村松軌道の沿革

「村松軌道」の概要

  村松虚空蔵堂の当時の住職を発起人総代として参拝客輸送を主目的に敷設されたとのこと。また、現在開発の進む「ひたちなか地区」や「原研・動燃」の立地するこの付近の太平洋岸は砂丘地帯であったため、海砂の採取運搬の目論見もあった様であるとの由(これは保安林であることから監督官庁から許可を得られなかったらしい)。

  大正15年4月24日に、常磐線石神駅(現東海駅)から阿漕迄の約4kmが開業しています。

 しかし「十三参り」の参拝客の集中する繁忙期3月上旬には開業が間に合わず初めから躓き、その後は「虚空蔵尊」門前迄の乗り入れが出来ず、かなりの(500m強?)徒歩連絡を要し不評だった事、乗合自動車との競合などにより赤字経営を強いられ、最後は車掌兼整備士と運転士の二人のみの現業社員という徹底した合理化も遂に酬われずに、昭和7年9月14日営業廃止願提出、昭和8年2月13日に廃止認可となり、結局10年に足りない命だったとの事です。

      

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