−提 言−
・靖国問題に見る歴史総括の必要性と留意点 (2001/8/18)
小泉総理が15日を避けての靖国参拝に追い込まれたことは非常に残念な事とともに、小泉政権の戦略性、実行力、メリハリ、理論構築力、問題に対する構造的アプローチの希薄さ、足して二で割る曖昧な手法を改めて証明して見せた。
この小泉政権の性格は政権発足当時から明らかなことであるが、当然に政権が行おうとしている構造改革にも反映し、十分な準備、シナリオの無いままに世論の空気のみに頼って不十分な外科手術を行うことによって日本経済と国民生活を破壊に導くことは、少なくとも今の体制で行く限りほぼ確実なことである。
さて、そもそも靖国参拝が問題とされる背景には歴史の総括が十分になされていないことがある。
日本を含む近代以降の列強による植民地主義、帝国主義は、欧米諸国も総括できてはいないが、新世紀を迎え、日本がアジアのリーダーとして新たな方向性を提示するためには、仮の形でもこれを総括し、その中に開国後の日本の歴史を位置付ける必要がある。
私は、その際、少々纏まりが無いが下記の諸点を留意すべきだと考える。
−留意すべき点−
- 開国後日本は富国強兵を図り、日清、日露の戦争を勝ち抜くことによって植民地にされる危機から次第に脱し、列強の植民地主義勢力の側に加わったこと。
- 日英同盟解消が、アングロサクソンと覇権をかけて対立する外交上のターニングポイントとなったこと。
- 1928年のケロッグ=ブリアン条約によって列強は、既存の植民地主権を固定化しようとしていたこと。
- 太平洋戦争は、英米とのアジア太平洋の覇権をかけての戦いであったこと。
- 同時に太平洋戦争は、アジアに対しては上記英米との覇権戦争のための物資供給が主目的である侵略戦争であったこと。
- 戦争目的としてのアジア開放は、これを純粋に考えていた者もいるが、八紘一宇の言葉が開戦後に初めて唱えられたことに示される様に少なくとも体制的には、後付けで考えられたものであること。
- 太平洋戦争が起こり、緒戦の勝利に引き続き日本が負けたことにより、結果としてアジアをはじめ植民地支配体制が解消される発端となったこと。
- もし日本が太平洋戦争を勝ち抜いていれば、日本によるアジアの植民地支配が形を変えて続いていた可能性が高いこと。
- 太平洋戦争等については、合理的に見てもともと勝てない戦争をして国民が苦しんだという失策の面と、侵略によりアジア諸国に流血と服従の苦しみを与えた事実の二つの責任が、日本国家にあること。
- A級戦犯等戦争指導者は指導者責任として上記の二つの点につきより重い責任を負うべきだが、戦前は曖昧な天皇制という問題点は抱えながらも、翼賛体制以前は実質的に普通選挙制にもとづく国民主権が成り立っていたことを考えるとこの責任は日本国民全体が負うべきであること。
- しかしながら、国家責任はともかく日本国将兵は国家意思としての戦争に従事し、国家という「公」のために命を賭して任務を遂行したこと。
- 赤き清き心と祓いと清めの他は、理論的、構造的な教義を持たない日本神道は、現地人を皇民化、日本人化する意外に教化する方法が無く、物理的にはともかく欧米によるキリスト教化より現地の文化、習慣を変更する精神的苦痛を強いた面が否めないこと。
- このことと、日本が植民地主義末期に参入して植民地経営のノウハウが稚拙だったことが、国により違うがアジア諸国が比較的、欧米よりも日本に反感を持っている一因になっていること。
- 植民地主義は、数世紀スパンで歴史の流れを俯瞰すれば、先進国の文化文明、産業を、植民地に移植した功の部分もあるが、同時に現地民に流血や服従、搾取を強いたこと。最終的には植民地支配からの開放により世界が発展の方向に向かったこと。
- 上記について、ヘーゲルの「自由を目的とする絶対精神の自己展開」の世界史観から見れば、欧米による植民地支配=「正」、日本の進出=「反」、日本の敗北と解放戦争の勝利による植民地支配からの開放=「合」との弁証法的展開の見方が大局で成り立つと思われること。
以上
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