或いはひとつの可能性



第17話・変わる風向き





   リエはトウジとケンスケがトイレからなかなか帰ってこないことに気づいた。

   「ねえ、ヒカリ。鈴原君と相田君、遅いわね」

   「そうね。そう言われてみると、ずいぶん遅いわね。途中で道草してるのかしら?」

   「ま、ここは密閉されているから、どこにも行きようがないわね。その点、安心よ」

   そのとき、少女たちは、市の防災課の係員達がばらばらと通路を駆けていくのをみた。

   みな血相を変えて全力疾走している。

   「どうしたのかしら? 何かあったの?」

   「さあ・・・・」

   彼女たちが顔を見合わせたとき、鈍い衝撃音とともにシェルターの天井から細かい埃が降ってきた。

    「・・・・始まったのね・・・・・・」

   シェルターの中の人々は、一瞬静まり返って、天井を見上げた後、みな一斉に体を低くして

   コンクリートの床に伏せた。

   頭の上に防災頭巾やバッグを載せている人もいる。

   リエたちも体を小さくして寄り添った。

   「・・・・ゃあ・・・・ぅぅぅぅぅぅ・・・・・・」

   リョウコは蒼白の顔でリエに強くしがみついて震えている。

   近くからと思われる2種類の衝撃音が間断なく響いている。

   「あれは重機関砲の発射音と着弾音だ。昔、戦自にいたときに聞いたことがある」

   警備保障会社の制服を着た男が周囲に声をかけた。

   が、すぐさま、それとは異なる大きな衝撃音がシェルター内にこだまする。

   その音が響くたびに、重機関砲の発射音がひとつずつ減っていく。

   「まずいな。やられてるみたいだぜ。どうやら、こっちの旗色が悪いな」

   やがて重機関砲の発射音は完全に沈黙した。

   一瞬の静寂の後、これまでのものとは明らかに違う、大きな衝撃音がシェルターに響いた。

   衝撃音は2、3度続いて聞こえたが、大きな激しい地響きのあと治まった。

   シェルター内の市民たちが、恐る恐る体を起こしてあたりの様子を見回し始めたとき、

   突然、大きななにかが走るような強い衝撃がシェルターを襲う。

   ほっと安堵していた市民たちは、不意を衝かれたかたちになって、悲鳴を上げて再び床に伏せる。

   それを最後に衝撃音は聞こえなくなり、シェルターの中は物音一つない静寂に包まれた。

   最初の衝撃音が聞こえてから20分も経っていない。

   「・・・・どうなったのかしら?・・・・・」

   「・・・・静かになったところをみると・・・きっと・・・・碇君のエヴァが勝ったのよ・・・」

   「そうよ、きっとそうよね!」

   「わたしたち、助かったのよ!!」

   少女たちの歓声に周囲の市民たちもようやく我に返った。

   「おお、なんとか無事だったみたいですな」

   「一時はもう駄目かと思いましたよ」

   「上は大丈夫でしょうかね? 大分派手にやっとったみたいだけど・・・・」

   「皆さん、一緒に避難した方が傍におられるか、確認してください!!」

   ざわめき出した市民たちに向かって、市の防災課の職員の指示の声がかかる。

   「あっ、鈴原と相田君が戻ってないっ!!」

   ヒカリは思わず大きな声を上げた。

   その声を聞いた職員が駆けつけてくる。

   「誰か、いないんですか?」

   「一緒に避難した、うちのクラスの男子2名がトイレに行ったまま戻ってこないんです」

   「あ、その二人だ、きっと!! おーい、分かったぞ!!」

   職員は大きな声で同僚を呼び寄せた。

   「さっき、換気孔から外に出たのは、どうやら市立壱中の生徒らしいぞ」

   「鈴原、あ、いや、うちのクラスの男の子たち、どうしちゃったんですか?」  

   「シェルターの換気孔から外に出ちゃったんだよ。それで戦闘に巻き込まれて」

   「け、けがしてるんですか?」

   「取り敢えず無事に救出されたそうだよ。だけど、厳しく叱責されるだろうな。なんせ、戦闘の

   大きな支障になったらしいから・・・」

   「そうですか・・・・」

   ヒカリはほっとした表情で、ビニールシートの上に腰を下ろした。

   「二人とも怪我がなくて良かったね」

   声をかけてきたリエに、ヒカリは少しだけ微笑んだ。

   「リョウコ!! やっぱり碇君のロボットが勝ったでしょ!! 大丈夫よ、私たちはあれに勝てるのよ!!」

   リエは、涙目になって俯いていたリョウコの背中をさすりながら、明るい声を出した。

   「・・・・・うん・・・・・・そうね・・・・・大丈夫・・・なのよね・・・」

   「そうよ!! 安心していいのよ、リョウコ!! 」

   「・・・ユリコ・・・・ありがと・・・・・」    

   「それにしても鈴原ったら、なんで外なんかに出たのかしらね!! 委員長の私まで怒られちゃうじゃないの!!」

   「きっと相田君がそそのかしたのよ。筋金入りのミリタリー・マニアのうえにカメラ小僧だもん。

   絶対、「これは千載一遇のチャンスだ。この機会を逃しては、あるいは一生・・・・」とか言って、鈴原君を

   連れ出したのよ!!」

   「・・・・ねえ、綾波さんは大丈夫かしら?・・・・・・」

   「せっかく仲良くなれ始めたんだもんね。無事でいてほしいね。」

   「もうただの他人、じゃないものね・・・・心配ね」 

   

   特別非常事態宣言が解除されて、市民たちがシェルターから出られたのは、それから4時間後だった。

   初瀬は、新駒沢駅前のシェルターから出ると、天を仰いで呟いた。

   「・・・・・また・・・・行きそこなったな・・・・・もうちょっと、そっちで待ってろ・・・・」

   「ばか言っちゃいけねえよ。あんたにはユリコちゃんがいるだろが!! 俺だって、まだ娘に迎えに来られちゃ

   たまらねえよ。甥っ子のシロウが結婚するまでは、死んでも死にきれないよ」

   「・・・・そうですね・・・・・ユリコが一人前になるまでは・・・・」

   「しかし、今日の特別非常事態宣言は何だったんだろうね? また使徒ってやつじゃないだろうね?」

   「・・・・・・さあ・・・・・・どうせ、この間みたいに真実は闇の中ですよ・・・・・」     
    
   「ああ、そうだろうね。重大なことについては、おかみは、われわれには何にも教えてくれないからね。

   民は依らしむべからず、知らしむべからず、っていうつもりなのかね」

   「・・・・ユリコは怪我しなかったかな・・・・・・」

   「テレビつけてくれよ、テレビ!! なんか言ってないかい?」

   「・・・・今つけましたよ・・・・・あ、どこも「しばらくお待ちください」になってます」

   「やれやれ・・・・また報道管制かい? 参ったね、こりゃ・・・・」

   「・・・・・石河さん・・・・飯、食ってないでしょ??・・・・チャーハンでよかったら、作りますよ。
  
   私も昼飯食ってないから・・・・・・」

   「あ、そうかい、すまないね。じゃ、ごちそうになるとするかね。」

   「・・・・・また、あのNERVのロボットが闘ったんでしょうかね?」

   「どうだろうねぇ。もしそうだったとしたら、もうヒーローだな、こりゃ」



   
   「磐手さん、えらい目に遭いましたね。宣言も解除されたし、そろそろシェルターから出ましょうか?」

   「おかげで、うなぎを食い損ねたよ。あ、出口のところ、えらく混んでいるね。もうちょっと経って、すいてから

   出た方がいいよ。・・・・・・・時に、高橋君・・・・今回のあれ、また使徒っていう奴だと思うかね?」

   「そうです、と申し上げたら?」

   「政府はなんと釈明するのかね? 明日の金曜日の定例閣議、大荒れになるだろうね。

   ことと次第によっては、この第三新東京市は、市民が逃げ去ったゴーストタウンと化すかもしれないよ。」

   「そうですね、立て続けに2回も襲われたとなると、さすがに市民は動揺しますね。人口も流出超過に転じるでしょうね」

   「高橋君、さっき鎮遠社長が出してきた兵装ビルの図面をみて気づいたことはないかね?」

   「ええ、ありましたとも。少なくともあの重機関砲、戦闘機や戦車といった通常兵器向けのものじゃないですね」

   「そうだね。私もそう感じたよ。この街を再び狙ってきた使徒、それを見通していたかのように、

   何年も前から構築されていた兵装ビル、そしてエヴァンゲリオンとかいうロボット・・・・全てが一本の線に

   つながるような気がしてならないね」

   「すべてNERVはお見通しってことですか? それも何年も前から、ね」

   「はっはっは、そうだとすると、われわれも因果なときに議員になっていたもんだね。」

   「NERVのロボットが今回もまた使徒を倒したのだとすると、ちょっと厄介なことになりますね」

   「ああ。世論の風向きが変わるな。人は強い者、護ってくれる者になびくものだよ。これまでNERVがやってきた

   こと、そして、これからやろうとしていることが、いかに危険で非民主的なことであっても、それを容認する

   雰囲気が醸成されてしまうことが心配だ。真相究明の動きなど、一発でけし飛んでしまう」

   「非常時だからしょうがない、っていう考え方が蔓延することですね。その一言で、全てが許されてしまうように

   なると・・・・」

   「それは民主主義の終焉、我々、「議会の子」にとっては、死を意味するよ」

   「市民は気まぐれですからね。今日は声高に非難し、明日は歓声を上げて褒めたたえる」

   「いつの時代でも、そんなものさ・・・・しかし決して逃げてはいかんよ。最後の瞬間まで、誰かが正論を唱えていないと

   再び風向きが変わったとき、誰も対応できなくて、結果的にさらに多くの犠牲が出ることになるから・・・・・」

   「私が議員になったのは、14年前、市民を護る立場だったはずの官が、あの災厄の中で、自分の身を護ることに終始して、

   結果的に多くの市民の命がなすすべもなく喪われたのを、この目で見たからです。あんなこと、再び見なきゃならない

   って、いうんなら、議員になった意味がありませんよ」

   「私も同感だね。ただ・・・・風当たりが強くなるぞ、これからは。そしてNERVが仕掛けて来やすくなるのも

   事実だ。重大な覚悟をしなきゃいけなくなる場面がこないとも限らない・・・・」

   「覚悟、ですか。なかなか辛いですね・・・・私一人なら、どうとでもなりますが、うちには娘が・・・・」

   「おそらく、まだ時間があるだろう。じっくりと、よく考えて、納得の行く結論を出すことだよ。そして・・・・」

   「そして?」

   「結論が出たら、もう迷っちゃいけない。どんなことがあってもね。ま、どんな結論が出たとしても、

   辛いことは大して差はないと思うよ。進むも地獄、引くも地獄、さね」

   「わしは、どんなに周りが騒ぎよっても、やっぱりNERVは好きになりませんなぁ。あっはっはっは」

   「あ、鎮遠さん。聞いておられたんですか?」

   「聞きたくなくても耳に入ってきますわ。狭いシェルターの中で、そげなでかい声をだしてれば、いやでも

   聞こえますわな。」

   「あ、これは・・・・どうも年甲斐もなく熱くなってしまって、お恥ずかしい限りです」

   「ま、わたしも、たとえ天から槍が降ってきても、NERVを好きにはなりませんわ。この間まで、あんな仕打ちされて
  
   今度はころっと手のひら返したように、NERV様様ってなわけにはいきませんわ。なんぞ困ったことがあれば、

   遠慮せずに訪ねてきてくださいな。多少の力は貸せますによってな」

   数分後、高橋、磐手、鎮遠の3人は、シェルターから吐き出された人たちで一杯の、新品川駅前を

   鎮遠建設に向かって歩いていた。

   

   「いやー、まいったわ、えらい絞られてもうた。おい、ケンスケ、お前が外に出たいなんて言うから、こないなことに」

   「ま、過ぎたことをぐたぐた言ってしようがないよ。それより、いろいろわかったことがあって、よかったじゃないか」

   「まぁ、それは確かやな・・・・でも、わしら、知ってしもうてもよかったんやろか?」

   「あるいは・・・・知らない方が心に重荷を背負わなくて済んだかもね・・・・」 

   「あ、鈴原君と相田君!! どこ行ってたのよ!! みんな心配してたんだから!!」

   「どうせ相田君が鈴原を誘ったんでしょ? なんで鈴原も止めないのよ!! 怪我したらどうするのよ」

   「あぁ、えらい心配かけたみたいやな。すまんかった・・・・」

   「・・・・・何かあったの?  いつもと雰囲気違うみたいだけど・・・・」

   「ちょっとね。いろいろ初めて見たものがあって、自分たちの中で消化できてないんだよ」

   「悪いけど、今はちょっと一人にしておいてくれんか・・・・・・」

   
   西日が一杯に差し込む教室に、扉を開ける鈍い音が響いた。

   「あ、綾波か。もう戻ってきたんか・・・・・転校生は、まだ戻れんのか?」


    つづく
   
   
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