初めての海外 ヨーロッパ周遊卒業旅行


 大学の卒業旅行が、私の海外初体験です。当時は自由旅行で1ヶ月、2ヶ月とヨーロッパなどへ旅行するのがブームとなりだしたころでしたが、なにぶんはじめての海外であったものですから、全てフリーにする勇気はなく、いわゆる中抜けフリーのツアーに参加。期間も最後の大学の試験と卒業式の関係で、19日間のツアーに大学の友人と2人で参加しました。「地球の歩き方」片手に、いざ出発。

ヨーロッパの地図

  1日目 いざ出発!! (大阪 → 成田 → アンカレッジ →)
 日本出発は大阪から。といっても、まずはJALにて成田へ。実はこれが飛行機初体験でもあった。成田でKLMオランダ航空に乗り換え、いよいよヨーロッパへ向かうこととなる。
 当時はまだ、ソビエト連邦が健在(?)な時代で、飛行機がソ連上空を飛ぶことができず、ヨーロッパへはアラスカのアンカレッジ経由の北回りか、途中、何箇所も経由していく南回りという時代であった。この時は、北回りでアンカレッジへ向かう。
 アンカレッジでのトランジットで、生まれて初めて海外の地を踏んだ(空港までで、厳密には「地」は踏んではいないが)
という ことに・・・
 そして、ここで生まれて初めて外貨(ドル)を使用。何を買ったかというと、ウサギの前足のキーホルダー。ちょっと かわいそうな気もするが、本物の足がついています!! これが幸運を呼ぶらしい。
 その後、アンカレッジを出発、一路アムステルダムへ。途中、機内で北極圏通過証明書なるものが配られた。飛行機の窓から見えた北極海の流氷に感動。
 機内食3度、なんか、さっき食べたばかりなのにまた?という感覚。ちょっぴりうんざり。

   2日目 初めて海外の土を踏む  ( → アムステルダム → ロンドン)
 早朝にアムステルダム空港へ到着。そう、ここで乗り換えロンドンへ向かうわけだが、これまた初めての乗り継ぎの手続きにドキドキ。なにせもうここは日本じゃない。乗り継ぎカウンターのお姉さんは、当然、日本語は話せないわけだし・・・  
 なんていう心配もよそに、スムーズに手続き完了。厳密には入国してはいないのだが、オランダへ降り立った記念に、次の乗り継ぎの飛行機の時間まで、免税店を見て回り、キーホルダーとチョコレートを購入。
 乗り継ぎの飛行機に乗り、最初の目的地、ロンドンのヒースロー空港に到着。ロンドンと次のマドリッドまでは、一応ツアーなので空港には現地の旅行会社の係員が迎えにきていたので、とりあえずは安心。ドルのトラベラーズチェックをポンドの現金に両替して、他のツアー客(ほとんどが我々と同じ卒業旅行組か)といっしょにロンドン市内へ。初めて見る異国の街並みに素直に感動した。やはりロンドンの空はどんより鉛色。朝なのに夕方のように暗い。
 ホテルへチェックイン後、夕方まではまだ時間があるので、ホテルから歩いていける「大英博物館」へ、歴史の教科書に出てきたロゼッタストーンなどを目の前にして、またまた感動。でも、あまりにも広すぎて、疲れてしまった。
 

   3日目 や、やられた!!  (ロンドン滞在)
 この日は1日ロンドン滞在。朝から何かボーっとしている。これが時差ボケか?まずは、バッキンガム宮殿へ。ここで、噂に聞いていた、おばさんの写真屋に写真を撮られて、ボッタクラれてしまった。時差ボケのまま、うっかり財布の中身を見られたのがいけなかった。確か日本円で3〜4000円ぐらいやられたと思う。まあ、これも勉強と思ってあきらめたが、日本に帰ってきてしばらくして、何とこの時の写真が送られてきたのにはビックリ。完全に騙されたと思っていたので。
 その後は、ちょっと浮かぬ気分ではあるものの、ウェストミンスター寺院、ビッグベン、ナショナルギャラリー、ロンドン塔、タワーブリッジと定番のスポットを回る。
バッキンガム宮殿     
ビッグベン トラファルガー広場 タワーブリッジ


  4日目 親切なお兄さんに感謝   (ロンドン → マドリッド)
 昨日のショックがまだ尾をひいているみたい。この日は朝からハイドパークでのんびりリフレッシュ。
 広大な公園で、乗馬に興じる人もいて、なかなかいい雰囲気。
その後は、ピカデリーサーカスへ行き、いろいろと店を見て回る。いっしょに行った友人が、カシミアのセーターを買うというので付き合うことに。私は、そもそもあまりお土産というものを買わない上に、早くも荷物が増えることに抵抗があったため、見るだけに徹しました。
 日本で買うよりも安いというものの、日本語が通じるような、いわゆる観光客向けの店はそれ程安くはない。いろいろ見て回り、そうじゃない店に。商売をしている人は、インド系の人が多い。
 この後、ホテルへ戻り空港へ向かう準備。そう、ここでロンドンはお別れ。さすがに紅茶がとてもおいしいと感じた。何が違うのだろう?入れ方かな?
ハイドパーク
  夕方、スペインのマドリッドへ向かうため、ホテルを出発して、地下鉄でヒースロー空港へ行く。次のマドリッドのホテルまで、ツアーとして手配されているので、同じツアー参加の10数名での移動となる。
 スペインへの飛行機は、当初昼頃のはずであったものが、夜の便に変更になってしまった。実は元々、日本出発も最初に申し込んであった出発日の座席が確保できなかったということで、1日遅れとなっていたため、ますますスペインでの滞在時間が少なくなる結果となってしまった。
 結局、夜7時過ぎのイベリア航空でマドリッドへ。空港へ着いたのはもう夜遅く。とりあえず、空港で両替を済ませ、バスで市内へ、そして地下鉄に乗り換えホテルに向かうが、この時間にはもう終わってしまっている地下鉄路線もあり、どうやってホテルへたどり着いたらいいのか・・・
 皆初めての土地、しかも夜中とあって、全くわからない。英語もなかなか通じない。大きな荷物を抱えた日本人の学生の団体が、夜の街をうろうろという状態。しかし、どこにでも親切な人はいるもので、少し英語の分かるお兄さんが声を掛けてくれて、何と一緒にバスに乗りホテルの前まで連れて行ってくれた。もう感謝感謝 !!
 結局チェックインして、部屋へ入ったのは夜中の1時頃。もうこの日の夕方には、パリ行きの夜行列車に乗ることにしていたので・・・  げっ!!スペイン日帰りかっ !! とにかく寝る。

 
  5日目 スペイン日帰り!!    (マドリッド → )

  とにかく、マドリッド滞在は今日の夕方まで、後の予定を削ることはできないので、ここでしわ寄せがくるのを泣く泣く我慢。本当ならトレドへ行きたかったのだが、そんな時間はない。まずは、夕方のパリ行きの夜行列車のクシェット(簡易寝台)の切符を買うため、チャマルティン駅へ。そう、この日からいよいよ自由旅行に。日本で買っておいたユーレイルパスを使って、トーマスクックの時刻表片手に、ヨーロッパの列車に乗りまくって旅するのだ。同じツアーで東京から、やはり卒業旅行で来ていたR大の2人の女の子もパリへ行くが、女の子だけの夜行は不安というので、一緒にパリへ向かうことと・・・
 ちゃんと切符が買えるか心配だったが、意外とスムーズに買うことができた。併せて窓口でユーレイルパスに日付を入れてもらう。これでこの日から15日間、ヨーロッパの鉄道のしかも1等車両に乗り放題 !! 

 夕方までの時間は、プラド美術館へ行くこととする。荷物を預けたいのだが、駅のロッカーは使用禁止。爆弾騒ぎでもあったのだろうか?仕方なく、駅の外にあると聞いた私設の荷物預かり所へ。古いブロック造りの倉庫みたいなところ。一応、たくさんの荷物がおいてあるが、ちょっ不安。でも、荷物を抱えて、歩くわけにはいかないので、意を決して預ける。紙に書いた預り証のようなものを渡される。
  いったんここで、夕方に駅で落ち合うこととし、女の子たちと別れ、我々はプラド美術館へ。グレコやベラスケス、ゴヤなど巨匠たちの作品を堪能。しかしながら別館のほうが開いていなくてピカソの「ゲルニカ」を見ることができなかった。
  駅へ戻り、夜行列車に乗り込む。クシェットは日本のB寝台のようなもので、2段ベッドになっている。同じコンパートメントで一緒になった日本人の大学生は、もう40日間のフリーで25日目で、パリはこの旅3度目になるらしい。
  列車内でパスポートチェック。いよいよフランスへ。
  マドリッド


  6日目 メルシー、シルヴ・プレ!!   ( → パリ
  夜明け頃、列車はフランスの広大な田園地帯を走る。はるかかなたの地平線から登る朝日に感動 !! 来て良かった !!
  朝の10時半にパリのオステルリッツ駅に到着。両替を済ませ、今日からはフリーツアーの始まり。まず、パリでのホテルを探さねば。とりあえず駅にあるインフォメーションで探すことに。希望の場所(サンジェルマンをリクエスト)と料金を伝えて、インフォメーションのお姉さんに探してもらう。幸い、英語が通じた。なんとか予約完了。確か、ツインで一人一泊3500円ぐらいだったと思う。スペインから一緒の女の子2人も同じホテルにするというので、4人で地下鉄にてホテルへ向かう。インフォメーションのお姉さんに、「地下鉄の中ではしっかり荷物を抱えていてね。」といわれた言いつけをきちんと守って・・・
セーヌ河
 何とかホテルを見つけてチェックイン。屋根裏部屋のあるアパルトマンという雰囲気のプチホテル。一応バスタブもついているしOK。ちょっと、鍵があけ難かった以外は・・・
 とりあえずセーヌ河を渡り、ホテルから近いノートルダム寺院へ行く。その後、パンテオン、リュクサンブール公園でのんびり。
 ホテルへ戻る前に、スーパーでパンやハム、チーズなどを購入。ホテルの部屋でサンドイッチにして食べよーっと。
 しかし、フランス語がわからない。フランスの人って、なかなか英語を話してくれない。わからないのか、わかっていても話してくれないのか・・・ とりあえず、メルシーとシルヴ・プレの連発でのりきる。

ノートルダム寺院


  7日目 とにかく定番スポット   (パリ滞在)
  この日は、とにかく朝からパリの定番スポットを回るということで、まずは地下鉄に乗り、エッフェル塔だ。とりあえず登って、朝のパリの街を見渡してみる。高さからすれば東京タワーのほうがずっと高いのだが、やはり感慨ひとしおって感じ。次に、さっき塔の上から眺めた凱旋門へ。近くで見ると、今まで思っていたより結構大きいな。そこからシャンゼリゼ通りを歩いてコンコルド広場へ向かう。途中、ハンバーガー屋さんで昼食。
  午後からは、いよいよ楽しみにしていたルーブル美術館。モナリザやミロのビーナスなど、教科書でおなじみの作品がわんさか。あまりにも、普通に展示されているので、レプリカじゃないのか?という疑問が・・・ 
 それにしてもとても半日では全て見て回るのは不可能。今度はルーブルだけを目的にパリへ来るのもいいかな、などと思ったものの、いまだ実現せず。
 しかし、こんなところでも館の係員の 「フラッシュハタカナイデ !!」 という片言の日本語が聞こえてくると、どこへ行っても日本人というのは・・・てことも感じました。
 この日は、夜のエッフェルはどんなだろうとも思い、再びエッフェル塔を訪れた。この日も歩いた歩いた。
凱旋門 シャンゼリゼ通り 夜のエッフェル塔
    
        
  8日目 おおベルサイユ   (パリ → ベルサイユ → パリ → )
 パリ3日目。女の子2人は、夜行列車は物騒だということで、朝からスイスへ向かうとのこと。彼女達と我々のスケジュールを勘案し、ドイツのフュッセンでおち合うことを約束して別れる。
 我々は、夜の列車でスイスへ移動することとしていたので、朝から、フランス国鉄 S.N.C.Fでベルサイユ宮殿へ行く。アンヴァリッド駅からベルサイユ・リーブ・ゴーシュ駅へは、頻繁に列車があり、比較的スムーズに30分程で到着。電車の中で、京都の短大生の女の子と出会う。彼女は3週間イギリスで英語学校へ通い、その後、スペイン、フランスと一人で旅行し、明日日本へ帰るとのこと。いっしょに宮殿へ行くことにする。駅から徒歩で15分ぐらいで宮殿へ。ベルサイユ宮殿は太陽王ルイ14世が情熱を傾けてつくらせた宮殿、しかし浪費がたたって財政困難となり、後にフランス革命へと進んでいくことになるのだが、この華麗、豪華さをみればそれも納得。
 この日は残念ながら月曜日で、鏡の間など内部の見学はできなかったが、広大な庭園だけでも見る価値はあったといえる。
 再びパリ市内へ戻り、モンパルナスで昼食。ここで、短大生とはお別れ。
 そして、次の訪問地スイスへ行くため夜にパリのリヨン駅へ向かう。いまいち、時刻表で列車の乗り継ぎがわかりづらかったので、駅のインフォメーションで確認をしたのであるが、「English OK?」と訊いたものの、「Non」という冷たい返事。でも答えているのだから絶対に英語わかっているはずだ。何とか、キュローツという駅で乗り換えということを確認し、23時過ぎの列車に乗り込み、ジュネーブへ向かうこととなった。
ベルサイユ宮殿 ベルサイユ宮殿の庭園
     
  
  9日目 キュローツってどこ?   ( → ジュネーブ → ベルン → インターラーケン)
 ヨーロッパの長距離列車は、座席がコンパートメントになっていて、鍵こそかからないものの、ドアを閉めれば完全な個室ができあがる。1部屋には3人がけ、あるいは4人がけの椅子が向かい合わせについているのだが、前の椅子を引っ張ると、完全なフルフラットのベッドになる。したがって、空いているときはコンパートメントを占有できれば、ゆっくりと寝られる。とにかく、キュローツという駅で乗り換えて、スイスへ向かうということを頭に入れて・・・ ところで、キュローツには何時に到着するのだろう?トーマスクックの時刻表で調べてみる。えーっと、げっ! 朝の5時過ぎ! 結局、寝過ごすことを恐れ、あんまり眠れないままキュローツ駅へ。乗換駅だからといって大きなターミナル駅を想像したら大間違い。小さな駅舎の田舎の駅という感じ。日本でそんな名前の街、聞いたこともなかったもんなぁ。
 列車を降りると、寒いの何のって。まだまだ3月、早朝の空気が冷たい。おまけに駅舎は吹きっさらし。この旅で一番寒かったところといえる。あらかじめ買っておいた、パンとハムとジュースで朝食。
 1時間ほど待って、やっと乗り継ぎの列車がやってきた。これに乗り、まずはスイスの玄関口ジュネーブへ。ここで、パスポートコントロール。日本人はほとんどフリーパスに近い。両替を済ませ、ベルン行きの列車に乗る。ここでさらに列車を乗り換え、インターラーケンへ向かう。トーマスクックの時刻表に書いてあったとおり、左側の席を確保。湖と4000m級の山々が現れ、いかにもスイスという感じがする。
 まずはホテルを決めなければ。駅のインフォメーションが昼休みだったので、街を歩いてホテルを探す。ツインでバス・トイレ・朝食つきで、一人3000円ぐらいの部屋に決める。とても広い部屋。
 インターラーケンは小さな街で、この日は駅でレンタサイクルを借り、街を見て回る。スペイン、フランスと英語がなかなか通じなかったが、ここでは結構通じる。おまけにこっちも片言、向こうも英語は母国語じゃない状況だけに、かえって通じやすく、なんとなく居心地のよさを感じる街である。



  10日目 ヨロレイッヒー   (インターラーケン → クライネシャイデック → インターラーケン → )
  この日は、楽しみにしていた登山電車に乗ってアルプスへ行くぞっと。この登山電車は、残念ながらユーレイルパスが使えないため、インターラーケンOst駅でクライネシャイデックまでの往復切符を購入。本当は世界一高い場所にある駅、ユングフラウヨッホまで行きたかったのだが、ひょっとして吹雪いていたらと思ったのと、とにかく料金が高かったので、途中までで我慢。それでも標高は2000m以上ある。(ちなみにユングフラウヨッホ駅は標高3454mだとか。)
 列車はゆっくりゆっくり山を登っていく。車窓からの次々と変わるヨーロッパアルプスの風景に大感動 !! 途中の駅で、なんと、全く別のツアーで来ているという同じ大学の同級生に出会う。世の中って狭い。
 だんだんと登るにつれて、さすがにまだ3月。あたりは一面雪景色に。スキーヤーの姿も見える。ラウターブルンネン、ヴェンゲンと過ぎ、いよいよクライネシャイデックへ到着。目の前には、あのアイガーが悠然とそびえたっている。当然、あたりは真っ白。駅の周りはスキー場になっている。ロッジのテラスで昼食とコーヒーを飲む。何ともいえない気分。きっと夏に来れば、もっと爽快な気分だろうな。
 帰りは、グリンデルワルド経由でインターラーケンまで戻る。
  クライネシャイデック
 この夜も夜行列車を使って移動。ホテル代は浮かせるが、体力的にはつらいものがある。まず、インターラーケンからバーゼルという西ドイツとの国境の街へ移動。ここで、ドイツマルクに両替をする。次の目的地はフュッセンであるが、最短ルートでは、夜中に走っている列車がないため、一旦、西ドイツのマンハイムという街まで行き、そこで乗り換えることとしたが、この乗換えがまた、夜中の3時過ぎという、余計に疲れ、寝不足になる結果に・・・


  11日目 ノイシュバンシュタイン!!   ( → フュッセン)
 夜中に乗り換えた列車ではアウグスブルグへ到着。ここでさらに、乗り換えてフュッセンへ向かう。ノイシュバンシュタイン城で有名なフュッセンはロマンチック街道の南の終点地。機会があれば、ロマンチック街道もゆっくりと旅してみたい。
  そうそう、例の女の子2人組と、ここでおち合うことになっていたのであった。とにかく、約束のホテルを探して、チェックインせねば。しばらく歩いてそのホテルを発見。エリザベスおばさんの経営する小さなホテル。地球の歩き方にも掲載された理由からか、日本人の学生の宿泊も多いらしく、日本人の対応も慣れたものという感じ。大学の第2外国語でドイツ語を選択しているというものの、まだ、英語の方が意思疎通を図りやすいと感じている我々にとって、おばさんの英語はゆっくり話してくれてわかりやすい。日本人の女の子2人組が泊まっているはずだが、と尋ねてみるものの、日本人はたくさん泊まってもらっているとのことで、彼女たちがいるかどうか、この時点では確認とれず。
  とりあえず、ここフュッセンでのハイライト、ノイシュバンシュタイン城へバスで向かう。近ずくにつれて、バスの窓から、小高い山の上に建つ城が見えてくる。そう、本の中の写真で見るあの城だ!!バスを降り、城へ向かう。城への登り口には、馬車が待っているが、もったいないから歩く。近くに現地の中学生ぐらいの男の子たちがいたので、城への一番近い道はどれだと尋ね、教えられた山道へ。歩き始めた我々の後ろで、「But,very difficult!」という笑い声が聞こえた気がしたが、かまわず進んだ。しかし、しばらくしてその意味を思い知らされることに・・・ 夜行列車での寝不足の体には非常にこたえた。
  そうこうして、やっとこさで城の正面へたどり着いたとき、例の女の子2人組と偶然遭遇。我々と同じホテルへ泊まっているとのことで、無事約束を果たす。
  よくポスターなどになっている城の写真は、さらに後ろの山から、バックに湖を入れた景色のものが多いが、さすがにその景色を見に行く気力はなく、ルートヴィヒ2世の悲運に思いをはせながら、ホテルへ戻ることにする。
ノイシュバンシュタイン城遠景 ノイシュバンシュタイン城

            
  12日目 バスでの国境越え   (フュッセン → インスブルック → )
  いわゆる中抜けフリーのツアーでの参加であるが、再集合となるのはローマのホテル。集合日よりも1日早くローマへ入る計画を立てた我々は、この日、バスでオーストリアのインスブルックへ行き、夜行列車でローマへ行くこととした。
  フュッセン駅前から、朝9時30分発のPost Busに乗り込む。これは、郵政省が管理するバスらしい。オーストリアやスイスの山奥まで入り込んでおり、便利な足となっているらしい。
  途中、国境で係員がバスに乗り込んできて、パスポートチェック。菊のご紋の赤いパスポートは信用があるのか、ちらっと見せただけで、中身を見ることもなく、「OK」だと。バスは引き続き、のどかなチロルの村々を進んでゆく。ああ、ハイジの世界!!絶対に乗る価値がある。夏だったらもっといいかも。
  昼過ぎに、インスブルック駅前に到着。さすがに、この街まで来ると、日本人は少ない。駅にマクドナルドの看板があったので、通りすがりのきれいなお姉さんに場所を尋ね、そこで昼食とする。そのあと、街をふらふらと、確かここは、1976年の冬季オリンピックの開催地のはず。すぐ近くまで雪を抱いた山々が迫り、街の真ん中をイン川が流れる美しい街。公園で巨大チェス興じている人々もいい感じ。
  夜9時42分発のインターシティ(特急列車)でローマへと向かう。噂によると、イタリアへ入る夜行列車では、スリや置き引きに注意。コンパートメント1部屋を占拠して、荷物はできるだけ窓際へ、しかもロープでしばっておいたが、朝起きると、通路側まで荷物が引っ張られていた。あぶない。あぶない。

 インスブルック


  13日目 ローマの休日   ( → ローマ)
 朝の9時過ぎ、ローマのテルミニ駅へ到着。とりあえず、駅の銀行で両替をしようとしたが、ここで大失敗を。結構並んでいたので、自分の順番を待っている間に、トラベラーズチェックのサインを先にしてしまった。これまで、先にサインをして窓口へ出しても、ちゃんと受け取ってもらえたこともあったのだが、ここの窓口のおじさんは厳しく、「自分の目の前でサインしたものしか駄目だよ。」(おそらくこういうことだったのだと思われる。)といわんばかりに、チェックを受け取ってくれない。仕方がないので、駅の外の銀行へ行く。なんとか、ここでは両替してくれた。ホッと。でも、リラの桁数の多さは何とかならないものか。感覚が麻痺してしまう。
  まず、明日集合することになっているホテルへ行き、明日泊まることになっているのだが、今日も泊まりたいのだがと尋ねてみたところ、部屋が開いているとのことで、チェックイン。それから、街へ繰り出す。ローマの街は今までの街と違い、なにかゴミゴミしていて、あまりきれいな感じがしなかった。
  まず、映画「ローマの休日」でおなじみの、スペイン階段へ、さすがにアイスクリームを食べたりはしなかったが・・・
  それから、トレビの泉でコインを投げ、コロッセオへ行き、次にフォロロマーノ、真実の口へ手を突っ込みという、いわばおのぼりさん状態のローマ観光を実行する。
  この日の夜、たまたま入ったトラットリアは、日本人のおばさんがオーナーの店(もうイタリアへ来て何十年らしいが)。やっぱりスパゲッティでしょう。
スペイン階段 コロッセオ

         
  14日目 蚤の市   (ローマ滞在)
 この日はショッピングデー。といっても、コンドッティ通りにある高級ブランド店なんかは我々には用はない。目指すはズバリ、蚤の市である。
  革のコートから何に使うのかわからないようなガラクタまで、とにかく何でもあるという感じ。とにかくここで、日本へのお土産になるような小物を探しまくる。それと、この旅行の途中で、腕時計の電池が切れてしまったこともあり、ちょっとアンティークな懐中時計でもあればなと見てまわり、ちょっと出所に不安は感じるが、手巻きの懐中時計を購入する。蚤の市では、当然ながら相手の言い値で買うなんて馬鹿なことはできない。持参したメモ帳をフル活用。筆談で値切る値切る。
  それから、イタリアといえば靴?ということで、革靴を2足購入。ちゃんと箱もついていて、まあ信用できるかなという感じ。
  本当は、このあとバチカンへ行こうと思っていたが、予想以上に時間をかけてしまったのと、疲れてしまったのでホテルへ戻ることとする。
  ツアーは、この日の夕方、ホテルのロビーへ集合となっていた。みんないろんな日数のパターンがあるため、当然、最初ロンドンへ到着したメンバーとは異なるが、同じツアーでの参加者が続々集合。偉いもので、みんなちゃんと集合してるなー。
  夜は、例の女の子2人と夕食に、昨日行った店へ。まわりのイタリア人の客が驚くほど、食べまくる日本人4人であった。ちなみに、店の女主人はトモコさんというらしい。


  15日目  日本人じゃない   (ローマ → アテネ)
 朝、テルミニ駅から空港バスに乗りレオナルド・ダ・ヴィンチ空港へ向かう。いよいよ訪問国はあと一つとなる。トランスワールド航空で、アテネへ到着。空港には、現地の係員が迎えに来ていた。ちょっと身長が低いが、なかなかかっこいいお兄さん。てっきり日本人だと思い、みんな日本語で話し掛けるが、なんとギリシャ人。英語でしかダメ。どうみても日本人みたいに見えるのだが・・・
  空港で両替を済ませ、バスでホテルへ向かう。これまでは、英語やスペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語の違いはあるものの、一応みんな普通に見慣れたアルファベットなので、読もうと思えば何とか読めたのであるが、今度はギリシャ語。ギリシャ語のアルファベットは読もうにも読めない。アルファ、ベータ、ガンマってやつ。街中の看板が読めない。何て書いてあるのかわからない。これは、結構ストレス。
  チェックイン後、同じツアーの何人かと、街中へ繰り出す。リカビトスの丘に登り、アテネの街を見渡す。夕陽に輝くアクロポリスの丘は最高 !!
 夜は、ギリシャ料理の店へ。シシカバブ(トルコ料理かもしれない。)が気に入ってしまって、連日訪れることになる。ちなみに、ギリシャ語で食堂はタベルナ。食べるなといわれても・・・



  16日目 ミケーネへ   (アテネ → ミケーネ → アテネ)
  この日は、ツアーに含まれるエーゲ海1日クルーズの日であったが、何かみんな一緒に行動するのがいやで、クルーズを翌日に回し、我々2人と、このツアーで知り合ったH大学生と3人でコリントスへ行くことにする。
  アテネから列車でコリントスへ、途中、車窓からコリントス運河を見ることができる。駅でバスに乗り換える。途中、コリントスでの見所のひとつ、古代コリントスの遺跡へ。ここからはタクシーでアクロコリントスへ向かう。ちなみにタクシーはベンツだった。
 アクロコリントスは中世の城塞で海抜575mの急峻な岩山の上に城塞が築かれている。頂上まで登ると、コリントスの平野とその先の湾を一望できる。観光客も少なく、天気も良いし、最高の気分だった。苦労して登った甲斐があるというもの。
 帰りは駅までタクシー。しかし電車は混んでいて座ることができなかった。

アクロコリントス


  17日目 新婚さんいっぱい   (アテネ → エギナ島 → イドラ島 → ポロス島 → アテネ)
  今日は、本来は昨日行くはずだったエーゲ海1日クルーズ。まあ、本当のエーゲ海クルーズは、ミコノス島やロードス島まで行かなければ、その醍醐味はわからないのだろうが、手軽にクルーズ気分を味わえるというので、近場の3島を巡る1日クルーズは人気があるらしい。
  ホテルからバスで港へ、そこでクルーズ船に乗船。恐れていたとおり、日本人の新婚さんがいっぱいだー !! 自分たちの居場所がないぞ。
  船はまず、エギナ島へ。すぐ、タクシーに乗り、アフェア神殿へ行く。アテネのパルテノン神殿に似た遺跡です。レンタバイクやレンタサイクルで行こうとしている人たちもいたが、島での滞在時間も考え、3人いるのでタクシーを使った。再び港へ戻り、ピスタチオのアイスクリームを食べる。さすがこの島の特産だけあって、なかなかおいしい。
  再び船へ乗り込む。ここで、昼食となる。おそらく船内は満員で、食べる席を探すのに、食事をのせたトレイを持ってウロウロ。ただでさえ思うような席に座れないうえに、新婚カップルがイチャイチャしてるし、まったくもー。
  次に船はイドラ島へ。小さな湾になったところが港になっているのだが、その湾を取り囲む小高い丘に、エーゲ海特有の白壁の家が建ち並び、これぞギリシャ !! って雰囲気。高台には風車もある。この島は車の乗り入れが禁止されているらしい。こんなところで、しばらくのんびり過ごせたらどんなにいいだろうと思った。
  最後に訪れたのは、ポロス島。港に面した土産物屋さんなどの店を見て回り、時間を過ごす。この島までくると、もうペロポンネス半島とは目と鼻の先らしい。
  夕方、アテネへ戻る。いよいよ明日はこの旅最後の日。
アフェア神殿 イドラ島

             
  18日目 おお、パルテノン!!   (アテネ → )
  いよいよこの日でヨーロッパも最後、朝からアテネのシンボルともいうべきアクロポリスの丘へ行く。オモニア広場から歩いて丘の麓へ到着。そこから坂を登って行く。頂上にはおなじみのパルテノン神殿が建っている。さすがにこれを見ずしてアテネを後にすることはできない。正に人類が築き上げた最高の美。
  丘の上からは野外劇場であるディオニソス劇場の遺跡を覗き込むことができるし、古代アゴラの遺跡をのぞむことができる。遠くには、アテネ1日目に登ったリカビトスの丘も見える。
  丘を下りて、ゼウス神殿へ、そして次にオリンピック競技場跡へ行く。ここは、1896年第1回近代オリンピックが開催されたスタジアム。現在のトラックよりも細長い馬蹄型をしている。
  その後、ホテルへ戻り、出発の準備をする。しかし、まだ少し時間があるので、ホテルの前にある国立考古学博物館を見学。
 そうこうしているうちに、いよいよこの旅も終わり。アテネ到着時と同じく、日本時に見えるかっこいいお兄さんのお迎えで空港へ向かう。これまた、行きと同じKLMオランダ航空にて、帰路につくこととなる。当時はまだ、ヨーロッパと日本を結ぶ航路に南回り航路というものがあり、途中2回の寄航で日本へ向かうのであった。
パルテノン神殿


  19日目 そんなに食えないって!!   ( → ドバイ → バンコク → 成田)

  アテネを出発して、次に立ち寄るのはアラブ首長国連邦のドバイ。今なら、あの世界最高賞金の競馬レース、ドバイワールドカップが行われる場所ということで、興奮するのであろうが、当時は、いったいドバイというのがどこなのか、全く知らなかった。他の日本人ツアーの添乗員らしき人が、ツアーの客に、ドバイは世界の空港の免税店の中で一番お酒が安いと言っているのを聞いて、我々もトランジットで空港の免税店へ行く。アラブの衣装をまとい、機関銃を持った兵士が警備しており、何とも落ち着かなかった。荷物になるが、とりあえずナポレオン・カミュを買う。
  ドバイを出発し、次にタイのバンコクへ寄る。ここでも、一応空港の中へ行っておく。バンコクでは、タイから日本へ向かう乗客が搭乗する。我々はヨーロッパを出発したときの服装で、セーターを着ていたのだが、タイが常夏の国であるということを忘れ、そのままの格好で飛行機を降りて行ったら、バンコクから乗ってくる人に、「セーター着てるよ!」と驚かれてしまった。こっちは寒いところから来たんだってば。
  それにしても、乗っている時間も長いのだが、やたらと食事が出てくる。飛行しているところの時間に合わせて食事が出されるからだということだが、そんなにごはんばかり食べれないって !! 結局5回でてきた。
  夕方、成田到着。無事に帰国。新幹線で帰途につく。


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