或いはひとつの可能性



第24話・闇の果てには・・・





   高橋は夕日の残照が影を落としている道を急いでいた。
   
   「橋立君が事前に連絡してくれているから大丈夫だと思うけど・・・・果たして

   どれくらい話してくれるかな・・・なんせ退職者にも守秘義務があるだろうからなぁ・・・」

   厚木駅前の商店街の雑踏を抜け、住宅街に差し掛かったとき、高橋は人のざわめきを聞いて

   立ち止まった。

   歩道脇の神社では何かの祭礼があるらしく、本殿に向かって伸びる参道の両側には

   さまざまな露店が軒を並べている。

   「おっ、縁日か! ガキの頃、旧東京でよく行ったなぁ・・・・第3新東京市の市内には

   寺社は少ないから、こっちに移ってからは縁日なんて行ったことがないな・・・・。

   まだ約束の時間には早いから、ちょっとだけお参りして行くとするか・・・・」

   高橋は腕時計に視線を走らせると、歩道脇の石段を上がり始めた。

   参道は、露店を眺めながらそぞろ歩く人たちで混雑していた。

   子供たちは、綿菓子の入ったビニール袋やべっこう飴の細工物を手に持って、嬉しそうに

   はしゃいでいる。

   「俺達がガキだった頃となんにも変わっちゃいねぇなぁ・・・あの頃は、21世紀はもっと

   進歩した世の中になると思ってたけど、結局、テレビアニメとか映画で描かれていたような世界には

   ならなかったな・・・ま、十年や二十年では世の中、大きく変わるわけはなかったんだよな。

   セカンドインパクトのせいで、発展が遅れたっていうこともあるけど・・・・」

   高橋は参道の雑踏をようやく抜けると、本殿脇の自販機の前に立った。

   「ああ、俺達の頃と変わったものが、ひとつだけあったな。セカンドインパクト直後は

   世の中がすさんでいたからな・・・・」

   高橋が自販機にカードを差し込むと、「お賽銭」というラベルのついたボタンに一斉にランプがついた。

   その中から、高橋は「賽銭100円」というボタンを選び出して押し、取出口から

   「お賽銭壱百円、正にお預かりしました。この証書を本殿前のお賽銭箱に入れてご参拝ください」

   と書かれた紙片を取り出すと、本殿前に向かった。

   「確かにこうすりゃ、賽銭泥棒の被害には遭わなくて済むけどな。賽銭箱に硬貨入れたときの

   チャリンって音が聞こえないと、なんか御利益ないような気がするんだよなぁ・・・・・」

   高橋は紙片を賽銭箱に入れて、手を合わせた。

   「・・・・世の中、平穏でありますように・・・・」

   参拝を終えて参道を戻り始めた高橋は、社務所に人だかりができているのに気づいた。

   「あ、すいません! 私も、それ、ひとつお願いします。そう、その1500円のです!」

   「私は2000円のをお願いします」

   神社の巫女や禰宜(ネギ<=宮司>)たちが集まった人々から次々に発される注文をさばいて

   忙しそうに立ち働いている。

   「何だ? お神酒でも売ってんのかな?」

   高橋もその人波に紛れ込んで、社務所の前に行ってみた。

   社務所の「護符頒布所」の窓口には、墨で大きく「使徒除けの御札」と書かれた紙が貼られている。

   「なんだこりゃ? おい、神主さん、これなんだい?」

   「あ、使徒除けの御札ですね? これを家の玄関に貼っておくと、使徒の被害を避けられように

   なりますよ。使徒は魔物の一種ですから、当神社では悪霊退散の祈祷を行って、その御札を

   作ったんです。そもそも当神社のご祭神は、悪を払うヤマトタケルノミコトですからね。

   ご霊験あらたかだと思いますよ」

   若い神主は、古代の武具を身に纏った人物が魔物を踏みつけている姿を描いた御札を

   手にとって、高橋に見せた。 

   「おいおい・・・・・・ほんとかよ・・・・・・」

   呆然としている高橋の目前で、使徒除けの御札は次々と飛ぶように売れていく。

   (人間は、使徒まで商売のタネにしてしまうっていうのか・・・・・それにしても、この売れ行き、

   すごいな・・・・やっぱり、みんな不安なんだ・・・・・使徒が何なのか、なぜ襲ってくるのか、

   どうやったら助かるのか、こういったことが全然知らされていないもんな・・・・最後には

   「困ったときの神頼み」っていうわけか・・・・・)

   高橋はため息をつくと、人込みから離れて歩き出した。

   「このままじゃ、使徒がまた襲ってきたら、本当にパニックが起こるぞ!! 

   こんな状況を第2新東京市の政府は知ってんのか? いや、きっと判っていも何もできないんだ・・・

   この間、使徒が襲ったきた時の対応から考えても、政府中枢部は使徒についてある程度は

   把握してるんだろうけど、きっとNERVが公表を差し止めさせているんだろう・・・・

   99年に制定された情報公開法を使おうとしても、NERVは国際機関だからもともと公開請求の

   対象外だし、仮に日本政府宛に請求を出しても、例外事由条項の第1項に挙げられてる

   「国防または外交政策上の機密」に該当するとして、非公開の決定がなされるだろうし・・・・

   つまりは、市民にとっては、真実を知る手段は何一つないってわけだ・・・・」

   高橋は少し薄暗くなり始めた舗道を見つめながら、神社の喧燥を後にした。


   
   高橋がしばらく住宅街の中を歩いていくと、数軒の商店が固まっている小さな商店街に辿りついた。

   「あっ、いい匂いだな! この、揚げたてのとんかつの香ばしい匂いは、ほんと食欲をそそるねぇ。

   ああ、ここだな?!」

   高橋は、香ばしい匂いを辿っていき、「とんかつ ゑび太」の看板を掲げている店の前に立った。

   「おっと、古田監督がベンチから出てきました! 審判にクレームをつけているようです!!」

   「あったりめぇじゃねーか!! あんなのがストライクなわけないだろ!」

   「そうかっかすんなよ。賭けてるわけじゃないんだし! はははは」

   店の中からは何人かの客の笑い声とテレビのナイター中継の音が聞こえてきた。

   (なんだ、今日も店を開けてんのか・・・・客がいる前で、NERVの話をするわけにも

   いかないし・・・ちゃんと話をしてくれる意思はないってことか・・・・)

   高橋は一瞬、眉間を歪めたが、すぐに元の表情に戻して、とんかつ屋のガラス戸を引き開けた。

   「あ、いらっしゃいませ!!」

   髪を短く刈り上げた若主人がとんかつを揚げる手を休めずに、顔だけ上げて笑顔で応えた。

   その傍らでは、若主人とよく似た顔立ちの年配の男が、黙々とキャベツを刻んでいる。

   「あの・・・さっき電話を差し上げた高橋ですが・・・・立て込んでいるようでしたら、

   また出直しますが・・・・」

   「あ、高橋さんですか・・・・ここではなんですので、奥へどうぞ・・・おやじ、揚げ場、

   ちょっと頼むよ」

   若主人は表情を引き締めると、年配の男に交代してもらい、高橋を奥座敷に招じ入れ、
   
   膳を挟んで高橋と向かいあって座った。

   「はじめまして、利根です。橋立からも電話を受けてますんで、ご用件はだいたい判ってます」

   「お忙しいところ、本当にすみません。一連の使徒騒動で第3新東京市は大変な騒ぎに

   なってまして・・・・NERVはもちろんのこと、政府も使徒について何も詳しいことは公表

   してませんし・・・そもそもNERVとは何のための組織なんですか?・・・・」

   利根は、高橋をまっすぐ見つめると、厳しい表情で冷たい声を発した。

   「私は、つい先日、NERVを退職したばかりです。ああいう秘密が好きな組織なんで、当然ながら

   退職者にも守秘義務が課されてまして、在職中に知った事項を外部に洩らした場合、巨額の賠償を

   要求されることになっています。そういう危険性に直面している私が、高橋さんにお話できることは

   何もありませんよ。高橋さんが賠償を肩代わりしてくださるというなら、話は別ですがね・・・・」

   「利根さんがそういうリスクに曝されているのは、よく承知しているつもりです。それでも、

   私は、市民に選出された者として、市民のために真実を知りたいんです。なんとかお願いできませんか。

   このとおりですっ!!」

   高橋は、畳に手をついて頭を下げた。

   「高橋さん、あなたにも家族がいるでしょう? NERVを敵に回した場合、家族にも累が及びかね

   ないんですよ・・・あなたには市民に真実を知らせる責任があるかもしれませんが、私にも年老いた

   両親を養っていく責任があるんです。なんとおっしゃられても、駄目なものは駄目です・・・・・・

   残念ながら、ご期待に沿うことはできかねます」

   「私にも娘が一人います。NERVと対峙することで、娘にも危険が及ぶことも知っています。

   だから、私も悩みました。・・・私が目をつぶりさせすれば、今の平穏な生活は保証される。・・・

   でも、その平穏の行き着く先が、暗黒の中の混乱だったら・・・・そうなる可能性があるのか、

   私にはわかりません・・・でも、使徒の2度にわたる襲来、NERVに押え込まれて何も

   独自の行動がとれない政府、そして「人類補完計画」という、何やらおどろおどろしい名前の

   NERVの極秘計画・・・どれを取っても、明るい未来は期待できそうもない・・・・・・

   私たち市議会が調べた結果、NERVは10年近く前から使徒の襲来を予見していたらしいという

   ことが判ってきています。そうでなければ、あんな高性能の兵装ビルをつくる訳が無い・・・・

   そんなこととも知らされずに遷都計画が進められ、今や多くの人があの街に住んでいます。

   そして、今になって、突然、何も知らないまま、市民たちは使徒襲来に巻き込まれた・・・・

   この事実だけ取り上げてみても、NERVが市民をどのように見ているか、

   わかるような気がします・・・・このままでは、本当に取り返しのつかないようなことが、

   市民に襲い掛かるような、嫌な予感がするんです・・・・・ですから・・・・・」

   高橋は、自分でも顔が熱くなるのを自覚しながら、一気に話した。

   黙って目を閉じて高橋の話を聞いていた利根は、やがて目を開けると、無言で立ちあがった。

   「すみません。店が立て込んできているんで、もう揚げ場に戻らないと・・・・。今日のところは

   お引き取り願えませんか。」

   利根の目には、微妙に当惑と動揺がにじんでいたが、高橋はそんなことには気づかなかった。

   (・・・・万事休す・・・・やはり、駄目だったか・・・・・)

   高橋はがっくりと肩を落として、店の裏口から外の闇の中に歩み出した。

   「どうも、お忙しいところ、お時間を頂いて申し訳ありませんでした。もし・・・・

   そんなことは無いかもしれませんが・・・・もし、その気になられたら、メールでも結構ですので、

   ご連絡をお願いします。・・・・私は・・・・・利根さんの良識を信じていますから・・・・ 」

   住宅街の街路灯の灯りの下をゆっくりと遠ざかって行く高橋の後ろ姿を、利根はしばらく見つめていた。



   

   新駒沢駅前の商店街を重い足取りで通り抜けた高橋は、住宅街に続く坂道を登り始めた。

   「・・・わざわざ厚木まで足を運んだけど、結局、骨折り損だったか・・・・・

   これが俺達、市議会の限界っていうことか・・・・くそっ、一体、政府や国会はどういう

   つもりなんだっ!! 幾らNERVに押え込まれてるからって言っても、日本国民に選出された

   国民のための政府や議会だろっ!!  それとも彼らは、すべて知った上で「大丈夫だ」って

   判断してるんだろうか?・・・ とにかく、これでは新しい事実は何にも得られない・・・

   どうしたらいいんだ・・・・八方塞がりだ・・・・」

   高橋は、坂道の途中で足を止めて振り返った。

   連日の突貫工事の成果で、前回の使徒襲来によって損壊した兵装ビルは、以前の勇姿を

   月光の中にそびえ立たせている。

   そして、その足元にはたくさんの小さな灯火が瞬いている。

   兵装ビルから離れた山の麓まで、そして遠く芦ノ湖のほとりまで、小さな灯火は続いている。

   「あの灯りの下では、誰かが生きている・・・・それは、一人暮らしの老人かもしれないし、

   夫婦と子供たちの家庭かもしれないし、生まれたばかりの子供かもしれない・・・・

   ひとつだけ確かなことは・・・・あの灯りの下には市民が住んでるってことだ・・・・

   市民が、「今日よりも、明日の方がきっと良いことがある」って信じて生きていけるように

   するのが、俺達、議員や役人の使命なのに・・・・・・俺の考えは甘いのかな・・・・」

   高橋は一段と重い足取りで歩き出し、坂道を登り終えると、道の脇の小さな公園に足を踏み入れた。

   そしてベンチに腰を下ろすと、眼下にそびえ立つ兵装ビルと、それを取り巻く小さな灯火を眺めながら、

   ポケットからタバコを取り出した。

   「暫く止めてたけど、今日ぐらいはいいよな、リエ? 」

   高橋はリエの怒った顔を脳裏に描いて僅かに苦笑しながら、タバコに火をつけた。

   目を閉じて、深く深く息を吸う。

   「・・・・火の始末はきちんとすることね・・・・・このうえ、火事でも出たら、始末に

   終えないから・・・」

   高橋は突然聞こえてきた女性の声に、ふと目を開けた。

   少し離れたベンチに座っている女性が、こちらを見ている。

   (なんだ、誰か先客がいたのか・・・)

   「あ、いや、気をつけます・・・・」

   高橋は短く答えると、再びタバコをくわえると、眼下の灯りを見つめた。

   再び、静かな沈黙の時間が流れた。

   高橋が女性の方を見ると、彼女も眼下の景色をじっと眺めていた。

   「・・・・何が、見えますか?・・・・・・」

   高橋は、自分が見ず知らずの女性に話し掛けたこと自体に、我ながら驚いていた。

   (・・・・やっぱり、疲れてるのかな・・・・・俺は・・・・・)

   「・・・・何も見えないわ・・・・・見えるのは、永遠に続く闇・・・・・」

   金髪に染めた娘は、高橋の方を振り返りもせずに答えた。

   「・・・・闇には・・・・そう、出口はないのかな?・・・・・・」

   高橋も、視線を眼下の景色に戻すと、ぽつりと呟いた。

   「・・・・闇の果てが、明るい光なのか、それとも虚無なのか、誰にもわからないわ・・・・」

   「・・・・私は、明るい光の方がいいな・・・・・あなたは、どちらを望む?・・・・・・」

   「・・・・私はどちらでもいいわ・・・・たとえ虚無であっても、取り敢えず闇は終わる

   訳だから・・・」 

   「・・・・闇の果ての虚無・・・・ちょっとばかり淋しすぎやしませんか・・・・・」

   「・・・・そうね・・・・でも、それが運命なら、避けるすべはないわ・・・・・」

   「・・・・運命、か・・・・運命なら、自分の力で変えられるんじゃないかな・・・・」

   「・・・・予め定められているもの、それが運命というものよ・・・・・ヒトの力では

   変えられないわ・・・・それが虚無へと続くものであったとしても・・・・・」

   「・・・・ははは、私はそこまで悟り切ってないから、虚無へと続く運命と知っても、

   精一杯、悪あがきをしてしまうだろうな・・・予定調和は嫌いなんでね・・・」

   「・・・・別に否定はしないわ・・・・私は・・・・闇の果てを見てみたいだけ・・・・」

   高橋がその声の主を見つめると、彼女もタバコに火を点けたところだった。

   「・・・・もう・・・・・闇には耐えられそうにないから・・・・」

   「・・・・闇の果てが虚無でないことを祈りますよ・・・・」

   高橋は静かに立ち上がると、公園からゆっくりと立ち去った。

   公園の入り口で振り返ると、遠くのベンチからは、まだタバコの煙がゆらゆらと立ち昇っていた。



   (・・・・あんなことを話すんじゃなかった・・・・)
    
   高橋は、一段と沈鬱な気分で自宅のドアを開けた。

   「ただいま・・・・」

   「あ、おかえりなさい・・・・すぐ、ご飯にするから・・・・」

   「ああ、頼むよ・・・」

   高橋は、リエも気分の晴れないような顔をしているのを見抜いていた。

   (・・・・やれやれ、家に帰っても、こんな感じじゃ気分転換にもならないな・・・・)

   「・・・・なんか、あったの? 顔色、悪いけど・・・・・」

   「・・・・うん、ちょっと、友達のことで・・・・あ、でも、全然、たいしたことじゃないから、

   心配しないで・・・」

   (・・・・あんな顔されちゃ、心配しないでいれるわけないだろが・・・・)

   食卓に味噌汁とぶりの西京焼きが並べられ、リエが席に着いたとき、高橋は思い切って話し掛けた。

   「何かの役に立つかもしれないから・・・・相談に乗るよ・・・・ま、どうしても、

   いやっていうのなら、無理強いはしないけど・・・」

   リエは、しばらく味噌汁の湯気を見つめていたが、やがて視線を合せた。

   「・・・・あのね・・・・せっかく仲良くされた友達がいるんだけど、その子が私やリョウコに

   隠し事をしてるのが判ったの・・・・だから・・・・・」

   「何か、事情があったんじゃないのかい?」

   「・・・・うん・・・・あ、お父さん、怒り出さないでね・・・・その子、NERVの関係者なの・・・」

   「・・・・ああ・・・・それで?・・・・」

   「・・・その子、綾波さんっていうんだけど・・・・相田君、あ、お父さん、覚えているよね、去年の

   体育祭のときに話しかけてきたメガネの男の子よ・・・その相田君が「きっとNERVの守秘義務の

   せいで、本当のことを話せなかったんだよ」って言うんだけど・・・・・」

   「やれやれ、また守秘義務かっ!! 」

   高橋はつい大きな声を出した。リエは、突然の父親の変貌に言葉を失って、俯いて黙ってしまった。

   「あ、ごめん。このところ、NERVの守秘義務のおかげで苦しめられているんで・・・」

   「そう・・・別に私のこと、怒ってるんじゃないならいいけど・・・・」

   「ああ、別にリエのことを怒ってるんじゃないよ。ただ、NERVという組織の、その非人間的な

   全てが腹立たしいんだ・・・・リエ・・・・その綾波さんって女の子を責めるんじゃないよ・・・・

   NERVの関係者は、みんな、たとえ退職した後でさえ、守秘義務にがんじがらめに縛られてて、

   それに違反すれば、巨額な賠償請求を受ける決まりになっているんだ・・・・」

   「そうだったの・・・・・じゃ、綾波さんが事実を言えなかったのも、仕方がないことなのね・・・・」

   「ああ、大の大人でも、あの守秘義務という言葉には縮み上がってしまうんだ・・・・いわんや、

   14歳の女の子では・・・・・・・その子は、リエやリョウコちゃんに隠し事をしなきゃいけないんで

   ものすごく辛かったかもしれないよ・・・・それを判ってあげないとね・・・・・」

   リエは、高橋の言葉に、はっと顔を上げた。

   「・・・・私・・・・そんなこと、考えてなかった・・・・綾波さんも辛かった

   かもしれないのに・・・・それなのに・・・・何も話し掛けてあげなかった・・・・」

   「・・・・今、こうして判ったじゃないか・・・・これからは、今まで通り、接してあげれば

   すむことだよ。あんまり気に病まない方が良いよ。・・・じゃ、頂くとするかな・・・・」

   高橋が味噌汁の碗に手を出したとき、電話が鳴った。

   「あ、私が出るわ」

   リエがすばやく椅子から立ちあがって、受話器を取った。

   「あ、もしもし、高橋さんのお宅ですか? 相田と申しますが・・・・」

   「あー、相田君? 私よ、リエ!! どうだった、碇君と会えた?」

   「なんだ、高橋か。ああ、会えたよ。そうそう、高橋のおやじさんにも、たまたま会ったよ」

   「え、お父さんにも会ったの? 」
   
   リエは味噌汁を啜っている高橋の方を振り返った。

   高橋もリエに向かって、大きく肯いてみせる。

   「で、碇君は、やっぱり第2新東京市に帰っちゃったの?」

   「いいや。政府専用特別列車に乗り込もうとしたんだけど、土壇場で止めたらしい。

   ミサトさんも駆けつけてきたんで、トウジも含めて4人で、今までシンジの復帰歓迎会を

   焼き肉レストランでやってたところだよ」

   「そう、良かったわー。あれ、いつから、碇君のことをシンジって呼ぶようになったの?」

   「ああ、今日からだよ。トウジも、シンジって呼んでるよ」

   「じゃ、やっと碇君にも友達できたんだね。これで私たちも安心して、綾波さんと話すことができるわ」

   「あ、そのことだけどね、今日も言ったけどさ、あんまり綾波のことを責めるなよ」

   「うん、判ってるわ。綾波さんが悪いんじゃないもの。NERVという組織がいけないのよ」

   「まあ、そういうことだね。うちのオヤジはNERVに勤めているんで、あんまり悪口は

   言えないけどさ・・・じゃあ、取り敢えず、そっちも問題解決ってことだね」

   「うん、ところで」

   その時、リエの電話にキャッチホンが入った。
  
   「あ、キャッチが入ったわ。ちょっと待っててね。あ、もしもし、高橋ですけど」

   「・・・・・綾波です・・・・・」

   「あ、私、リエよ。どうしたの?」

   「・・・・・あさっての試食会、行けない・・・・・」

   「えー、そうなの・・・残念ね・・・都合が悪くなったの?」

   「・・・・NERV本部に行くことになったわ・・・・・」

   「そうなの・・・・。じゃ、リョウコやユリコに電話して、日程ずらしてもらうわね」

   「・・・・私が行かなくても、試食会できるわ・・・・」 

   「それは違うわ! 綾波さん、あなたが来ないんだったら、全然楽しくないもの。だから、今度は

   来てね!! みんな待ってるから!!」

   「・・・・・・・・そう・・・・・じゃ、行く・・・・・」   

   (・・・・楽しい・・・・どんな感じか判らない・・・・・・・

     ・・・・高橋さん、明石さん、初瀬さん・・・私がエヴァのパイロットだと知らない人たち・・・ 

     ・・・・エヴァのパイロットではない私・・・・何も価値はないはず・・・・

     ・・・・NERV職員として偽りを言う私・・・・忌避すべき対象・・・・

     ・・・・でも・・・・・みんな私のことを待っている・・・・・・・・・・・

     ・・・・私が知らない私の価値・・・・どんなものなの?・・・・・・・・)

   「来てくれるのね、良かったぁ!! 実はね、まだリョウコたちにも相談してないんだけど、

   鈴原君や相田君、そして碇君も誘おうと思ってるの。綾波さんがいやだったら、

   男子は誘わないつもりだったけど、どうかしら?」

   「・・・・必要なら、そうしたら・・・・」

   (・・・・碇君・・・・・・・・・・・・・初号機パイロット・・・・・・

     ・・・・エヴァとの絆を持つ人・・・・・碇司令の子供・・・・

     ・・・・NERV職員・・・・・・・・・葛城一尉の保護下にいる人・・・・・

     ・・・・私との絆はそれだけの人・・・・反対する理由はないわ・・・・)

   「じゃ、碇君たちも誘うわね。それと・・・・・碇君が学校休んだ理由のこと・・・・

   綾波さんが事実を言えない立場だったってこと、わかってるつもりだから、気にしないで・・・」

   「えっ・・・」

   (・・・・偽りを口にする者・・・・・・忌避すべき対象のはず・・・・・・

     ・・・・どうして・・・・・・・・・・あなたは許し、受け入れるの?・・・・・・

     ・・・・わからない・・・・・・・・・わからない・・・・・・・

     ・・・・なぜ、胸が暖かいの?・・・・これは何・・・・・・・・)

   「日程決まったら、月曜日に学校で言うからね。じゃ、おやすみなさい」

   「・・・・おやすみなさい・・・・・」

   (・・・・おやすみなさい・・・・・・・・・・・・・・・

     ・・・・一人で生きてきた私に不要な言葉・・・・・・・

     ・・・・これまでも、そして、これからも、そうだったはずの言葉・・・・・

     ・・・・どうして、すんなり言えるの?・・・・・・・・

     ・・・・エヴァ以外の絆・・・見つけてしまったのかもしれない・・・・

     ・・・・それは・・・・・許されることなの?・・・・・・・)

   受話器を置いた後、レイは、剥き出しのコンクリート壁に囲まれたベッドの上で、

   しばらくの間、純白のシーツをみつめて、膝を抱えて座っていたが、

   やがて白皙の顎を膝頭に乗せると、真紅の瞳を軽く閉じた。

   

   「あ、もしもし、相田君? ごめんね、電話長引いちゃって・・・・」

   「いや、大丈夫だよ。もう、いいの?」

   「うん、実は、綾波さんからだったの。」

   「ええっ、綾波? 綾波から電話なんて、そんなことがあるんだなぁ!!」

   「綾波さん、最近、少しずつ変わってきているのよ。それって、いいことだと思わない?」

   「そりゃあ、いいことには違いないさ!! で、どんな話だったの?」

   「あさっての日曜日にリョウコの家で試食会をすることになってたんだけど、

   急にNERV本部に行かなきゃならなくなったから、延期することにしたの。

   それでね、まだ、リョウコたちに相談してないんだけど、相田君、鈴原君、碇君も誘おうと

   思ったから、綾波さんに聞いたら、問題ないって言うから・・・」

   「あ、そりゃ、うれしいね!! そうだっ!! それ、来週の土曜日にやらないかい?」

   「私は別にいいけど・・・・。その日、なんか特別な日なの?」

   「来週の土曜日は6月6日、シンジの誕生日なんだよ!! 僕も今日聞いたばっかりなんだけどさ」

   「あら、そうなの?! じゃ、いっそのこと、碇君の誕生パーティーにしちゃおうか?」

   「それ、いいアイデアだね!! じゃ、高橋は明石と初瀬に了解取っておいてよ。僕はトウジに

   話しておくからさ。」

   「碇君にはなんて言ったらいいかしら? やっぱり当日まで内緒にしておく?」

   「そうだなぁ、その方がおもしろいからなぁ・・・・じゃ、僕とトウジで、シンジをゲーセン

   かなんかに誘い出しておくことにするよ」

   「りょーかい!! じゃ、私はリョウコたちにこれから電話しとくわね!! じゃ、おやすみなさい」

   「おやすみい!!」

   リエは受話器を置くと、軽やかな足取りで高橋のそばに歩いてきた。

   「あのね、来週の土曜日、シンジ君のバースデイ・パーティーやるんだけど、
  
   行ってもいいよね?」

   「ああ、構わないよ。行っておいで。おお、そうだ、明日、カードにお金振り込んどくから、

   それでプレゼントかなんか買うといいよ」

   (ほんとはNERV関係者と親密になるのは好ましくはないんだが・・・・・。

   ま、今日の様子から見ると、シンジ君もNERVのやり方に完全に納得しているようには

   見えなかったし・・・・それに、逆に、シンジ君や葛城さんの友達ということであれば、

   おそらく私のことを目の仇にしているNERVも、リエには、おいそれとは手を出せない

   だろう・・・・)

   「お小遣いくれんの? ありがと、お父さん!! じゃ、リョウコたちに電話してくるっ!!」

   リエは、にっこりと笑うと、再び電話の方へ走っていった。

   それから1時間も経たないうちに、リエは、リョウコ、ユリコ、そしてミサトから了解を

   取り付けていた。むろん、ミサトには、シンジに内緒にするように厳しく念を押した上での

   ことであるが。

   そんなリエの嬉々とした様子を、高橋はコーヒーを飲みながら横目で見ていた。

   (・・・・・リエ、本当に楽しそうだな・・・・NERVからの防護策などと捉えてしまっている、

   この俺は汚れてしまっているんだな・・・・・議員なんて長くやるもんじゃないな・・・・)

   高橋は窓の外の漆黒を見ながら、良心の痛みを感じていた。

   そして、静かに立ち上がると、ダイニング・ルームを出て、自分の書斎に移った。

   高橋は机上のパソコンのスイッチを入れると、インターネットに接続した。

   「えーと、メールは来てるかなっと・・・・あっ!!!!」

   メールボックスには、1通だけメールが入っていた。

   「先程はご足労をおかけ・・・・・利根ヤスヒロ」

   高橋は、僅かに震える指先でキーボードを打って、メールを開封した。 
    
 
    つづく
   
   

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