−提 言−

 ・試論_「日米相互駐留」 −「離米論」を憂う− (2000/9/20 『Voice』 2001年3月号掲載)

「米軍の沖縄等への駐留に釣り合う形で、日本の戦力はハワイへ駐留すべきである。」

こう記せばかなり奇異な主張であると感じる読者が多いのではないかと思う。
また、実際に行うためには日米安保改正、憲法改正の議論が必要となろう。

こういう主張をしておきながら、筆者はこのような状況が到来する事は具体的には想像はしていない。だがこういう主張をするのは、今日の日本を取り巻く空気(ニューマ)及び日本人の精神風景を鑑みればそう主張するのが所を得ているのではないかと思うからである。

筆者の捉えている日本を取り巻く空気及び日本人の精神風景を述べれば、「日本人はアメリカに服従を強いられている。と同時にアメリカに対し大きな依存心を抱いている関係にある。」と見える。

「服従」の側面は主に経済分野に顕著である。一方、「依存」の面は主に防衛面に顕著である。
依存と服従が融合されて、日本人の精神風景は甚だ健全でないものとなっている。
この不健全な状況は、端的に言えば日米安保条約が片務条約である事に由来する。
駐留米軍の経費の日本の負担に関する所謂思いやり予算に対する論争があったが、これも根本はこの片務条約であることの歪みによる。
半世紀前の日本の敗戦に続く占領、朝鮮戦争の経緯を経て、サンフランシスコ講和条約に至りアメリカ側の所謂ビンの蓋論のアジア秩序観により片務条約となり、今日に至っているものである。
やや余談になるが、沖縄普天間基地の移動先に15年間の使用期限を設けるアメリカとの交渉は、25年後の見直し条項を挿入する当たりに落ち着くのではないかと思われる。

ここ二、三年程、寺島実郎氏、細川元首相、さらには民主党の常時駐留無き安保論等の様に米軍の日本からの撤退論が起きて来ている。

寺島氏の唱える「撤退論」は、国際秩序の維持を担うため精神的にも日本が自立する事の延長線上に想定されているものである。

寺島氏らの「撤退論」はその面では健全なものであり非とするものではない。が、「日本の精神的自立即ち米軍の撤退」と言う点に戦略の欠如を感じる。

来世紀、アメリカは貧富の格差の拡大等の社会矛盾により衰退に向かう可能性は在りながら、少なくとも最初の四半世紀は依然世界最強の国家で在り続けると思われる。最強の国家と強固な同盟を組む事が古来戦略の基本であり、第二の国力を持つ国家がその最強と組む事が世界秩序を構成する骨格になる。

現在の「昏迷」の時代を「混沌」の時代に陥らせないためには大国にとって現実的な戦略を取る義務がある。

言い換えれば、アメリカの倣岸な面は諌めつつ、自由主義陣営が体現する自由と民主主義の保障を協調して担い、世界に秩序在らしめる義務がある。

エモーショナルな「離米論」に陥らず大国の義務として積極的に世界秩序の構成に参加すべきである。

あるいは、遠い将来アメリカの衰退によりその役割を交代する場面があるのかもしれないが、その場合もかつて大英帝国からアメリカ合衆国にヘゲモニーが移譲されたように平和裏に行われる必要がある。

日本は、アメリカに対する依存と服従を捨てる必要がある。だがそれはアメリカとの距離を広げるベクトルの中で実現すべきものではない。

逆に、アメリカとの距離を縮める中でこそ実現すべきものである。

日本がハワイに駐留する事に、現時点で何らの軍事的実質的な意味はない。だが日本の精神的自立の象徴的意味として、敢えて日米相互駐留論を提起する。

                                                     以上

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