或いはひとつの可能性



第16話・冷たい床の上の日常





   初瀬はコンビニの輸送拠点から届いた商品の陳列を終えると、レジの内側に入り、小さな椅子に腰掛けた。

   さっきまで大学生らしき客が雑誌を立ち読みしていたが、今は客は誰もいない。

   明るい日差しがガラス窓から店内に降り注いでいる・

   初瀬は、ふと、眠気を覚え、欠伸をした。

   「もう11時50分か・・・・仕事していると、時間が経つのが早いな・・・・・・もう少ししたら飯食うか・・・・」

   初瀬はレジの下に釣り下げてある小型壁掛けテレビのスイッチを入れた。

   「こんにちわ。5月21日、木曜日のお昼のニュースです。はじめに、本日の第2新東京外国為替市場では、

   自由改進党の景気対策を好感して円が買われ、昨日より1円25銭円高の、1ドル=147円55銭で取引が

   始まり、現在は1ドル=147円45銭前後で推移しています。なお、円はユーロに対しても値上がりしています。

   一方、第2新東京株式市場では、情報通信関連銘柄を中心に値上がりするものが目立ち、日経平均株価は昨日より

   862円高い、1万5,519円となっています。それでは、次のニュース・・・・」

   「景気対策か・・・・効くのかな・・・・・」

   その時、店の自動ドアが開いた。

   「いらっしゃいませ。あ、石河さんか・・・・」

   「ああ、今日は家内がデパートへ行っちゃってるんで、昼飯買いに来たんだよ。こんな日は客も来そうにないしね」

   「景気対策の話、聞きました?」

   「ああ。期待したいね。なんでも自動運転システムっていうのを全国の道路と自動車に張り巡らすんだって? 

   ドライバーは殆ど運転しなくてよくなるし、誘導システムっていうのが働くから渋滞もなくなるらしいね。

   自動認識システムってやつのおかげで、料金所もなくなるそうだし、これで景気も良くなったら言う事無しだね。

   ついでに土地取引も増えてくれるとうちも手数料が儲かるんだけどね」

   「・・・・運転、楽になりますね・・・・事故も減るだろうし・・・・」

   「そうだね。セカンド・インパクトがなかったら、もっと早くに実現していただろうにね。あれのおかげで、

   ようやく始まっていた財政再建も景気回復もなにもかも全部吹っ飛んじゃったからね」

   「・・・・ようやく「セカンド・インパクト後」が終わったっていうことですか・・・・・」

   「ああ。再来年は、うちの娘の17回忌だよ。早いもんだね・・・・。そうだ。今から予約しておかないと、

   お寺さんが法事に来れなくなるかもしれないな。17回忌を迎える家が無数にあるだろうから・・・・・」

   「・・・うちのかみさんの15年忌でもあります・・・・・」

   「そうだったね。ようやく気持ちにも、ひと区切りつくね」

   その時、テレビからアナウンサーの緊張した声が流れた。

   「先ほど、静岡県浜松市付近に正体不明の物体が上陸した模様です。今、中継を」

   そこまでアナウンサーが話したところで、画面が途切れた。
  
   「なんだ? 電波障害かな?」

   初瀬はリモコンを取り上げると、チャンネルを変えた。

   どのチャンネルも放送を中断していたが、やがて画面が復旧した。

   「本日正午、東海地方を中心とした関東・中部の両地方に特別非常事態宣言が発令されました。

   市民の皆さんは速やかに指定の避難所に避難してください」

   さっきのチャンネルでは、先ほどのアナウンサーがやや苦渋の表情をにじませながら原稿を読み上げていた。

   コンビニには、正午のサイレンと重なって、警戒サイレンの音が響き始めた。



   「綾波さん、お昼ごはん食べようよ」

   昼休みになると、リエとリョウコは弁当を持ってレイの近くに来た。

   レイはただ黙って二人をみつめるが、拒絶しているわけではないことを二人とも知っている。

   「またパン1つなの? おなかすかない?」

   「・・・・大丈夫・・・・・心配いらないわ・・・・」

   「今週もあしたを残すだけね。日曜日の試食会、楽しみね」

   「・・・・そうね・・・・・」

   その時、レイのポケベルが鳴った。

   同じ音が教室の前方からも聞こえてくる。

   レイがポケベルを取り出すと同時に、シンジもポケベルを取り出してみている。

   ポケベルをみたレイは弾かれたように立ち上がると、シンジに向かって言った。

   「非常招集、先、行くから」

   二人が教室から駆け出していくのを、2年A組の生徒達は呆然と眺めていた。

   やがて彼らが今の出来事について話そうとしたとき、校内放送が流れ始めた。

   「今、特別非常事態宣言が発令されました。生徒の皆さんは至急、自分の教室に戻ってください」


   
   高橋、磐手、鎮遠は新品川駅近くのシェルターに入っていた。

   「また宣言が出ましたね。今度も使徒っていうやつですかね?」

   「どうかねえ。あれから僅か9日目だからな。そうちょくちょくは来ないんじゃないか。仮に使徒だったら、

   またNERV問題に脚光が当てられることになるな。政府も黙っちゃいないだろうし・・・・」

   「うちの会社が手がけている現場は大丈夫かな。竣工間近のところを3ヶ所抱えてますからな」

   彼らの周りには、新品川の住民たちが床に備え付けのビニールを敷いて座っている。
  
   背広姿の会社員、子供を連れた主婦、制服姿の駅員やスーパーの店員やOL、大学生、和服姿の老人、

   いろいろな年齢の、いろいろな職業の市民たちが不安そうな表情で思い思いに座っている。

   室内はエアコンで適温に保たれているし、換気も十分に行われているので、コンクリートの床の感触さえ

   気にしなければ、さして不快な環境ではない。

   市民たちはシェルターに入った当初こそ押し黙っていたが、時間が経つうちに、不安を紛らわせるため、

   そして手持ちぶさたを紛らわせるため、見知らぬ隣人たちと世間話を始めたり、寝転がって睡眠を貪る者も出てきた。


   「宣言発令から1時間半近く経つけど、なんにも起こりませんね。上はどうなっているんでしょうかね?」

   「さあ、皆目、見当がつきませんね。射撃音や振動がないから、ドンパチやっているわけじゃなさそうだけど・・・」

   「ま、ここは14年前の新型爆弾程度には十分耐えられるように造ってあるから、取り敢えずは安心ですよ」


   「困ったわ。銀行、やっぱり3時には閉まっちゃうわよね。どうしようかしら」
     
   「宣言が解除されたら、すぐに環状線は正常運転に戻るかなぁ? 今日中に第2新東京市に戻らなきゃいけないんですよ。

   あしたは大事な商談があるんで・・・・」


   「あ、さきいか、いかがですか? もしお嫌いじゃなかったらどうぞ」

   「これはまた用意がよろしいですね」

   「この間の騒ぎのときには何時間もシェルターに入ってなきゃいけませんでしたからね。あのあと、緊急持出袋に

   入れといたんですよ。こんなもんでも退屈凌ぎにはなると思いまして・・・・」

   「じゃ、かわりにこれでも読まれます?」

   「ああ、週刊新世紀ですか。貸していただいてよろしいんですか? ここのグラビア、いつもすごい写真ですよね」

   「ちょっと電車の中では読みづらいですよ。周りの女性の冷たい視線を浴びますし・・・・」   



   「そこのかた、あなた、碁はなさいますかな?」

   「ええ、へぼですがね。まだ始めて3年目ですよ」

   「わしの相手をしてくれませんかの? 」

   「それじゃお言葉に甘えて・・・・初対面の方でも手加減はしませんよ。あ、それから、待った、は、なしですからね」


   「へえー、あなたも第三新東京大学なんだ。ぼくは法学部なんですよ。奇遇だなぁ」 
        
   「私、文学部の仏文科です。あの、この近くに住んでるんですか?」

   「ええ、新鮫洲に住んでるんですよ。今日は午後からの講義しかとってないから、これから学校に行こうと思って

    電車に乗ったら宣言が出て、ここで降ろされちゃって・・・・。あなたは?」

   「私は、午後の授業がないから戻ってきたところなんです。うちは新御殿山のマンションです」

   「あ、あの高級マンションですか、すごいなぁ。あ、仏文科でしたら、村雲って奴知りませんか? 

   同じサークルなんですよ」

   「村雲君って、あの背が高くて、ひょろっとやせてる、うちのクラスの人かしら?」

   「あ、知ってるんですか? おもしろい奴でしょ? この間もね・・・・・」



   「あ、そうかい! あんたもタクシー運転してるのか。どう景気は?」

   「少なくとも新小田原はさっぱりだね。新品川あたりはどう?」
   
   「一頃よりはお客が減ったよな。景気がまた悪くなってきたからね」
   
   「第3新東京国際空港の建設計画はどうなってるのかなぁ?」

   「ああ、あれ。あれは、まだ成田が使えるから当分先だよ。今の政府にはそんな財政の余裕はないからね。

   ここから成田までは遠いけど、使えるうちは我慢しろっていうことだよ。」

   「あれができれば、空港から市内への客がとれるんだけどな。今はさすがに成田からここまでタクシーで行き来する

   客はいないからねぇ。みんな特急リニアを使っちまうからな」


    
   「ままー、のどかわいたぁ。じゅーすのみたいよぉ」

   「ここはお水しかないのよ。我慢してね。」

   「お嬢ちゃん、よかったら、この缶ジュース飲むかい? 」 

   「あら、すみません。ほら、ユキちゃん、おじいちゃんに、ありがとうございます、言わなくちゃね」

   「ありがと、ございます」

   「どういたしまして。このお嬢ちゃん、お幾つですか?」

   「今年、5歳です。まだ目が離せなくて・・・・」

   「うちの孫も5歳なんですよ。かわいいさかりでね」




   「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ!!」

   「ほーら、トモヤ君、静かにしましょうねぇー。ばあ」

   「まあ、かわいい赤ちゃんね。生後何ヶ月かしら?」

   「まだ7ヶ月なんですよ。毎晩泣くんで、もうへとへとですよ」

   「まあ、子供ってそういうもんだから。でも、そのうち慣れてくるわよ。あたしなんか、この子のときには、夜泣きが

   ずっと続いて大変だったけど、そのうちに少々のことでは起きなくなっちゃったわ。なんか泣き声で分かるようになるのよね。

   ただの夜泣きと病気の夜泣きとおむつ替え要求の違いがね」  



   シェルターの中という非日常的な空間の中で、日常は確かに息づいていた。



   「小中学生はクラスごと、市民の皆さんは、自治会ごとに固まって座ってください。今、係員が人数調査に

   伺います。避難が長引いたときの食料、水などの配給量を決めるためですので、できる限り、動き回らずに

   いてください。なお、只今の時刻は午後1時52分です」

   市立第壱中学の近くの第334地下避難所では、市の防災課の職員によるアナウンスが流れていた。

   ここの地下避難所、通称ジオシェルターは延床面積2000u、最大収容人員250名の比較的小さなシェルターである。

   「ねえ、リョウコ。綾波さん、どこに行っちゃったのかしらね?」

   「碇君と一緒に出ていったし、非常召集とか言ってたから、やっぱりNERVかしら・・・・」

   「でも、綾波さん自身は、直接NERVとは関係はないはずよ。お父さんはNERV関係者らしいけど」

   「いったいどうしちゃったのかしら、心配ね。折角、少し仲良くなれたのに・・・・・・」

   「それも心配だけど、リョウコこそ大丈夫? 顔色、悪いわよ」

   「碇君が呼ばれたってことは、やっぱりあの、使徒っていう奴なんじゃないかしら・・・・。リエは見たことないから、

   わからないけど、あれ、ものすごく気持ち悪くてこわいのよ・・・・・思い出すだけで鳥肌が立つわ」

   「そっか。リョウコはあれをみちゃったんだもんね。・・・・・でも、大丈夫よ。きっと碇君が倒してくれるわよ」

   「・・・・そうね・・・・。私たちにはそれを祈ることしかできないものね・・・・・・」

   そう呟いて膝を抱え込んで体を小さくしたリョウコの背中を、リエはやさしく撫でた。

   「大丈夫よ、碇君を信じましょ。きっと勝つわよ」

   「そうよ。大丈夫よ。リョウコ、元気出しなさいよ。あんたらしくないじゃない!!」

   「あ、ユリコ・・・・ユリコは怖くないの?・・・・・」

   「怖いのは、みんな同じよ。ただ、それをみんな我慢してるし、それ以上にエヴァのこと、碇君のことを

   信じてるのよ。それにね・・・・・・」

   「それに?」

   「やられるときは、みんな一緒よ。じたばたしたって始まらないわよ」

   「リョウコ、ちょっとトイレいかない?」
   
   ヒカリは、リョウコをトイレに誘った。

   「ね、リョウコ。あんまり心配しないでね」

   「ごめん・・・、ヒカリにまで心配かけて・・・・・」
   
   「私だけじゃないの。みんな心配してるの。それにね、いつも元気なリョウコが沈んでいると、みんなまで

   不安になっちゃうわ。元気出してね。」

   「うん、そうだね。怖いけど、我慢するわ」
  
   トイレから戻ってきたとき、リョウコは少し落ち着きを取り戻していた。
   

   少女たちがリョウコの近くに集まって心配そうに見守っていたとき、トウジとケンスケは少し離れたところに

   座って、携帯テレビを覗いていた。

   「はー。やっぱり駄目だよ。この間とおんなじだ。静止画面に切り替わっている。僕ら一般市民には

   見せない気だよ、上で起こっていることを」

   「ミツコやおとんたちは無事に避難したやろか?」

   「病院や研究所なら完璧に大丈夫さ。それよりトウジ、話があるんだけど・・・」 

   「なんや? ジャージのことについてか? よっしゃ、わしがジャージの起源から語ってやるわ!!」

   「違うよ。ちょっとここではなんだから・・・・」

   「わかったわい。わしがなんとかしたるわ。まあ、みてろや」

   そう言うと、トウジは、リョウコの近くに集まっている少女たちのうちの一人に視線を向けた。         
    
   「委員長!!」

   「なによ、鈴原?」

   ヒカリは「今、とりこみ中なのになんなのよ!!」という表情を露骨に出して、トウジたちの方に振り向いた。

   「べんじょや!!」

   「もう!! シェルターに入る前に時間あったでしょ? ちゃんとその時に済ませときなさいよ!!」

   「そんなこと言ったかて、しゃあないやろ!! 「出物腫れ物、ところ嫌わず」や。それが生理現象っちゅうもんやろが!」

   「わかったわよ。さっさと行って、すぐに戻ってきなさいよ。調査の人が廻って来るんだから」

   「わかったわい。そないにキンキン言うなや・・・・」

   トウジとケンスケは立ち上がって廊下へと出た。

   かすかに埃が積もっているコンクリート張りの廊下は、蛍光灯の灯りの下、ひんやりとしていた。

   トイレは掃除が行き届いておらず、薄汚れていた上に、故障中のものがいくつもあった。

   「あーあ、防災課はなにやってるんだろ、こんな汚いまま放置して・・・・。後で高橋に言っておやじさんから

   市に注意してもらった方がいいね」

   「話ってなんや?」

   「実はね、一度でいいから、上の様子をみてみたいんだ」

   「かーっ。そんなことやと思ったわ。そないなことしてみい、死んでまうぞ!!」

   「ここにいても駄目なときは駄目さ。それより一度でいい、見ておきたいんだ」

   「わしは、ごめんこうむるわ。妹もおるし、まだあの世行くわけにゃいかんからな」

   「トウジも、碇の戦い振りをきちんとみておく義務があると思うな」

   「なんで、わしがあの転校生の戦いを見届にゃならんのや?」

   「今、使徒に勝てるのは、あのエヴァだけなんだぜ。そしてそのパイロットの碇を、トウジは、エヴァのパイロットだ、

   って言う理由だけで殴り付けたんだ。あいつが搭乗拒否でもしたら、みんなあの世行きだよ。トウジの責任だからな」

   「うう・・・・わかったわい。行けばいいんやろ、行けば!!」

   (どうせ、シェルターの入り口のところで警官に止められるのがオチや。外には出られんわい)

   トウジは自分の読みが浅かったことをすぐに思い知らされた。    

  
   ケンスケは前回の騒ぎのあと、こんなこともあろうかと思って、自宅の近くと学校の近くのシェルター2つの構造を

   入念に調べた。そして市の情報公開条例や人脈を利用して、シェルターの細部まで把握し、地上への通気孔がかなり太く、

   そこから外に出られることを知った。

   ケンスケはトウジに協力させて、トイレの換気孔のフィルターを外すと、天井裏に入り込み、通気孔にたどり着いた。

   そして通気孔の非常階段をよじ登り、地上へと出た。

   「・・・・・これが僕たちの街、第3新東京市の裏の姿なのか?・・・・・」

   「おい、ケンスケ!! なんやみたことない武骨なビルばっかりやぞ!! どうなっとんのや!!」

   「これが第3新東京市自慢の対空迎撃システムさ。このビルはみんな兵装ビルっていうもので、ま、要塞みたいな

   もんだよ」

   「ほぉ、そうか!! それにしても、よく知っとるなぁ。」

   「ま、こんなこと、お茶の子さいさい、ってもんだよ」

   二人は学校の裏山の神社を目指して駆け出した。   
   

    つづく
   
   
第17話に進むには、このを押してください。
                「小説のありか」に戻るには、この を押してください。