ポートランド日記                                     スズキメディア

10月6日(土)──67日目


 教会の英会話教室へ。今日は、いつものトムさんがワシントンDCへ出かけていていないので、木曜日にオレゴンコーストへ連れて行ってもらったジョーさんが先生。一緒に授業を受けるのは、沖縄出身の五〇代後半と思われる女性・ヤスコさん。
 彼女は、二〇年くらい前にポートランドに来たが、家にずっといたので、英語はあまり上手ではないそうだ。今は、病院で仕事をしている。仕事の上でも、英語がもっと話せるようになりたいと思い、この英会話教室に来ている。
 もちろん、僕より話すことも聞くこともよくできるが、正規の英語の勉強をしていないので、発音は上手ではないし、英文を読むのには時間がかかる。PCCのスピーキングの授業でも思うが、「英語が上手じゃない」と言っても、いろんなレベルがある。

 今日は、ヤスコさんが持ってきた会議の資料を読みながら、ジョーさんがいろいろ質問に答えるという授業。僕は途中参加なので、話を聞きながら、わからないところを質問した。会議というのは、病院の各部門の連絡会議で、いろいろ不満が出てくるらしい。会議の冒頭に、その会議の意味、議長の役割、定足数、投票方法など、細かく決めるようで(アメリカらしい)、まずその説明が続く。
 話しているうちに、「私(ヤスコさん)のセクションでは、それぞれの仕事量に差があって、不平等だ」という話になる。
ヤスコさん「上司に話しても、それなら、あなたが何とかするようにと言われる」
ジョーさん「そのときは、私にそうして欲しいなら、『それ相応の地位と給料をもらわないとできない』と言わないとダメよ」
 日本でも、今はそうかもしれないが、アメリカでは、「仕事上の権限の範囲とそれに見合った報酬」が、はっきりしているのがわかる。

 英会話教室で思うのは、自分は何をやりたいかはっきり主張しないとダメだということ。何をしたいか言えば、先生はそれに対応してくれる。今日のところは、様子見で、ジョーさんとヤスコさんの話を聞いて、時々質問をしていたが、来週、もう一回ジョーさんとの授業があるので、次は、自分なりの「やりたいこと」を持っていってみよう。

 英会話教室のあとは、ダウンタウンで買い物。ノードストロームという百貨店のアウトレットショップ(売れ残りの商品を安く売る店)が、すぐ隣のブロックにあるのがわかって、そこに行ってみた。確かに売れ残りで、前のシーズンの商品ばかりだけど、値段は安い。でも、同じデパートの安売り商品をすぐ近くで売っているのは面白い。

 お昼は、「タコ・デル・マー」で食べた。Cはここは初めてなので、一度連れて来ようと思っていた。僕は三回目になる。
 Cはタコスのコンボセット。ソースをマイルドにしたら、少し甘すぎて物足りなかったようだ。特に付け合わせのライスとチリビーンズがおいしいと言っていた。
 僕は、ブリトーとタコスのコンボセットにした。ブリトーは、大きめのトルティーヤに、タコスの付け合わせに付いてくるライスとチリビーンズに、タコスに入れる肉の具を入れて包んだもの。タコスのようにキャベツやトマトは入っていないので、ちょっと物足りない。やっぱり、タコスが一番いいようだ。
 ここのタコスは本当におすすめ。今まで食べたうちで一番おいしい。

 帰って、テレビを見ていたら、「ミスティック・ピザ」という映画をやっていた。1988年公開で、その頃はまだそれほど知られていなかったジュリア・ロバーツとリリ・テイラー、アナベス・ギッシュが出ている映画だ。
 コネチカット州の港町が舞台で、「ミスティック・ピザ」というピザ店に勤める姉(ジュリア・ロバーツ)と妹(アナベス・ギッシュ)とその仲のいい友だち(リリ・テイラー)の三人の女性の物語。それぞれ恋愛問題があって、紆余曲折がある。
 インターネットで「ミスティック・ピザ」について、あらすじを調べてから見たので、だいたいの流れはわかったが、ここぞというところの面白そうなやりとりがわからなくてくやしい。二か月前に比べると、部分的にはやりとりのわかるところがあってうれしいが、面白い映画だと、全部の内容を細かく知りたくなる。
 それで、この映画をビデオに録画して何度も見てみることにした。この局は、同じ映画を一日から二日にわたって続けて何度も放送するので、そういうことができる。

 日曜日にもう一度見てみたが、一回目にわからなかった台詞は二回聞いてもなかなかわかるものではない。それでもう一回、今度は音を消して聞いてみた。寮の部屋のテレビは、たいていの映画の場合、音を消すと、台詞が字幕で表示される(日本の文字放送と同じ)。
 字幕で見ると、聞いただけではわからなかった台詞の大半の意味がわかる。いかにリスニングが良くないかということだけど、まあそれは仕方ない。でも、このあと、もう一度音声を聞き直すと、耳にちゃんと聞こえてくるかもしれない。試してみよう。
 アメリカへ来てすぐは、映画を見ていると、細かいところがわからなくてイライラしたが、少しは進歩したかもしれない。で、映画を見ていて思うのは、日本語字幕で見るのと、英語だけで見るのは、意味が全然違うらしいこと。英語で聞きながら、わからないところは辞書で調べたりしていると、細かいところの手触りみたいなものが伝わってくる。
 日本語字幕は、英語を日本語という違う文化の言葉に置き換えてしまっているので、元の作品と微妙なずれが生じている。翻訳小説のように、新たに別の世界を作っているとも言えるのだが、英語だけで見る映画は、日本語字幕映画とは全く別の体験じゃないかという気がしてきた。

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