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オープニング 新婚ほやほやの柏木耕一編

 跳ね。
 跳ねを見ている。

 明るい初音ちゃんの頭の上でぴょこんと上に向かう
跳ねだ。

 明かりのない薄暗い台所の中、冷たいフローリング
のまな板で包丁を動かし、身体中に珠のような汗を浮
かべる千鶴さんの腕の中から這い出そうとする『なに
か』(たぶん料理(笑))を必死に主人に訴えようと
している。
 そんな跳ねだ。

…ウフフッ。
…いつまでそうしているつもりですか?

 息を殺した笑い声が、頭の中に響き渡った。

…無駄よ。
…無駄です。
…無駄なんです。
…私の料理を拒否することなんてできやしないわ。

 勘弁してくれぇ!
 俺は叫んだ。
 ほんの僅かでも気を抜けば、『奴』は偽善という名
の殻を被り、すぐにでも食事を用意してしまうだろう。
 指の爪が抱えた膝に食い込んだ。
 負けるわけにはいかない。

 …ククク、確かに今夜は梓の料理でしょう。
 …だが、明日はどうです?
 …明後日は?
 …例えば耕一さんは、(私の)メシも食わず、(私
の)水も飲まず、(私と)眠りもせずに、いったいど
のくらい我慢できるの?
 …同じことでしょう。
 …ましてや…。

 黙ってくれぇ!

 …フフフ、本当は耕一さんだってだって気付いてる
んでしょう?
 …もう限界にきてるってことを。
 …もうこれ以上、拒否できないってことを。
 …さあ、召し上がれ。
 …自由にお食べなさい。
 …明日が今日に、明後日が今日になるだけです。
 …だったら、苦しむだけ損じゃないですか?
 …ねぇ?

 駄目だ。
 駄目だ、駄目だ。駄目だ!
 なんとしても『奴』を口にいれてはならない!

 朝だ!
 朝はまだか!
 朝になれば、梓の朝食が出る。
 『奴』は眠る。
 『奴』は夜にしか料理を作らない。
 カーテンの隙間から朝の光が洩れ始めれば、『奴』
は再び眠りにつくんだ。

 …だが陽が沈めば…また料理を作ります。

 朝食だッ!
 朝食はまだか!

 …果肉のような柔らかなお肉を爪で引き裂き、温か
くして真っ赤なワインで味付けし、いい匂いの香辛料
で香ばしくし、そして再びフライパンでおこげを…。

 朝が来れば『こいつ』はッ…!

 …ねえ、私のことを『奴』とか『こいつ』とか呼ぶ
のはやめてよ。

 アサだあッ!
 アサあッ!
 朝ッ!
 朝! 朝!
 朝! 朝! 朝! 朝! 朝! 朝! 朝! 朝!
朝! 朝! 朝! 朝! 朝! 朝! 朝! 朝!!

 …私はあなたの『すぃーとはにー』なんですから。

「朝食はまだかあぁーッ!」


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