1998年9月26日 東京〜ホーチミン

7時25分羽田発関空行きJALに乗るために徹夜をする。十分な時間があると思いのんびりするが所要時間の計算をすっかり間違え羽田空港に着いたのは出発20分前。

 搭乗手続きを足早に済ませてシートへ。離陸をする前にすっと眠気に誘われ次に気がついたときには隣の客が荷物を上から降ろしているところだった。もう、関空だ。関空は広く、長い。端から眺めると反対の端がはっきり見えない。乗り換えまでに時間があるので3階にあがり「ぼてじゅう」で朝食兼昼食をとる。空港使用税を払う。2650円。

 搭乗。ベトナム航空。小さな飛行機で席3列、通路、席3列という構成。アオザイ姿のスチュワーデスたちがいる。JALと共同出航の便なので日本人のスチュワーデスもいるし、アナウンスも英語、ベトナム語、日本語とありサービスはよい。寝たり本を読んだりしているうちに到着30分前のアナウンス。窓からはベトナムの田舎が見えている。濁った細い川がうねっている。

 ホーチミン市タン・ソン・ニャット空港に到着。機内でガイドブックを見ながら書いた出入国カードと税関申告書とパスポートと顔写真1枚と航空チケットと滞在許可証を持ち、悪名高い入国審査。なるほど狭く低く暗い空港に職員が軍服のような制服を着て退屈そうに鎮座している。実際退屈でつまらない仕事なのだろう。他の日本人客もいささか緊張気味だ。やがて私の番が来た。職員は滞在許可証と写真をホチキスで留め、出入国カードと税関申告書に目を通す。するとあさっての方角を見ながらおもむろに突き返してくる。とまどっていると、二カ所の空欄を指さす。そこは滞在先のホテル名を記入する欄だ。まだホテルは決めていないと英語で言うが全く聞こえていないフリをして遠くを見たままだ。困っていると誰かのホームページに似たような体験が書かれていたのを思い出した。その人は適当に知っているホテルの名前を書いたのだ。たまたま知っていたファングーラオ通りにある有名なLELE HOTELの名前をそれぞれの空欄に書くと、ろくに見もせずに判をついて返してくれた。

 次は荷物の受け取り場だが機内持ち込みの荷物しかないのでスルー。手荷物をX線にくぐらせゲートを通過。柵の向こう側には客待ちのドライバーらの群れがガラスの扉越しに見える。このことも聞いていたがそれでもとまどってしまうのは税関という関門をくぐったあとに一息つく間をあたえない攻勢だからだ。休憩する場所も銀行も中にはないようなのでとりあえず外に出るが、柵があるので特に問題はなかった。柵の外に出るときが問題だなと思っていると一人の青年が近づいてきてエアポートタクシーのドライバーライセンスをみせ、確認させてくる。両替の必要はあるのかと聞いてくるので、あるというと銀行のカウンターへ連れていってくれる。とりあえずと思い100ドルをドンに替える。138万7800ドンを受け取る(1円=105ドンぐらい。1ドル=136円。1ドル=14000ドン。だいたい計算は10000ドン=100円)。正しく両替されているか確認しなかったが、できればしておいた方がいいだろう。なぜ彼のみが柵の内側に入ってこれたのかはよくわからなかったが、エアポートタクシーを使おうと思っていたので車まで着いていく。おかげで他のドライバーたちは全く近づいてこない。車の脇には大きくAIRPORT TAXIと書かれているので乗ることにする。すぐにメーターを使いだしたし、その脇には証明書もある。行き先はとりあえずファングーラオ通りと告げる。ホテルは決まっているのかというのでまだだと答えると、安くていいところを知っているという。なるほどマージンが入る知り合いのホテルを紹介してくるというのは、いろんなところで読んでいたがその通りの展開のようだ。多少の不安はあったもののとりあえず案内を頼む。街はやはり車よりバイクの方が圧倒的に多い。町の中心部に近づくと人通りがぐっと増えてくる。すると彼はこのあたりを歩くときはひったくられるから現金はあまり持たないほうがいいと警告してくれる。2件隣には交番もある知り合いのいいホテルだと言い車を止める。ファングーラオと言うのはこんなに小さい通りなのかと思いつつ降りる。タクシー代は6ドル。相場と同じだった。

 そのホテルの名前は「ヴァン・チャンVan Trang」だった。英語の上手なボーイが話しかけてくる。とりあえず部屋を見せてくれといい階段で3階にあがる。10畳ぐらいの広さでダブルベッドが一つにシングルベッドが一つトイレ、シャワー、エアコン、冷蔵庫、テレビ付き。お湯も出る。15ドルだという。10ドルにしてくれと交渉すると12ドルにまで下がる。ベッドは一つでいいから10ドルにしてくれというと、みんな同じような部屋しかないがもっと上の階なら10ドルでいいという。6階にあがるとシングルベッド二つでテレビ、冷蔵庫なしの部屋だ。エアコン付きでこの値段なら十分なのでここに決めてしまう。

 下に降りてカウンターで手続き。カードに決まったことを書くだけだ。ガイドブックの地図を出しこのホテルの位置をマークしてもらう。するとこのホテルはガイドブックに載っていることがわかり拍子抜けした。ガイドブックには20〜25ドル5室と書いてあるがもっと部屋数は多そうだ。まあ安くすんだのは確かなようだ。

 このホテルはファングーラオ通り沿いではなく、1本奥のブイ・ヴィエンBui Vien通り沿いだった。ファングーラオ通りの北側は再開発のために更地になっており、安宿は徐々にブイ・ヴィエンに移動しつつあるということは事前に知っていた。小さいながら通りに面したベランダがあり、そこから騒がしい通りと町並みを眺められる。だがエレベーターがないのだから2ドルぐらいケチらずに最初の部屋にしていればもっと快適でテレビも見れたんだな、とも思ったがそうすると眺めが犠牲になるし、1日に階段を上るのはせいぜい2回ぐらいだったのでやっぱり正解だったと思うことにする

 ホテルボーイの彼の名はBIEN。今はもう4時なのでちょっと街をぶらつきに行くというと7時にホテルに戻ればバインセオのおいしい店を紹介してくれるという。パスポート、エア・チケット、現金300ドルをチャック式の袋に入れてフロントに預け、とりあえず比較的高級な店が並ぶドン・コイ通りの方まで歩くことにする。ハム・ギー通りとレ・ロイ通りの交差点にさしかかると左側にベン・タイン市場が見える。この二つの通りは思っていたよりだいぶ広い。だが交通量は想像を超えていなかったし、ある程度信号は守っているので渡るのにさほど苦労はしなかった。後々マスターしていくことになるのだが、渡り方にはコツがあって日本で信号のないところを渡るのとはちょっと違う。日本だと車やバイクがこなくなるのを見計らって小走りに渡るのだが、ベトナムではバイクの往来がやむことはほとんどないので、まずとりあえず進めるところまで進み向かってくるバイクの方を見ながら自分のすぐ前を通らせてまたちょっと進む、という動作を繰り返し確実に向こう側に近づいていく。迫ってくるバイクの方を向いていないとクラクションを鳴らしてくる。が、日本でのクラクションとは意味が違っており、バイクが通りますからそこで急に走ったりしないであなたのペースを守りなさいよというような意味だ。つまりこちらが予測不可能な動きをとらなければ向こうが避けて通るのだ。

 このあたりは中心街で、プチ・パリと呼ばれるのがわかるような街並みだ。シクロに声をかけられるが簡単にあしらうことができた。むしろ問題はバイクタクシーで、彼らはシクロより身軽なので下手な日本語を操りながら3ブロックほどつきまとわれる。まだ少し緊張しながら歩いていたのでこの間あまり街をとらえることができず非常にうっとうしい思いをする。このころ、行きの飛行機が一緒だったO氏の姉たちと遭遇するが通りを挟んでいたしこのバイクタクシーから逃れるのに必死で会釈だけでわかれる。逆にグループに加わっていればふりほどけたのかもしれなかったが、まだ着いたばかりだし一人で行動したいという思いもあった。
 向こう(バイクタクシー)があきらめたところで、友人に見せてもらった雑誌のベトナム特集で紹介されていたドン・コイ通り周辺の外国人向けの雑貨屋をのぞく。Celadon GreenやAuthentiqueなど。ZAKKAは改装中だった。店内にはいると小綺麗な日本人旅行者が数人いる。ホーチミン最終日におみやげ用に何かを買おうと決めこの日は何も買わない。次に本屋に立ち寄る。スアン・トゥXuan Thu書店。国営の書店。旅行中に見た一番大きな書店だが東京の大型書店になれている身にとっては不安になるほど品薄だ。せっかくだからと思い、格闘技の雑誌と漫画と絵本を買う。どれも一冊30円ぐらい。印刷品質は極めて悪い。
 レ・タイン・トン通り周辺を見ながらウワサのホンダ・ガール(バイクに乗った売春婦)2人に声をかけられたりしつつも、行きと違う順路でホテルに7時ちょっと前に戻る。BIENくんに行くかいといわれるがまずシャワーを浴びさせてもらうことにする。思っていたほどの暑さではないのだが湿気もあり、なれないところを歩き回っているとさすがに汗をかいた。7時半にロビーへ行くとバイクタクシーのあんちゃんに紹介される。BIEN君が連れていってくれるわけではないのだった。

 100ccのバイクの後ろにまたがりお店へ向かう。なるほどバイクが走っている間はヘルメットもいらないしとても涼しい。彼の名前は「イ」。Yに発音記号が付いている。かなりなまっているが一応英語をしゃべる32歳だ。25歳ぐらいにしか見えない。バインセオ屋に5、6分で着く。汚いお店で、観光客は一人もいない。さっそくバインセオと生春巻きを頼む。バインセオはそのまま食べるのではなくまず菜っ葉のようなものに香草をのせその上にバインセオをのせてくるみ、魚から作った醤油ニュクマムにつけて食べるのだ。新鮮な野菜とバインセオのぱりぱりとした香ばしさが絶妙でニュクマムもとても気に入った。飲み物にカフェ・スー・ダーを頼む。これはアイスミルクコーヒーのこと。ミルクは日持ちの関係からかコンデンスミルクなのでちょっと甘すぎる。今度からはカフェ・ダーにしよう。スーはミルク、ダーはアイスの意。葉っぱで巻く作業はすべて彼がやってくれる。食べなよといってもいいからいいからという感じで僕の世話をし続ける。

 そして売り込み営業トーク。日本人と一緒の写真やその日本人からの英語の手紙などを見せて自分がいかに信頼できる人間であるかを話し続ける。メコンデルタやクチ・トンネルにもバイクで連れていってあげるというのだ。それはそれで構わないのだがまだ決める気になれないし、勝手に動き回りたいと思っていたので断った。その理由がうまく説明できなかったので彼はいまいち納得できず、少し気まずくなった。この食事は24000ドン(約240円)。

 ホテルまで送ってもらい彼に今日のチップとして20000ドン渡す(別に要求されたわけではない)。10時半ぐらいまでベッドでウトウトした。ベランダから通りを見るとまだ開いているお店が多いので、水を買いがてら周囲をぶらつく。水はフロントで買えた。500mlのペットボトル1本40円。旅行中もっとも安く買った水は30円で街のおばちゃんがやってる商店だった。ホテルがシャッターを降ろす時間は12時だそうだ。

 ブイ・ヴィエン通りからファングーラオ通りに抜ける道沿いにシン・カフェやキム・カフェなどのバックパッカーたちの間で有名な格安ツアーを取り扱ってるカフェをのぞく、日本人や欧米人旅行者がいるが思ったほど多くない。着いたばかりの夕方は、少し蒸したが夜は歩いていても汗をかかないくらいかなり涼しい。エアコンも使わなくて平気だった。

 よく考えたらフロントに預けたときに特に預かり証明などを貰ったわけでもないので現金は抜かれてもどうしようもないことに気づき不安を抱えながら眠る。