読書メモ  

・「強力伝・孤島」(新田次郎・著、 \438、新潮社)


はじめに:
 直木賞受賞(昭和30年)の処女作「強力伝」を含む、作者初期の6つの短編集。舞台こそ違うが、いずれも極限の状況に置かれた人間が懸命に何かをやり遂げよう、また生きようとする姿が迫力をもって描かれる。

内容と感想:
 
1)強力伝
強力(ごうりき)とは文字通り重い荷物を背負って高い山の上に物資を運ぶ人のこと。主人公の強力・小宮は富士山の優れた強力として活躍した人物(実在のモデルがいる)。その怪力ぶりから白馬岳山頂に風景指示盤用の重さ50貫(約187Kg)もある石を運ぶ依頼が彼にきた。人間の力だけでその石を2個も山頂に運び上げたこと自体が信じられないが、それをやり遂げるプロ根性は自らの命を縮めることにもなったようだ。相手は巨石だけではなく、白馬岳の険しい山道と雪渓が、その仕事を更に過酷なものにした。死と向き合いながらの石との、そして山との格闘の描写が痛々しいほどに鋭い。

 2)八甲田山
八甲田山死の彷徨」(昭和46年)のずっと以前に書かれた短編。ここでは死の彷徨の最中にある青森歩兵第5聯隊の姿のみが描かれている。記録的な寒波が襲った気象状況での雪中行軍という極限状態で人間に起きる幻影・幻聴、異常な行動などが滑稽でもある。

 3)凍傷
昭和初期、富士山頂に測候所を作った技師の話。支援者もなく、なかなか予算も下りず、必ずしも順調ではなかった。まずは冬の山頂での滞在が可能かを証明する必要があった。孫もいる高齢の技師・佐藤は山頂に1ヶ月間滞在し、気象観測の実績を作ることが何よりも重要と考えていた。1ヶ月後、足に凍傷を負いながらも下山した佐藤の成功は、測候所建設実現へと導いた。
*昨年、その測候所は閉鎖され、有人での観測は終了した。

 4)おとし穴
冬の夜、獣を落とすために雪の中に掘られた落とし穴に過って落ちた男が、その中で山犬(狼)と対決することになる話。まだ、日本オオカミが生息していた時代、酔って落ちた狭い穴の中で、まさか山犬と睨み合うことになるとは。今にも彼に襲い掛かりそうな山犬に一分の隙も見せまいとする彼の頭には妻と子供と隠し金のことが浮かぶ。
朝、彼を捜しに来た村人の声にほっとするが・・。

 5)山犬物語
江戸末期、八ヶ岳の麓。山犬のせいで娘の命を奪われた太郎八夫婦は、人々が犬神とも大神とも言って崇(たた)りを怖れた山犬へ復讐を誓う。太郎八は山犬の棲み家である岩穴を突き止め、小犬を生け捕りし親犬を仕留める。仕返しが済み、気が納まったのか、夫婦は連れ帰った2匹の小犬を育てる。一匹は見世物にするために高額で引き取られていくが、妻は気の毒に思ったか残った一匹を逃がす。
その後、村を襲った狂犬病が村を恐怖のどん底に突き落とす。太郎八も村人の先頭に立って、狂犬病に罹った山犬退治に奔走するが、まず妻が山犬にやられ発症、太郎八自身も狂った山犬の群れに襲われ、狂人と化し死んでいくことになる。

 6)孤島
八丈島よりもはるか南方の海上に浮かぶ小さな島、鳥島の気象観測所で日々起きる出来事を綴る。2度も噴火し住民を全滅させた無人島の鳥島に気象観測の前線基地が作られた。測候員だけの男の世界は、半年もの滞在を強いる異常な閉鎖空間。単調な観測作業の日々に測候員同士も感情的な衝突が起きる。各人が不満を募らせながらも本土に戻れる日を待ちわびながら必死に生きようとする。
気が変になったり、精神的ダメージを負うものもあった。任務とはいえ、非情で非人間的な勤務環境だ。


追記:
 
昨年秋、私も強力の小宮も通った滑りやすい雪渓を恐る恐る渡り、白馬岳の山頂を踏んだ。確かに山頂にはそこから展望できる四方の山々を描いた円形の風景指示盤があった気がする。が、それが彼が運んだものであるかどうか、なんてことなど気にも掛けようがなかった(この本で初めて知ったことだから)。まさか人間の力で運んだなんて想像もできない。平地を運ぶのとは訳が違う。こんなことを成し遂げる豪傑がこの日本にいたことを何か誇りに思える。

*話は違うが、昨日(9/24)シドニー・オリンピックで女子マラソンで高橋尚子が優勝。女子陸上に史上初の金メダルをもたらした。何より驚くのは42.195kmという過酷なレースの後でも終始、笑顔で疲れた顔ひとつ見せない。気持ちよく走れた、楽しかったとさえ話す。いったいこの子の体力、精神力は一体どうなっているのか?
 以前見たTVの特集番組でマラソン選手が高地トレーニングする様子が映し出されていた。高橋もオリンピック前は高地でのトレーニングを積んだという。最近は高地トレーニングは心肺機能の強化だけでなく、赤血球の酸素の吸収・運搬の力を高める効果が大きいとして多くの選手がこれに取り組んでいるらしい。その特集のエンディングでは、今後それ以上の何かを選手から引き出すための手段として恐るべきアイディアが挙げられていた。人間は極限まで力を発揮すると、それ以上は危険だという意志が働いて力を抑えたり、力を出すことを止めることさえある。それを意志の力で抑え込み、あるいは騙して無理矢理に力を出し続けられるようにするというものだったと思う。結局最後は精神力かとも思ったが、その実現方法については明確ではなかった。禅とか精神修養といったような方向ならよいが、未知の薬物投与によるようなものにならぬことを望む。
 それより怖れるのは、そんな極限状態以上に自らを追い込み、肉体を酷使した場合、そこには死が待っているような気がするのだ。

更新日: 00/09/26