雑記帳・かつおの尾

2000年6月

 

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・桜の木(6/7)

子供の頃は桜の花を見ても,きれいだともなんとも思わなかった。親に連れられ
て花見に行っても、うっとうしかった記憶がある。今は,まだ寒い季節にほのか
に芽が脹らむ頃から,花の季節,花が終わって,蘂が終わって、葉の濃くなる頃
まで桜に親しんでいる。
時々通る道に大きな桜の木があった。小さな岡の坂道の中程に小さな浄水場があ
り、その浄水場の敷地の中にその桜の木は立っていた。岡といっても周りは家ば
かりである。桜の木は坂道のほうにも枝を張り出して,花の季節には周りを明る
くして、見事である。
花の季節には,時々そこを通るたびに,まだか,もうかと楽しんでいたのである。
その桜の木が消えた。今年の花の季節が終わって直ぐのことである。
(つづく)

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・桜の木 その二(6/14)

その浄水場では建物を新しく建てるらしい。工事用の車が通れるようにしたのか,
車を停めておくためのスペースを確保するためか、確かなことはわからないが、
桜の木が邪魔になったようである。
今年の春も花の散り時は素晴らしかった。浄水場の敷地の中はほとんど人が通ら
ないので散った花びらは,散ったままに桜の木の下に広がっているのだ。坂道も
桜色になる。花の時が終わり、もうすっかり葉の色が濃くなっている頃だろうと
思いながら通りかかったその朝、桜の木が見えなかったのである。見事に存在を
消していた。見ようと思って行ったので無いと気が付いたのだが、気に留めてい
なければここに桜の木があったなど,少しも心に浮かぶことは無いだろう。確か
に桜の木があった場所には畳大の鉄板が4枚並んで居るだけであった。
(つづく)

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・桜の木 その三(6/19)

そうとう大きな木である。古木である。切られてしまったのだろうか。あるいは
工事期間中どこかに疎開しているのだろうか。移動は大変な手間とお金もかかる
と思うのだが。ある日ふっと戻って居たならばうれしい。
今はその桜の木のあった場所に空が広がって見えている。
空を見て、鉄板が並んでいるのを見て坂道を下る時,存在の儚さを幽かに思う。
(おわり)

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・眼鏡を踏む(619)

畳の部屋である。小さなテーブルがあり、新聞を見ていた。新聞をテーブルの上
に置いて,眼鏡をその新聞の上に置いて,立ち上がった。顔を洗おうとしたのだ
から眼鏡ははずしたのである。立ち上がった拍子にたしかに新聞に触れて,少し
新聞が動いたのは気が付いていた。だがその時はそれだけのことで、あとはなん
とも思わなかったのである。あとから思えば,そのとき眼鏡が下に落ちていたの
だ。顔を洗って、テーブルのところに戻って来た時に、足の下でガグワッと音が
して、足に違和感が・・・。しっかりと眼鏡を踏んでいたのだ。
つるとレンズ枠を留めているネジが折れていた。レンズも片方がはずれてしまっ
た。重傷である。レンズが無事だったのはまだしも幸いであった。
眼鏡は入院一日で戻って来た。

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・丸ちゃんと呼ばないで(6/30)

丸山新名人は親しみをこめて「丸ちゃん」と呼ばれることがある。これからは,
丸山名人,名人丸山忠久さんなどと呼んで欲しい。特に公にする文章を書く人に
お願いしたい。

人の呼びかたは重要である。定年退職した夫が、夫婦二人のぎくしゃくした生活
を,妻をさん付けで呼ぶことで少し改善したという記事を新聞で見たことがある。

良く言われることだが、テレビの野球解説に出てくる一部の人が選手をクン付け
で呼んでいるのはいただけない。言葉の勉強をしてから出てもらいたいものだ。

将棋に携わっている人にも一部、棋士をちゃん付けで呼んでいる人がいるのは情
けないことだ。
たしかに、自分から見れば、子供か孫の年齢であり、子供の頃から知っている子
だし、特に女流は可愛い「女の子」の頃から普通にそう呼んでいたということも
あろう。
だが、将棋を愛する者として、人を育てる気配りを見せて欲しい。プライベート
の時は何と呼んでも,もちろん構わないことだが、公にする文章などでは,ぜひ
とも、きちんとした呼称でお願いしたい。

 


 

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