8年ぶりに海外へ行こうと思ったきっかけが何だったか、いまだに思い出せない。もしかすると、ニール君シリーズで香港や中国が出てきて、なんとなく中国に行きたいと思ったからかもしれないが、思い立ったら即実行の私は、次の日にはJTBを始めとするあらゆるツアーパンフレットを貰ってきていた。 チベットいいなあとか、あーテヘランにも行きたいと思うが、平日長期休暇で、一緒に行ってくれる友人のいない私は、母の猛反対という壁に会い、普通の中国ツアーを選ぶことになる。もともと遺跡や三国志が好きな私の目に止まったのが、三峡下りを中心にするツアー。その中でも、私が行った1週間のツアーは、北京や西安の主な場所も回ることのできる、中国初体験の私としては、魅力的なツアーだった。まさに思い立ったら即実行。あっという間に決めると、すでに期限がずっと前にきれているパスポートを再申請し、JTBに旅行を申し込んだ。
7月30日。本当の長期休暇は8月1日からなのだが、土曜休暇と夏期休暇1日をつけて、30日から長期の休暇に入る。何しろ久々の海外。しかもツアーで海外に行くのは初めてである。一体どういうことになるのかわからない私は、15時集合なのに昼頃成田に着いてしまった。同じ県内なのに、成田に行くのは本当に久しぶりで、すっかり変わってしまっていて吃驚した。前のような使いにくさはなくなったが、やたらと広い。
集合時間の15時になった。今回のツアーは、Iカウンターなる場所でチェックインをする。周りを見ると、なんとじいさんばあさんばかり。やっぱり私の趣味は婆くさいのかなあとふと思う。
飛行機は17時で、チェックインをすませてすぐ入るのかと思いきや、16時に再集合という。それなら最初から16時集合にしろよ、と思うのだが、そうはいかないのだろう。出国ゲートの前に陣取って、P.D.ジェイムズを読んで待つ。
さてさて、16時になり、南ゲートの前に集合した。なんだかすごい人数。普通ツアーというのは10人前後だと後に聞いたのだが、今回の人数は28人。とりあえずおいていかれないように、誰かの後について行こうと決心する。
添乗員はTさん(女性)。チケットをみんなに配りつつ、「これから日本をシュツゴクします」と言う。おいおい、シュツゴクかよ・・・と心のなかで思ったが、もちろん誰も何も言わない。確かに出国はシュツゴクと読めなくもないが、しかし・・・(^^;。
出国ゲートをくぐり、A62の搭乗口へ進む。A62を見つけ、その階段を下りると、そこはもう中国だった。あちこちに飛び交う中国語。公衆電話の前には中国人女性が立ち、誰かと電話している。
航空機は中国国際航空。20分程度で搭乗が始まった。最初はやはりファーストクラス・ビジネスクラスからだと言っている。こんなところでも値段の差がでるようだ。しかし、ファーストクラスもビジネスクラスもいなかったらしい。すぐに他の人の搭乗も始まった。
座席に座ると、前には中国語と英語で注意書きがしてある。そういえば、搭乗のとき、スッチーは「こんにちは」でも「いらっしゃいませ」でもなく、チケットを見て手話のように方向を指さしただけだった。もしや、彼らは日本語が話せないのか。
隣に座ったのは、同じツアーのS夫妻。老夫婦で、今は悠悠自適の生活らしい。毎年夏になると、海外を飛び回っているそうだ。とってもうらやましい。一人で参加だというと、「あらまあ、それは偉いわね」と感心された。ご夫妻ともとても品の良い方で、いろいろと話をする。
離陸まぎわになって、さっきの危惧が本当になった。離陸のアナウンスが、まず中国語、ついで英語。さらに日本語になったが、「コンチワ。ゴトージョ、アリガトゴザンマス」・・・。私もS夫妻も思わず吹き出す。「アリガトゴザンマスですって」。確かに笑える。実際その後の夕食やドリンクサービスの時にも日本語は全く出されなかった。日本語がいかにマイナーな言語か、早くも思い知らされる。
17時出発なので、今日の夕食は機内食。中華か日本食か選べるようだ。ここはやはり中華を選ぶ。「アリガトゴザンマス」の彼らが供する日本食に一抹の不安があったのだ。ふたを開けると、チンジャオロースだった。
しばらくすると、中国語でアナウンスがあった。英語、日本語のアナウンスを待つが、何もない。一体なんだろうと思っていると、前の方の中国人が慌しい。窓に集まって、何かを指している。聞いてみると、富士山が見えるそうだ。残念ながら窓際の席ではない私は、P.D.ジェイムスに戻る。
3時間弱で上海空港に着く。出る前に、インターネットで調べた上海の天気は雷雨。せっかくの旅行なのにな、と思っていたのだが、ついてみると晴れている。ラッキーと思い、明日も晴れることを祈る。飛行機を降りて空港内のバスに乗り、入国ゲートに向かう。団体ビザのため、小学生のようにビザ順に並び、入国をすませ、荷物を受け取る。妹の自社製品の猫型キャラクターのバンドはとても目立ち、こんなところでは役に立った。もしよかったらおひとつどうですか? 3時間弱程度だと、まだ海外に来た気がしない。入国もツアーのせいか、無いに等しく、その思いに拍車をかける。しかしそれは甘かった。なんと人民元に変えるための空港の銀行が、担当者が夕食に行ってしまっていて開いていなかったのだ。きっと日本では見かけることのできない、のんびりした光景。その後もこの中国時間には、たびたび吃驚させられる。
外に出ても、やはりあまり海外に来た感じではない。思ったよりも中国はきれいである。漢字はちょっと違うが、すぐ近くにEPSONの看板も見えて、本当に東京とあまり変わらない。中国国内のスルーガイド・袁さんと上海のガイド・テイさんと合流し、バスで今日の宿泊地「銀河賓館」へ向かう。
外を見ていると、やはり中国に来たと思えることもある。車が古い。型が大分違う。しかも、すごい運転。車線などあって無いに等しい。タクシーは縫うように走り、交通ルールなど存在しないようだ。バスも何度か急ブレーキをかけていた。
30分程度でホテルに着く。JTBのツアーは高いだけあって、ホテルがみんな良い。1日目のホテルも4つ星のデラックスホテル。きっと日本では一生泊まれないであろうホテルである。チェックインに少々時間がかかったが、添乗員Tさんから、みんなカードキーを貰う。私の部屋は27階の角部屋だった。部屋に入って電気をつけようとすると、なんとつかない。しばらく悩んだ挙句、どこかの本で、インキーを避けるために、カード錠をドア近くのスロットに差し込んで、電気の元を入れるという話を読んだことを思い出した。(この恩人である本の題名を、私はいまだに思い出せない。どなたかご存知でしたら教えてください。)探すと、案の定それらしいスロットがあった。差し込むとやはり電気がついた。やたらと本を読んでいることも、こんなときには役に立つ。しかし、こんな仕組みはご老人たちにはやはりわからなかったらしい。しばらくすると、添乗員Tさんから電話がかかってきた。「電気のつけ方とかわかりました? シャワーとか大丈夫ですか?」はいはい。大丈夫です。こういうときに、添乗員付きツアーは心強いと思う。
部屋はひとりで使うには勿体無いくらい広い。だいたいにして、私の部屋よりも広い。ポーターさんに10元を渡して荷物を貰うと、さっそくあっちこっちに広げて一人部屋を満喫する。ふと気づくとちょっと寒い。部屋をいろいろ見て回ると、まるでチャイナ服のようなガウンを発見した。寝巻きの上に、それを着るとちょうど良い。疲れていたのか、お風呂に入り、NHKのBS(なんと入るのです)をつけたまま、P.D.ジェイムズを読んでいると、なんだか眠くなってきたので、ちょっと早めに寝ることにする。
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昨晩テレビで見た天気予報は、雨80%。明日は雨かーと思っていたが、朝6時、起きると晴れていた。要するに中国の天気予報は、あてにならないらしい。その後、天気予報は見ないことにする。
朝食をとる前に、フロントで切手を買う。日本まで4元だと言う。その日の内に葉書に貼って出したが、5日現在、まだついていない。期待はしていなかったが、やはり中国から葉書を出すのは無謀だったか。(結局この葉書は、6日についた。上海の消印が押されていて、出してよかったと思う。)
朝食はバイキング。S夫妻とちょうど会い、ご一緒させていただく。おかゆに肉まんの朝食を期待していた私は、普通の料理でちょっと残念。外国の客が多いせいだろうか。
今日は再び飛行機に乗るため、食事の後に荷物を出さなければならない。ポーターさんが取りにきて、中国語なまりの英語で、「あなたがリーダーですか?」と聞いてくる。いいや、違うよ、添乗員はTさんだよ、と言うと、今度は「その人はどこの部屋?」だ。それはあんたの仕事だろ、と思うが、部屋番号を教えてやると、「ありがとう」と言って、行ってしまった。さすが中国だ。
集合まで時間があるので、チェックアウトした後、外に散歩に出てみた。中国は自転車が多い。あまりに多いので、広い道路には車道のほかに自転車道もある。いわゆるチャリンコばかりではなく、スクーターのような自動2輪も含まれるようだ。時々リヤカーもいたりして侮れない。写真の左側が自転車道だ。近くの公園では、人々が集まって太極拳をやっている。ようやく中国にきたという感じがしてきた。
9時にバスが迎えにきて、出発。最初は上海博物館である。人民広場にあるこの博物館は、まだ新しい。かなり近代的な建物に、上海近郊で発掘された様々な物品が展示されている。上海ガイドのテイさんによると、青銅器と陶磁器が有名らしい。中に入ると、インフォームという日本語のガイド機械を渡してくれた。あとは自由見学。こういうのは、自分の好きなものを見られてありがたい。同じツアーの人で、今年で中国15回目の中国マニア、K元大学教授は、さすがに青銅器は見飽きたので、今回は書を見るんだと言って、上のほうへ上がっていった。私は博物館どころか上海も初めてなので、とりあえずは初心者用の青銅器から見ることにする。奈良にいると重要文化財が重要でなくなるように、いくら2000年以上前のものでも、これだけの量が集まってしまうと、なんとなくありがたみが無い。しかしどの出土品も形が綺麗で、さすが中国4000年だと思う。特に目をひいたのが、「透光鏡」。ある一定の角度から強い光を当てると、鏡の後ろの模様が映し出されるという仕掛けがある銅鏡である。面白いので、メモっていると、中国人の子どもが覗き込んできた。きっと日本の文字が珍しいのだろう。
さらに、仏像が好きな私は、塑像の部屋にも行ってみる。法隆寺の釈迦三尊そっくりの仏像があって、やっぱり日本のは中国のマネなんだなと感心する。他に金印なんかも見たが、広いためにちょっとやそっとでは全部を回れない。また来たときの楽しみにとっておくことにした。
たまたま今、博物館にエジプトのミイラが来ているらしく、すごい人だった。階段の上の方まで並んでいる。その代わり常設展はガラガラ。ガイドのテイさんは、中国人はすぐ近くにいいものがあるのに、外国のものを見てしまうと嘆いていた。ふとこの前のドラクロワのことを思い出す。日本人も中国人も根は同じらしい。
上海は今、建築ブームの末期だそうだ。古い建物がどんどん壊され、新しい建物が建築されている。中華人民共和国は共産主義のため、土地は基本的に国家のもの。国家が立ち退きを要求すれば、人は拒むことができないらしい。日本によくある反対運動は水面下だけで、新しい建物にどんどん変わっていっている。あちこちに足場がくまれた建物があるが、よーく見てみると、なんと足場は竹。さすが中国。竹が豊富にあるというのは、何もテレビの中の偏見だけではないらしい。これなら足場がくずれてもあまり危険ではないし、建築費用も軽減できる。竹なら弾力もあるし、強度も優れている。生活の知恵といったところなのかもしれないなと思う。
続いて、友誼商店(ゆうぎしょうてん)へ向かう。国営の土産物屋で、ツアーで中国にくると、都市ごとにかならず45分間以上訪れなくてはならないそうだ。現地ガイドも添乗員も、この政策には困っているそうなのだが、外貨を少しでも多く落としていって貰わなくてはならない中国政府を考えると、まあ仕方がないかなと思う。ここから土産を買っても荷物になるなーと思った私は、外をふらふらと散歩していた。その時とった竹の足場の写真が上。上海のこのあたりは、昔租界地だったため、赤レンガの美しい建物が多い。このビルは、今修復中なのだが、窓から竹の棒が突き出して、洗濯物がひらひら舞っているのがご愛嬌だった。
買い物の後は、やはりお食事。上海大厦で上海料理を食べる。特に目新しいものはないが、やはり中国はご飯がおいしい。テーブルも3つには分かれたが、10人弱の円卓なので、ツアーの人たちと話すこともできるのが楽しい。おじいさんたち、さっそくビールを注ぎあっている。話をしてみると、千葉の人が多くて驚いた。
食事の後は、腹ごなしに黄甫公園へお散歩。しかし暑い。30度ちょっとなのだが、ものすごい湿気で、まるでサウナ。日差しもきつく、ふらふらである。橋をわたって向かうと、向こうには新宿顔負けのすごいビル群が見える。ライトアップすると綺麗だとテイさんが言っていた。今度くる時は、上海の夜観光のあるのにしようと思う。
ちょっと歩くと、外灘(ワイタン)と呼ばれる租界地。川のほとりに遊歩道が出来ていて、ものすごい人出。出ているのは、土産物屋ばかりではない。どうしてかわからないが、身長と体重を測るところがあった。一体何に使うのだろう。
飛行機まで少し時間があるので、龍華寺へ向かう。外を見ていると、相変わらず交通マナーが悪い。車の間を人が縫って歩き、さらにタクシーが車線を跨いで走っている。テイさんによると、中国の交通は、勇気優先だそうだ。確かに、足もとがふらつくおばあちゃんが、車がぴゅんぴゅん通る大通りを余裕たっぷりに歩いている。車もそれを想定して走らなければならない。少なくとも中国で運転するには、中国用の免許センターに行かないとだめだなーと思う。
30分程度で龍華寺到着。さっきの洒落た建物群とは全然雰囲気が違う。龍華寺は、三国時代のお寺だそうで、黄色の壁に黒の瓦屋根が美しい。中に入るとすごい人。今日はちょうど縁日にあたるらしい。驚いたのが、みんな真剣に祈っていること。いくつも束ねた線香を額に掲げ、前、左右と腰を折って祈っている。老人ばかりではなく、いかにも今風のお姉ちゃんまでそうしているので、びっくり。中国にはまだちゃんと仏教が宗教として生き残っているらしい。堂の中には、土下座用の台まであって、人でびっしりだった。
またお土産屋に寄る。今度はテイさんの観光会社と提携する玉石中心のお土産屋。玉が多いので、私の財布ではとても手が出せない。奥に茶席があったので、妻に置いてけぼりをくらっているおじいさんたちと茶を飲みつつ話をする。私はどこまでも婆くさい。ここで飲んだお茶はとてもおいしかった。
さて、上海の観光はこれで終わり。まだまだ見足りないところもあるけれども、また次の機会ということで、空港へ向かう。宜昌へのフライトは、上海空港発17時。上海空港までちょっとかかるので、早めの出発である。中国は、国内のフライトでもパスポートが要るらしい。しかし、最近の中国は大分軟化しているようで、ツアーでもあり、日本人でもあるわれわれは、パスポートどころか、ほとんどフリーパスだった。今までいろいろとお世話をしてくれたテイさんともここでお別れ。さようならを言って、空港へ入る。
20分程度で搭乗が始まるということだった。しかし、ここでいきなり中国時間の登場。まてどくらせど搭乗が始まらない。ツアー客とも「まだかな」と言いつつ、スルーガイド袁さんの指示を待つ。フライト15分前になって、やっと搭乗が開始された。バスで飛行機まで向かう。ところが、飛行機まで着くと、飛行機の周りにたくさんの客が集まっている。タラップはついているが、誰も上がっていない。パーサーと思われる人が、中国語でなにやら怒鳴っている。中国人客もそれに対してなにやら険悪なムード。中国語のさっぱりわからないわれわれツアー客は、何が起きているのか、と不安な表情。そこへ袁さんから飛行機が故障していて、直るのに時間がかかりそうで、まだ乗ることができないというアナウンスがあった。どうでもよいが、すぐそばの滑走路をジャンボが飛ぶ私たちの身にもなって欲しい。かなり恐ろしい。結局待合ロビーに戻ることになった。日本人客はおとなしくバスに乗り込むが、中国人は言葉が関係ないだけに、往生際が悪い。人身事故の時に駅員に食ってかかるおじさんのようだ。
結局1時間ほどして、再搭乗が始まった。あの飛行機が直ったらしい。本当に直ったのだろうかという思いをみんなが心に秘めつつ、それほど大きくない飛行機に乗る。結局無事に宜昌についた。これから船まで1時間40分もかかるという。もう外は真っ暗。10時近いので、人もいない。ちょっと古めのバスに乗り込んで、一路船へと向かった。
みんな疲れているために、バスの中はぐっすり。私も1時間近く眠っていた。ふと暑さで目がさめた。左側に川が見える。あちこちの船が青い光を灯していてとっても綺麗だった。しかし、バスのくせに暑い。冷房が全然効いていない。もしや高速を走るのに、冷房をつけると馬力が足りなくなってしまうのだろうか。外が街中になった。あちこちにズボン一枚で涼んでいる人がいる。やはり暑いのだろう。もう11時ごろなのに、子どもも一緒になって、家の外で夕涼みだ。のんびりしている。そんなことを思っていると、船着場が見えてきた。
今回の船は「女王号」。JTBのほかのツアーもあわせて、JTBのチャーター便。2600t、5階建てのすごい船である。欧米の豪華客船とまではいかないが、十分豪華。こんな船で旅行するのは初めてなので、ワクワクしてきた。
11時を過ぎていたが、とりあえず食事・・・しかし機内食も出たので、それほど食欲は無い。でも見ていると、やっぱりおいしそうなので、みんなちまちまと箸をつけた。部屋の鍵を貰い、部屋に入る。私の部屋は303号室。船はまだ動いていなかったが、ちょっと斜めになっているらしい。ポーターさんから荷物を受け取って、風呂に入る(バスタブはない。シャワーだけ)と、水がすべて一方向に流れた。「斜め屋敷の犯罪」を思い出す。
さすがの私もちょっと疲れが出て、すぐにベッドに入る。写真を見てもわかるとおり、すごい広いベット。寝相の悪い私でも、安心して寝られる。寝入りばな、船が動き出した。寝ぼけた私は、「わ、地震だ」と思い、布団をかぶる。いつまでも揺れがやまないので、あ、船だったと思い出し、再び寝に戻った。何度か「わ、地震だ」を繰り返すが、気が付くと朝になっていた。