山ある記 |
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大蔵高丸 (1,781m、おおくらたかんまる) − 山梨県 2001.12.15 (土) |
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天候:晴れ 標高差:280m(山梨百名山) |
<奥多摩の紅葉はまだ始まったばかり・・・> この日は冬型の気圧配置が強まり、関東は冬晴れとなったが寒さが厳しい日であった。 前夜は10年来の友人と新宿で飲んでいたが、ふとトイレに起きた朝、好天を確信して、そのまま山に行く準備をして、車を走らせた。 ここしばらくは時間的・精神的余裕がなくて遠出は避け、近場の山ばかりに登っていたが、今回は少しだけ足を伸ばしてみた。 甲州街道を甲斐大和に向かい、武田勝頼自害の地、武田家終焉の地、彼らを供養する寺・景徳院のある田野という地区に入り、日川沿いに湯ノ沢峠に向かう。更に天目温泉で焼山沢林道を進み、しばらくは舗装された道を走る。峠の手前4KMくらいは砂利道であったが標高は十分に稼げる。 別に交通の要所とも思えないのに、なんでこんなところまで林道が開かれているのか不思議に思ったが、峠にはNTTの無線中継局が設置されていたのだ。林道は峠で終点となるが、山の反対側の真木小金沢林道からも道路が間近に延びて来ていて、両方の林道が結ばれるのも時間の問題かとも感じられた(必要性があるかは疑問だが)。 峠の駐車スペース(標高約1,650m)に車を停め、車外に出ると天気こそ晴れだが、冷たい強風に出迎えを受けた。この風はその後、一日中吹きまくって山行を苦しめた。 |
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10:55
峠を南に向かって出発。寒さ対策でフリースジャケットの上からスキージャケットを着て、耳まで覆う帽子を被った。手には軍手。それでも吹き抜ける風は肌を刺すように冷たく、顔が痛かった。大蔵高丸は目と鼻の先で、標高差も大してない。 11:15 大蔵高丸。登山道は土や浮いた水分が凍り、滑りやすいところもあった。山頂からは南にくっきりと巨大な富士山が聳え立って見えた。富士山はすっかり雪を被って、太陽に照らされ、テラテラと光って見えた。山頂を次から次へと雲が素早く通り過ぎ、富士山頂も相当な強風だと思われた。あっと言う間に目的地についてしまったので、更に南に少し足を伸ばすことにした。 11:35 破魔射場(はまいば)丸(1,752m)。ヴィダーinゼリーでエネルギー補給。更に南下すれば大谷ガ丸や滝子山にも行けたが、ずっと下りになり、帰りは登りとなるのを嫌って一旦、峠に戻り、黒岳を目指すことにした。 |
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<日帰り温泉> 大和村営やまと天目山温泉。\700。 内湯2(ジャグジーあり)、露天2。休憩用の広間もゆったり。入浴客が少なく、貸切状態。山で冷え切った体をゆっくりと温められた。浴場の壁の武者のタイル絵が印象的。 更に帰りには、景徳院にも寄ってみた。この寺は織田軍とともに武田家を攻め滅ぼした徳川家康が、勝頼たちの菩提を弔うために建立したそうである。その上で勝頼夫妻が自害したと言われる石があり、祀られていた。戦国史に残る悲劇の地の一つである。 <参考地図> |
12:05
大蔵高丸。北にはそこよりも更に高いピークをもつ白谷丸が見える。より高い山が目の前にあるのに、そのまま帰るわけにはいかない。そうでなくとも今日はほとんど山に登った気分がしない。 12:20 湯ノ沢峠。ここからは北上する。ここから北の大菩薩嶺に至る山並みを小金沢連嶺と呼ぶそうで、目指す黒岳(1,988m)は峠からは標高で約300m登った先。気温-1度。 12:55 白谷丸(約1,930m)。ここに至るまではあいかわらずの強風で、飛ばされこそしないが、体感気温は相当に低く感じた。顔も痛い。木陰で強風を避け、おにぎりと水筒の熱いお茶で昼食。ここからは正面の富士山の眺望が絶品。大蔵高丸よりも標高が高い分、見晴らしもよくなった。登ってきた甲斐があるというもの。気温1.5度。 13:15 多分そこからは、黒岳は目と鼻の先のはずであったが、あまりの寒さに耐え切れず、下山を決意。凍った土が溶け出したのか、表面だけが緩んだ山道は滑りやすく、よく足を取られた。 13:35 駐車場。気温-2.6度。 |
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