或いはひとつの可能性



第26話・晴れた空の下で





   カツノリは、蒼い髪の少女の後ろ姿を、しばらくの間、じっと見つめていた。

   (・・・・なんて色の白い女の子なんだろう・・・・それに一点の曇りもない

   紅い瞳・・・・なんとも儚げで・・・・それでいて、しっかりとした意思の

   感じられる声・・・・ 一体、あの子は何者なんだろう。もっともっとよく知りたい

   ・・・・もう一度、会いたい・・・・)

   「あの子の名前は綾波レイ。第3新東京市立第壱中学の2年生。ちなみに初瀬ユリコの

   友人・・・」

   いきなり後ろから聞こえてきた声に、カツノリは思考の渦から現実に引き戻された。

   「うわぁっ!! なんだ、ユリコか、あーびっくりしたよ! それに、今の言葉は

   なんなんだよ?!」

   「お兄ちゃん、さっき転ばせた女の子の後ろ姿、みてたでしょ?」

   「あ、ああ、あれはね、怪我してないかなーとか思ったからで、それだけだよ。

   うん、それだけだ」

   カツノリは平静を装っているが、妹に図星をつかれたため、さっきから視線が一定しない。

   「なーに言ってんのよ! 隠さなくってもいいじゃないの! あの子、ちょっと

   人見知りが激しいけど、本当は素直でいい子よ。うんっ、是非ともお勧めできる

   人材ですなぁー」

   「だから、違うって! 俺はただ心配でさ・・・」

   「ふうん、じゃ、そういうことにしとくわ。じゃあ、今度、友達の誕生パーティに

   あの子も来るんだけど、その日程とか、お兄ちゃんに教えなくてもぜんっぜん

   問題ないよねぇ?」

   ユリコはちょっと意地悪そうな目で、しらを切ろうとしている兄にとどめを刺した。

   「うっ・・・・一応、聞いておくかな。別に知ってはならないことでもないしな・・・・」

   「ほーら、やっぱりそうなんじゃない!! いいじゃないの、妹に隠さなくたって!!」

   「いや、その、あの・・・・・ま、取り敢えず飯でも食おう!! あは、あはははは!」

   カツノリは紅潮した顔を妹に見られるのが恥ずかしくなり、笑ってごまかすと、

   駅の南口に向かって大股で歩き出した。

   「あっ、待ってよ!! もうっ、照れなくてもいいじゃない! お兄ちゃん、ほんとに

   シャイなんだからぁ! ほんとにそんなんで、戦車なんかに乗ってるのぉ?」

   カツノリの後を追って、ユリコも急いで歩き出した。

   (・・・・お兄ちゃんの背中、広いな・・・・小さい頃、あたしが転んで泣いたりすると、

   背負って家まで連れて帰ってくれたなぁ・・・・)

   ユリコは久しぶりに眺める兄の背中を、暖かく懐かしい想いでみつめていた。

   

   カツノリは、駅の南口から明るい空の下に出ると、立ち止まって、妹が追いついてくるのを

   待った。

   「ああ、そうそう! あのさ、オヤジ、米屋やめたんだよな? どう、今やってる

   コンビニはうまく行ってんの?」

   「うん、今のところ、順調みたい。あたしもお店の掃除とか手伝ってんの。新駒沢で

   唯一のコンビニだから、結構、遠くからも買い物に来てくれるのよ」

   「そうか・・・・ユリコにまで苦労かけちゃって、すまないなぁ・・・・

   俺が戦自になんか入ったばっかりに・・・オヤジにも反対されたしな・・・・」

   「そんなことないよ! お兄ちゃんは、自分のやりたいことをやればいいの! 

   別に、長男だからお父さんの面倒見なきゃ、とか、お店の後を継がなきゃ、とか

   そんなこと、考えなくてもいいよ。お父さん、あのとおりだから、あんまり手が

   かからないし、あたしもお店の手伝いばっかりじゃなくて、自分のやりたいことも

   ちゃーんとやってるから! 」

   「でも・・・・オヤジ、コンビニ開店するとき、相当、大変だったんだろ?

   なのに、俺、全然、なんも手伝えなくって・・・・まあ、去年の休暇のとき、家に立ち寄ったときに

   オヤジが口きいてくれなかったから、仮に俺が手伝いに行っても、叩き出されたのがオチかも

   しれないけどな・・・・でも、ほんと、迷惑かけて、すまん・・・・・」

   微笑んで自分を見上げている妹に、カツノリは深々と頭を下げた。

   「お兄ちゃん、もうやめてよ! それより、訓練とかきつくない? 大丈夫?」

   ユリコは兄の手を引っ張ると、駅前のデパートに向かって歩き出した。

   「ああ、楽ということはないよ。でも、上官ができた人なんで、すごく助かってるよ。

   よその部隊では、へんな上官に当たって大変な目に遭ってる人もいるからね・・・」

   「この間、使徒が襲ってきたときも出撃したんでしょ? お兄ちゃんの部隊は大丈夫

   だったの?」

   「うちの部隊は戦闘をしなかったからね。でも、新小田原に新しく配備されたばかりの

   戦車大隊には大きな損害があったらしい・・・・あ、これ、誰にもしゃべっちゃだめだぞ。

   一応、公式には「被害なし」ということになってるらしいから・・・・」

  「なんで、政府はそんな嘘の発表をしてるの? 」

  「よくはわからないけど、多分、損害が出たことを認めてしまうと、世論が騒いで

  いろいろな機密事項の公表を迫られるからだろうな。肉親が戦自に勤めてる人は、

  やっぱり不安だろうし、新聞も「戦自は国民の税金で運営されてるんだから、

  被害が出たのなら、戦闘の様子も含めて、きちんと国民に開示すべきだ」っていう

  論陣を張るだろうしね」

  「でも、あたしも、ちゃんと事実を公表してほしいなぁ。だって、心配だもん」

  「ま、政府は、いつでも、「民は依らしむべからず、知らしむべからず」っていう

  姿勢だからね・・・」

  「それって、どういう意味?」

  ユリコは、交差点の赤信号で立ち止まると、厳しい顔をしている兄を見上げた。

  「あ、中学2年生には難しかったか・・・つまりね、政治や行政は一部の選りすぐりの

  人たち、The best & brightestsがやってくから、統治される側の国民は黙ってついて
 
  くればいいっていう考えだよ。たとえ、それによって国民が不利益を被っても、

  もちろん救済なんかしないし、第一、自分達のやったことが間違ってたなんてことは、

  たとえ天地がひっくり返っても、絶対に認めやしないんだ」

  「なんかそれって、怖いね。みんなが知らないところで、大事なことが決まっちゃって

  それで不利益を受けても、何も償ってもらえないなんて・・・・でも、そういう

  勝手なことをさせないように監視するのが議会だって、学校で習ったけど・・・・」

  「本当はそうなんだけどね・・・・今は政治にお金がかかりすぎるから、議員が政治資金を

  提供してくれる財界や業界団体と癒着することになってしまってね。そういう財界や業界

  団体は本来、自分達を監督するはずの行政と癒着してしまってるから・・・・」

  「じゃあ、本来は牽制しあうはずの政治、行政、業界が逆にみんな癒着しちゃってるってこと?」

  「そうだよ。うちの上官は、こういう関係を「鉄のトライアングル」って呼んでたよ」

  信号が青に変わり、横断歩道を一斉に人が歩き出す。

  その人波の中で、ユリコははぐれないように兄の上着の背中の部分を軽く握った。

  「でも、リエのお父さんは、あんまり癒着とかしてそうにないよ」

  「ああ、高橋さんは国政与党の自由改進党の議員だけど、がちがちの保守じゃなくて、

  リベラルな考え方の持ち主だからね。野党の民主協同党とは仲がよくないみたいだけど」

  「なんで? リベラルっていうのなら、野党の人たちに近いんじゃないの?」

  不思議そうな表情のユリコに向かって、カツノリは幾分、柔らかい声で答えた。

  「自由改進党は、規制の緩和、経済成長、自己責任といった点を重視しているんだよ。

  これだと、確かに経済全体としては成長スピードが速くなるんだけどね、その副作用として

  競争に負けて、逆に貧しくなってしまう人たちが出てくるから、格差が広がってしまうんだ。

  一方、民主協同党は、競争を抑えたり、競走上不利な立場の人たちへの配慮を

  進めるという考え方で、これをやると、弱肉強食の経済が出現するのは防げるけど、

  経済の成長スピードは鈍ってしまうんだ。高橋さんは、自己責任を重視しつつも、

  競争に負けた人たちが言わば敗者復活戦に出れるような環境を整備するべきだって

  考えらしいよ。こういうのを、セーフティネットって言うんだって、上官が言ってたよ」

  「うーん、判ったような判らないような・・・・」

  「まあ、仕方ないよ。ユリコたちにはまだ選挙権もないしね。これから追々わかるように

  なっていけばいいんだよ。大事なことはね、「何をやっても政治は変わらない」って

  いう諦めの気持ちを持たないこと、そして無関心にならないことさ」

  カツノリは、デパートの前まで来ると、難しい顔で考え込んでしまっている妹に

  向かって、にっこりと笑ってみせた。

  「ねぇ、お兄ちゃん、あたしね、お昼ご飯は中華がいい」

  「おう、なんでもユリコの好きなものでいいぞ。食事のあと、パフェでも食べるか?

  それとも、すっかり綺麗になったお嬢さんは、そんな子供っぽいデザートはお嫌いかな?」

  「もうっ、お兄ちゃんの意地悪!! パフェ、私の大好物だって知ってるくせにぃ!!」

  ユリコは、カツノリの脇腹を拳固で軽く叩きながら、兄を睨んだ。
  
  「ははは、ちょっとからかってみただけさ。じゃ行こうか?」

  初瀬兄妹は、先月に開店したばかりの三越デパート第3新東京駅前店の中に入ると、

  買い物客で混雑する店内をエスカレーターを目指して歩き出した。



  
  「ところでさ、さっきユリコが言ってた女の子のことなんだけど・・・・」

  フルーツパフェを一心不乱に食べている妹に向かって、カツノリはおずおずと

  話を切り出した。

  「え? なんのこと?」

  スプーンにクリームを乗せたまま、ユリコは不思議そうな顔で尋ねた。

  「ほら、さっきさ、駅でみかけた蒼い髪の・・・・」

  「ああ、綾波さんのことね。なんだ、お兄ちゃん、やっぱり興味あるんじゃないの?」

  「まあ、ね。その綾波さんて女の子、どこに住んでるのかな?」

  「新駒沢の再開発地区、うちのすぐ近くよ。リエとリョウコが一度行ってみたらしいけど、

  ものすごく寂しいところだったって言ってたわよ。」

  「ああ、あの辺か。大体、見当がつくよ。お父さんは何やってる人?」

  「よく分からないんだけと、NERV職員らしいよ」

  「あー、そうか・・・・この街はNERV関係者多いからな・・・・でもなぁ、

  NERVじゃなぁ・・・・・」

  ユリコはクリームの乗ったスプーンを口に運ぶと、少し落胆したような様子のカツノリに

  尋ねた。

  「NERV関係者だと何か問題があるの?」

  「NERVと戦自は、あんまり仲良くないんだよ・・・・・」

  「なんで? だって、一緒に戦っているんでしょ、使徒を倒すために? 」

  「NERVは秘密主義で、装備とか戦術とかを戦自には教えないんだよ。それに、

  予算もNERVの方が格段に多いらしいから、戦自には一種の嫉妬もあるんだ。

  エヴァが使徒を倒したときも、戦自では安堵と妬みの混じった異様な雰囲気だったよ」

  「ふーん・・・・・でも、そんなんで、使徒との戦いは大丈夫なの?」

  「そりゃあ、戦闘になれば、目標殲滅のためにウチも最大限の努力をするさ。

  それが我々、戦自に課せられた使命だからね。NERVでは、「税金の無駄遣い」って

  笑ってるらしいけど、国民の税金で運営され、国民生活の防衛責任を負っている我々は、

  被害が現実に出てるのに、黙ってみているわけにはいかないよ。ただねぇ・・・・・

  使徒相手に今の戦自の装備では歯が立たないのは事実でね・・・・・ま、国防省もその点は

  認識してて、何か対応策をとろうとしてるみたいだけど・・・・」

  ユリコは、どこか遠くをみているような兄を見つめながら、フォークでバナナを刺した。

  「いっそのこと、最初っから、NERVが前面に出て、エヴァを出動させればいいのにね」

  「うーん、そうすると、我々の存在意義ってなんだろうってことになるから、戦自の

  メンツは丸潰れになっちゃうよ。それは国防省が到底、認めないだろうね」

  「大変なのね・・・・お兄ちゃん、綾波さんがNERV関係者だったら、それだけで

  もうあきらめちゃうつもりなの?」

  「いや、そんなことはない!! こんなことぐらいで、あの子のことをあきらめない!!」

  「あ、やっぱり、お兄ちゃん、綾波さんに一目惚れしたのね?! うひゃー、これは大変!!」

  目を見開いて大袈裟なポーズをとるユリコをみて、カツノリは自分の発言の重大さに今更ながら

  気がついて、真っ赤になって俯いた。

  「そんな照れることないじゃん。綾波さん、確かに美人だし、性格も素直だし、いい子だもん。

  でも、さっきも言ったように、かなり人見知りする方だから、いきなり迫っちゃだめよ!!

  最近、やっと、あたしたちと少しずつ話すようになってきたんだから!!」

  「・・・・・あのさ・・・さっき言ってたパーティって、いつ?・・・」

  「次の土曜日、6月6日よ。この間転校してきた碇君っていう男の子の誕生日なの。

  あ、その子ね、エヴァのパイロットなのよ」

  カツノリは再び落胆したような表情で、頬杖をついた。

  「そうなのか・・・・じゃあ、俺が参加したいって言ったら、迷惑になるね・・・・」

  「うーん、どうかしら? 碇君の保護者の葛城さんはNERVの作戦部長だし・・・・」

  「えっ!! あの葛城さんが保護者なのか? いいなぁ、俺も参加したいなあ・・・」

  「は??? だって、NERVとは仲悪いんでしょ?」

  「葛城さんは別!! あの人、戦自でも、すごい人気なんだよ。美人の作戦指揮官なんて

  そういるもんじゃないからね!! 上官はいやな顔してるけど、みんな密かに

  葛城さんのファンだったりするんだ!!」

  「へえー、そんなものなのかなー・・・・今度のパーティ、リエが中心になって準備

  進めてるんだけど、お兄ちゃんが参加できるかどうか、聞いてあげようか?」

  「あ、是非、頼むよ!! ああ、レイちゃんとは何を話そうかなぁ・・・」

  カツノリは、さっき出会ったばかりの紅い瞳の少女の姿を想い描きながら、

  嬉しそうに考え込み始めた。

  「はーあ・・・お兄ちゃん、綾波さんはお兄ちゃんより6歳も年下なのよ。

  お願いだから、前の時みたいに暴走しないでよ。節度ある行動をお願いします!!」

  ユリコは空想モードに入ってしまった兄を、あきれた表情で眺めていたが、

  兄が何も反応しないのを見ると、やがて、にやっと怪しく笑った。

  「すいませーん。あのぉ、プリン・アラモード・スペシャルとロイヤル・ミルクティー、
  
  追加お願いしまーす!! あ、テイクアウト用のジャンボ・シュークリーム・セット、

  えっと、その10個入りのもお願いしますねっ!!」


 
    つづく
   

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