We Love Internet People from INTERNET magazine
あの人に会いたい!

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目次

  96年

  97年

  98年


We Love Internet People あの人に会いたい!…………INTERNET magazine 1996.12

『赤毛のアン』のL.M.モンゴメリに関するホームページを開いている

カナダ・トロントの梶原由佳(かじはら ゆか)さん

http://noisey.oise.utoronto.ca/yuka

 L.M.モンゴメリ作の『赤毛のアン』も翻訳している、作家の松本侑子さんが初めてインターネットにアクセスするのを手伝ったときのことだ。Yahoo! でモンゴメリに関するサイトを検索していて、「Lucy Maud Montgomery in Ontario」という英語のページを偶然見つけた。しかし、よく読んでみると、作っているのはユカ・カジハラという人。日本人だろうか日系人だろうかと、半信半疑で日本語と英語でメールを出してみると、日本語で返事が返ってきた。
 梶原さんは、トロント市立図書館にある児童書の収集で有名なオズボーン・コレクションで働いている日本人女性だった。しかし、どうして日本人女性がそこで働くようになったのか、しかもインターネットでホームページを開くようになったのか、疑問はつのるばかり。そんなわけで、疑問を解決すべく、トロントまで出かけてお話をうかがってきた。

Q:インターネットのホームページはどんなきっかけで始めたんですか。


梶原:インターネットに関わり始めたのは、94年くらいだったと思います。周りの友達がやっていて、こんなページがあるんだよと見せてくれました。それを読んでいるうちに、そうか、今は個人でも情報を発信できる時代になったんだというのに、気がついたんです。

 私は図書館に勤めているんですけど、『赤毛のアン』に関する質問が異常に多い。私が日本人というせいもあるんだけど、なぜ日本人は『赤毛のアン』に興味があるんだって、年がら年中聞かれている(笑)。ちょうどそういうことを考えている時期だったので、『赤毛のアン』の作者、L.M.モンゴメリならポピュラーだから、世界中の人に読んでもらえるんじゃないかと考えたんです。


Q:梶原さんのページは、プリンスエドワード島(PEI:Prince Edward Island=『赤毛のアン』の舞台になったカナダ東部の島)のページとか、Kindred Spirits(キンドレッド・スピリッツ:『赤毛のアン』の中に出てくる言葉で、腹心の友という意味)というL.M.モンゴメリのホームページともリンクしていますね。


梶原:元々のスタートは、94年6月にプリンス・エドワード島で第1回のモンゴメリ学会があって、そこでいろんな方と知り合いになったんです。そこで、インターネットのなかで、討論のできるような交流会をやりましょうという案が出て、Kindred Spiritsというメーリングリストを始めました。

 そうしたら、私のところにいろんな質問が来るようになって、いつの間にか質問に答えるおばさんの係になっちゃったんですね。こんなに質問があるんだったら、ホームページに書いて出しちゃったらどうだろうというので、ジェフ・ローレンスという男の子と組んで、彼がKindred Spiritsのサイトを作って、私がそれにリンクして「Lucy Maud Montgomery in Ontario」のページを出したんです。

 ジェフは今はトロントとモントリオールの間くらいにあるキングストンという町のクイーンズ大学で、コンピュータ関係の仕事をしています。彼はいろんなサイトを持っていて、モンゴメリのものはその一部です。モンゴメリは全くの趣味で、今は本業のほうが忙しくて、Kindred Spiritsもほとんど更新できないみたいですね。

 そういう私もなかなか新しい情報が出せませんけど。Kindred Spiritsでは、週1回チャットもやっていて、私はキーボードが遅いからなかなかついていけないけど、盛り上がっていますよ。


Q:Lucy Maud Montgomery in Ontarioというページのアイデアはどんなところから出てきたんですか。


梶原:プリンス・エドワード島は、州政府がインターネットに積極的にお金を出していて、PEI大学でもモンゴメリ関係の研究が進んでいます。私はそれを見ていて、どうしてモンゴメリはPEIだけなんだろうって疑問を持ったんです。モンゴメリは結婚後、PEIを離れてオンタリオ州に移り住んでいましたし、そこで作品もたくさん書いています。それで、オンタリオ州を中心にした情報を載せてみようと思いました。


Q:トロント新聞のレビューでも取り上げられたそうですね。


梶原:新聞にインターネットのレビューがあるんですけど、そこにすごくシビアな評が載りました。
「この人はモンゴメリのファンでサイトを開いていて、それはそれでいいんだけど、モンゴメリがPEIで生まれたことなんか一言も書いてない」

 本当はちょっとは書いてあるんですけど、メインがオンタリオのことだから、そういうふうに書いたんでしょうね。
「ほらほら、ユカ、やっぱり言われたでしょう」ってみんなに言われました(笑)。

 でも、PEIのモンゴメリについて書いているサイトは他にあるわけだから、実際には情報の取り方次第でPEIのこともオンタリオのこともわかるんです。

 私たち一人一人は何か出せるものを持っているんだから、それを少しずつ発信する。それがリンクしてウェッブになっている。レビューを書いた人の見方もあると思うんだけど、何のためのウェッブか考えてほしいなと思います。


Q:ホームページを作るときは、どんなことに苦労されましたか。


梶原:最初はデザインとか何にも考えてなくて、写真をスキャンして文章を入れればいいと思っていました。写真のサイズが大きいと表示に時間がかかりますよね。だからそんなに大きくしないようにしようというくらいでした。

 一番こだわったのは、写真です。写真を撮るのが上手じゃないから、例えばモンゴメリが住んでいたリースクデールの牧師館の写真には、電線が入っていて、これはいけないと思って、フォトショップで全部消しました。ついでに、横に停まっていた車も消して、そういうことにやたらに時間をかけましたね。友達がスキャナーもソフトも持っているので、行ってやらせてもらいました。

 写真を見てから、あの牧師館に行った人は、何で電線があるのかなって思うかもしれません。そういう人がいてほしいですね(笑)。バラのミュージアムの写真も暗かったので、ライティングで明るくしています。だから、芝生が本当の色とはだいぶ違っていますけど、まあ私のページだからいいんじゃないかと思っています。


Q:ところで、梶原さんが今トロントで暮らして、公立図書館で働くようになったのは、どんなきっかけからだったんですか。


梶原:東京で知り合った主人がカナダ人だったので、88年にトロントに来たんです。当時は仕事もない上に英語もできなかった。それでぶらぶらしていたんですが、主人の友達で、オズボーン・コレクションで司書をしている女の子がいて、彼女の手伝いが必要だから行ってみないかというが最初です。

 What can I do for you?  くらいの英語しかできないでぼーっとしていたのに、みなさんいい人で、いいわよいいわよって、いろんな仕事をさせてくださったんです。そのあと、試験を受けて正式に採用されて、現在までオズボーン・コレクションで働いています。


Q:電子メールもよく来ますか?


梶原:あんなに反響が多いとは思いませんでしたね。日本の方も見てくださって、こうして、鈴木さんに、東京から取材にも来ていただいたんですから。スウェーデンやデンマークの方からも、モンゴメリに関する論文を書きたいけど、資料はないかという問合せが来たりとか。

 北欧はけっこうインターネット盛んなんです。ヨーロッパでもフランスなんかは全然ですけれど。とにかく問合せが多くて、今はEメールの返事を書くのに時間を取られている状態です。2、3日で100通超えます。でも、ずいぶん長いことページを変えてないから、この記事を読んで見に来る人ががっかりしないように、これから大幅に手を入れないといけないですね(笑)。


Q:お勤めのオズボーン・コレクションのページも作っていますね。


梶原:オズボーン・コレクションは、イギリスの図書館員だったエドガー・オズボーン氏が集めた児童書2000冊を基礎にしたもので、その後も年々蔵書数が増え、世界でも有数の児童書のコレクションになっています。

 実は、私のところにあるページは勝手に作ったもので、図書館のほうから、そのまま開いておいてもいいけど、本格的にやるのはちょっと待ったほうがいいわよと言われているんです。公立図書館ですから、公式に始めるとしたら、いろいろと難しいことがあるんだと思います。

 オズボーン・コレクションの会員の方もお年寄りの方が多くて、私のホームページもプリントアウトして見せたんですけど、そのときはわーっと拍手が起きたんですけど、こういうのをオズボーン・コレクションでもやりましょうと言うと、全然反応がない。やっぱりインターネットがどんなものかはわかっていなくて、プリントアウトするんだから、それなら本で出したほうがいいという感じなんですね。

 英語のページは難しいかもしれないけど、日本の方にアピールするために、日本語でオズボーン・コレクションを紹介するページを作ってもいいかもしれません。

(この話のとおり、先日、日本語のページができました)


Q:日本語のページも作っていますよね。


梶原:モンゴメリを知っているクラーク夫人というおばあさんに会いに行ったときの話を書いたんですが、リースクデールの牧師館をモンゴメリ記念館にするために、資金を集めているんだそうです。日本のモンゴメリファンの方にも協力していただければと思って、日本語のページを作りました。
 日本語のページはもっと増やしていきたいですね。インターネットは自分の好きな共通の話題を持った人が集まって、共同体が作れるような世界でしょう。『赤毛のアン』の主人公たちもPEIのアボンリーという限られたコミュニティに住んでいましたけど、我々も独自のコミュニティが作れるということで、インターネットは面白いツールだなと思います。(1996.10取材)


オズボーン・コレクションについて

 オズボーン・コレクションは、この連載にも登場する梶原由佳さんの勤めるところだ。カナダ・オンタリオ州のトロント市の公共(市立)図書館の中にあって、梶原さんはそこの職員だ。

 オズボーン・コレクションは、イギリスの図書館員だったエドガー・オズボーン氏の児童古書のコレクション2000冊を基礎にしたもの。なぜ、こうした貴重なコレクションがカナダの公共図書館にあるかというと、オズボーン氏がイギリス連邦で初の独立した児童図書館だったトロント公共図書館の「少年少女の家」を訪れて、その運営のすばらしさに感銘を受けて、自分のコレクションが将来役に立つのはこの場所だと考えたからだそうだ。

 今回、アメリカ東海岸で別の取材があったついでに、トロントに立ち寄り、オズボーン・コレクションを見学したが、梶原さんと知り合ったのは、インターネットを介したものだ。作家の松本侑子さんが初めてインターネットにアクセスする手伝いをしたとき、モンゴメリをYahoo! で検索して梶原さんのページを見つけた(http://noisey.oise.utoronto.ca/yuka)。松本さんが彼女にメールを出し、僕も何度かメールのやりとりをして、今回はぜひトロントを訪ねて話を聞いてみようと思ったのだ。

 オズボーン・コレクションは思った通りの素晴らしいスペースだった。ここでは詳しくは書けないが、児童文学好きで図書館も好き(『図書館をしゃぶりつくせ』という本も書いています。宝島社刊)な僕にとっては垂涎の体験だった。読者の方でも、興味のある方はぜひ訪ねてみることをお奨めします。オズボーンでは現在もコレクションを拡大中で、日本からでも友の会の会員になることができます。

問合せ先:Osborne Collection, L.H. Smith Branch, Toronto Public Library, Toronto, Ontario, M5T 1R5 Canada
(「翻訳の世界」掲載)


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We Love Internet People あの人に会いたい!…………INTERNET magazine 1997.2

世界中のライブカメラのリンク集「世界の窓」を作った

京都の水木洋(みずき ひろし)さん

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hiroshi1/index.html

 京都市太秦に住む水木洋さんは、世界のライブカメラを集めたリンク集「世界の窓」を公開している。クリッカブルマップになった世界地図をクリックすると、地域別に分類された450以上のライブカメラにジャンプする(97年5月には584に増えている)。1時間に1回、30分に1回、あるいは1分に1回、世界中に置かれたカメラの捉えた映像をホームページ上で見るのと、インターネットで世界中につながっているのが実感としてわかる。
 水木さんの「世界の窓」なら、それぞれのライブカメラの捉えている風景の説明を日本語で読むことができるので、英語という壁も取り払ってくれる。これだけのリンク集を作る維持していくのはさぞかし大変だろう。京都まで出かけてお話をうかがった。

Q:「世界の窓」はどんなきっかけで始めたんですか?


水木:うちの親父はパソコンにさわったことがないんですけど、インターネットをやらせてくれといって、ちょっと見てたんですね。ホームページは日本語のもありますけど、日本語のサイトだけ回っていると、正直言って飽きてくるんです。

 インターネットは世界とつながっている、モニターの裏には世界が広がっていると言いますけど、英語のホームページを見ても何が書いてあるかわからないから、世界とつながっている実感が持てない。メール友達からも、同じようなことを聞きました。当時、ライブカメラが好きでブックマークしていろいろ見ていたんですけど、ああいう映像ものだったら、英語が分からない人でも簡単に楽しめるんじゃないかと思ったんです。

 ただ、海外にあるライブカメラのホームページは英語表記だから、何の画像か分からないことが多い。そのストレスをなくして、ライブカメラの映像を楽しんでもらうために、日本語訳にして、リンク集を作があればいいなと。当時そういうサイトはなかったので、ないなら自分で作るしかないと思って、始めたんです。


Q:世界地図がクリッカブルマップになっていて、わかりやすいですよね。


水木:最初は150くらいライブカメラを紹介たんですが、作ろうと思ったときに、すでにブックマークには100くらい登録してあったので、苦労したのはデザインのほうですね。

 年齢に関係なく、楽しんでもらえるページにするために、世界地図があってクリックすれば、ライブカメラが見つかるような直感的なイメージのものにしたかったんです。その上で、できるだけ軽く見栄えのいいものにするために、画像のデータ量も落とさないといけないし、いろいろやってみて今のデザインになりました。クリッカブルマップは、ベースになる地図をコピーして、ペイントショップで再加工したんですが、1か月半くらいかかりました。


Q:今(96年12月)は450くらいのライブカメラにリンクしているそうですが、メンテナンスが大変でしょうね。


水木:ものすごく大変です。毎日1時間くらいはかかります。メールも1日70通くらい来ますから、その日のうちに返事が書けなくて、翌日や翌々日になることもあります。

 多いのは「こういうところにライブカメラはありませんか」という質問で、ない場合は仕方がないので、「探しておきます」というメールを出します。「昔いたことのある外国のライブカメラを見て懐かしくなりました」とか、逆に海外に暮らしている日本人の方で、「京都や東京の映像を見て懐かしくなりました」とか、いろんなメールが来ます。

「ライブカメラのサイトにつながらない」という苦情がたまに来ると、調べるんですけど、なくなっていたり、カメラが故障中だったり、あとはその方の回線がきつくて、そこまでたどりつけないこともあります。「時間帯変えてまたアクセスしてください」というふうにメールでお願いしますが、そういうときは平謝りですね。


Q:お金をとっているわけでもないのに大変ですね。インターネットは始めたのはいつ頃ですか?


水木:今、専門学校に通って、公認会計士の受験勉強をしているんですが、ストレスがたまるので、気晴らしにニフティサーブを始めようかなと思ったんです。でも、1日1時間やるとして、どのくらいかかるか電卓ではじいてみたら、あまりにも高すぎる。これは困った、もっと安いところがないかなと探していたら、京都府の出している広報紙に、kyoto-inetというプロバイダーができて、1年間6180円、しかも半年間は試験運用で無料とあるのを見つけたんです。

 そのときは、恥ずかしいことにパソコン通信とインターネットの区別もつかなくて、TV番組で見たら、どうやら地球規模のパソコン通信網らしい、入会金は2000円だというので、95年5月にとりあえず手続きだけしました。でも、そのときはまだパソコンがなくて、始めたのは8月です。


Q:最初に接続するまでは苦労しましたか?


水木:買ったのはコンパックのプレサリオで、モデム内蔵だったんだけど、28800bpsじゃないと遅いと雑誌に書いてあったので、日本橋(大阪のパソコンショップ街)のソフマップでサン電子の「インターネット・ナビゲーター」というソフトとモデムが全部セットになったのを買いました。

 でも、つながるまで3日かかりました。kyoto-inetの説明書は、「設定に関する事項は、お客様の方で参考書などをお買いになってください」と書いてあって、設定の数値をいろいろ変えながら、試行錯誤の繰り返しでした。17歳の頃にカシオのパソコンを初めて買ってもらってBASICのプログラムを組んだりしていましたし、そのあとも、大学自体にパソコンのインストラクターのバイトをしてたんですけど、やっぱり大変でしたね。


Q:最初にホームページを開いたのはいつ頃ですか?


水木:初めてからそんなにたたない、95年9月の半ば頃です。本屋で雑誌を立ち読みしていたら、どうやら個人でもホームページが作れるらしいということが書いてあった。その頃はまだ日本語のホームページは少なくて、見るだけではつまらなかったですから、それなら自分でやってみようかなと思ったんです。

 最初はネタに困りました。身近な話をネタにしようということで、自分の住んでいる京都の太秦のことや、ホームページを作るのにどんな苦労をしたかを書いたりしました。でも、立ち上げたのはいいけど、他のホームページと比べると画像がないのでどうも淋しい。

 スキャナーを買うのはもったいないので、ホームページに、「誰かスキャナーを持っている方で、写真を読みとってメールで送ってくれる方はいませんか」と書いたんです。そうしたら、2週間くらいして、富山の学生の方から、私で良かったらとメールをいただきました。こんな図々しいお願いまさかメールが来るとは思っていなかったので、うれしかったですね。


Q:英語のホームページも早くから立ち上げていますね。


水木:画像も入ったし、日本人に見てもらうだけではつまらないなと思って、英語版を作ったんです。そうしたら、海外からメールをけっこうもらいました。京都観光したいけどどこがいいのか、お金はどのくらいかかるのかという問合せがけっこう来ます。京都を紹介している英語のページが珍しかったみたいですね。旅行代理店みたいにいろいろ調べて返事を書いていました。

 日本でも個人でホームページを持つ人が増えていると思いますけど、英語のページも作ると絶対にいいですよ。日本は、オンラインショッピングでも、英語のページは少ないでしょう。以前、近くのお茶屋さんの写真を載せて、お茶が好きだというのを書いたんですが、そのあと、ニュージーランドから「お茶がほしいけどどうしたらいいか」というメールが来ました。

 日本のオンラインショップを見たら、英語のものはなかったので、メールアドレスを教えましたが、海外発送はしてないということで、断わられたみたいです。インターネットのユーザーは世界のほうが圧倒的に多いんだから、やっぱり世界を相手にしたほうがいいと思いますけど。


Q:「世界の窓」はこれからどんなふうに発展させていくつもりですか?


水木:今までは地域別の分類だけでしたけど、今度被写体別の分類も加えます。それから、ライブカメラは自分でもやってみたいです。カメラを貸してくれるというメーカーはあるんですけど、専用線はまだ高くてなかなか引けないから難しいでしょうけど。日本はまだまだライブカメラが少ないので、もっと増えていってほしいです。インターネットカフェもどんどんカメラを置いてほしいし、企業とか大学とか専用線のあるところは、考えてほしい。

 道路公団は高速道路の混み具合を映しているカメラの映像をインターネットでも公開できるし、TVのお天気カメラとか、公開できそうなのはいろいろあるんじゃないでしょうか。高崎山の猿はありますけど、上野動物園のパンダとか。海外には自分のペットを映しているカメラもありますし、日本にもいろんなライブカメラが増えていくとうれしいですね。
(1996.11.26取材)


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We Love Internet People あの人に会いたい!…………INTERNET magazine 1997.3

インターネットのホームページとメールがきっかけで結婚した

武市祥司さん・圭子さん夫妻


武市祥司さん・圭子さん夫妻は、96年3月に祥司さんのホームページに書いている日記を読んで、圭子さんがメールを出したのがきっかけで知り合い、96年12月に結婚にゴールインした。パソコン通信で知り合ったカップルというのは何組も知っているが、インターネットのホームページでというのは初めて。新婚ほやほやのお二人に、出会いから結婚を決めるまでのお話をおうかがいした。

Q:祥司さんのホームページを圭子さんが見て、メールを出したのが知り合ったきっかけだそうですね。


圭子:私はアルクという出版社で編集の仕事をしていて、95年6月に『インターネットで留学実現』という単行本を出したんです。大胆ですが、その頃から、仕事ではインターネットを使って、ホームページを見たり、メールのやりとりはしていました。そのあとも、『Global EduNET』という教育現場でインターネットやマルチメディアをどうやって使うかという新聞を担当していました。でも、会社でやっていると自分の個人的に見たいところはなかなか見られないでしょう。それで、96年3月に、自宅でもMacintoshを買って、プロバイダーに入ったんです。そしたら、ハマってしまって、1日2時間くらいいろんな個人の方のページとか見るようになって、この人の日記にたどりついて、メールを出したんです。高知関係の人のリンク集があって、そこに彼を含めて20〜30人あっったんですけど、適当に2人おきくらいに見ていって、たまたまこの人の日記のページに……。人の日記というのはあまり見たことがなくて、確かこの人のが初めてでした。

祥司:自分のホームページは2年くらい前に、1ページくらいで研究内容をちょっと紹介するくらいのは作っていました。96年9月に博士の学位をとったんですが、一日中ワークステーションに向かっていて、息が詰まるので、ストレス発散もできるしコンテンツも増やせるからというので日記を書き始めたんです。僕の書いているのは、いわゆるバカ系の日記ですけど、彼女が見たのは3月の中旬頃の日記で、俳優の萩原聖人が、映画のロケで行った大阪について、『水が合わないんですよね。大阪の人はデリカシーがねえぇ』とテレビで行っていたのを聞いて、『ナメとんのかぁ、大阪を。ハギワラぁ!』と切れて書いたやつなんです。

圭子:私は北海道生まれで、大阪って旅行で2、3回行っただけなんですけど、大阪って妙にテンションが高くてアジアっぽいじゃないですか、東京とまた全然違っていいところだと個人的に思っていたので、『そうですね、大阪っていいですよね』っていうメールを書いたんです。


Q:そうすると、祥司さんがたまたま大阪のことを書いて、そのときたまたま圭子さんが読みに来たから、出会えたんですね!


祥司:この人は面白いページの作者にはいろいろメールを出していたらしいけど、誰にでもメール出してたわけじゃないらしくて、もし僕があのとき大阪の話を書かなかったら、彼女はメールを出してないかもしれない、そしたら……という話は二人でよくしていました。それから、最初に会ったのが、10日か2週間くらいしてから。彼女が上野に来る用事があって、僕の大学は上野まで5分くらいなんです。何かで時間があるから、夕御飯食べないかって、ハヤシライス屋で。

圭子:東京文化会館でコンサートを見る予定があったんです。

祥司:その頃は忙しくてほとんど大学に泊まり込みで、家に帰るのは週に1回くらいでした。それをメールに書いたら、この人が、「外でちゃんとご飯食べなさい」というので、会ったんです。3月の終わりくらいですね。

圭子:彼はメールをまめにくれたんです。たいていの方はメールを出しても1往復くらいで終わることが多いんですけど、他にも2、3人ずっと続いている方もやっぱりまめな方たちです。私も返事をまめに出すほうなので、きちんきちんと返事をくださる方とは続きますね。

祥司:大学で専用線だから、メールが来るとすぐわかるんです。手が空いたときに返事を書けば、そのまますぐに送れる。まめというより、メール出すのはダイヤルアップPPP接続の人より簡単なんですよ。


Q:会われた第一印象はどうだったんですか?


圭子:私は、イヤだったんです。何か熊みたいな人だなと思って。私、出版社にいたから、周りにいる男性ってわりと小ぎれいなんですよ。何となく男性ってそういうものだと思っていたから、いきなりすごい人がきたので、ぎょっとしちゃった(笑)

祥司:研究室から、汚いジーパンでそのままでしたからね。僕は、テンションの高い人だなと思いました。メールのテンションも高かったけど、感情のふれ幅の激しい人で、最近はだいぶ穏やかになってきたけど。


Q:そのあと、印象はどんなふうに変わっていったんですか?


圭子:2、3回会ううちにすごくいい人だと思うようになったんです。裏表のない、飾らない人だって。普通の男性って、女性と会っているときって、次は何を食べに行こうかとか、いろいろ計算するじゃないですか。策略っていうと大げさですけど、いろいろ考えますよね。この人はあんまりそういうことはしないんです。食事に行くにしても、ちょっと小洒落た人なら、イタ飯に行こうとか考えるじゃないですか。それが、牛丼とかラーメン屋とか、私も最初は抵抗あったんですけど、そのうちに飾らない人柄に魅かれたというか。


Q:意識しだしたのはいつ頃からですか?


圭子:2、3回会ったら、私はデートという意識でした。

祥司:そう? 僕は飯食いに行こうという感じだったけど。

圭子:ひどーい。

祥司:論文の提出前は週に1回会えるか会えないかだったんだけど、その頃は支えてもらったという感じですね。姉御肌だけど、年上という感じはしなくて、面白い人だなあ、この人ならやっていけるかなあと。

圭子:メールがあったから良かったですね。週に1回会えるかどうかだったけど、メールは毎日出していました。彼は大学にずっと泊まり込みの状態なので、私から電話はなかなかできない。でもメールで、「元気?」とか、「どう?」と、私も仕事の話を書いたり。

祥司:電話は仕事を中断されるからイヤなんです。メールだと適当にひと区切りついたときに読めるし書けるけるから、それも続いた理由かもしれないですね。

圭子:女性にまめな人じゃないから、メールがなかったら、どうなってたかわからない。最初に僕はまめじゃないから、電話もあまりしないとか言われましたから(笑)

祥司:電話をかけるタイミングって難しいじゃないですか。7時頃にこの仕事が一区切り付いたらと思っていると、気がついたら、10時くらいになっていて、もうかけらないかなとか。それに比べて、電子メールは相手の都合を考えずに出せますから。


Q:インターネットで出会ったっていうと、インターネットのことを知らない人には誤解されませんか?


圭子:うちの親はすごくびっくりしてたみたいです。何で知り合ったんだって聞かれたから、インターネットって正直に言っちゃったんです。両親は、インターネット自体がよくわからなくて、何かテレクラのようないかがわしいものだと思ったらしくて、すごく心配してたみたいですね。東大の研究室のアドレスがあるから間違いないと思うって言っても、アドレスっていうのがわからないですから。

祥司:実際にホームページで全く嘘を書く人もいますからね。日記とかでも、女の子になりきって書いているネットオカマとかいますから。インターネットって、すべての人に公開して、すべての人がアクセスできるところがいいんだけど、その分、怖い部分もありますね。自分は全然そういうつもりじゃなくてホームページに書いていることでも、違うようにとられたり、誤解されたり。

圭子:私も、HTMLは夏くらいに作っていつでもアップできる状態なんですけど、変なメールが来るという話を聞くと、怖くてまだアップしてないんです。メールで知り合った女性の方で、変なメールをもらったことがない人っていないみたいですし。彼はいろんな人と知り合いになれるから、ホームページができてるならアップすればいいって言うんですけど。


Q:夫婦で一緒のホームページを作れば、女性だからって変なメールが来ることもないんじゃないですか。


祥司:ちょっと照れくさいですね。でも、3月に企業に就職して、大学の研究室のサイトから離れますから、それもいいかもしれません。


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We Love Internet People あの人に会いたい!…………INTERNET magazine 1997.4

SMAPファンのページ「ミラクルパンチ」の作者

中里るりさん・松橋彩香さん

http://www2f.meshnet.or.jp/~mpd/smap/

この連載の担当編集者の錦戸陽子さんは大のSMAPファンだ。実は、取材・執筆担当のライターの鈴木も隠れSMAPファン。2人とも月曜日の「SMAP×SMAP」は欠かさない。今回は錦戸さんが面白いSMAPのページ「ミラクルパンチ」があるというので、早速取材をお願いすることにした。SMAPにはまって、インターネットにもはまったという中里るりさんと松橋彩香さんのお二人をご紹介しよう。

Q:SMAPのページはどんなきっかけで始めたんですか?


中里:周りに、SMAPのページを作っている友達とかがいて、ああいうホームページを作るのは面白そうだなという、だたそれだけだったんです。Macintoshは5年くらい使っていますけど、インターネットは全然素人ですから、本でHTMLを勉強して作りました。イラストは知り合いに頼みました。(*イラスト担当は、川村麻子(ASACO)さん。個人ページもある。http://www2f.meshnet.or.jp/~mpd/asaco/)
松橋:中里さんは学校の時のサークルの先輩で、たまたま二人ともSMAPが好きで、「ホームページやるから手伝わない、情報とか集まるよー」って騙されて(笑)、引きずり込まれたんです。


Q:それまで、パソコンやインターネットの経験はあったんですか?


松橋:私はバイトで使っていたから、パソコン歴は8年くらいあるんです。でも、それまではDOS/V機とかで、去年(96年)の夏にMacintoshを初めて買って、インターネットを始めたんです。インターネットに「SMAP×SMAP」(*SMAP主演のバラエティ番組。月曜夜10時からフジテレビ系列で放送)のページがあるって聞いて、インターネットやりたいって思って。
中里:私も、ほとんどそれで始めたって感じですよ。SMAPファンで、あのページが見たくてインターネット始めたって人けっこう多いみたいですよ。
松橋:でも、始めたら、すぐ休止になっちゃったんですよね。4月に始まったけど、9月末には終わりになっちゃった。
中里:まず8月くらいにまず画像が全部なくなって。ダウンロードした画像とかを売っていた人がいたらしいんです。著作権守るためにやむを得ず休止したという話を聞きました。


Q:お二人はどんな分担でページを作っているんですか?


松橋:私はまだHTMLの書き方とか勉強中なので、メールを読んで彼女に渡すのが基本です。それを中里さんがページに上げます。アクセス数は1日平均600〜700で97年2月に入って、7万アカウントを超えました。メールは1日30通から50通くらい。投票するページがあるので、そこに来るのがほとんどです。(*ミラクルパンチには、いろいろなテーマに沿って、自分の意見を書き込んでメールを送る「SMAP野鳥の会」というページがある。)


Q:「SMAP野鳥の会」のページはどんなところから思いついたんですか?


中里:思いつきで作ったんです。友達と電話で話しても、「今日のアレ見た? 面白かったよね〜」とか話すじゃないですか。それがインターネットでできたら面白いかなと思って。項目を作って書き込んで送れるようにすれば、メールソフトがなくても楽にできるから、いいかなと思ったんです。


Q:SMAPのファンになったのはいつ頃からですか?


中里:私は、「夢がMORIMORI」(*92年4月〜95年9月フジテレビ系で放送)あたりからですね。あの頃は、SMAPというとまだマニアックだったんです(笑)。レコードデビューは91年9月で、テレビに出始めたのもその頃からだけど、ずっとCDの売れないアイドルだったんです。途中でテレビの歌番組がなくなっちゃって、どうなっちゃうのかなと思ってたんだけど、ヒットしたのは「$10」(93年11月発売)くらいから。その頃、キムタク(木村拓哉)が「あすなろ白書」(*93年10月から12月フジテレビ系で放送のドラマ)でブレイクしたんだけど、それまでは、(稲垣)吾郎ちゃんのほうが人気があったんですよ。
松橋:私は、中居(正広)君とか(香取)慎吾とか(草なぎ)剛が「笑っていいとも!」(*94年10月より出演)に出るようになってからです。元々ドラマは見ない人なんで、「笑っていいとも!」の香取慎吾を見て、この人はなんてかわいいんだろうと思って。同い歳くらいかと思っていたんだけど、歳を聞いたら若いのでびっくりしました。
中里:やっと20歳だからね。


Q:おふたりは誰のファンですか?


中里:私は上2人(中居、木村)。
松橋:私は森且行。いなくなっちゃいましたけど(*森且行は96年4月に芸能界を引退。オートレース選手に転身)。でも、所属も決まったし、走行練習も始まったみたいですよ。(*練習中の事故で骨折して入院していた)


Q:そういうふうに、情報が早いのですごいなと思っているんですけど。


中里:そうでもないですよ。友達のほうがよっぽど早くて、メールとか電話で教えてもらっています。あまり熱心じゃないし、けっこうずぼらで見落としもいっぱいあります。
松橋:情報集めに関しては人に頼っていますね。


Q:SMAPにはまったのは、何が一番の原因だと思いますか?


松橋:SMAPって、性格的には全くアイドルとは思えないじゃないですか? でも存在としてはアイドルというところが今までにはない。
中里:それまでのアイドルはここまでしかやらないというのを、踏み越えて徹底的にやっていたのが面白いなと思いました。


Q:SMAPは男性ファンも多いですよね。


松橋:全員がおじさんキラーのところありますよね。年上の男の人に惚れ込まれるみたいな。
中里:ぱっと見で「何だあいつら」っていう最初のイメージと違って、話していることを聞いたらたら意外といいじゃないか」というので、男の人でもファンになっちゃうんじゃないですか。


Q:SMAPの話をするとつきないですけど、ホームページの作成にはどのくらいの期間かかりましたか。


中里:作りたいなと思ってから、HTMLの勉強やコンセプトワーク、Webデザインに3か月くらい。実際にファイルを作り上げるのが1か月くらい。さらにそのあと1か月くらいは非公開状態で、いろいろ手を入れて直しましたね。大変だったのは、メニューをどういう構成にするかとか、ファイル構成をどう分類するか。あとはレイアウト的なことですね。紙メディアと違って、あまり好き勝手なデザインはできないので、なるべく見映えが良くてといろいろ考えました。公開するまでは、「おかしなところがあったら教えて」と言っておいて、リンクがちゃんとなっていないところをチェックしてもらったりしました。


Q:HTMLエディターは何を使っていますか?


中里:PageSpinnerが使いやすいですよ。ダウンロードしてきて、いくつか使い比べてみたんですけど、PageSpinnerが一番使いやすかったですね。


Q:ほとんど毎日更新しているようですから、大変ですね。


中里:投票のメールが毎日来るので、基本的に毎日アップするようにしています。「このページを見つけてうれしかった」というメールが来ると、やっぱりうれしいですね。私たちは、SMAPをネタにしてみんなでしゃべれる場所があればいいな程度だったんです。だから、気軽に遊びに来てもらえるといいですね。
松橋:みなさんに楽しんでもらって、ついでに自分たちも楽しませてもらっているという感じです。


Q:これからどんなことをやりたいですか?


中里:友達のやっているSMAPのページ(慎吾★ワールド http://www.threeweb.ad.jp/~fuji0405/)と合同で、SMAPのCMに話題を絞ったサイトを立ち上げる企画を進めています。内容は、CMの評価アンケートとか、SMAPにやって欲しいCMの企画提案とか、今までのCMの資料ファイルなんかです。CMというのは、ファンにとって、ドラマやバラエティとも違う顔のSMAPを見れるという点で楽しみなメディアなんです。そういうCMをどう受け止めているとか、せっかくSMAPを使うならこういうCMが見たいというファンの声をまとめてホームページで公開すれば、中立的な立場で企業にフィードバック出来るんじゃないかなというところから考えたんです。SMAPファンだけじゃなくて、企業の方も見に来てほしいですね。


Q:このページはSMAPのメンバーも見てるんですか。


中里:見てないですよ。誰もインターネットやっていないですから。
松橋:森君は、Macintosh使っていたけど、今はやれないから。
中里:慎吾君はAptivaをもらってるはずだから、そのうちやるかもしれませんけど。


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We Love Internet People あの人に会いたい!…………INTERNET magazine 1997.5

シェアテキストマガジン・月刊『QuickSand』の編集長

浜松の熊切丈晴さん

http://www.crt.or.jp/~kuma/

 シェアテキストのオンラインマガジン・月刊『QuickSand』は、取材した97年2月の時点で、すでに創刊から14冊を刊行。最新のVOL.13では、今までのSETEXT-J版に加えて、HTML版を発行した。ニフティサーブのフォーラムだけでなく、インターネットのホームページでの提供もしている。
 シェアテキストという言葉は、シェアウェアに比べると馴染みがないが、どんなものなのだろう。月刊『QuickSand』はどんなふうに作られているのだろう。静岡県浜松市在住の編集長・熊切丈晴さんにお話をうかがった。

Q:熊切さんのホームページで提供している『QuickSand』がスタートしたのは、ニフティサーブだったそうですね。


熊切:元々はニフティサーブの「本と雑誌リーダーズフォーラム」(FBOOKR)で、95年12月から、試用版というか、VOL.0ということで始めたんです。他に、「シェアテキストフォーラム」(FSHTEXT)などにも載せています。

「文章工房フォーラム」(FBKOBO)に隔週で登録されている週刊『文章工房』というシェアテキストがありますが、それとは違ったものをやりたくて、ノンフィクションだけの月刊『QuickSand』を始めたんです。

 言い出しっぺは私ではなかったんですが、彼の仕事が忙しくなって、当時私は仕事を辞めていたので、VOL.1かVOL.2くらいから編集長になりました。その後、もっといろいろな人に見てもらいたいというので、インターネットでも始めました。


Q:シェアテキストというのはどういうものなんですか?


熊切:テキスト版のシェアウェアです。

 シェアウェアというのは、通信ソフトやツールやユーティリティなどをパソコン通信からダウンロードして、気に入ったらお金を払うというのはご存じだと思いますが、シェアテキストも、同じように小説とかエッセイをダウンロードして、面白いと思ったらお金を払ってくださいというものです。支払いは、銀行振込のほかに、ニフティサーブの送金代行サービス(シェアウェアレジストレーションセンター SWREG)を利用することができます。


Q:シェアウェアだと、送金しないと立ち上げるたびに警告のメッセージが出ますが、シェアテキストではそういうわけにはいかないですよね。送金はきちんと来ますか。


熊切:電子メールで「毎月楽しみに待っています」というのは来るんですけど、送金のほうはあまりないんです(笑)。月に10人くらいですね。他のシェアテキストも送金するのは、20人に1人とか30人に1人くらいらしいです。
 送金代行サービスの最低料金が500円に引き上げられたので、今は1冊あたり500円なんですが、本当は300円くらいでやりたいんです。一応銀行振込もできるんですが、500円の振り込みというのは難しいから、どうしようかなと困っているんです。
 小説のシェアテキストだと、最初の方だけ見せておいてあとは暗号化して、続きを読みたかったら送金してください、パスワードを送りますというのもあります。
 でも、シェアテキストのコンセプトは、面白かったら送金してくださいということですから、なるべくそういうことはしたくないんです。それよりも、どんどん送金してもらえるような内容にし他方がいいかなと思いますから。


Q:VOL.13からは、SETEXT-J版に加えてHTML版もできたんですね。


熊切:SETEXTというのはシェアテキストを読むためのファイルの形式で、エディターでも普通の読むことができますが、専用のビューワーを使うと、題名をブラウンジングしながら読むことができて便利なんです。

 まだDOSで読んでいる人もいるので、SETEXT版も必要なんですが、VOL.13では、WWWブラウザでも読めるHTML形式のファイルも作りました。これだと、背景や画像も使えるので、いいですね。ただ、VOL.13は両方のファイルを作るので、大変でしたけど。


Q:月刊ですから、編集長としては、〆切に間に合うように原稿をそろえるのも大変でしょうね。


熊切:〆切は毎月20日で、最終が26日にしていますが、なかなかきちんと集まらないですね。本当は毎月1日発売なんですけど、10日過ぎになったこともあります(笑)。VOL.13でHTMLとSETEXTと2つにしたときは1か月休みました。

 編集部員は私も含めて4人ですが、まだ一度も会ったことはないんです。一度どこかで集まろうかとは言っていていますが、僕は浜松だし、他も東京周辺のいろいろなところなので、なかなか難しいですね。でも、特に集まらなくても、編集作業には関係ありませんけど。


Q:インターネットを始めたのはいつ頃からですか?


熊切:つい最近で、96年10月くらいから、今のホームページを開設したのは12月です。パソコンは中学くらいからさわっていて、BASICでプログラムを書いたりもしていました。ソフトハウスに就職して、そのときの上司にパソコン通信をすすめられて、ニフティを始めてもう6、7年になります、最初はROMばかりで、FBOOKで本格的に始めたのも一昨年くらいからです。

 書くのが好きだったものですから、FBOOKの小説工房で書いてみようかなというので始めたんです。その後、腎臓の透析をしなくちゃいけなくなって、会社も辞めて、今は、インターネットとかコンピュータ関係の原稿を書いています。


Q:熊切さんのホームページには、『QuickSand』以外にも、透析に関する日記やリンク集がありますね。


熊切:同じように透析をしている方からメールが来たりしますよ。ニフティにも、透析している人たちで話ができるようなフォーラムがありますが、そういうところに、医者や専門の方が出てくることはほとんどありません。

 インターネットだと、ホームページを開設している病院から情報が得られるし、広がりということではずっと大きいですね。この間も、透析しながら旅行ができるというサービスをやっている会社からリンクしてほしいというメールが来ました。


Q:X-Mailというシステムで電子メールで配布するサービスというのもあるんですね。


熊切:まぐまぐというサイトで設定すると、X-Mailに登録されているオンラインマガジンが電子メールで送られてくるようになります。

 ここには、月刊『QuickSand』以外にも、50種類以上ののオンラインマガジンが登録されています。ダウンロードをするのは面倒だから定期的に送ってほしいという人にはおすすめですね。『QuickSand』も最近登録したので、利用者が増えるといいと思っています。


Q:HTML版を出したことで、音を入れるとかJAVAを使うようなことは考えていますか?


熊切:それもいいんですけど、そういう機能が使えないブラウザもまだたくさんありますよね。ですから、基本的には、フレームも音も使わないでやりたいと思います。ちょっとは使いたいなと思いますけど、そんなに凝りすぎても、よくないですから。

 とにかく、まだまだ知られていないので、読者を増やしたいなと思います。それと内容を面白くしていくことですね。ホームページには立ち読み版もあるので、ぜひ一度アクセスしてみてください。
(1997.2取材)


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We Love Internet People あの人に会いたい!…………INTERNET magazine 1997.7

ホームページで明るく楽しく教育を取りあげる

中学の国語の先生 地田守江(ちだ もりえ)さん

http://www.netq.or.jp/~user/morie/

 千葉県の中学校で国語を教えいている地田守江さん(28歳)は、「MORIE's Page」というホームページを持っている。学校の話、教育の話、そして大好きだというペンギンの話など、バラエティに富んだページだ。特に肩ひじはっていない学校や先生の話は、楽しく共感を持って読める。

 イラストもかわいいし、トップページにはクリッカブルマップもある。中学校の女の先生が、どんなところからインターネットを始めてホームページを公開したのだろう。総武線船橋駅前で待ち合わせて、お話をうかがった。

Q:インターネットを始めたのは、どんなきっかけからですか?


地田:もともとパソコン通信をやっていたんです。それまでは大学の時に始めたワープロだけだったんですが、就職して余裕がかなり出てきたので、2年か3年前に、ここらで一丁という感じでマッキントッシュを買いました。

 マッキントッシュは大学生の時から、生協とかで見てて好きだったんです。理科系のこととかわからなくて、パソコンって難しそうだけど、マックってアイコンがあるでしょう。今はウィンドウズも全部そうなっちゃったけど、大学の頃からマックってやさしそうだからいいなと思っていたんです。でも、当時は高かったから手が出なかったですね。


Q:マッキントッシュは最初どの機種を買ったんですか?


地田:パフォーマーの575です。周りに詳しい人がいなかったけど、一人でもできそうだったから。半年もたたないうちに、職場でも使おうと思って、パワーブックを中古で買って今は2台体制です。マックを買ったのは、本当は「MYST」をやりたかったんです。一時は、「MYST」のために早く家に帰ってました(笑)。

 私、ファミコンとかのアクション系が苦手で、マリオを一面もクリアできないんです。RPGも最後近くまで行くんだけど、いいところでやられちゃうと飽きちゃって、スーファミもほこりかぶっています。「MYST」は戦わなくていいし、絵がきれいだし、ゆっくりできるし、死なないし。


Q:パソコン通信ではどんなことをしていましたか?


地田:ニフティですけど、最初にBBSで面白いホームパーティ(HP)を見つけてたんです。そっちで遊んで、時々音楽系のフォーラムに顔を出してっていう感じですね。シング・ライク・トーキングとスーダスト・レビューが好きなんです。

 ホームパーティで一緒に遊んでいる人たちが、インターネットを始めてホームページを作り出したんですね。私も、見たい見たいと思っていて、去年(96年)の夏にインターネットを始めました。(教師の仕事をしていると)夏は時間ができるから、つないでみようかなと思ったんです。プロバイダーはお金がないので安いところにしようと思って、今は上がったと思うけど、1年間で1万2000円だったかな。netQっていうんですけど、私は夜がほとんどだけど、けっこうつながりますよ。


Q:ホームページを立ち上げたのはいつ頃ですか?


地田:去年の秋、10月か11月くらいです。最初は学校の話と趣味の話だけで、全部で7ページくらいしかなかったんです。それにペンギンが加わって、今は何ページくらいだろう……、3メガはないと思います。

 出てくるのに時間がかかるのって嫌いだから、無茶苦茶軽くしてあるんです。短気なんで、他のサイトも時間がかかると、途中で「中止」を押しちゃって見ない。トップページにこんな重い写真持ってくるなよとか思って(笑)。

 ホームページ書くのは、やってみたら「何だ、こんなに簡単じゃん!」という感じで、タグをつけて書いていって、いちいちブラウザで確かめながらやるのが楽しかったですね。最初は、いいおもちゃが手に入ったみたいな感じでした。


Q:ペンギンは昔から好きだったんですか?


地田:そうですね。動物見てカワイイとかいうのはあまりないんですけど、ペンギンだけは水族館行ってもそこから離れられないんです。一時期ペンギンのぬいぐるみが出回っていた時があって、そのとき買ったのがうちにぞろぞろあります。家じゅうペンギンだらけで、何でこんなにたまったんだろうって(笑)。

 昔から、動物園とか水族館に行ってたからかもしれませんね。ときどき行っては、ペンギンの前でぼけーっとして帰ってきます。見てると動けなくなっちゃうんです。あのペンギンが水に落ちるまでここにいようとか。ホームページは、他の人もけっこうペンギンをやっていたんで、うちもペンギンをやろうと思って。


Q:イラストもカワイイですよね。


地田:ありがとうございます。中学の国語の教師なんですけど、イラスト描くのは昔から好きだったんです。落書きみたいなものですけど、字とか絵をかくのは好きで、友達の結婚式の2次会のパンフレットとか、「やるやる!」って言ってやったりとか、それの延長ですね。「パソコンだと、色もつくぞっ!」、とか。

 教育学部に入ったので、教師になったんですけど、もともと出版とか新聞の仕事もしたいと思っていたんです。書いたものが印刷物になるのってうれしいですよね。今でも「学級通信」書くの楽しいですよ。その点でもホームページっていいですね。手軽にやれるし、絵も入るし、色もぱっと変えられるし。あんまり内輪の話だと面白くないから、ある程度考えて書いています。ミニコミ誌もやりたいなと思っていたことがあるんですけど、忙しいなと思っているうちに、なかなかできなくて。


Q:ホームページを見た人から、どんなメールが来ますか?


地田:先生からのメールが一番多いです。ホームページを出したらすぐに先生のリンク集から案内が来て、そこに登録してから、先生方がたくさん来ますね。Yahoo! JAPANで「教師」で検索して見つける人も多いみたいです。

メールは、頑張ってくださいとか、ここが面白かったとか、先生って大変なんですねというのが多いです。一番反響があったのは、「教師の見つけ方」。おまけで出したんだけど、そんなに面白かったのか〜って、自分でもびっくりしました。夏休み休んでないんだよというのはみんなに知ってもらいたいことですし。


Q:けっこう頻繁に更新してますよね。


地田:平均すると2週間に1回くらいですか。現実逃避だっていう話もあるんです(笑)。うちへ帰って、今日はこの作文を読んじゃおうと思いながら、気がついたらホームページの原稿書いていて、あれ何だろうっていうことがあります。書いたけど面白くないから載せないのもありますね。くどくなったり熱くなっちゃったり、あのページはエンターテイメントなんだ、楽しくなくちゃダメだと思っていますから。


Q:自分ではどんなページを見ますか?


地田:インターネットを始めた頃は、取りあえず友達のページから回っていって、友達が面白いと言っているところを見ていって、あとは音楽関係ですね。それとペンギン関係。面白いページがあると、ときどきはメールを出します。

 読みやすくって、言っていることがカッコつけてなくて、誠実な感じだとじ〜んと来ちゃいますよね。本当にこの人は言いたいこと書いているんだなというときは、思わずメールを出しちゃいますね。家族の写真とか載ってても、ふ〜んとか思っちゃうんですけど(笑)。

 先生のページって言うのも多いですよ。私もいくつかリンクしています。「授業でこんなことをやったら、こうでした」とか、実践記録みたいなのを書いている先生が多いですね。中学の先生のだと、参考になります。


Q:生徒たちは、先生がホームページやっていることは知っているんですか?


地田:今は1年生の担任なんですけど、クラスの子にはまだ言っていません。趣味はパソコン通信だとは言っていますけど。パソコンやっている子はいないみたいですね。

 去年のクラスの子は3年でもう卒業しましたけど、中身は教えてないませんが、ホームページやっていることは知っていました。「高校になったら、コンピュータやりたい」とか言われてドキッとしました。教え子からメールとか来たら怖いですよ(笑)。


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INTERNET SURFER 1997.5

日本で初めてPEZのホームページを開いた

米谷晶(よねや あきら)さん

http://www.cutemania.com/

 『インターネット・サーファー』96年8月号の「知りたいことはネットに聞け」でPEZ(ペッツ)を取り上げた。PEZというのはスッとするペパーミント味の四角いキャンディのことで、ディスペンサーと呼ばれる容器(ディスペンサー)の頭部がアニメのキャラクターなど各種の物が発売されている。これが“かわいい”というので、女の子たちに大人気なのだ。

 連載の原稿では、海外のPEZのサイトを紹介しながら、最後に、「日本のYahooなどで調べてみたら、日本にはPEZに関するサイトはないようだ。日本にコレクションしている人がいたら、ホームページを公開してみてはどうだろう」と書いた。
 そうしたら、読者のひとりからメールが届いた。

日本にも素敵なPEZのサイトがあった

『初めまして、米谷晶と申します。「INTERNET SURFER」8月号の「知りたいことはネットに聞け−−PEZって知ってる?」を拝見してメールを出します。

 わたしもPEZコレクターのはしくれなのですが、8月に入ってからわたしも自分のコレクションのホームページを立ちあげました。まだ始めたばかりですし、スキャナーも無いのでまだあまり内容が濃くないのですが。売りはスキャナーが無いがための手書きのPEZの絵です。命を削って(?)描いています。URLは
 http://village.infoweb.or.jp/~fwgj7087/index.htm
です。「日本にもPEZのサイトが欲しい」とのことでしたが、宜しかったらご覧になって下さい』

 早速アクセスしてみたら、なかなか力の入ったページだった。驚いたのはPEZがすべてきれいなイラストで紹介してあること。これは一度インタビューをして話を聞いてみたいと思った。

 ホームページの内容は、PEZだけでなく、音楽や本など好きなものについてのページもある。そのなかで、好きなレコードとして取り上げているのの1枚が、シュガーベイブ(山下達郎、大貫妙子が在籍していたバンド。70年代半ばに活動)のただ1枚のアルバム『ソングス』だった。僕はシュガーベイブはリアルタイムで聞いていたが、若い人も好きなんだというのに驚いた。最近CDとして再発されてかなり売れているらしいという話は聞いていたが、若いの女性のホームページで、しかもきれいなイラストと共に紹介されているのを見ると、何だか不思議な感じがする。

 というわけで、米谷晶さんにメールを送りインタビューをした。晶さんも、ぼくがインターネットに関するインタービューで会った人たちのように、インターネットとの出会いで生き方が変わってしまった人のひとりだ。想像以上にアグレッシブだった彼女の話を紹介しよう。

父親が突然買ってきたマック

 晶さんとパソコンとの出会いは小学1年生のときに始まる。おじさんがNECに勤めていて、遊びに行ってPC-6001でゲームをやったり、BASICのプログラムをいじったりしたことがあるそうだ。この体験が影響したのか、大学になって、マックを手に入れた。

「父親がアメリカかぶれなんです。アメリカの中の上くらいの家庭に憧れていて、それだったら、マック買わなくちゃと思ったらしくて、アメリカに出張したときにLCIIIを買ってきたんです」

 でも、買ってきたのはLCIIIの本体だけ、晶さんは自分でモニターを買った。最初の頃はお絵かきをするくらいだったが、1年半ほどしてパソコン通信を始めた。

「通信は魔がさして始めたんです(笑)、雑誌に、『ネットワークにつながっていないコンピュータは一人前じゃない』とかいう言葉があって、それを真に受けてしまったんです。ちょうどお年玉もらった頃だったんで、よし、じゃあモデムだあ〜というんで、買いに行って、ニフティに入っちゃったんです」

 音楽が好きだったんで、FBEATとかFROCKとか音楽のフォーラムに行った。晶さんはフリッパ−ズ・ギターというバンド(小沢健二や小山田圭吾がいた)の大ファンで、『小沢健二が好きなの好きなの』と電子会議室に書き込みをしていたら、『フリッパーズのホームパーティがあるから入りませんか』という誘いが来て、今はパティオになっているが、最近はニフティではそこだけしか行っていないそうだ。

友達の家で100個のPEZと出会う

 インターネットを始めたのは、96年5月。そろそろLCIIIに限界を感じていて、パフォーマ6310を購入した。高速のモデムも付いているし、Netscape NavigatorもMacTCPも入っている。やらないでどうすると思って、InfoWebに入った。InfoWebを選んだのは、晶さんの住む神奈川県座間市内にアクセスポイントがあって、しかもホームページの容量が一番大きいところだったからだ。つまり、インターネットに入る前から、すぐにホームページを公開しようと決めていた。

「ホームページやらないでどうする、インターネットと花だと思っていました(笑)。パティオの友達がいっぱいホームページを開いていたので、それがねたましくてねたましくて。ニフティからも、友達のホームページは見ていたんだけど、もう悔しくて。本当はフリッパーズのホームページにしようかなと思ったんですけど、真似っこはいかんと思って、PEZのページにしました。その頃にインターネットサーファーの記事読んでもうやるしかない、作るならPEZだと思いました」

 PEZに興味を持ち始めたのは94年くらいから。友達の家に遊びに行ったら、玄関に100個以上のPEZが並んでいた。

「ちっちゃい頃に買ったことあるんですけど、すぐ捨ててたし、こんなに種類があるとは知らなかったんです。1個だけだとちゃっちいんですけど、そろえるとこんなにかわいいものだとは思わなかった。並べると迫力がでるんです」

 それで悔しくなって、コレクションを始めた。

「私のPEZのコレクションには4段階あるんです。まず初めに、友達に見せつけられて、そこらへんのスーパーで集めていたんですけど、実は輸入もしているというのを知って、アメ横(上野)の芳屋さんに行くようになって、そこで1段階レベルアップしました。それから、ホームページを始めてレベルアップして、さらにPEZのメーリングリストに入ってさらに知識が増えました」

 晶さんはお父さんの仕事の関係で中学の3年間ニューヨークに住んでいた。今となっては、あのとき何でPEZを買っていなかったのか、悔しくてならない。PEZのいいところは、日本で森永製菓が輸入販売している物なら100円(最近すべて台紙付きにリニューアルされて200円になった)と安いから、集めるのにお金がかからないことだ。もちろん、アンティークなPEZには1万円以上するものもあるが、晶さんは、高いお金を払って手に入れるのは、“コレクション道”に反すると考えている。

ドット絵で細かく描き上げられたPEZ

 晶さんのPEZページのユニークなところは、スーパーペイントを使った“ドット絵”で細かく描き上げられたPEZのイラストだ。写真をスキャニングしたPEZサイトの多い中で、イラスト満載のページは異色。アメリカからもメールが届くことがあるそうだ。

 ファミコンの「ドラゴン・クエスト」の好きだった晶さんは、ドット絵が大好き。最近のつやつやピカピカしたCGぽいのはあまり好きじゃないそうだ。ひとコマひとコマ、ドットを塗りつぶして作るイラストレーションからは、ほんわかとした暖かみが伝わってくる。

「そろそろ自分の持っているPEZを全部描き上げちゃうので、これからどうしようかと思っているんです。ハウトゥーデコレイトとか雑誌の企画みたいにしちゃおうかなとも思っているんです。PEZって頭でっかちで安定が悪いから、飾るのが大変なんです。それから、年に3回くらい、アメリカでPEZのコンベンションがあるので、それに行く計画を本気で立てていますうちは一人では海外に行かせてくれないので、ちょっと困っているんですけど」

 PEZのホームページを始めたことで、朝日新聞やNHKでも紹介された。お母さんも、最初はインターネットが何だかよくわからなかったが、晶さんが説明したら、うちの晶はインターネットというのですごいことをやっていると喜んでくれている。大学を卒業してから、しばらくプーをしていたが、インターネットで見つけて、ホームページ制作会社にも就職した。「おばあさんになるまでPEZを集める」という晶さんのページはこれからも面白くなりそうだ。


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