或いはひとつの可能性



第30話・堕ちた、議会の子





   置き時計の音だけが響く部屋で、セカンド・インパクトを生き抜いた男たちは

   押し黙って時を過ごしていた。

   窓ガラス越しに街並みを眺めていた八雲が、不意に振り返った。

   「私らの街、第3新東京市は、市道も下水道も駐輪場も特別養護老人ホームも、

   なにもかもが足りない・・・・・増え続ける財政需要を満たすことが、

   今の最優先の課題だよ・・・・・ここは大人の対応を考えた方がいいんじゃないかね?」

   「大人の対応とは、一体どういうことですか? NERV問題は市民の

   生命、安全に関わる重大問題ですよ・・・・・「物分かりのよい大人」の対応はできませんね・・・・」

   三笠はソファから静かに立ち上がり、西日を浴びた八雲のシルエットを

   目を細めながらみつめた。

   「・・・でもな、カネが無いのは首が無いのとおんなじだぞ・・・・

  カネがないために、これまで我々は社会資本の整備にさんざん苦労してきたんじゃないか・・・」

   「私は、市民の生命と安全を守ることこそが、議員としての最低限の意地だとおもいますが・・・」

   「三笠君・・・・君は相変わらずだな・・・・意地とかメンツでは政治はできんよ。

  それに、我々はNERVから賄賂をもらうわけじゃないんだ。条例成立を応援してもらう

  だけなんだ。つまりは、NERVを支援団体として位置づけるだけのことなんだぞ! 

  選挙の時、町工場の社長に支援してもらうのと、一体、どこが違うっていうんだい?」

  目を閉じ腕を組んでソファに深く座っていた松島は、静かに目を開いた。

  「全く違いますよ、八雲さん・・・・NERVはあまりにも強大な力を与えられています。

  我々と同じような、いや我々をはるかに上回る公権力なんですよ、彼らは!!」

  「それじゃあ、こうしたら、どうかね? NERVの提案に乗ったふりをして、

  NERVの力で民主協同党の反主流派を造反させて、条例を可決してしまう。

  だが、条例が成立してしまったら、再びNERV問題を議会で取り上げるというのは?」

  「つまり、NERVに一杯食わせるってわけですか? それは無理ですよ、八雲さん・・・・

  彼らの方が役者が上ですよ。彼らの提案に応じてしまった段階で、我々は彼らに弱みを握られる

  ことになるんですから・・・・。我々が背信しようとすれば、彼らはきっと、

  我々と彼らが手を握った、という動かぬ証拠をマスコミにばらまきますよ。

  その瞬間、我々は有権者の支持を失って、破滅します・・・・」

  「松島君の言う通りだよ・・・・・NERVと手を組むんだったら、相手と心中するくらいの

  覚悟が無いと駄目だね・・・・中途半端な妥協は身の破滅につながるよ・・・・」

  高千穂は険しい表情で腕組みをしたまま、八雲を見上げた。

  4人のやりとりを息を呑んでみつめていた高橋は、ようやくほんの少しだけ安堵の表情を

  のぞかせていた。そんな高橋に視線を向けた高千穂は、ゆっくりとソファから立ち上がり、

  混乱の中をしたたかに生き延びてきた男たちの顔を見回した。 

  「私たちは政治家だ。政治家には政治家の心意気ってもんがある。そいつを

  NERVの奴等にみせてやろうじゃないか。もちろん、これからは、場合によっては我々の安全が

  脅かされる事態も起こってこよう。選挙への干渉も考えられるところだ。

  だが、しかし、私は声を大にして、諸君に申し上げたい。

  命惜しむな、名こそ惜しめ、と・・・・有権者の幸福のため、やれるところまで

  やってみようじゃないか。私は、そう腹をくくったら、気持ちが落ち着いたよ。はははは」

  まだ頬を少しひきつらせたまま、高千穂はぎこちなく笑い、白髪混じりの後頭部を

  軽く叩いてみせた。

  「八雲さんの現実的なご判断も、大変ありがたいですよ。今後とも、若輩の私たちをよろしく

  ご指導ください。それじゃ、そろそろ第3新東京市に戻りましょう」

  三笠は、渋い表情で唇を噛み締めて立ちすくんでいる八雲に向かって、深々と

  一礼すると、踵をかえして部屋から出ていった。

  高千穂、松島、高橋が、松島に続いて立ち去った後、誰もいなくなった部屋の中で

  八雲は、低い声で呟いた。

  「名こそ惜しめ、か・・・・取り返しのつかないことになっても知らんぞ・・・・・

  そのときになって、わしの言葉が正しかったことを思い知るがいい・・・・・・」

  

  桃源台のシーフォートホテル15階の割烹「銀蝶」の芦ノ湖に面したテーブル席で、

  八雲は秘書の長良と松花堂弁当を食べていた。

  暗闇の中で、静かに寄せては返す波頭を眺めながら、八雲と長良はただ黙って箸を動かしている。

  「すいません、お客様。店内が混んでしまいまして、お相席、よろしいでしょうか?」

  和服姿の仲居に声をかけられた八雲は、不機嫌そうな眼差しを、仲居の後ろにたたずむ

  若い男に投げかけた。

  「別に、かまわんよ。ま、こんな年寄りと一緒じゃ、愉快ではないだろうがね・・・・」

  八雲は皮肉をこめた眼差しで男を眺めると、鰆の西京焼きに箸を伸ばした。

  「どうもすみませんね。せっかくお食事のところをお邪魔しちゃって・・・・」

  長く伸ばした髪を後頭部で束ねた、無精髭の若い男はにやりと笑い、八雲の隣席に

  腰を下ろした。

  「今日は、随分と波が荒いですね・・・・まるで嵐が近づいているような感じだ・・・・

  でも、嵐になっても、ここまでは影響は及びませんね・・・・ま、屋内だから当たり前

  ですがね・・・・・」

  若い男は八雲の隣で、勝手にしゃべりはじめた。

  (・・・・・なんなんだ、こいつは・・・・・人がくつろいでいるときに

  べらべらとうるさい奴だな・・・・・こっちはただでさえ不愉快なのに・・・・・・)

  八雲は感情を露骨に現して、険しい眼で男を睨み付けた。

  「おやおや、これはご機嫌を損じてしまったようですね、八雲さん」

  若い男はにやりと笑って八雲を見つめた。

  「なんで私の名前を知ってる? 君は一体誰だ?」

  八雲は箸を止めると、体を硬くして若い男を気味悪そうに眺めた。

  「そりゃあ、この第3新東京市で最も経験豊富で有能なあなたを知らない者がいたら、

  そいつはもぐりですよ、きっと! なにせ、あなたは国政の場に出ても遜色無いお方ですからね。

  同僚の市議さんたちは、そんなあなたの実力を知らないかもしれませんが、

  少なくとも私たちNERVでは、あなたを高く評価しているんですよ、八雲さん」

  「お前、NERVの手先だな・・・こんな二束三文の老いぼれに何の用だ?」

  八雲は鋭い眼光を若い男に投げつけると、すぐにでも立ちあがれるように腰を浮かしかけた。

  「二束三文だなんて、そんなことを言う奴は人の才能を見る眼がないんですよ。

  どうですか、国会議事堂の赤じゅうたんを歩いてみる気はないですか?

  あなたさえその気でしたら、私どもは手厚くご支援させていただきますよ・・・・

  あ、申し遅れました。私、NERVドイツ支部に勤務している加持リョウジといいます。

  この2週間ばかり本部の方に出張に来てましてね。せっかく上司の目から

  逃れて羽根を伸ばそうと思っていたのに、着いた早々、こういうお仕事を

  碇司令から頂戴しちゃいましてね。まったく人使いの荒いお人ですよ、ははははは」

  加持は破顔一笑すると、運ばれてきた煎茶の湯呑み茶碗に手を伸ばした。

  「つまりは・・・・国会議員にならないかと、そういうことか?」

  八雲は、加持の手の中の湯呑み茶碗に、猜疑心に満ちた視線を移した。

  「端的に申し上げれば、そういうことになりますね。たしか、あなたのお祖父さまも

  平成の頃に代議士をなさっておられましたよね?・・・・」

  「ああ、祖父は昭和58年の総選挙で落選してね・・・・祖母や父も借金の山を前にして、

  かなり苦労していたみたいだよ・・・・サルは木から落ちてもサルのままだけど、

  政治家は選挙で落ちたら、ただの人になってしまうのさ・・・・」

  八雲は自嘲気味に微笑むと、鰆の身を口に運んだ。

  「代議士か・・・・頭でっかちの青二才どもに一泡吹かせてみるのも、悪くないな・・・・

  ・・・・わしはちょっと手洗いに行ってくる・・・・・加持君とやら、あとの細かい話は

  この秘書の長良に話しておいてくれないかね・・・・長良、わかってるな?」

  八雲は、話の成り行きを固唾を飲んで見守っている長良に向かって

  肯いてみせると、そのまま席を立って洗面所に向かって歩き出した。

  (・・・・・NERVからの資金支援か・・・・・わしは直接は何ら話を聞いていない・・・・

  NERVから応援を打診されたのは、わしではなく秘書なんだから・・・・・・・

  ・・・・・衆議院、か・・・・・祖父や親父が望んで果たせなかった八雲家の中央政界復帰、

  わしがやり遂げてみせたら、いずれあの世に渡っても彼らに顔向けできるなぁ・・・・・・・

  どうせ老い先短いんだ・・・・仮に失敗しても、もはや失うものもないさ・・・・・・ )

  八雲が洗面所のドアを開けると、正面の洗面台の大きな鏡が目に入った。

  洗面所の電灯を点けたとき、鏡の中に、国会議事堂の正面扉を
 
  胸を張ってくぐる自分の姿が、一瞬見えたような気がした。

  


  高橋は、自宅の書斎の机で頬杖を突いて、議会先例集を読んでいた。

  (・・・・最近、本なんぞ読んでなかったせいかな・・・・なんか疲れたな・・・・)

  椅子から立ちあがると、高橋は部屋の隅の小さな戸棚から、ガラス製の小瓶を取り出した。

  小瓶の中身の黒い粉に、顔を近づけて香りを嗅ぐ。

  (・・・・台湾コーヒー・・・・この香りがたまらないねぇ・・・・・・

  ・・・・・セカンドインパクト前のブルーマウンテンを思い出すよ・・・・・

  ・・・・・ジャマイカか・・・今ごろは雪の下に埋もれているな、きっと・・・・ )

  やがて高橋は湯気の立つコーヒーカップを口に運んでいた。

  一口啜ると、香ばしい苦みが鼻腔にゆっくりと拡がっていくのが感じられる。

  無意識のうちに目を閉じていた高橋は、コーヒーを嚥下するとため息を洩らした。

  目を開けて机の上の先例集に視線を落とそうとしたとき、ふと、フォトスタンドの写真に

  目が止まった。まだ若々しい高橋の隣には、眼鏡をかけた背の高い初老の男が

  にこやかに笑って立っている。

  写真の下部には、サインペンで「初当選おめでとう  那智シュンタロウ」と書かれている。 

  高橋は、無意識のうちに表情が強張っていた。

  (・・・・・明日は、今までの議員生活の中で最も荒れた議会になるんだろうな・・・・・

  ・・・・・・議員生活か・・・・・議員になって、はや10年になるな・・・・・

  ・・・・・・いろんなことがあったな・・・・でも・・・・全てが一睡の夢の中のような気もする・・・・

  ・・・・・・最初の1年間は無我夢中だった・・・・・やっと軌道に乗り始めた2年目・・・・

  ・・・・・・議会と対立した市長が、市議会を解散して・・・・・・

  ・・・・・・2度目の選挙は苦しかったな・・・・・新人候補の追い上げで危ないところだった・・・・

  ・・・・・・市長とは10年近いつきあいになるなぁ・・・・・彼も私も歳をとるはずだ・・・・)

  高橋は、那智市長の、眼光鋭く孤高を感じさせる痩せた姿を思い浮かべた。

  (・・・市長、写真よりもかなり老けたよな・・・・いずれは俺もあんなふうに老いていくんだろうか・・・

  ・・・・そういえば、市長はNERVのことをどう思っているんだろう?・・・・・・・

  ・・・・市役所の幹部や職員達は明らかにNERV寄りだけど、市長はもともと

  俺たちと同じ自改党の出身だし・・・・ま、選挙の時は無所属で、自改党の推薦を受ける形に

  なってるけど・・・・・・それにしても、なんでNERV問題については、「それは議会が決めること」

  なんて言いつづけて、事実上沈黙してるんだろう?・・・・・・・・・・・・

  ・・・・市役所の中で、一人だけ「浮く」のを恐れているのか? あるいは・・・・・・・・

  ・・・・いや、そんなはずはあるまい・・・・・幾らなんでも考え過ぎだよな・・・・・・・・)

  胸の中を一瞬よぎった黒い疑問を追い払うように、高橋はコーヒーカップに手を伸ばした。

  (・・・・・明日は・・・・良くも悪くも生涯忘れられない日になりそうだな・・・・・

  ・・・・・・後悔の無いように、一生懸命生きないと・・・・・・・・・・・・)

  窓の外では、いつもと同じようにコオロギの鳴き声が蒸し暑い大気に満ち満ちている。


  
  リエはベッドの中で、夕食の時に垣間見た父親の姿を思い出していた。

   (・・・・お父さん、ずっと考え事してるみたいだったなぁ・・・・・

   ・・・・・お茶、4杯も飲んでたし・・・緊張してるのかしら・・・・

   ・・・・・質問に当たってる日ですら、今まであんなふうになったことないのに・・・

   ・・・・・やっぱり明日の議会、大変なことが起きるんじゃ・・・・・)     
     
   暗闇の中で目を開いたリエは、不吉な予感に胸苦しさを覚えて、寝返りを打った。

   (・・・・今日は、一日中、記者の人たちが玄関の外で待ち構えてたから、

   どこにも行けなかったなー・・・・気晴らしにルビーのところにでも遊びに行こうと

   思ってたのに・・・・・そう・・・・・明日は、私、綾波さんと会うのね、学校で・・・・・・・

   ・・・・・どんな顔をしたらいいのかな?・・・・・もう、前みたいに、心から笑いかけることは

   できそうにないな・・・・・「おはよう」って、ちゃんと言えるかな、私・・・・・

   ・・・・・取り敢えず、もう考えるのはやめにしよう・・・・・いくら考えても、気分が

   重くなってくだけで、何も結論は出ないんだもんね・・・・・・・・・・・

   ・・・・・でも・・・・・・・わかってるの・・・・・

   ・・・・・いずれは朝が来て・・・・・逃れられない現実に追い詰められるってこと・・・・

   ・・・・・綾波さんの立場はよくわかってるつもり・・・・・でも、どうしても悲しいの・・・・・

   ・・・・・綾波さんを傷つけるようなことはしたくない・・・・

   ・・・・・私さえ、ずっと黙っていれば、明日一日は何事も無く過ぎていくかもしれない・・・・

   ・・・・・でも、毎日、それを繰り返せるとも思えないし・・・・・・・

   ・・・・・明日なんか、ずっとずっと来なきゃいいのに・・・・・・・)

   リエは、滲んできた涙を指で拭き取ると、枕に顔をうずめた。

   カーテンの隙間から差し込む月明かりが、微かに震える細い首筋をほのかに照らしている。




   

    「・・・・・リエ・・・・・今日は家に帰れないかもしれないから、戸締まり、しっかり

   確かめて、先に寝てていいよ・・・・あ、くれぐれも記者を家の中に入れないようにな・・・・・

   何か聞かれても「わかりません」とか「聞いていません」って答えてくれ・・・・・・・

   すまんな・・・・リエにまで迷惑かけちまって・・・・・・」

   高橋は、険しい顔で読みかけの新聞を畳んでテーブルの隅に置くと、箸と味噌汁の碗を

   手に持った。

   全国紙の第壱新報の一面には、「第3新東京市議会、紛糾必至」、「民協党、審議拒否の構え」

   「国会審議にも影響か」といった大見出しの活字が躍っている。

   「うん、こっちは大丈夫よ。がんばってきてね、お父さん!!」

   リエは、浮かぬ顔の父親に向かって、ちょっと首を傾けて、にっこりと明るく笑った。

   白くて小さな歯がちらりと顔を覗かせた。 

   (・・・・・この子には・・・・・救われる・・・・・)
 
   高橋は、ほんの少しだけ気持ちが解きほぐされるのを感じていた。
       
   リエは、高橋が豆腐の味噌汁に手をつけたのを見届けると、自分も

   目玉焼きに箸を伸ばした。

   (・・・・・どうしよう・・・・・私、今日、学校で、どんなふうに振る舞ったら

   いいのか、分からない・・・・・・無理に明るくしてても、リョウコは

   お父さんと違って、勘が鋭いから分かっちゃうだろうなぁ・・・・・)

   リエはふと顔を上げて、父親を見た。

   高橋は、難しい顔で口にご飯を含んでいたが、視線は天井に向かっており、

   口も動いていない。当然、箸を持つ手も止まったままである。

   (・・・・・お父さん、よほど、今日の議会が気がかりなのね・・・・・・

   こんなお父さん、今まで見たことないわ・・・・・)

   リエは、高橋に声をかけようとしたが、あまりに真剣に考え込んでいる父親を眺めているうちに

   声をかけるのがためらわれてきた。

   黙ったまま、視線を父親から外したリエは目玉焼きに箸をつけた。

   (・・・・・なんか、おいしくない・・・・味が良くわかんない・・・・・)

   テレビの音声だけが流れるダイニングルームで、リエは静かにひとり、瞳を伏せていた。

      

   
   市議会内の会派別控室で開かれた第3新東京・自改党の議員総会は、異様な熱気に包まれていた。

   控室の正面の壁には、墨で大きく「禁足」と書かれた紙が張られている。

   部屋の中央では、幹事長代理の松島が若手議員たちを集めて採決の説明をしている。

   「いいかい? 委員長が席に着いたら間髪を入れずに、愛宕君が「委員長!」って

   大声で叫ぶんだ! とにかく大声で叫べよ! でないと、発言が出席者に聞こえなくて

   後々、本当に採決が成立したのかどうか、問題にされる恐れがあるからな。あ、ちょっと

   試しに叫んでみてくれる? ああ、それでいいよ、それでオッケー!! えーと、そこで委員長の

   川内君は「愛宕君!」って叫ぶんだ。おそらく民協党の議員が議席から走り出てくる

   だろうから、体格の良い熊野君や衣笠君が川内君の回りに立ちはだかって・・・・・」

   まださほど年を経ていない若手議員たちにとって、議会で強行採決を行うのは初めてだった。

   松島幹事長代理からまるで台本の内容を説明されるように強行採決の

   手順を説明されているうちに、劇場の舞台に上がるような昂揚感が溢れていった。

   昨日の議員総会で強行採決に後ろ向きの姿勢を示していた1年生議員たちも

   高千穂代表の固い決意に触れ、そして松島から戦術の説明を受けているうちに

   いつのまにか「市政のため、泥を被るのもやむなし!!」などと、腕まくりをして

   気勢を上げるように変わっている。

   そんな中、高橋は控室の自席で静かに番茶を飲んでいる。

   (・・・・・松島さんも相変わらず緊張感を盛り上げて人を乗せるのがうまいなぁ・・・・

   台詞の読み合わせみたいなことやれば、誰だって自分が芝居に参加するような気になってくるさ・・・・・

   まあ、一種の集団催眠みたいなもんだな・・・・・中には選挙が厳しくなるのを知ってて

   やけになって騒いでいる奴もいるんだろうけどね・・・・・衆議院の解散前夜みたいな

   雰囲気だな・・・・・さて、俺も声が嗄れないように喉飴でも舐めておくとするかね・・・・)

   背広のポケットから取り出した喉飴を1粒、口に含むと

   たちまち口腔がミントの香りで満たされていく。

   (・・・・・いよいよ、100%正念場、だな・・・・・・)

   高橋は腕に力を込めると、椅子から立ちあがった。
       


   一方、三笠は市議会議長室を訪れていた。

   鹿島議長は、大きなデスクの前の椅子に深々と腰掛け、パイプをくゆらせている。 

   三笠が部屋に入ってきたとき、一瞬、「ついに来たか・・・」というような

   期待と不安が入り混じった複雑な表情を覗かせたが、すぐに再び無表情な

   顔に戻った。

   「鹿島さん、おそろく、もう薄々、察しておいででしょうが、今日の財政委員会と本会議で

   我々は別荘等保有税条例案を強行採決する腹を固めました。あなたは、議長になって

   党籍を離脱する前は自改党に属していたし、おそろく近い将来、議長を誰かと交代した

   時には、我が党に復党するはずのお方です。議長としてのお立場はよく理解しておりますが、

   我々も後には引けない状態ですので、ここは一番、先々のこともお考えになり、

   ご采配のよろしきをもって、議事の円滑な進行をお願いいたします」

   デスクの前に立った三笠が、明らかに緊張した顔と少し上ずった声で

   「予想される混乱の中での議事の円滑な運営」を依頼し始めると、

   鹿島は眼鏡を外し、ハンカチでレンズを丁寧に拭きはじめた。

   「すると、あなたは、議長であるこの私に、混乱の中でも議事をストップさせずに採決終了まで

   とにかく進めろ、と、かようにおっしゃるわけですな? それは困りましたね、議長としては

   議場が大混乱に陥っている中で採決まで議事を進めたら、それこそ議事運営の

   責任を問われて、最悪の場合、クビも覚悟しなきゃいけませんからなぁ・・・」

   一昨年の代表選挙で高千穂に敗れ、一旦は議長に祭り上げられた鹿島は、

   三笠が困惑するのを十分承知の上で、視線すら合わせず「けんもほろろ」といった

   調子で、原則論を淡々と述べた。

   (・・・・・・くそ!!このタヌキ親父め!! 江戸の仇を長崎で討とうって寸法かい?!・・・・)

   三笠は内心、はらわたが煮えくり返っていたが、表向きは右眉をぴくりと僅かに

   動かしただけだった。

   「それはこちらもよく存じておりますよ。「最悪の場合」だけでなく、議長任期満了で

   党に戻られた際には、然るべきポストをご用意して、是非ともまた党のために

   活躍していただけるように手配したいと思ってますよ」

   鹿島の薄くなった頭髪を見つめながら、三笠は何の感情も交えない、冷たい声で

   答えた。

   (・・・・それがあんたの望みなんだろ、鹿島さん?・・・・・あんたはそういう人だよ。

   だからこそ人望が無くて、党代表になれなかったのさ・・・・今度もうまいこと

   キャスティングボードを握って、火事場泥棒みたいなことをして、一段と衆望を

   失うといいさ・・・・・)

   三笠が心の中で冷笑しているとも知らずに、鹿島は脂の浮いた顔をほころばせた。

   「然るべきポストねぇ・・・・最高顧問なんて「上がりポスト」は御免だよ!!」

   「執行部では、党副代表というポストの新設を検討しているところです」     

   「ふーん、そうかい・・・・・ところで、今度の選挙、多分、うちの党は環境、厳しいだろうねぇ?

   うちの選挙区、民協党の前議員が捲土重来を期して盛んに動いていてねぇ・・・・・だいぶ、私も

   苦戦を余儀なくされることだろうねぇ・・・・やれやれ年寄りには骨身に応えるわい・・・」

   「・・・・・・党では、物心両面で鹿島さんを全面的にバックアップしていく所存です・・・・」

   (ポストだけじゃなくて、自分の選挙の面倒も見ろ、ってのか!? こいつ、どこまで面の皮が

   厚いんだ?! 今まで収賄容疑で何度も名前が取り沙汰された理由がわかるような気がするよ・・・)       
   
   三笠はどなりつけたいのを抑えて、努めて淡々と回答した。

   「そういうことなら、話は早い!! 市政の健全な発展のため、存分にやりたまえ!!」

   鹿島は、三笠があきれるほど素早く椅子から立ちあがると、三笠を見つめてニヤッと笑った。

   「ただし、負傷者だけは出さんでくれよ! 懲罰委員会にかけられるのは御免だからね!!」



   一方、同じ頃、議会内の別室で、熊野は民協党の酒匂議員と密談していた。

   二人とも議会運営委員会(通称:議運)のメンバーで、党の議会対策委員長を

   務めている。隣同士の選挙区で、議員としては同期生で、信頼関係も厚い。

   「きょうのうちの動きを見て、だいたい察しているかもしれないけど、

   委員会と本会議でガチャンコ(強行採決)やるから、そのつもりで・・・」

   熊野は酒匂をみて、ニヤリと笑った。

   「そうか。やっぱりやるのか。ま、そっちも条例案は最重要案件なんだろうから

   立場上、そうせざるをえないと思ってたよ。ちなみにうちは、採決の前に磐手問題に関する

   集中審議を行うよう、議運で要求するつもりだけどね」

   とくに驚いた様子もなく、タバコに火を点けながら、淡々と応じる酒匂。 

   「でも、うちがガチャンコやったら、君のところは、それに反発して党内が一本化できるから

   悪い話ばかりでもないと思うな。選挙にもプラスだろうしね」

   熊野は酒匂に向かって片目をつむってみせた。

   「まあ、そういうこともあるわな。とにかく、うちがあっさり応じたら、

   支持者が黙ってないから、うちも立場上、派手に抵抗姿勢を示させてもらうよ」

   酒匂もニヤリと意味ありげに笑って応じる。

   「とりあえず委員長の川内君には午前11時に委員会を開会してもらおうと思ってるんだけど・・・」

   「11時ねぇ・・・・どうせ開会早々にやるんだろ、ガチャンコを? だったらさ、

   昼休みでケーブルテレビの視聴率が高くなる正午過ぎにやってくれないかなぁ」

   「11時までの間、どうするんだよ? 何もしないでいるわけにはいかないだろ? 

   それこそ「議員は何やってんだ」って、マスコミに叩かれるぞ」

   「じゃあさ、委員長職権で委員会を一旦、開会すればいいんじゃないの? 当然、うちは出席しないから

   開会と同時に委員長が暫時休憩を宣告して委員会は空転、ということでいいんじゃないかな」

   「うーん、そうするとうちの強硬姿勢が目立ちすぎるなぁ・・・・それじゃ、その代わりに

   本会議では騒いでもいいから、とにかく出席してくれないかな?」

   「一応、ホンゴク(自党)に持ち帰って検討してみるけど、多分、大丈夫だと思うよ。

  うちは審議拒否はなるべくやらないというのが党是だからね。それに「委員会では審議拒否

  しているうちに採決されてしまったという苦い経験があるから、本会議には出席して

  反対するようにした」っていう大義名分も立つしね」

  「それじゃあ、そういうことで頼むよ。お互い、ひとつ怪我人だけは出さないようにやろうや」

  熊野は、議会外ではよく一緒に飲み歩いている友人に向かって手を差し出した。

  「それはこっちも望むところだよ。そうそう、選挙前に、また鮎でも食いに行こうや。

  あ、でも、当分は磐手問題の後始末でそれどころじゃないかな?」

  酒匂は、太った愛想の良い飲み友達の手を握ると、にっこり笑って立ち上がった。



  
  午前11時、第1委員室では財政委員会が開催された

   「これより会議を開きます。民主協同党・有明ユウジ君の質問時間でありますが、

  同君が出席しておりませんので、今しばらくの同君の出席を待ちたいと思います」

  明るい陽射しの差し込む委員室は、半分近い席が空いている。

  委員長席のすぐ前の速記者席では、速記者が身動きもせずに待機している。
  
  自改党議員の私語で委員会室が低くざわめいている中、10分間が経過した。

  速記者席の机の上に置かれた時計が「チン」という音を立てると、

  速記者がおもむろに立ち上がり、別の者と交代した。

  立ち上がった速記者が持っている速記原本には、1本だけ斜線が引かれている。

  「暫時休憩といたします」

  川内委員長は速記者の交代を見て10分間が経過したことを確認すると、休憩を宣告した。

  高橋は委員長の発言が終わるやいなや立ち上がって、委員会室の外に出た。

  普段は閑散としているはずの委員会室の外の廊下は、今日は、記者やテレビカメラが充満している。

  (・・・・地方議会での質疑なんて、普段は見向きもされないのにな・・・・・

  こういうことでもないと、マスコミも取り上げないし、市民もあまり関心を持たないし、

  本当に困ったもんだよ・・・・・地方分権も進んだことだし、もう少し身近な地方自治に

  関心を持ってもらいたいもんだよな・・・・・これからは、時々、意図的に

  こんなふうに「見せ場」でも作ったほうがいいのかな・・・そうすればちっとは議会もマスコミも市民も

  盛り上がるかもしれないし・・・・・ま、冗談だけどね・・・・)

  高橋は時ならぬ混雑ぶりに強い違和感を覚えて、思わず苦笑してしまった。

  そんな高橋の姿を目ざとく見つけたテレビの記者が駆け寄ってきた。胸のプラスチックの
 
  ネームプレートには「天城」と書かれている。 

  「あ、高橋さんですよね? 磐手さんとは、別荘等保有税条例案の共同提出者であるわけですが、

  民協党が磐手さんの問題で態度を硬化させているようですけど、条例案成立の見通しは?」

  いきなり核心を突いてくる女性記者の質問に、ちょっと面食らいながらも高橋は

  淡々とマイクに向かった。

  「質疑はこれまでに十分に尽くされており、新税のメリットもデメリットも既に明らかになって

  おります。今回の事件で新税の仕組みが変わるわけでもないんですし、この期に及んで

  委員会を欠席する野党の姿勢は議会戦術的な側面が強く、愉快なものではありませんね」

  「野党は条例案の採決前に、磐手問題に関する集中審議を行うよう要求しているようですが・・・」

  「別に採決の前に、敢えて集中審議をする必要も無いでしょう。むしろ採決を終えて、

  時間的余裕がたっぷりある環境の方が集中審議には適しているんじゃないでしょうか?

  採決前に集中審議を要求するのは、新税に関する審議の引き延ばしとしか思えませんが・・・」

  「民協党は、会期末が迫っていることを理由に挙げているようですが・・・」

  「それなら継続審議にすればいいじゃないですか? 別に何らかの条例案が提出されている

  わけではないから、会期をまたがって審議しても会期不継続の原則に反するわけではないし、

  むしろ新税条例案の方が今会期中に議決できないと時間切れ廃案になってしまい、市民生活や

  市の財政運営に多大な悪影響が及びますが・・・・ちょっと先を急ぎますので、これで失礼」

  高橋はそれだけ言うと、会派別控室へと向かった。

  その後ろでは同僚議員たちが同じように質問攻めに遭っている。

  (・・・・・みんなに同じこと聞いてどうするのかねぇ? ほんとに無意味だよな・・・・・

  むしろ「別荘等保有税には反対」という党議拘束に造反する議員がいるかもしれない民協党の方を

  取材すれば良いのに・・・・)

  高橋は僅かに口元を歪めると、後ろも振りかえらずに廊下を進んでいった。

  廊下の角を曲がったところで、高橋は急ぎ足で小走りに歩いてくる三笠と出くわした。

  「今、委員会室前は「ぶら下がり」に来ている記者たちで一杯ですよ。幹事長なんか来たら、

  彼らは喜んで、それこそ砂糖に群がる蟻のように集まってきちゃいますよ」

  高橋は廊下の向こうを指差しながら、ニヤリと笑ってみせた。

  「ぶら下がり」とは、議員が歩いているところにたくさんの記者が集まってきて

  一緒に歩きながら取材するという取材方法のことである。

  「おっと、そうかい? じゃ、迂回するかな・・・」

  三笠は回れ右をすると、もと来た廊下を慌ただしく引き返していった。

  「さてと、俺も、控室で一休みするかな・・・・体力を温存しておかないとな・・・・」

  そう呟くと、高橋は延々と続く真っ直ぐな廊下をゆっくりと歩きはじめた。

  窓から差し込む強い陽射しの中、廊下は慌ただしく行き来する人たちで

  混雑している。書類を小脇に抱えて忙しそうに歩いている人々の表情は、

  いつもと違い、緊張感に満ちて生き生きとしている。

  そんな様子に、高橋は再び思わず苦笑すると控室の扉を開けた。   

    


  午後0時3分、新赤坂の千歳重工・第3新東京支社の近くの蕎麦屋では

  扶桑ルミと同僚の常盤マスミが席に着いたところだった。

  二人はテーブルの上の「お品書き」を手に取り、眺めはじめた。

  「ねえ、マスミ、何にする? 私は、天ざるにするけど・・・・」

  「うーん、そうねぇ、給料日前でちょっとピンチなのよね、私。今月、合コンに2回も行っちゃった

  から・・・・。じゃ、私は、玉子とじにするわ」

  マスミは、黒いゴム紐を取り出して、長い髪を頭の後ろで結んだ。

  「市議会の財政委員会は、本日、別荘等保有税条例案の質疑とそれに引続いて採決を行う予定

  でしたが、条例案提出者の磐手議員が第2新東京地検特捜部に逮捕されたことにより、

  野党・民主協同党が態度を硬化させ、議会運営委員会でこの問題に関する集中審議を要求し、

  審議を拒否しているため、現在、委員会での審議が空転しています」

  蕎麦屋の店内のテレビからは、地元のケーブルテレビ局のアナウンサーの声が流れ出している。

  「磐手問題って、結構、大騒ぎになってるみたいよね。テレビのニュース解説で「斡旋収賄での

  立件が認められると、もっとたくさんの国会議員や地方議員が逮捕されるかもしれない」って

  言ってたけど・・・・」

  ルミは、氷の浮かんだコップから冷水を一口飲むと、テレビの画面に視線を移した。

  「でもさ、なんで野党は審議拒否なんてするのかしら? 堂々と出席して、言いたいことを言えば

  いいんじゃないかしらね? なんかよくわかんないよね、政治やる人たちの理屈って・・・」

  マスミが右手の指のマニキュアを眺めながら、至極当たり前の感想を呟いたとき、

  テレビの画面が突然、切り替わった。

  「こちら、市議会の第一委員会室です。先ほどから、委員会室前の廊下に自改党議員が集まり

  はじめています。どうやら民協党抜きで採決を行おうとしている模様です。これを阻止しようと、

  民協党議員たちも続々と委員室前に集まってきています。あっ、たった今、本会議開会の予告電鈴が

  鳴りましたっ!!」

  アナウンサーの昂ぶった声が、満員の蕎麦屋の店内に響き、客たちは一斉に手を止めて

  テレビの画面を見つめた。
    


  
  高橋は、10分後の本会議開会を知らせる予告電鈴が、断続的に3回鳴るのと同時に、同僚議員たちと

  第一委員会室になだれ込んだ。

  入室を阻止しようとする民協党議員が体当たりをかましたり、背広に手を掛けて引き戻そうとして

  くるのをはね返しながらようやく委員会室に入ると、既に委員長席の周りには、

  体格の良い議員たちが人間バリケードのように立ちはだかっている。

  「採決なんて駄目だ!! 許さない!! 無効だ、無効っ!!」

  「委員長入れるな!! 採決させるなっ!!」

  「審議拒否する奴が悪い!! 少数党の独善を許すな!!」

  「委員長、採決しろっ!!」

  「川内、やれっ!!」

  採決を阻止しようとする民協党議員と、採決を強行しようとする自改党議員の怒声が響き渡る中、

  川内委員長が熊野に担ぎ上げられるような格好で入室し、委員長席についた。

  休憩が宣告されていたため、委員会室には、通常待機しているはずの速記者も入室していないし、

  民協党出身の副議長も席に着いていない。 

  委員長席の周りには、自改党議員が詰め掛け、人だかりができている。

  怒号と歓声で、人だかりの外の民協党議員は、委員長の発言はおろか、着席しているかどうかすら

  わからない。

  自改党議員の波をかき分けて速記者がようやく席についた途端、委員長が発言する。

  速記が始まり、速記録が残されていく。

  採決をさせまいと、委員長席に殺到する民協党議員。飛び交う怒号。

  愛宕委員が何かしゃべり、これに呼応して川内委員長が何かしゃべる。 

  委員長席の周りに集まっている自改党の委員が一斉に挙手する。

  再び委員長が発言し、委員の手が挙がり、委員会室には「万歳」の声と拍手が響き渡る。

  そのとき、ようやく、副議長の近江が委員会室に入ってきた。

  混乱の中、高橋は体当たりをかましてきた民協党議員に頭を殴られた。

  相手が誰だかわからないまま、高橋も相手の股間を蹴り上げる。

  委員会室は阿鼻叫喚の様相を呈しはじめていた。



  高橋はねじ切られてしまったネクタイを手に持って、控室のソファに足を広げてだらしなく

  座っていた。

  「ごくろうさん!! あー、ネクタイ、やられちゃったんだな、こっちは背広だよ!」

  そんな高橋に声をかけた松島は、背広の片袖が半分ちぎれかけている。

  「あーあ、松島さんも派手にやられましたねぇ、うはははは!!」

  高橋はコントの1場面のような松島の姿に思わず失笑した。

  「今、秘書が代わりの背広を家に取りに行ったよ。本会議までには間に合うだろうさ」

  松島は取れかけた袖をぶんぶんと振りまわして笑った。  

  「ああ、そうそう、今、事務局から速記録が配られたよ」

  高橋は松島から速記録を受け取ると、早速、読みはじめた。



  川内委員長「これより会議を開きます。民主協同党の・・・・・」(委員長、委員長と呼び、

  離席する者、発言する者多く、聴取不能)

  川内委員長「質疑打ち切り動議に賛成の諸君の起立を求めます」(拍手、発言する者あり)

  川内委員長「起立多数。よって可決すべきものと決しました。次に・・・」(拍手、発言する者多く、聴取不能)

  川内委員長「別荘等保有税を新設する条例案に賛成の諸君の起立を求めます」(拍手、発言する者あり)

  川内委員長「起立多数。よって可決すべきものと決しました。」(拍手、発言する者、離席する者多し)

  川内委員長「これにて散会いたします」



  「ああ、肝心なところは速記されてますね。これで一安心ですよ」

  ソファに座ったまま、速記録に目を通した高橋は安堵の声を洩らした。

  「これで委員会での採決は確定したよ。あとは、本会議を乗り切るだけだな。

  取り敢えず、山の7合目まで上ったようなもんだ。ま、政界は「一寸先は闇」だから

  まだまだひっくり返る可能性は残っているがね・・・・」

  松島は上機嫌で、足取りも軽く自席に向かって歩いていった。

  (・・・・・ようやく7合目まで来たか・・・・・長かったな・・・・・・・

  新税問題が片付いたら、NERV問題に関する集中審議と関係者の参考人招致を民協党に

  働きかけてみよう・・・・・いよいよNERVとの全面対決になるな・・・・・)    

  興奮冷めやらず、紅潮した顔で大声で話しつづける議員たちの中で、高橋は

  碇ゲンドウの不遜な顔を思い出していた。

  (・・・・・碇・・・・磐手問題みたいな脅しには、俺たちは屈しないぞ・・・・・・・

  今度ばかりは、お前の負けだ・・・・・・)

  高橋は目を閉じて腕組みをしながら、口元を僅かに緩めた。




  
   午後1時、本会議開会の電鈴が鳴った。

   本来の開会予定時刻は0時15分だったか、委員会採決が混乱したこともあって、

   直後に開かれた議運で、急遽、開会時刻が45分繰り下げられていた。

   今度は民協党議員も粛々と議場に入り、議長席から見て左側の方の議席に着席する。

   議運では、民協党が本会議開会に反対したが、議長職権で開会手続きがとられていた。

   「これより会議を開きます。本日、午後0時10分に財政委員会で可決された「別荘等保有税の

   新設に関する条例案」について討論を行う予定でしたが、先程、民主協同党より「財政委員長

   解任決議案」等5本の議案が提出されました。議会の役員たる財政委員長等の任免は先決議案

   なので、「別荘等保有税の新設に関する条例案」の審議の前に、まずそちらの方を審議いた

   します。それでは、最初に反対討論として、自由改進党の衣笠君から

   発言の申し出がありましたので、これを許可します。衣笠ユキオ君」

   鹿島はいつものように淡々とした口調で本会議の開会を宣告した。

   衣笠は採決を急ぐため、自分の持ち時間の討論を5分で切り上げ、次いで鹿島は賛成討論として

   民主協同党の出羽を指名した。

   議席から立ち上がり、ゆっくりとした歩調で演壇に向かっていた出羽は、

   議場の中央で突然立ち止まり、背広のポケットの中を何やら探りはじめた。

   「原稿でもなくしたか?! あんたなら、原稿なしでもできるだろ?!」

   自改党議員席からヤジが飛ばされる。
    
   出羽はその態勢のまま3分ほど背広を探っていたが、やがて、またゆっくりとした歩調で

   自席に戻り、原稿を足元の鞄から取り出すと、再びゆっくりと演壇に向かった。

   「えー、民主協同党の出羽でございます。私は川内・財政委員長の解任決議案に反対であります。

   あ、失礼いたしました。解任決議案には賛成の立場から討論を行います・・・・・」

   いつも与党の提出する議案に反対ばかりしているので、いつもの癖で「反対」と言ってしまい、

   出羽は慌てて発言を修正する。 

   しかし、その後は、極めてのんびりとした、緊張感を全く感じさせない声で、手元の原稿に時々、視線を

   落としながら、出羽は反対討論をすすめた。

   「・・・・・かかる議論は全くの暴論と言ってもよいものであり、私ども民協党の試算では

   予算の各項目の圧縮に数年をかけ、徐々にこれを行えば市財政の再建は十分に可能と考える

   次第であります。数年といいましても、幅がありますが、例えば、文教関係予算については1年、

   社会保障費は2年・・・・」

   すかさずヤジが飛ぶ。

   「落選は3回!!」

   セカンドインパクト前の旧東京都議会議員選挙を含め、4回目の挑戦でようやく議員に当選できた

   出羽は、思わず苦笑して原稿から視線を上げたが、すぐに演説を再開した。

   (・・・・・・おかしい・・・・・・演説が長すぎる・・・・・)

   出羽の反対討論が20分を超えたところで、高橋は初めて不審感を抱きはじめた。

   周囲の自改党議員たちも、互いに顔を見合わせて低い声で私語を囁きはじめている。

   (・・・・・・これは・・・・・・もしかして、議事妨害の長演説なのか?・・・・・)

   高橋の胸を一抹の不安がよぎる。

   (さては、あちらさんも、第2新東京市の党本部から「出席して徹底抗戦」って指示を

   受けたんだな・・・・これは採決まで予想以上に時間がかかるかも知れんな・・・・・)

   高橋は表情を引き締めると、背広のポケットからメモ用紙を取り出して、

   「民協党、議事妨害の可能性あり。採決開始までに、トイレに行っておく方が無難か」と

   したためると、少し離れた席で腕組みをして演壇を睨んでいる熊野のところまで歩いていった。

   1時間後、出羽の声がかすれてきたが、一向に演説が終わる気配はない。

   そのうち、出羽は突然、演壇で討論を中断し、時計の時間を見たり、水を飲んだりして沈黙

   してしまった。

   自改党からのヤジは一段と激しくなる一方、民協党席からは「いいぞ、がんばれ!!」という歓声が

   湧き上がる。

   結局、出羽の演説はトータルで1時間15分にもわたった。

   鹿島が投票の開始と議場の閉鎖を宣告し、「堂々巡り」と称される投票が始まり、

   通称「呼び出し参事」と言われている、議会事務局の職員が議員の氏名を読み上げ、

   各議員が木札でできた名刺と賛成の白票、反対の青票を持って、演壇上の投票箱に向かう。   

   採決の時間を短縮するために、自改党の議員たちは走って投票に出むいたが、

   民協党の議員たちは、自分の名前が読み上げられても席を立とうとしない。

   「しまったっ!! 牛歩するつもりだぞ!!」

   高橋は咄嗟に議席で立ち上がって叫んだ。

   その声を聞いて、周りの同僚議員たちも一斉に立ち上がる。   

   自改党の最後の議員が投票を終えた30分後、ようやく民協党最初の霞議員が

   演壇に続く階段の1段目に足をかけていた。

   「速やかに投票せられんことを願います」

   鹿島の声に、霞はニヤリと笑っただけで、一歩も足を前に進めない。

   やがて痺れを切らした鹿島は「投票時間をあと10分に制限する」ことを宣告。

   それでも霞は足を一歩進めただけであった。

   10分が経過し、鹿島はやむを得ず「投票時間を5分間延長する」ことを宣告。

   5分後、ようやく霞が投票を済ませたとき、ついに業を煮やした鹿島は

   「投票箱閉鎖」、「議場閉鎖解除」を宣告した。

   これを聞いて、投票に向かっていた民協党議員は一斉に議長席に殺到して抗議を始め、

   議場は怒号と歓声で騒然となった。

   「投票させろ!! これは議員の投票権の侵害だぞ!!」

   「議長、横暴だ!! 投票箱の閉鎖を解け!!」

   そのうち、集まってきた民協党議員が投票箱付近を占拠して動かなくなった。

   鹿島は、投票を求める民協党議員に向かって「駄目だ、駄目だ!」と私語している。

   自改党議員も演壇前に押し寄せて「議長、いいぞ!!」「時代遅れの牛歩なんて許すな!!」

   などと大声を上げて、議長に声援を送る。

   演壇上の民協党議員がこれに怒鳴り返すと、さらに負けじとヤジが飛ばされる。

   もはや速記者にも何も聞こえない状態で、速記録にも「発言、離席する者多く、議場騒然。

   聴取不能」と書き込まれている。

   そんな混乱と騒擾の中で、民協党の筑摩議員が興奮して、議長席の机の上の号鈴に手を伸ばした。

   「駄目だっ!! それに触っちゃいかん!! 筑摩、やめろやめろっ!! 駄目だーっ!!」

   不知火は、顔を紅潮させ、議席の椅子の上に立ちあがり声を振り絞って、必死に筑摩を止めようとするが、

   騒音に打ち消されて声が届かない。

   「カラン」と号鈴が振られたような音が微かに議席まで聞こえてきた。

   今度は、今まで議席に座っていた残りの自改党議員までが激高して立ち上がり、演壇目掛けて走り寄ってくる。

   高橋も議会先例集を手に持って演壇前に駆けつける。

   「今、号鈴が鳴った!! あれを鳴らした奴は辞職するのが慣行だ!!」

   「民協党の議員が振鈴したぞ!! クビにしろ!! 懲罰委員会にかけろ!!」

   過去に号鈴を鳴らした議長が、議場の混乱が一段と激化した責任をとって議長を辞職しており、

   それ以来、「振鈴した者はクビになる」とタブー視されていた。

   そうした先例を1年生議員の筑摩は知らなかった。

   議場は収拾不能なほどの大混乱に陥り、今や殆どの議員が演壇や議長席に押し寄せていた。

   中には、速記者の肩や背中に足をかけて、演壇に這い登ろうとする者まで現れている。
   
   大混乱の中で、鹿島はやむを得ず、「投票箱閉鎖の宣告を取り消し、投票の続行を命じます」と

   宣告したが、直ちに議会事務局から「既に一旦、議場閉鎖が解かれているので、この投票は無効

   である」との指摘を受け、苦渋に満ちた表情で、投票やり直しを宣告した。

   この間に、議場内で議運メンバーが急遽集まり、投票のスピードアップと

   筑摩の懲罰見送りで合意が成立し、ようやく議場の混乱が収拾され、議員たちは議席に引き上げた。

   記名投票と民協党の牛歩が再開され、ようやく3時間後に「財政委員長解任決議案」の

   否決が確定した。しかし、民協党はさらに「建設委員長解任決議案」、

   「議長不信任決議案」など4本の決議案を提出しているので、単純に計算しても、

   「別荘等保有税条例案」の採決終了までには、あと12時間を要することになる。

   ため息があちこちで洩れる中、議長が休憩を宣告した。

   控室に戻った高橋は、ソファにごろりと横になると、うつろな目で天井を見つめた。

   (・・・・・あともう少しだ・・・・もう少しの辛抱だ・・・・・

   ・・・・・・これで磐手さんにも安心してもらえる・・・・・・しかし・・・・・

   ・・・・・・期待していた民協党の造反が出ないのはなぜなんだ?・・・・・・・

   ・・・・・・まさか・・・・・NERVが手を回したのか?!・・・・・ 

   ・・・・・・奴等ならやりかねんな・・・・くそっ、汚い手を使って議員を黙らせようと

   しやがって・・・・・今に見ていろ、一泡も二泡も吹かせてやるからな!!・・・・・)

   疲労して高ぶった意識の中で、高橋はむっくりと起き上がり、傍に置いてあったダンボールの

   箱から栄養ドリンクの瓶を取り出すと、キャップを開けて一気飲みした。

   思い思いの場所で、議員たちが疲れを癒しているとき、時計の針は午後4時を指していた。

   翌日午前4時、ようやく別荘等保有税条例案が可決・成立した。

   疲れきった表情の議員たちが拍手する中、高橋は議席で立ち上がり、周りに向かって頻りと頭を下げた。

   (・・・・・・しかし、ほんとに疲れたな・・・・・こんなに疲れた議会は初めてだ・・・・・

   さてと・・・・・首を洗って待ってろよ、碇!!・・・・お前たちの企んでいることを

   いつか白日の下に曝してやるからな!!・・・・それが磐手さんの敵討ちになるんだから・・・・)

   家に向かうタクシーの中で、高橋は車窓に映る兵装ビルの赤い信号灯を見つめながら、

   静かに瞳を閉じた。

  
 
    つづく
   
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