富士山   (3,776m) − 山梨・静岡県                 2000.08.18(金)/19(土)

山ある記

   天候:曇り、上部は晴れ

 冒頭に書いてしまおう。昨年に続き二度目の富士登山は、寂しく敗退した。
 昨年は死にそうになりながら、まさに這うように山頂に取り付いたのだが、今年は出来れば酸素吸入なしで余裕をもった登山をと考えていた。
 金曜の仕事を早めに切り上げて、アフター5は富士山と洒落込むところまではよかった。今回は会社の同僚2人(一人は初めての富士山)が同行。新宿西口から19:40発の富士急行バス(片道\2,600)で一路、富士吉田口登山道の入り口・5合目(標高2,305m)まで。この日、西新宿から出る登山バスは計7台。私の乗ったバスは半分くらいは外人であった。夏バテと仕事疲れの体力を回復するために眠ろうと試みたが、全然眠れなかった。普段は起きている時間だから当然だ。
 そうする間にバスは22時前には5合目に到着。付近は多少のガスが出ていて時々、少し欠けた月が雲間から顔を覗かせるくらい。Tシャツ一枚では肌寒い。

22:10 5合目を出発。五合目からは日中は馬車が出るらしく、周囲に家畜臭が漂って、鼻を突いた。登山道のあちこちに馬の糞が落ちていると思うと夜の登山は危険だと思った。
同僚の若い二人の歩くペースは早く、そんな最初から飛ばすと後で泣くぞ、と思いながらも休み休み止まって私を待ってくれる彼らについていく。
22:40 6合目はあっという間であった。足慣らしも出来て、そろそろ本領発揮か?しかし、この日も登山者の数は尋常ではなく、あちこちで大渋滞が発生。阪急xx、読売xxとか地方の旅行社が募った団体さんがわんさか押し寄せているらしい。登山道の要所、要所に建てられた小屋の前などでしょっちゅう点呼を取っているから分かる。
23:20 7合目らしい地点に到着。”らしい”と言ったのには訳がある。そう、富士山には一本の登山道に7合目が何箇所もある(7合目に限ったことではない)。xx7合目という名の場所では、小屋ごとに、登り口で木の杖を買った客に200円で焼き印を押す。いったい全部の小屋で押してもらったらこの杖は一本いくらになるだろうと思いながら、同僚の焼き印入りの杖を見る。
23:50 赤い鳥居(私の高度計付き腕時計では2,810m地点)に着く。頭の上を覆っていた雲は消え、星空が広がる。月明かりが明るい。兎に角、人の多さにはうんざりだ。彼らを追い抜くのに気を使う。特に溶岩の固まった斜面は歩くペースが落ちて、渋滞の元凶となる。
00:25(08/19) 8合目(標高3,100m)。長い列の後ろに付いたり、追い越したりしているが汗もかかなくなる。 Tシャツは既に汗で濡れているが、気温も低く(私の温度計付き腕時計では13度前後)汗が乾くことはない。ちなみに私の装備はTシャツにデニムの長袖シャツ。下はGパンにトレッキングシューズ。リュックには雨具、食料と着替え、酸素缶、ガスこんろとガスボンベ。
さすがに寒くなってリュックからフリースのジャケットを取り出して着込む。
01:15 吉田口8合目に着。ここでハプニング。同僚2人とはぐれた。きっと私の後ろを歩いているに違いないと、小屋の手前で彼らを待ってみるが、待てども待てども彼らの姿が見えない。その間にも次から次へと老若男女、国内外の登山者が目の前を通り過ぎていく。15分待っても姿が見えないので、これは団体に紛れて通り過ぎてしまったものと考えた。そうだとすればきっとこの先で待っていると思い、上に向うことにした。しかし、本8合目(3,360m)のはるか手前で思い直す。これだけ歩いても彼らが待っている様子はない。これは二人のどちらかに何か起きたのではと不安になり、来た道を戻る。
 先ほどの吉田口8合目に戻ったが、やはり彼らの姿はない。更に下る。その下の小屋は3人で無事通り過ぎた場所であるから、何かあったとしたらこの間の道しかない。しかし、その小屋にも彼らの姿はなかった。諦めて再び上を目指そうとしたが、気分が悪くなってきた。濡れたシャツをずっと着ていたせいか、体温をどんどん奪われてしまったようだ。寒気(さむけ)がしてきて、歩いても汗もかかない。しまいには右足太股が痙攣を始めた。おまけに長い渋滞だ。無理矢理ペースを上げて体温の上昇を図ろうにも、足が動かない。急に弱気になり、迷いながらも再び道を下ると、ふらっと先ほどの小屋に入る。少し暖を取らせてもらうくらいに考えていたが、「休憩は駄目、宿泊になる」と言われ、渋々金を払って小屋に入れてもらう。小屋の若者に奥の上下二段の宿泊部屋に導かれる。同僚二人のことも気になったが、彼らの無事を祈って、自分の体力回復に努める。濡れたTシャツを脱いで着替えると布団に潜り込む。
 身を縮めて丸くなるがなかなか寒気が去らない。しかも寝付けない。布団の中で苦闘しているうちに少しずつ宿泊客が増えてくる。気配で分かる。中には家族できたが脱落して小屋に預けられたらしい少年や、息をぜいぜい言わせて苦しそうに床につく女性。そう、雑魚寝だから男女の別はない。皆一列に寝る。時々、溜め息のように苦しそうに息をするのが聞こえてくる。
 眠るとも眠らないとも言えない状態で、そうする内に小屋の若者のご来光20分前を告げる声が響きわたる。ご来光を見に来た客へのサービスだと思うが、私には嫌がらせにしか聞こえない。同じ床に寝並ぶ他の客たちはほとんど外に出たらしい。私はご来光は無視して未だ冷たい体を布団の中で丸めている。何時の間にか眠れたようで、7時半頃またしても小屋の若者の声で浅い眠りを妨げられる。
 どうやら気分もよくなったようなのでこれを機に起きることにした。もし、同僚2人が無事、山頂に着いてご来光にもありつけていたとしたら、そろそろ下山してくる頃かも知れない。そう考え、下山途中で彼らと出会えるとも限らないと思い、小屋を出て、登りの登山道を少し下り、下山道に通じる連絡道を通って下山道に入る。

 ひたすら続く単調で歩き辛い路面を下り、なんとか5合目に辿り着く。気分は全然問題ない。あとは二人と落ち合うだけである。もっとも待ち合わせ時間を打ち合わせているわけではない。8合目辺たりではぐれてから連絡すら出来なかったから。5合目には10時頃着いたが、彼らはまだ下りてきていないようだった。
 他の登山者に倣って、私も5合目の広場に荷物を下ろし、腰を下ろして彼らの下山を待つことにした。
 11時頃には二人が別々だが無事に下ってきた。無事山頂を踏んできたことを知って、ほっとした。
 その足でタクシーを拾って、河口湖駅前に直行。そこで料金を聞いて驚く。こんなことなら乗る前に確かめるべきだったが、そこまでは気が回らなかった。まさか一万円を超えるとは!もっともそのタクシーの運転手が駅前のホテルの展望風呂への入浴を手配してくれたので許すとしよう。
汗を流してすっかり生き返った我々は、帰りの新宿行きバスのチケットを取り(\1,700)、これも駅前の”ほうとう”を出す店で昼食。
 食後、15時のバスで東京に戻った。また来年、体調を整えてチャレンジしたい。どうやら私にとって富士山は鬼門らしい。次回こそは心して掛からねば。次は平日にしよう。

追記:リタイヤの悔し紛れではないが、富士山は臭さも日本一であった。要所要所の小屋毎に設置されたトイレからは悪臭が登山道まで漂い、ただでさえ具合が悪いのに余計に気持ち悪くなる。最近、「富士山が世界遺産になれなかったのは」云々のCMが流れているが、ゴミの多さもあり、これでは世界中の人に対しても好い印象は与えないだろう。もし、富士山管理会社があるとしたら、企業努力が足りないとしか言いようがない。もし山が守れないのなら入山規制も考えてもいいのではないか。
 もう一点、人を乗せた馬に注意。狭い登山道を我が物顔の馬子が客を馬に乗せて馬以上に闊歩する。見た目に馬は辛そうに歩いている。餌もろくに与えられていないんじゃない?登山者にはいい迷惑だ。前に人が歩いているのに、どけ!と言わんばかりに急接近し、慌てて登山者が脇に避ける始末。これは危険だ。もし彼らが誰かの許可を得て営業しているとすれば(多分得ているはずだが)、営業停止処分並みの犯罪だ。登山者が怪我でもしたらどうするつもりだろう。トイレよりも一番むかついたのがその馬子だ!。


<参考地図>
どこでもアウトドア 「日本百名山を登る(上巻)」(昭文社)