Talk about Bee Gees


 友人の坪井賢一さんが、ビージーズのファンだと知ったのは、出会ってからかなりたってからのことだ。たまたま「今度ビージーズのアルバムが全部CDになるからお金が大変だ」という話をしたら、坪井さんが「僕もビージーズを昔から聴いている」と言い出した。だから、話をしたのは92年のこと。坪井さんと最初に会ったのは84年だから、ずいぶん長い間、お互いにビージーズを聴いてきたことは知らなかったことになる。

 それからも、あまりビージーズの話はしなかったのだけれど、ホームページを作って、日本盤のアルバム、シングルのジャケットを掲載するようになって、坪井さんが、70年に発売されたバリーとモーリスのソロシングルを持っていることを知った。無理を言って貸してもらうことになって、受け渡しのときビージーズの話をいろいろとした。

 そのとき、ビオデがいろいろ出ている話をしたら、坪井さんは知らないという。それで、見て
もらったら、感想が面白かった。坪井さんは、アマチュアオーケストラでトランペットを吹いていたりもするので、楽譜にも詳しくて、ビージーズのコーラスを僕とは違った視点で見ている。

 それで書いてもらったのが以下の文章です。どうもありがとうございました。

 ビージーズの想い出、初めて聴いたビージーズ、日本公演の感想、好きなアルバム、音楽の分析、コレクション自慢など、このページにアクセスした方の文章をこれから載せていきたいと考えています。我こそはと思う方、メールをお寄せください。

ビージーズのビデオを見て

 ビージーズのラスベガスライブを見て、久々に興奮してしまった。1954年生まれの私にとって、ビージーズは実に古いつきあいだが、ビデオのコレクションはない。実演は72年、74年、89年と来日公演を聞いている。鈴木康之氏から借りたラスベガスライブは98年の収録だそうだから、動いているビージーズを見るのは十数年ぶりだ。

 いま、ビデオを友人に又貸ししているので、記憶をたどってこのライブについて書いてみたい。私は編集者20年以上の自称ベテランだが、ビージーズについて論ずるのは初めてである。つい最近まで、ビージーズのファンは絶滅寸前だと思っていたからだ。鈴木氏から、メーリングリストもあるし、ビデオも出ていると聞かされて、いてもたってもいられなくなった。

 さて、ビデオである。まず、コンサートの構成が72年、74年、89年の公演とほとんど同じであったことに一驚。72年に聞いたときも、その数年前のヒット曲を、懐メロ風に演奏していた。驚くべきキャリアの長さを実感させる。

 あたまの曲「ラヴ・サムバディ」は、21小節めのサビのコーラスで、ロビンが高音を出せなかったのか、上のAの音をEに下げていた。だんだんエンジンがかかって、ハイトーンが出るまでに、和声を少しいじりながら調整していたようだ。響きが耳慣れた音と違うので、楽譜を買って確認した。

 ただし、私の勘違いの場合もあります。なにしろ脳の奥底で鳴っている30年近く前の音を頼りにしています。

 一緒に借りた「ケッペルロード」を見ると、長年の謎が氷解した。まず、メインコース以降、ファルセットで歌うようになったが、私は絶対シンセサイザーで波形を変換し、ファルセット風の音色を作っているのだと思いこんでいた。バリーによれば、プロデユーサーに指示されて歌ったら、全曲ファルセットで歌えたという。あれは全部地声の裏声だったんだ。

 次に、3人で作曲している場面。なんと、楽譜が読めないんだ。物語を少しずつ組み立てて合議しながら作っていた。これも驚き。あのコーラスの精妙さからして、楽譜をもとにアレンジしていると想像していた。

 コーラスは、子供のころに鍛えている。耳を頼りにハーモニーをつけていたとは。オーストラリア時代の少年コーラスはすばらしい。声変わり前だから、3人の音色がぴたりと合っている。むしろ、大人になった後のコーラスよりハーモニーは合っているようだ。これまた驚きであった。

 以上、気がついたことです。もう、ファンの方々はとっくに知っていたことでしょうねえ。私には、本当に新鮮な驚きでした。
(坪井賢一)
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