよ! 誰かと思っただろ! でも、ちょうど良かったよ。

  今さ、高橋の家に電話したら誰もでないから、あきらめて電話を切ったところだったんだ」

  「どうしたの? なんかあったの?」

  リエは心配そうに眉をひそめた。

  「実はさ、うちの父親、NERVに勤めてるだろ? それでうちのパソコンのハード

  のデータをこっそり見てみたら、どうやら学校の裏山がエヴァの射出口らしいってことが

  わかったんだよ。それでさ、今日の作戦の時にも、きっとそこからエヴァが出て来ると

  思うんだけど、トウジと話してて、学校の屋上からシンジや綾波を励ましてやろうって

  ことになってさ、それで、高橋や明石や初瀬にも声かけとこうと思って・・・・

  ちなみに明石は行くって言ってたよ」

  「あ、行く行く!! 今、ユリコにも聞いてみるね!!」

  リエは慌てて居間から駆け出すと、店内清掃にかかろうとしているユリコに声をかけた。

  「ユリコ!! 今、相田君から電話がかかってて、碇君や綾波さんがエヴァで出撃する

  場所が分かったらしいの! 学校の屋上から見えるみたいなんだけど、行ってみない?」

  ユリコは急いでリエのところに駈け寄ってきた。

  「それ、ほんと?! 行きたいなぁ・・・でも・・・・」

  ユリコは情報端末の前に座って慣れない手つきでキーボードを打っている父親を

  ちらっと眺めた。

  「・・・・学校までどうやって行くんだ? 電車もタクシーも止まってるって言うのに・・・・」

  初瀬は娘たちの方を振り向きもせずに、端末の画面を見つめたまま、無愛想な口調でぼそっと

  呟いた。

  「・・・・そう言えば、そうよね・・・・やっぱり、私たちはあきらめるしかないね・・・・

  じゃ、相田君にそう言っておくね・・・・」

  リエとユリコは顔を見合わせると、残念そうにため息をついた。

  「・・・・5分後、店の車を出す・・・・トランクにリエちゃんの荷物を入れとけ・・・」

  初瀬は相変わらず端末の画面を見つめたまま、眉一つ動かさずに呟いた。

  「えっ!? ありがと、お父さん!!」

  「すみません、おじさん!! ありがとうございます!!」

  「・・・・精一杯、友達を励ましてやれ・・・・それが俺たちにできる唯一のことだ・・・・」

  初瀬はデータを端末のハードに保存すると、娘達の方を振り返ることもなく、自動ドアの

  戸締まりを始めた。

  

  初瀬が運転するコンビニのロゴマーク入りのワゴン車は、駒沢駅前の幹線道路を

  新四谷方面に向けて走っていた。

  途中、新代々木付近で検問に引っ掛かったものの、初瀬は動揺など全く見せずに

  「商品が足りなくなった親密店から頼まれて、自店の商品を融通するために

  新四谷に向かっている」と答え、実際、トランクからはリエの買った大量の商品が

  出てきたため、とくに咎められることもなく、無事に検問を通過した。

  第壱中学の校門前で車から降りたリエとユリコは、校舎に向かって駆け出した。

  校舎に入って、息を切らして階段を駆け上がり、屋上に通じる鉄扉を押し開けると、

  夕陽を浴びて、トウジ、ケンスケ、そしてリョウコとヒカリが立っていた。

  「おう、遅かったやないか。まあ、まだ、出てきとらんけどな・・・・」

  トウジは、まだ息を弾ませているリエを一瞥すると、視線を裏山の辺りに

  移した。

  「途中で検問に引っ掛かっちゃったのよ。あ、相田君、電話ありがと。

  ほんとに助かったわ!!」

  リエはデジタルカメラを入念に調整しているケンスケに向かって微笑んだ。

  「どうってことないよ」

  ケンスケも、少し照れながらにっこりと笑った。

  「私とユリコは、ユリコのお父さんの車で来たんだけど、みんなはどうやって来たの?」

  「ああ、僕とトウジと委員長は、近所の個人タクシーの運転手のおじさんに頼み込んで

  ここまで乗せてもらってきたんだ。明石は、やっぱりオヤジさんに車で送ってきて

  もらったみたいだよ。僕たちも明石も幸い、検問には引っ掛からなかったから、

  良かったけど、今の高橋の話を聞くと、結構危なかったんだなぁ」

  「ねえ、相田君ならわかると思ったんだけど、昼間の戦闘では、エヴァは使徒に負けたの?」

  リエは真顔になって、ケンスケを真っ直ぐ見つめた。

  「僕も詳しくはわからないんだけど、エヴァが使徒に撃退されてしまったというのは

  事実らしいよ。幸い、パイロットには大きな怪我はなかったみたいだけど・・・・」

  ケンスケは、少し当惑したような表情でリエを眺めた。
  
  「その時のパイロットって、碇君と綾波さんのどっちだったの?」

  「昨日、シンジに聞いたときには、綾波はまだ零号機の起動実験に成功してないって

  言ってたから、多分、シンジが今日のパイロットだったんじゃないかな・・・・」

  リエは無意識のうちに表情が和らいでいた。

  (良かった!! 綾波さんは無事だったんだ!・・・・あ、碇君、ごめんね・・・・・

  碇君のこと、どうでもいいって思ってるわけじゃないのよ・・・・)

  「日本全国の電気を使うってテレビで言ってたけど、一体、どんなことするのかしら?」

  リエの質問に、ケンスケは目を輝かした。

  「それだよ、それ!! 僕もさ、すっごく興味あるんだよ! 僕の推測ではさ、

  今、日本にある兵器の中でもっとも強力なのは、実験段階にある陽電子砲なんだよ。

  ただ、まだ実験段階だし、陽電子砲自体が、たぶん、つくばの戦自研にあるから、それを

  どうやってここまで運んでくるかっていう問題はあるけどね。なんせ、かなりでかい

  シロモノらしいからね」

  「陽電子砲? ふーん、そうなの・・・・」

  (うーん、陽電子砲ってなんなのかしら?・・・相田君に兵器のこと聞くと、この前みたいに

  1時間くらい延々と講義されちゃうからなぁ・・・・ま、そういう強力な兵器があるっていう

  認識が得られただけでよしとしておきましょ・・・・)



  ケンスケとリエが話している間、リョウコは屋上の手すりにもたれて、

  夕陽に包まれていく第3新東京市をじっと見つめていた。

  「何考えてんの?」

  リョウコはびくっと体を震わせると、声が聞こえた方を眺めた。 

  いつのまにかユリコが隣に来て、同じように手すりにもたれている。

  「・・・・もう、昔みたいに平和な日々は来ないのかなって・・・・みんなが怯えて

  暮らすようになったら、お菓子なんて忘れ去られてしまう・・・・あたしたち、これから

  どうなっちゃうんだろう?・・・・・・・あ、ごめんね、唐突に暗くなっちゃって。

  でもね、今日の街の騒ぎをみて、そんなふうに思ったのよ・・・・幾ら考えても

  答えなんか出ないのにね・・・・」

  リョウコは、手すりの上に置いた手に顎を乗せて、ふっと目を閉じた。

  「これからどうなっちゃうのか、あたしにもわからないし、あたしもリョウコと同じように

  すごく不安よ・・・・それに碇君や綾波さんのように身近な人たちがこんな危険な目に

  遭わなきゃいけないっていうのも、とても辛いわ・・・・そう・・・考えても仕方がないって

  わかってても、我慢できないくらい不安で、大声で叫びたいときもあるの・・・・リョウコだけ

  じゃないよ・・・・あたしも、そしてリエもみんなも、怖いのよ・・・・でもね、あたしは、

  そんな時には、エヴァのことを考えるようにしてるわ・・・・エヴァがある限り、あたし達の

  未来が約束されるって・・・・」

  ユリコは手すりに背中をもたれかけると、暗くなりかけている空を仰いだ。 

  「そうね。そのために碇君や綾波さんが闘ってくれているんだもんね。信じるしか、ないよね」

  リョウコも、顔を上げて、振り向くと、手すりに背中をもたれかけさせた。

  ふと、あたりを見回すと、リエとケンスケが立ち話をしている後ろでは、

  トウジがパンを貪り食っている姿と、少し離れたところから、それを見つめているヒカリの姿が

  目に入ってきた。

  (・・・・鈴原も相変わらずね・・・・いい加減に、ヒカリの想いに気づいてあげりゃいいのに・・・

  ほんと鈍感なんだから・・・)

  リョウコは、思わず、くすっと笑った。

  その時、学校の裏山から、ぱっと鳥が一斉に飛び立ち、地の底から響くような轟音とともに、

  山の斜面の一部がゆっくりとスライド・ダウンして大きな射出口が現れた。


 
    つづく
   
   

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