−提 言−

 ・政治家小泉純一郎の分析 (2001/10/13: 『世界』 2001年12月号掲載)

昨夜、筑紫哲也のNEWS23を見た。

画面を通してみる小泉首相は、スタジオの一般参加者の質問を見事に捌いているように見えた。

改革に伴う痛みに対する質問に、もし今改革をやらなければ将来もっと大きい痛みを受けることになるのではないかと答えていた。

アフガンで戦う米軍への軍事協力についての質問には、もし日本が協力しなければテロを防止できるのかと答えていた。

その内容の是非は別にして、小泉首相の論法は「もし何々をしなければ、何々になってしまうのではないか?」と相手に一対一で頷首をせまる点に特徴がある。

そこには、世論にAとBの対立する意見があり、自分がAを主張したい場合に、Bを選んだときのデメリットを効果的に述べAを主張する根拠とする。しかしAとBのメリット、デメリット双方を考慮した上で、A、Bを分解し組み直し、より望ましい新たなCを提言すると言う作用が無い。

靖国神社前倒し参拝は、一見「望ましい新たなC」らしき感じも在るが、そこには「A、Bを分解し組み直し」という作用が欠落している。

米軍への軍事協力についても同様に、食糧、水、武器の兵站を担当することは、集団自衛権に抵触しないという憲法解釈遵守と軍事協力の合い入れない点を足して2で割り、その隙間は脆弱な論理で埋め合わせる曖昧な手法を用いている。

首相就任前を含めて、経済成長と構造改革、競争社会とナショナルミニマムについて、突き詰めた思索をした様子は見うけられない。

上記が、良くも悪くも小泉首相の論理のスタイルである。

この人は一匹狼で、一人でいる時間を出来るだけ作るようにしていると言うことだが、おそらくその時間で行っている事は相手がこう出ればこう切り返すといったイメージトレーニングが主なものだろう。
社会をこう在らしめたいと言うようなビジョンやトータルな政策への思索ではないと思われる。

「相手がこう出ればこう切り返す。」これは孤独な剣客が、一人剣術の稽古をするのに似ている。

小泉首相の本質は孤独な剣客であり、百万の兵馬を指揮する武将や天下国家を構想する君子ではないと観察される。

小泉首相は、総裁選、参院選を通し国民の閉塞感を打ち破った。
だが、今後の内外の危機を乗り越える器たり得るのだろうか。

 

                       以上

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