−提 言−

 ・W杯を機に思う。ナショナリズムと国家 (2002/7/20)

世界を熱狂に巻き込んだワールドカップが、ドイツを破ったブラジルの優勝で終わ
った。
ベスト16に終わった日本代表、3位決定戦まで勝ち進んだ韓国はじめ、さらには
審判の誤審にも少なからず影響され敗れ去った欧州の強豪諸国を含め、各国がそれ
ぞれのスタイルのナショナリズムの素顔を残していった。

17世紀イギリスの村祭りから発祥したというサッカーの持つ神懸りさ、極端に得
点の少ないゲームであると言う偶然性とそれに伴う神秘性、非日常性、また高度な
個人テクニック、連携プレイ、指揮命令、戦略、即応の判断、現場での戦術、リー
ダーシップ、責任、士気の高揚等様々な要素を組み上げ、最終的にボールをゴール
に蹴り込むという生産活動とは無関係の目的のために高度な活動を行う祝祭性は、
単に各国代表の戦いという以上にワールドカップと言うものをナショナリズムを発
揮するに相応しい舞台にしている。

今回、日本代表のサポーター達はスタジアムを青一色に染める応援を見せた。
また、職場でのテレビ観戦を奨励する企業も出るなどオリンピックを遥かに超えて
日本中一体となった声援を送った。
道頓堀川の戒橋から飛びこんだ者が2000人を超えたという。
韓国の場合は、さらに激しいものだった。街頭に出ての応援は街を赤く染め、民族
が一つになって興奮し盛り上がった。
ナショナリズムは、ロシアが日本に破れた後のモスクワでの暴動のように不健全な
姿も垣間見せた。

一方で、日本代表のサポーター達は日本が敗退してからは他国への応援団になった。
また、韓国では街頭応援の後サポーター達が自主的なゴミ拾いをして帰ったという。
幸いな事に、両国に関しては当初の予想以上に勝ち進んだ事もあり、例外は有るだ
ろうが概ね偏狭なものは少なかったと言えるだろう。

今さら言うまでも無いが、戦後日本では昭和二十年の終戦とそれに続く占領をもっ
て、それまでと180度反対にナショナリズムがタブーとされてきた。
また、ナショナリズムという言葉は、ナチスの記憶等もあり、学術的にはともかく
その生まれ故郷のヨーロッパにおいても現在はネガティブな意味合いで使われる場
合が多いが、概ね日本の各マスコミは日韓両国のそれを「大らかなナショナリズム」
「健康なナショナリズム」というような言葉を使い日韓友好の新時代への期待も込
め肯定的に評価した。

筆者もこれらには同感する部分が多い。
だが、国民が一体となっての盛り上がりに水を差すようだが、あえてここで気にな
る事を述べれば、朝日新聞をはじめとした各マスコミの論調、即ち日本の平均的世
論からは「国家」の位置付けが抜け落ちていた点だ。
曰く、「市民・国民レベルでの『大らかなナショナリズム』は歓迎する。しかし、
そこに国家が登場しては困る。市民・国民が自分達に誇りを持ち同胞を愛する気持
ちは否定の対象とはしないが、国家は必要悪であり否定の対象とする。
国中の空気を読めばこのような論調で行くのが国民に対し最も口当たりが良いので
はないか。」
多少穿った見方をすれば、明確に表されている訳ではないがこのような文脈を感じ
取った。

ここで、以下にナショナリズムと国家の関係について、筆者なりに考えている事を
整理して見たいと思う。
国家の功罪を含めて、これとナショナリズムの関係を明確に位置付けない限り、ナ
ショナリズムは、その時々の情緒や雰囲気に頼った付和雷同的なものとなり、不安
定で容易に偏狭で凶暴なものに変わり得る危険なものとなるとも思われるからであ
る。

先ず、ナショナリズムは多様な側面を持ち一言で表すのは難しいが、敢えて表すと
するなら、同一の民族等による政治的・社会的・文化的なアイデンティティを求め
ての主張や運動、もしくはその意識の表出であると言えよう。
歴史的に大きく分類するならば、19世紀から20世紀前半にかけて近代主権国家
形成においてみられたヨーロッパのナショナリズムと、欧米による植民地化に対し
てアジア・アフリカでおこった抵抗運動にみられるナショナリズムとに大別される。
近代主権国家の形成過程で、諸制度の整備や標準語の普及に伴いしだいに国民とし
ての同胞意識が形成されナショナリズムが出現した。
近代主権国家は、領域、国民、及び官僚組織なかんずく軍隊を持つ政府を構成要素
によって成り立つ。
さらに近代主権国家は、市民革命あるいはナショナリズムを経て民族(ネーション)
を基本的単位にした、その一形態としての国民国家(ネーション・ステート)に変化、
再構成された。

次に、国民国家には、権利と義務が発生し運命共同体としての「公(おおやけ)の
概念」が宿る。
国民国家を形成する以前の「村」や封建社会にも、共同体意識、権利と義務、及び
ある程度の「公の概念」は無かった訳ではないが、これらは見知った人々が住む領
域に限定された、その地域に対する土着意識の域を出ないものであった。

国民国家は、国民及び社会を保護育成する母船、公器となり、これを形成する事に
よって民族や歴史的経緯を共有する者は一つの母船に乗った乗員となる。
国民国家は、この様なものとして尊重されるべきであるが、他方「暴力装置」とも
表現されるようなパワーを持つ故に、その目的範囲を逸脱し国民を圧迫したり他国
を侵略するネガティブな可能性を持つ。
また、共同体意識とは、他者の存在により強く意識されるという性質を持ち、そこ
に排他的要素が生まれ易い。

さて、国民国家によって生まれた確固たる「公の概念」は、一方で国際協調を通じ
て世界の発展と調和を実現させる地球規模のより大きな「公」に発展し得る。
このためには、国家を超えた友愛は不可欠なものであるが、他方これは現実的な意
味でも主権国家の基盤があった上でのものである。
例えば、主権国家の基盤が揺らげば、国家を超えたグローバルな経済活動もリスク
の大きさから縮小して行かざるを得ない事になる。

なお、地球規模のより大きな「公の概念」の延長線上に、主権国家を超えた世界政
府が出現すれば主権国家が不要であるとの論も成り立つが、国家の主権を一部では
無く全面的に制限して強すぎる世界政府を出現させた場合、世界を批判牽制する他
者のいない世界、継ぎ目のないボール、地球規模の全体主義の出現になりかねず筆
者には健全なものとは思えない。
また、EUの出現は本質的にアメリカ等への対抗として行われているものであり、
筆者には国民国家の克服かもしれないが主権国家の克服ではなく、巨大な主権国家
の出現(成否に関わらず)と捉えるのが適当と思われる。

以上、大雑把に筆者の考えを述べたが、再び日本に眼を転じると国家を否定もしく
は敢えて意識から除外し、しっかりと位置付けない事により、日本の社会から「公
の概念」が消え失せている事に気付く。

戦前の日本には、その植民地主義の総括と勝算の無い戦争遂行の責任は別として、
市民革命を経た西欧と異なり上からの強制による面が多かったにせよ、一応の「公
の概念」が存在した。
しかし、敗戦と同時に日本は軍国主義の放棄だけに止まらず、主体的に国家たる事
を放棄した。
そのため、「公の概念」はその宿り木を失い、自らも流出蒸発した。

今日、日本に政治、経済、外交、秩序道徳、各面で様々な行き詰まりが現れ、方向
性なく漂流し続けている様に見える原因は、高度成長の終焉と耐用年数の過ぎた戦
後体制に代わる新たな道を見つけられない事によるのだろう。
諸問題に対し、政治家、知識人、マスコミ、国民各層間でかみ合った議論がなされ
ておらず、一定の方向性と幅を持った国論が形成されていない。

そしてその根本原因は、権利と義務の基盤たる「公の概念」が存在していない事に
よる。「公の概念」が存在しないから、国民と政治家が責任感を持って新たなる日
本のビジョンを描けず、目の前の対処療法に終始してしまうのである。

今回のワールドッカップでナショナリズムという言葉がタブーから解放された事を
契機に、日本人が国家と個人の関係を整理し「公の概念」を獲得する事を願う。
それにより国家の背骨を入れ直さない限り、沈み行く船日本の将来は無い。

 

                       以上

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