或いはひとつの可能性



第29話・彼らの分水嶺





   高橋は、リエが部屋に閉じこもってから、しばらくの間、リビングルームで

   ぼんやりとテレビを眺めていた。

   「・・・不知火か・・・・二枚腰で今一つ信用できないけど、この際、仕方ないな・・・・

   まあ、奴も混乱期の組合運動を率いてきた実績もあるし、ここはひとつ

   奴の手腕に賭けてみるか・・・・・それに・・・うちの提出した別荘等保有税への

   対応を巡って党内が割れてるから、むしろNERV問題の表面化で

   取り敢えず党内がひとつにまとまることができる・・・・決して損な話ではないはずだ・・・・」

   高橋は、色黒でいかつい容貌の民主協同党代表の顔を思い浮かべた。

   テレビは11時のニュースを放映し始めた。

   「さて、そろそろ寝るとするか・・・明日は、財政委員会や本会議もあるし、正念場だ・・・・・」

   高橋はリモコンを取り上げてテレビのスイッチを消すと、ソファから立ち上がり、

   リビングルームの電灯を消して、真っ暗な廊下へと足を踏み入れた。

   廊下の窓からは月の光がさし込んでおり、音を立てないように歩く高橋の足元には

   自分の影がうっすらと映った。

   リエの部屋の扉の隙間からは、電灯の光が洩れている。

   高橋はドアにそっと右耳を近づけた。

   部屋の中では何の物音もしなかった。

   (・・・・・泣き疲れて、寝ちゃったか・・・・・)

   高橋はしばらく部屋の中の気配を探っていたが、やがて自分の書斎へ向かって歩き出した。

   庭ではコオロギが盛んに鳴いている。

   遠くの方から「ガシャガシャ」というせわしない鳴き声も響いている。

   (・・・・・クツワムシか・・・・ガキの頃に夜店でオヤジに買ってもらったっけ・・・・

   ・・・・・・買ったのはいいけど、あんまり鳴き声が大きくてたまらないんで、あいつが鳴き出すと

   慌てて押し入れの中に虫篭を押し込めたりしたもんだなぁ・・・・・)

   高橋は廊下の途中で足を止め、軽く目を瞑って虫の鳴き声に耳を傾けた。

   脳裏には、すっかり頭の禿げ上がった父親が、浴衣を着てお膳の前に

   どっかりとあぐらをかいて、ナイターをみながらビールを飲んでいる姿がよみがえってきた。

   (・・・・・オヤジ・・・・あの世でもビール飲んで騒いでんのかな・・・・・

   もうオフクロも「血圧が高いのに!」とか怒んないから、思う存分、やってるだろうな・・・・)

   そこまで思ったとき、胸が強く締め付けられ、またたくまに鼻の奥が詰まった。

   (・・・・・若い頃は迷惑ばっかりかけて・・・・・親孝行の真似事すらできなかった・・・・・)

   唇を噛み締めながら、高橋は書斎の扉を開け、目の前の椅子に腰を下ろした。

   鼻をすすりながら、パソコンの電源を入れ、インターネットに接続すると、

   「メール着信サイン」が画面に浮かび上がってきた。

   もの憂げな表情のまま、高橋はマウスをクリックしたが、すぐにかっと目を見開いた。

   「主の目には曇りなし。審判の日は迫る」

   見知らぬ差出人からのメールにはそれだけが書かれていた。

   メールアドレスは市議会のホームページと同じになっている。 

   「なんだよ、こんなときにイタズラメールかよ・・・ほんとに頭に来るな・・・・暇人め!」

   高橋は眉間に深く皺を刻むと、メールを削除し、パソコンを消して、ベッドに横たわった。

  

   
   何度か寝返りを打って、ようやくまどろみ始めたとき、机の上のコードレス電話が

   突然、鳴り出した。

   「・・・・・ったく、なんなんだよ! 今、何時だと思ってんだ!!」 

   布団をはねのけ、ベッドから飛び降りた高橋は、暗闇の中で椅子の足に膝をぶつけながら

   ようやく受話器を握り締め、不機嫌な声を投げかけた。

   「・・・はい・・・・高橋ですけど・・・・どちらさまぁ?・・・・・」

   「高橋君か?! 私だ、三笠だ!! えらいことになった!!」

   受話器の向こうからは、三笠幹事長の興奮した声が飛び出した。

   高橋は瞬時に眠気が吹き飛び、慌てて部屋の隅に走っていき、照明を点けた。

   時計の針は11時37分をさしている。

   「どうしたんですか、幹事長? なんかあったんですか?」   

   「なんかも糞もないよ!! 磐手君が建設疑獄に関与して、明日、地検に逮捕されるみたいなんだ!!」

   「なんですって?! 磐手さんに限って、そんなことは! なんかの間違いじゃ・・・」

   高橋は受話器に向かって大声を出した。

   「とにかく詳しいことは皆目、分からん!! 私のところに、今、

   第壱新報の記者が取材に来て、初めて私も知らされたんだ! びっくりして、すぐに磐手君に

   連絡を取ろうとしたんだが、電話に誰も出ないんだ!!」

   高橋に負けず、三笠も大声を出している。

   玄関のチャイムが鳴り、数人の話し声がすぐ近くで聞こえ始めた。

   「あ、誰か来たみたいです。ちょっと待ってて下さい」

   「出ちゃ駄目だ、高橋君!! 多分、記者だ、それは。君が磐手君と親しいのを嗅ぎ付けて

   コメントを取りに来たんだろう。関わり合いになると厄介だぞ、居留守を使え!!」

   その間にもチャイムは二度三度と鳴らされ、やがて乱打され始めた。

   「今、チャイムを目茶苦茶に鳴らしてますよ、奴ら。磐手さんの容疑は

   やっぱり収賄ですか?」

   高橋は鳴り続けるチャイムを気にして、視線を玄関に向けながら話しつづけた。

   「ああ、記者の話だと収賄らしい・・・・」

   「収賄って、我々には職務権限はないでしょう? 市の公共事業の業者を決定する権限すら

   実質的には持ってないんだから・・・」

   「それがね、高橋君、記者の話だと、斡旋収賄らしいんだよ。建設会社の談合を

   独占禁止法違反で摘発しようとした取引監視委員会に圧力をかけたっていうんだよ。

   だから、直接の職務権限はなくても立件可能らしいんだ」

   「そんな馬鹿な!! 市議が取監に圧力をかけられるわけないじゃないですか!?」

   高橋は唾を飛ばしながら受話器に怒鳴った。

   「そんなでかい声を出すな!! 耳が潰れちまうじゃないか! 磐手君は地方自治省の

   補佐だったろ? 今の取監委員長は磐手君の同期だった人だろうが!!」

   「で、でも・・・・一体、誰から工作を頼まれたってんですか?」

   「新品川の鎮遠建設ってとこらしい。彼の地元だそうだよ」

   「やられた!!」

   高橋は床にへたり込むと、低い声でうめいた

   「どうしたんだ、高橋君? 」

   「・・・・・やられました、幹事長・・・・NERVです・・・・・」

   「えっ、どういうことだっ?」

   「鎮遠は兵装ビルの設計図を我々に提供してくれたところだって、お忘れでしたか?!」

   高橋は下唇を強く噛み締めてうなだれた。

   脳裏には、先日、市議会の傍聴席にふらりと現れたゲンドウの不可解な微笑みが浮かんでいる。

   「これはNERVの報復ですよ、きっと・・・・奴ら、保安諜報部って組織を持っている

   らしいんですよ。きっと、そこが証拠をでっち上げて、地検にタレ込んだに違いない!!」

   「なに、保安諜報部? そんな組織があったのか? どうやって調べ出したんだ、君は?」

   「今日、NERVの退職者から話を・・・・あっ、しまった!! 」

   高橋は目を大きく見開くと、絶句した。

   「どうした? なんかあったのか?」

   「すみません!! ちょっと連絡を確かめたいところがあるんで、一旦、電話切ります!!」

   「いや、もう今晩はいいよ。どうせ身動きがとれないんだから・・・・

   取り敢えず、明日の朝9時に三島のニューオークラホテルの115号室に来てくれ。

   うちの幹部が集まるから。第2新東京市の党本部からも吾妻さんが来ることになってる」

   「わかりました、行きます! じゃ、切りますよ!!」

   高橋は慌てて叫ぶと、回線の接続を一旦解除し、すぐに電話をかけなおした。

   相手先の電話はなかなかつながらなかった。

   15回ほどコールすると、ようやく電話がつながった。

   「・・・・もしもし・・・・・」

   相手は明らかに怯えた声だった。

   「あっ、利根さんですか? 高橋です!! つかぬことを窺いますが、そちら、とくに

   変わったことなかったですか?」

   利根は暫く黙っていたが、やがて絞り出すような声を上げた。

   「やられました・・・・厚木駅からの帰り道の暗がりで、数人から殴る蹴るの暴行をうけました・・・

   今度、高橋さんに協力したら、うちのオヤジを同じ目に遭わせるって言われました・・・・」

   「・・・・NERVですね?・・・・」

   「・・・・ええ・・・・・間違いありません・・・・報復です・・・・電話、盗聴されてる

   かもしれないんで、暫く連絡とるのをやめましょう・・・・じゃ、切ります・・・・」

   利根はそう言うと、すぐに電話を切った。

   利根の痛々しい声を耳にした高橋は、今更ながら深い悔恨にさいなまれた。

   (・・・・やっぱり迷惑をかけてしまった・・・・静かに暮らしていた人にまで・・・・・)

   高橋は俯いて自分の手のひらを見つめていたが、ふと背後に人の気配を感じて

   振り返った。

   「・・・・玄関の外で誰か騒いでる・・・こわいよ・・・お父さん・・・」

   リエはパジャマ姿のまま震えながら、書斎の入り口で立ちすくんでいた。

   (・・・・真っ赤な目だ・・・・だいぶ泣いたな・・・・)

   高橋は玄関の方を一瞥すると、心なしか小さく感じられる娘に視線を移した。

   「大丈夫だよ。あれは新聞記者だ。ほっとけば、そのうちあきらめて帰るさ。

   そろそろ寝ないと明日起きられ・・・って、明日は日曜日だったな。ははは、

   じゃ、少しだけ夜更かししてもいいぞ。」

   明らかに疲れた顔で、でも無理して微笑みかけてくれる父親を、リエは心配そうに見つめた。

   「・・・・お父さん、何か悪いこと・・・・してないよね・・・・」

   高橋は一瞬、目を大きく見開いたが、たちまち愉快そうに笑い出した。

   「おいおい、悪いことしてたら、今ごろ、記者じゃなくて警察か地検が来てるよ!!

   あ、でも、ひとつだけ、悪いことしてたな・・・・実は・・・・」

   高橋は表情を曇らせて俯いて見せると、笑いをかみ殺しながら、神妙そうな顔で

   リエをみた。

   「今日、リエが出かけている間に、リエのおやつのポテトチップ、全部食べてしまった・・・・」

   頭を掻きながら、おどけてみせる高橋の姿に、リエも少しだけ表情を和らげた。

   「もう、ポテチ、明日食べようと思ってたのにぃ・・・・ふふ・・・・」

   「ああ、すまんことをしたね。じゃ、お詫びに紅茶でも入れてあげようか?

   今日は秘蔵のブランデーを少しだけ入れてあげるよ。よく眠れるぞ」

   高橋は椅子から立ち上がると、隅に立て掛けてあった折畳式のテーブルをベッドの近くまで

   持って来て、脚を伸ばしてテーブルを広げた。

   そして、机の上に置いてあった電気ポットをテーブルの上に移動させ、静かにスイッチを入れた。

   「・・・・・ブランデーなんて初めて・・・・・酔っ払わないかな・・・・」

   リエは書斎の壁に背中をもたれさせながら、高橋がプランデーの瓶とティーカップを

   書架の脇の小さな戸棚から大切そうに取り出すのをぼんやりと眺めていた。

   「これはな、ナポレオンっていうやつでね、なかなか香りがいいんだ・・・・

   ・・・・・・未成年はほんとはいけないんだけどな・・・・・ま、体調も良くないみたいだから、

   これは気付け薬ってことで・・・・・・・」

   高橋はブランデーの瓶の蓋を取り外すと、瓶の口に顔を近づけて香りを楽しんでいた。

   「あ、そんなとこに突っ立ってないで、こっちに来て座んなよ・・・」

   「・・・でも・・・お父さん、いつも「書斎には絶対入るな」って言ってるじゃないの・・・・・」

   淡いピンクのパジャマの上着の裾を指で触りながら、リエは上目遣いに父親を見つめた。

   「今日は例外的に良いことにするよ。たまには、こんな晩があってもいいだろうからな・・・・」

   やがて電気ポットの蓋の蒸気口から白い湯気が吹き出し、沸騰を示すピーという電子音が

   静かな書斎に響いた。

   高橋は、フォションの小さな缶の蓋を開け、ほんのりとかぐわしい香りを放つ紅茶の葉を

   小さなティーポットに入れ、電気ポットの湯を注いだ。

   (・・・・お父さんの誕生日にプレゼントしたティーセット・・・・使ってくれてたんだ・・・・)

   ベッドの上に座っていたリエは、果物のデザインが絵付けされた陶器をじっと見つめた。   

   (・・・・リチャード・ジノリの「イタリアンフルーツ」・・・・お父さんには

   似合わないかもしれないって思ったけど・・・・買って良かったな・・・・高かったけど・・・・)

   高橋はティーカップに紅茶を注ぐと、ブランデーを数滴垂らし、カップをリエの方に押しやった。

   「俺が入れたから旨くないかもしれんがね・・・・・ま、良かったら、飲んでくれ」

   リエはベッドから降りてテーブルの上のティーカップを持つと、再びベッドの上に戻り、

   両手でカップを持ち上げると、紅茶を一口啜った。

   「・・・・うん、甘くていい香り・・・・・お父さんにしては、お洒落なもの飲んでるんだね・・・」

   ちょっとだけ元気を取り戻して、悪戯っぽく微笑む娘を見ているうち、

   高橋は、さっきまで激しくざわめいていた心が、今は波一つ立てずに静まり返っているのに

   気づいた。

   (・・・・・これが親子の想いってもんか・・・・・・・)

   「・・・・お父さんにしては、は、余計だな・・・・・昔はこれでもワインとかに凝ってたんだぜ。

   ユミと一緒にフランス料理を食べに行ったりしてたからな・・・・・・」

   高橋は一瞬、ひどく懐かしそうな目をしたあと、虚ろな眼差しをティーカップの中に落とした。

   1分ほどの沈黙が流れた。

   二人にとっては、たった1分間が、永遠に続く沈黙のように思えた。

   「・・・・お母さんのこと、思い出してたんでしょ?・・・・」

   リエは写真でしか会ったことのない母親の面影を脳裏に描いていた。

   「・・・・ああ・・・・」

   高橋は、ほんの僅かの間しか一緒に歩けなかった女性の、睫毛の長い目許を

   鮮明に、そして喪った時の痛みとともに思い出していた。

   沈黙は、夜の川面のように、静かにさらさらと微かな音を立てて流れていく。

   高橋とリエは黙って紅茶を飲み終えた。

   「・・・・・あのね・・・・・なんかうまく言えないんだけど・・・・私、大丈夫だから・・・・」

   リエは、書斎の扉を閉めようとした手を止め、高橋に向かって優しく呟いた。

   「・・・・だからね・・・・・お父さんも、元気出してね・・・・・仕事、一段落したら

   去年みたいに温泉、行こうね・・・・・・じゃ、おやすみなさい・・・・・」 

   高橋は苦笑しながら、最近少しだけ背が伸びた、最愛の人の忘れ形見を見つめた。

   (・・・・・やれやれ、逆に俺が慰められちまったよ・・・・負うた子に教えられ、とは

   こういうことを言うのかねぇ・・・・それにしても・・・・あいつ、だんだんユミに似てきたな・・・・)

   リエが出ていった扉を、暫くの間、じっと凝視していた高橋は、やがて照明を落とすと

   ベッドに横になった。

   (・・・・NERVの反撃か・・・・だが、俺は負けん・・・・最後まで闘ってみせる・・・・

   リエたち、次の世代の子供たちに明るい未来を引き渡せるようにするのが、俺たち、生き残った

   奴らの義務だからな・・・・・それがセカンド・インパクト直後の動乱で逝った人たちへの

   供養にもなるんだ・・・・・みんな、いずれ良い世の中が来ると信じて死んでいったんだから・・・・)  

   高橋は天井の木目を見つめると、ゆっくりと静かに目を閉じた。



   翌朝9時、高橋は三島のホテルの一室にいた。

   7時過ぎに新駒沢の自宅を出るとき、記者が張っているのではないかと思い、

   かなり心配したが、記者たちは磐手の自宅や鎮遠建設の方に集まっているらしく
 
   高橋の自宅の前には人影はなかった。

   会議室の中央のテーブルには、第3新東京・自由改進党代表の高千穂、幹事長の三笠、

   幹事長代理の松島、最高顧問の八雲、そして高橋のほか、秋津、新高、熊野、加賀、愛宕、衣笠、

   春日、若宮、川内、鈴谷といった、磐手以外の全所属議員が顔を揃えていた。

   みな一様に、深刻な顔をして黙り込んでいる。

   高千穂、三笠は寝不足特有の青黒く脂ぎった顔を歪めて腕組みをしている。

   先ほどから、新聞各紙の記事を読んでいた松島は、5紙めの第壱新報の社会面を

   乱暴に閉じると、隣に座っている三笠に向かって、黙って首を振ってみせた。

   沈黙の中で、テレビの社会部のアナウンサーの声だけが部屋の中に響いている。

   「こちら、第3新東京市の建設業協会本部前です! セカンド・インパクトの復興事業に関わる

   汚職事件は、ここ、第3新東京市に飛び火しました! 第2新東京地検特捜部は、先日の建設

   各社への家宅捜索の際に押収された資料をもとに内偵捜査を進めていましたが、斡旋贈収賄の
 
   容疑で、本日早朝、第3新東京市議会の磐手議員と鎮遠建設の鎮遠社長に任意同行を求め、

   事情聴取を始めた模様です。特捜部では、容疑が固まり次第、磐手議員と鎮遠社長を逮捕するものと

   思われます。建設業協会本部には、日曜日にも関わらず、早朝から各社の幹部が集まり、対応を

   協議している模様で、先ほどから一段と人の出入りが増えてきました! それでは、一旦、スタジオに

   お返しします」

   三笠は、渋い顔でテレビのリモコンを取り上げると、テレビの音声をかなり小さくした。

   全議員が揃ったのを確認すると、高千穂が厳しい表情で話し出した。

   「今日は朝早くからお集まり頂いて恐縮です。既にご存知の通り、

   第3新東京・自由改進党にとって結党以来の問題が起こりました。我々の同僚の磐手君が

   斡旋収賄の容疑で地検から事情聴取を受けています。現在、我々が掴んでいる情報によると、

   地検はかなり確実な証拠を入手しているようで、磐手君の逮捕は時間の問題ということです。

   選挙が近いこの時期に、こうした事件が起こり、我々、執行部としても対応に苦慮している

   ところです。また、足元の動きについても、我が党が提出した別荘等保有税条例の審議が

   ヤマ場にさしかかっているところでもあり、民主協同党が本件を絡めて攻勢を強めてくるのは

   確実です。磐手君への議員辞職勧告の是非を含めて、皆さんの忌憚ないご意見を伺いたいと

   思います」

   三笠は、しゃべり過ぎのために、すっかり潰れてしまった声を絞り出した。

   高橋は、すぐに手を挙げ、椅子から立ちあがった。

   大きく息を吸い込み、全員の顔を見渡す。

   「皆さんには唐突に聞こえるかもしれませんが、本件はNERVによる捏造の可能性が

   極めて高いものと思います。第一、一市議がいくら元同僚だからと言って取監委員長に圧力を

   かけることなんて非現実的です! おそらく、地検が入手した資料とやらは、NERVの

   保安諜報部が捏造したものに違いありません!! 私は」

   1年生議員の愛宕が立ち上がり、高橋の発言をさえぎった。

   「NERVが関与しているという証拠でもあるんですか? それになんでNERVが

   磐手さんだけを血祭りに上げる必要があるんですか?! 私にはまったく理解できません!

   高橋さんの発言は荒唐無稽にすら聞こえます!」

   高橋は珍しく頬を紅潮させて、すさまじい目つきで愛宕を睨み据えた。

   「愛宕君、今は私の発言中だ、不規則発言は自粛してもらいたい!! NERVが磐手君を

   狙ったのは、彼が建設業界と親しく、汚職というシナリオを描きやすかったからです。

   彼らが本当に狙っているのは、言葉は悪いが、一罰百戒の効果です。つまり、磐手君を血祭りに

   上げることによって、我々のNERV問題追及の動きを牽制しようとしたものと思われます。

   そうすれば、選挙の近い我々が、これ以上のNERVの報復を恐れて、おとなしく黙ると

   見透かしているんです!! こんな不当な圧力に負けてはなりません!!」

   高橋は一気にまくしたてると、再び全員の顔を見渡してから、静かに椅子に腰を下ろした。

   高橋の気迫に押されて、ほんの僅かの間、静寂が部屋の中を支配した。

   が、それに負けじと、1年生議員の若宮が立ち上がった。

   「高橋さんのおっしゃることも、ごもっともと思います。が、しかし、なにぶんにも証拠が

   ないじゃないですか!!それでは、私も支持者になんと説明して良いか、はたと困るわけですよ!!」

   若宮はテーブルに両手をつきながら、向かい側に座っている高橋を睨み付けた。

   若宮の発言をきっかけに若手議員が次々と発言を始めた。

   「磐手さんは、確かに無実かも知れませんが、身の潔白が証明されるまで、党から身を引いて

   頂くべきじゃないでしょうか?」

   「只今の川内君の意見、私も賛成です。磐手さんには取り敢えず離党して頂くのが筋だと

   思います。そうしない限り、本会議に議員辞職勧告決議案が上程されたときは、私、鈴谷は

   賛成の白票を投じます!!」

   高橋も立ち上がり、負けずに大声を張り上げる。

   「君ら、自分が何言ってるのか、わかってるのか?! そりゃ、君ら1年生議員は、地盤が弱くて

   ただでさえ次の選挙では苦戦することになるのは、こっちもよく分かってるよ!! だから

   優先的に議会での質問に立たせて盛り立ててやってきたんじゃないか!! 君ら、磐手君にも

   世話になってるだろ!? 自分が助かりたいために、窮地に陥れられた先輩を切り捨てる気か?!」

   高橋の怒号に、愛宕がこれまた大声で立ち向かう。

   「だいたい高橋さんがNERV問題なんか取り上げようとしたこと自体がいけなかったんですよ!!  

   NERVは国連の下部組織、国連は第2新東京市の通商外務省の担当じゃないですか?! 

   我々の扱う問題じゃないっ!! やるんなら、後でここに来ることになってる吾妻さんを

   通じて、国会で取り上げてもらうべきです!! そうでなければ、高橋さん、あなたが

   次の国政選挙に打って出て、あなたが国会で糾明すればいいんだ!!」

   椅子を跳ね倒して立ち上がろうとする高橋を、八雲の皺の多い手が押しとどめる。

   「高橋君、この問題では、君の分が悪い。ここは一気に白黒をつけようとするんじゃなくて、

   もっと冷静に現実的に考えるべきだよ。それから、血気盛んな若い衆! 君たちも言い過ぎだ!

   こういう時こそ、党が一致団結して進まなければ、君たちは次の選挙で、それこそ枕を並べて

   討ち死にだぞ!! 我々は今や一連托生なんだからな!」

   長老議員の冷静な一声は、今にも掴み合いが始まりそうな雰囲気を沈静化させるのに

   大いに役立ったようだった。

   議論の行く末を黙って眺めていた松島は、ここを潮時と見たのか、すっくと立ち上がった。

   「八雲さんの言う通りだ。まず喫緊の課題は、磐手君への離党勧告だ。これはおそらく

   やむをえないことで、磐手君の潔白が明らかになるまで、という時限措置にすべきだな。

   これは、明日の財政委員会が始まるまでにやらなきゃいけない。できれば、磐手君が

   逮捕される前に、彼と接触して離党してもらえればベストだ。次に、明日の財政委員会だ。

   諸君ご存知の通り、明日は別荘等保有税条例の採決が行われる。これまでの議運(議会運営委員会)

   での民協党との協議で、むこうは出席の上、反対の青票を投じることになっていたが、

   こうなってくると、本件での集中審議を要求して、委員会への欠席戦術を採ってくることも

   予想される。磐手君が本条例の提出者だったことも大きなマイナスだ。どう対処すべきか、

   ご議論いただきたい」

   2年生議員の熊野が太った体をゆすって立ち上がった。

    「財政委員会および本会議とも、我々が多数を占めているんだから、ここはガチャンコで

   いくべきです!!」

   その声が終わらないうちに、同じ2年生議員の加賀が厳しい顔で立ち上がった。

   「強行採決はまずい!! ただでさえ、イメージが悪いのに、これでは泥の上塗りになる。

   あの条例は党内でも意見が割れてた経緯もあるし、ここは一旦、廃案にして、選挙後の議会で

   再び取り上げてはどうでしょうか?」

   高橋は椅子に座ったまま、腕組をして加賀を見上げた。

   「一旦提出した条例案を廃案なんかしたら、それこそ混乱の責任を盾にとって、民協党は

   うちの幹部のクビを要求してくるぞ!! それに、選挙後の議会で持ち出してみろ、すぐに

   世論から「自改党は選挙期間中は増税をしないと言ってたのに、だまし討ちだ」って

   叩かれるぞ!! どんな税金でも、世論はいつも「新税は悪だ!」って思い込んでるんだからな・・・」

   高橋のドスの利いた殺し文句を受けて、加賀は唇を噛み締めて黙ってしまった。

   その時、ドアがノックされ、入ってきた松島の秘書が、松島を外に連れ出した。

   「私は、強行採決しかないと思うよ。民協党も一枚岩じゃないんだし、うまく造反者が出れば

   かえって我々には有利だ。それに、そもそも新税は市の財政需要を賄う上で不可欠なんだ。

   今、これをやらなければ、増大する公共事業費のもと、財政は必ず破綻するだろう。ここで

   尻尾を巻いて引き下がるのは、いたずらに市民の顔色を窺うポピュリズムにほかならない。

   我々としては、必要なものは必要だ、と正々堂々と有権者に訴えて、選挙戦を闘うべきだろう。

   当然、選挙は厳しくなるだろうが、次の世代に禍根を残さないためにも、ここが踏ん張りどころだと

   思うよ。高橋君、君は磐手君の共同提案者として、明日はかなり厳しい立場になるだろうが、思い通り

   やってほしい。みんな、それでいいな?」

   高千穂は、緊張のあまり、顔色を紙のように白くしながら、高橋を真っ直ぐ見つめた後、

   全員の顔を一人ずつ眺めた。

   選挙の厳しさを想像して、顔を強張らせて黙り込む議員たち。

   ドアが再びノックされ、松島が手に紙を持って入ってきた。

   そのメモを松島から渡された高千穂は、しばらくみつめた後、ほうっと大きな溜め息をついた。

   「それでは、これで会議を終わることにしたい。明日の委員会、そして本会議は

   大荒れになるだろうから、みんな心してかかってくれ。明日、午前8時に会派別控室で

   強行採決の段取りを連絡するから・・・・」

   
   
   会議室を出ようとしたとき、高橋は三笠から背広の後ろの裾を引っ張られた。

   振り返る高橋に、三笠は目で「ちょっと来い」と伝えると、隣室に向かって顎をしゃくった。

   隣室では、高千穂と松島が、会議の時よりもさらに厳しい表情で腕組みをしながら、

   ソファに深く腰掛けていた。八雲は窓際に立って、手を後ろに組んで外を見つめている。

   「高橋君、実はな、NERVが接触してきたよ・・・・」

   高千穂は高橋がソファに座るや否や、眉間に深い皺を刻みながら、苦渋に満ちた声で

   切り出した。

   「そりゃ、一体どういうことですかっ?!」

   さっと顔を紅潮させ、思わず身を乗り出す高橋に向かって、松島が代りに話し出した。

   「さっきな、冬月副司令から私に電話があったんだ。彼の提案は「市議会でのNERV問題の

   審議は無期延期してほしい。議員が個人的立場でNERVの調査をするのもやめてほしい。

   その代り、民協党の一部議員が明日の採決で賛成に回るよう手配する。磐手氏についても、

   証拠不十分で不起訴にすることができる」ということだ・・・・」

   「なんですって?! それじゃ、裏取引しろってことじゃないですかっ?! 」

   高橋はズボンの膝の部分をちぎれるほど強く握り締めた。

   「どうやら、磐手君の件は、君の言う通りNERVが糸を引いてるみたいだな・・・」

   高千穂は、背広の内ポケットからタバコを取り出すと、ダンヒルの銀のライターで

   火を点けた。ほんの僅かであるが、指先が震えている。

   「さて、どうしたものかね・・・・ここで応じれば、次の選挙は楽になる。磐手君も1年生たちも

   みんな助かり、万々歳・・・・そして、民主主義は踏みにじられる、っと・・・・・」

   八雲は、眼鏡をハンカチで拭きながら、唄でも歌うように呟いた。

   「私はもちろん反対ですが・・・・みなさんは・・・・」

   高橋は無表情のまま、3人の幹部たちの顔を交互に見回した。

   (・・・・・まさか、取引するっていうつもりじゃ・・・・・・・)

   タバコの煙が、ゆっくりとたなびき始めた。

   金色の置き時計の音だけが、生き物の鼓動のように響いている。

   高橋は、砕けそうになるほど強く、奥歯を噛み締めた。



    つづく
   
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