雑記帳・かつおの尾

2000年4月

 

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・有間皇子,結び松の歌 その後(4/6)

万葉集には有間皇子の歌二首のすぐ後に,結び松を後の人が見て作った歌が四首
続けて採られている。

長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ),結び松を見て哀咽(かな)しめる歌二首
この詞書きが付いた歌が二首

 磐代(いわしろ)の岸の松が枝結びけむ
  人は帰りてまた見けむかも

 磐代(いわしろ)の野中(のなか)に立てる結び松
  情(こころ)も解けず古(いにしへ)思ほゆ

一首目は「磐代の岸の松の枝を結んだという人は無事に帰ってまた松を見たので
あろうか」
二首目は「磐代の野の中に立つ結び松 結んだ枝も解けずにあり、私の心の悲し
みも解けずに昔の事が思われる」
というところが大意か。

続いて次ぎの詞書きのある歌が一首
 山上憶良の追ひて和(こた)へたる歌一首

 天翔(あまがけ)りあり通(かよ)ひつつ見らめども
  人こそ知らね松は知るらむ

初句の読みかたには異説がある。原文は 鳥翔成
つばさなす と読む人もいる。
意味は「皇子の魂は天空を通いつつ結び松を見ているだろう 人間は皇子が松を
見ていることは知る由もないが、松は知っているのであろう」

三首とも事件後三十二年,持統天皇が紀伊に行幸したときの歌である。

続いてもう一首。こちらも詞書きがある。
 天宝元年辛丑(しんちう),紀伊国に幸(いでま)しし時に結び松を見たる歌一首
(柿本朝臣人麿歌集の中に出づ)

 後(のち)見むと君が結べる磐代の
  子松が末(うれ)をまた見けむかも

人麿歌集は万葉集中に名前と一部作品が出てくるが現存していない。作者は必ず
しも柿本人麿ばかりではなく,多くの人の作がある。この歌も人麿の作ではない
と思われる。
こちらは事件後四十三年の歌。意味は「後でまた見たいと思ってあなたが結んだ
若い松の小枝をあなたはまた見たのであろうか」というところか。

四首ともに行幸の途中に詠まれたものである。一行は旅の途中,磐代の浜で有間
皇子が結んだという松の前に来て、これがあの松であるかと有間皇子に、また
有間皇子の歌に思いを馳せたのであろう。

有間皇子の歌は事件後すぐに多くの人に伝わっていたことがわかる。
罪人、謀反人、反逆者の歌である。全く無視されていたとしても何の不思議も無
いのだが、事実は多くの人の間に広まり、悲哀の情を覚えさせていたのである。
なぜ皇子の歌が残ったのか少し考えてみたい。
(つづく)

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・倒れる(4/27)

最近二度続けて、朝の駅のホームで女性が倒れているのを見た。
最初は,二十代後半くらいの人か、ハンカチを口に当ててしゃがみこんでいた。
吐いたらしい。脇に吐瀉物があった。駅員が「だいじょうぶですか」と声をかけ
ていた。
二度目は,二十歳くらいの人か、ホームに横になっていた。駅員が担架を持って
きて、これから担架に乗せようとしているところだった。駅員は慣れている調子
で「顔,青いですよ,だいじょうぶですか」とやさしく声をかけていた。

この駅の改札口は二階の位置にある。ホームには階段を降りて行くのだが、二度
とも女性が倒れていたのはこの階段を降りたところのすぐ近くだった。
思うに、電車に間に合わせようと階段を早足で降りていって、降りたところで、
気分が悪くなったらしい。朝の食事,前夜の睡眠など関係あるのだろう。
少し余裕を持って起きて、少しでもなにか食べるようにしたらと、かってに思っ
てみるのだが。
他人のことは言えない。
実は私も電車の中で倒れたことがあるのだ。

一時期,ジョギングをしていたのだが、一回はフルマラソンを走ってみたいもの
だと思い,冬のマラソン大会に向けて夏から走り込みをしていたことがあった。
自分の体力、能力と走り方、走る量、食事、食べ物のバランスがくずれていたら
しい。貧血気味になったらしいのだ。

ある朝、電車に乗っていて、ドアの窓から外を見ていた
あれっ,少し気分が悪いかなあ,という感じがした。次の瞬間に倒れていた。
倒れていたらしいのだ。気を失っていたのでわからないのだ。

少し気分が悪いかなあ,という感じがしたのは覚えているのだが、その後の記憶
は、なにやら遠くで何人かの声がするというものだった。その声がだんだんと,
近くなり,はっきりと聞こえるようにようになり、「だいじょうぶですか」と言っ
ているのだとわかってきた。そのうち、しだいに視界が戻ってきて、何人もの顔
が見えてきた。その何人もの顔の,体の角度が普通と違うのだ。
自分が床に倒れていて、周りから何人もの人がのぞき込んで,「だいじょうぶで
ですか」と私に声をかけているのだと気づくまでしばらくかかった。

手を貸してもらい立ち上がり、席を譲ってもらって座らせてもらったのだが、み
なさん、親切な人ばかりであった。

気が戻るまでのしばらくの間は,なにやらやんわりとあたたかい,ふわふわした
妙なところに居た。
こういう時にまず働くのは、耳、聴力で、目,視力は後からとなるものらしい。

冬のマラソン大会はふたつの大会に出て、二度とも完走した。


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