或いはひとつの可能性



第15話・傲慢の代償





   3時間目が終わり、休み時間になった。

   洗面所に行こうとして廊下に出たリエは、ヒカリがすぐ前を歩いているのに気づいた。

   「きょうもいい天気ね。ここのところずっとこんな天気が続いているわね」

   「あ、リエ。そうね、天気がいいと気分が明るくなるわね」

   「そうそう、ヒカリに言わなきゃいけないって思っていたことがあったの」

   「え、なにかしら?」

   「この間、私の家で治部煮をつくろうって約束してたでしょ? あのあと、あんな騒ぎがあって、すっかり

   忘れちゃってたわ。ごめんね。その代わりといってはなんだけど、今週の日曜日にリョウコの家でお菓子の

   試食会するから、ヒカリも来てくれない?」

   「え、私も誘ってくれるの? 嬉しいわ。私も甘い物には目がないから。他には誰が来るの?」

   「ユリコと綾波さんよ」

   「ええっ、綾波さん?! 珍しいわね。・・・そう言えば、綾波さん、さっきもリエたちに挨拶してたし、

   少しずつでも心を開いてくれはじめているのかもしれないわね・・・・」

   「うん、そうみたい。根は、素直で、とてもいい子だから、きっといつかは、もっとみんなとなじめるようになるわよ」

   「そうね。私も、あの子のこと、気になってたから、少し安心したわ。あ、これ、委員長としてではなくて、

   クラスメートの一人として心配していた、ってことよ」

   「ふふふ、わかってるわよ。・・・・でも、相変わらずね、碇君と鈴原君の関係・・・・」

   「鈴原も決して根性の曲った子じゃないんだけどね・・・・やっぱり大切な妹さんが怪我してるから・・・・」

   「なんとかしたいわね・・・そのうえ、最近、私とリョウコが綾波さんとばっかり話したりしているから、なんか碇君が

   孤立しちゃったみたいで・・・」

   「リエも大変ね。あちら立てれば、こちらが立たず、ってわけ?」

   「もうー。ヒカリもなんか考えてよ。女の子で、鈴原君と話したことがあるのは、ヒカリとリョウコだけなんだから」

   「あ、あたしは、その、い、委員長だし、家も近いから、鈴原と話したことがあるだけよ。リョウコじゃだめなの?」

   「リョウコじゃ、喧嘩になっちゃうわよ」

   「それもそうね。似た者どうしなのに、なんであんなに仲が悪いのかしらね。」

   「まさか、近親憎悪、みたいなもの?  ははははは」

   二人の少女は、陽の光が眩しく差し込んでいる廊下を、楽しそうに話しながら歩いていった。

   その傍らを別の少女たちが笑いさざめきながら走り去っていく。

   そこに、一点の曇りもなかった。 
   


   高橋は、第三新東京市環状線7号線の新品川駅の階段をゆっくりと下りていた。

   隣では、同僚議員の磐手が足元を気にしながら、階段を慎重に下りている。

   高橋は、今朝、議会内の自由改進党の控室に顔を出し、三笠幹事長に「欠席願」を渡していた。

   本来なら、今日は市議会の財政委員会の質疑があるため、委員の高橋は出席しなければならないのだが、

   急に思い立って、「公務出張」することにしたので、三笠を通じて財政委員長に欠席願を提出しなければならなかった。

   委員会の場合には、委員長本人でない限り、「公務出張」の名目で欠席することは大目に見られている。

   高橋が会派別控室に顔を出したとき、偶然、今日の出張先を選挙区域としている磐手が、退屈そうに新聞を読んでいるのを

   みかけたので、強引に頼み込んで、一緒についてきてもらったのである。

   「悪いですね、磐手さん。ほんとうにすみません。足元、大丈夫ですか?」

   「いいよ。どうせ今日は、私の専門外の放置自転車撤去費用問題が議題だからね。足元? ああ、遠近両用眼鏡だと

   階段の上り下り、とくに下りがつらいね。まあ、いずれ高橋君も身に染みるときが来るさ。はっはっは」

   「最初は一人で来ようと思ったんですけどね、やはり地元議員の口添えがあるか無いかで、地元の人たちの

   口振りが全然変わってしまうものですから・・・・」

   「まあ、いきなり訪ねてきた人にいろいろ聞かれたら、やはり警戒しちゃうのが人情ってもんだよ」

   「とくに聞かれたことが、あれについてなら、なおさらですね」

   「ああ。・・・でも、君も、いいところに目をつけたもんだね」   
      
   「うまくいくかどうかは、全くわかりませんけど・・・・。あ、もう、こんな時間ですか・・・・訪問を終えたら

   なんか精のつくものでもご馳走しますよ。うなぎなんか、どうですか?」

   「いいねぇ、蒲焼き、白焼き、うざく・・・・・おっと、よだれが出そうだよ。はははははは」


   彼らは正午近くの強い陽射しを浴びながら、駅前の通りを10分ほど歩き、ある高層ビルに入っていった。

   ビルの看板には「鎮遠建設」と書かれている。

   1階の受付を訪れた二人は、やがて15階の社長室に招じ入れられた。

   「やあやあ、これは磐手さんじゃないですか! どうしました? パーティー券なら、もう今月は勘弁してくださいよ」

   「またまたご冗談を。鎮遠さんは、この間の騒ぎで損傷を受けたビルや民家の修復工事でウハウハじゃないですか?!」

   「いやぁ、全く新種生命体さまさまですな。これは特需、天の恵みですわ。あれ、噂では、使徒っていうみたいですな。

   なんのお使いかは知りませんけど、今度、建設業協会で温泉に招待して接待しなきゃ罰が当たりますわ。あははははは」

   「今日寄らせてもらったのは、ちょっと昔のことを教えてもらおうと思いましてね」

   「なんですかな? 他でもない磐手さんの頼みなら、断るわけにはいきませんなぁ」

   「ここにいるのは、私の同僚で新世田谷区選出の高橋議員です。実は、今、わが自由改進党ではNERVのことを

   ちょっと調べてましてね。それで、あれの建設を鎮遠さんが請け負ったときのことを教えてもらえれば、と思って

   参上した次第です」

   磐手は、窓の外に燦然と輝いて聳え立つビルを指差した。

   「ああ、第七兵装ですか。確かにあれを請け負ったのはうちですわ。いやあ、あんときはえらい目に遭いましたわ。

   市の建設部の奴ら、入札のときには工期8ヶ月と言ってたのに、うちが落札して暫くしたら、急に工期を半年に  
   
   短縮せい、って言い出しましてな。「そんな無理なことはできん」と答えたら、「それじゃ、指名を取り消す」って

   脅かしてきよったんですわ。それでですな、「うちは、ほれ、もう図面もみて、えらいもん造るっていうこと

   知ってしまってますけど、それでもええんですか?」と逆に切り返してやったら、市の担当者が困った顔になりましてな、

   「実はうちの上の方からの鶴の一声でこうなってしまったんですよ。その、うちの上の方も、別のところから、

   非常に強い要請を受けてしまっていて、無理を承知で受けざるをえなかったんです。なんとか頼みます」って言うんですよ。
      
   うちは、なんと言われてもできんもんはできんから、結局、市役所に断りに行ったんですわ。そしたら、応接室に

   通されたのはいいんですがね、目つき悪くて、詰襟を着た妙な奴等が待ち構えていましてな、寄ってたかって脅すんですわ。

   それで、わたしが「建設部の担当者はどうしたんですか?」って聞くと、その中の一人が「これは建設部が施主となって

   いるが、実際にはNERVの発注した案件だ。それを断るというのは、いい度胸だ」って凄むんですよ。結局、

   わたしらも命あっての物種ですからな、泣く泣く請け負ったんですわ。そしたら、工事の進め方を巡って、また

   あれやこれやと、こまいことまで文句つけてきて、そのうえさらに工期を4ヶ月に短縮しろ、って言ってきたんですわ。

   もう突貫工事になってしまいましてな、職人は怪我するわ、現場監督は心労で倒れるわ、えらい目に遭ったんですわ。

   竣工したときも守秘義務がどうとかって言ってましたけど、うちは、あれから一切、NERVの臭いのする物件は

   手がけてませんし、もうNERVとはとうに縁は切れてますんで、こうしたお話したんです。ま、でも、私が

   しゃっべったってことは、ひとつ内緒にしといてもらえませんかね?」

   「いや、いろいろとすんません。もちろん、鎮遠さんがしゃべったなんてことは口が裂けても言いませんから、

   安心してください」

   「なんでも、今度はNERVはロボットこさえているみたいですな。全くなに考えとるのか、恐ろしいですな」

   「だから、我々がそれを明らかにして、NERVの暴走を押さえようとしてるんですよ」

   「ああ、そういうことですか・・・よっしゃ、わかりました!!・・・きょうは、ええもん、みせてあげましょ。

   目の保養になりますよ」

   そう言って、日焼けした顔でにやりと笑うと、鎮遠社長は金庫を開けて、中から大きなファイルを取り出して、

   真ん中ぐらいのページを、ばらっ、と開いた。

   「こ、これは・・・・・」

   「そうです。あれの中身ですわ。」

   鎮遠社長は窓の方に向けて顎をしゃくった。

   「いいんですか・・・・こんなのを私たちに・・・・」

   「最近、NERVの業者いじめはだんだん酷くなっているみたいですな。今、建設中の第63兵装を請け負っている

   仲間のところなんか、工期は短いわ、いきなり値下げは強要されるわ、で、採算割れ必至ということですわ。

   なんぼ人類のためになる仕事する組織や言うても、ちょっと傲慢すぎますな。」

   「いや、なんとお礼を申し上げればいいのか・・・・」

   「この図面、竣工時に廃棄したことになっているんですわ。でも、あんまり癪なんで、なんかの折りに意趣返しして

   やろうと思いましてな、今日までとっておいたんですわ。あ、それが重機関砲の砲座です。機関砲をこしらえたのは

   第二新東京に本社のある千歳重工ですわ」

   「あそこは防衛機器メーカーとして確かに一流ですが、よくこんなものまで造れましたね。」

   「なんでもNERVの技術局の技師たちが技術指導したそうですな。機関砲据え付けについて来た重工の主任さんが

   言ってましたよ。なんでも、ものすごい技術力だそうですな、NERV技術局は。金に糸目つけずに技術開発進めている

   みたいだ、って、その主任さん、えらく羨ましがってましたよ。」 

   「まったく恐ろしい組織ですね、NERVは・・・・」

   「ええ。出入りの業者も、みんな泣かされてますわ。とくに最近は値切り方が酷いんで、本音では取引やめたいと思っている

   者も多いんですがね、いざ、止めようとすると、守秘義務やら持ち出されて、「今後の行動には相当の制約が

   課されることを覚悟して頂きたい」とか言われてしまうんで、みんな泣き寝入りしてますわ。おそらく、この間、

   派手にぶっ壊れたロボットの修繕費用を捻出するために必死なんでしょうな。ロボットが街や私らの命を救ってくれた

   ことはありがたいと思ってますがね。だからと言って、立場の弱い業者を締め上げるのは納得行きませんな。

   あ、もうちょっと、あのロボットが派手に暴れて、あちこちの「おかみ」のビルを壊してくれたら、

   工事が増えてありがたかったんですがね。はははははは」


   
   鎮遠社長がそこまで話したとき、突然、社長室のテレビに自動的にスイッチが入った。

   「只今、東海地方を中心とした関東・中部地方全域に特別非常事態宣言が発令されました。市民の皆さんは

    すみやかにお近くの地下避難所に避難してください。繰り返します・・・・・」

   社長室の置き時計が正午の時報のメロディーを流し始めた。


    つづく
   

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