・にせ改革者を倒し、真の日本再生始動の年に (2003/1/1: 竹村健一『これだけメール』 2003/1/17 VOL.206掲載

2003年を迎えた。
「構造改革なければ景気回復なし」「痛みを伴う改革」のスローガンと共に鳴り物
入りでの小泉政権の発足から1年半が経ったが、現在日本経済には何の明かりも見
えない。

しかし、昨秋から年末にかけてのマスコミ各社の世論調査では絶頂期からは大きく
落ちたとは言え依然50%前後の内閣支持率を維持している。
一方同時に、小泉政権の経済政策では経済の立て直しを「期待できない」と見る人
が国民の70%以上に上る。
海外の有識者が首を捻るというこの倒錯した現象は、マスコミの常套句「小泉に代
わる者がいない。」や、街頭インタビューでの回答の定番「誰がやっても同じ。」
に象徴されるように日本人が危機脱出に方向性を見出せない事による。

そもそも誰がやるか以前に、何をどうやるかの議論があるべきはずだが、そうなら
ないのは未だに封建時代と同様に国民が政治は「お上」がやるものであると言う非
当事者意識でいるのが根本原因であろう。
戦後教育の在り方も手伝い意識として1億3千万総庶民化した日本では、国民の間
で本来育つべき各々のレベルで政治経済等に関心を持ち国家社会全体に対する責任
感を共有する一定の層が殆ど存在しない。

朝日新聞を始めとした日本のマスコミの主流は、報道の中立性を隠蓑に社会の指導
的立場に立つ事を最初から放棄して刹那的にその都度善玉的立場に立ち発行部数、
視聴率を維持する事が自己目的化し、各社にもよるが全体としては論ずるに値する
一貫性のある具体的な提言は甚だ貧弱と言わざるを得ない。

マスコミは世間の空気を読んで動き、また国民はマスコミによって強化・画一化さ
れた世間の空気に主体性無く従う。
こうして国民は国家社会に対して当事者意識と権利と義務の自覚を欠き、日本は主
権者不在の基軸のない脳死国家となってしまっているのが現状である。

ただし小泉ブームが起きた事は、現象として捉えれば、その方向性、具体論が間違
っていたとは言え、冷戦が終わり高度成長、バブルが過ぎ去り、日本が新世紀を生
き延びるために、国民が盲目的ではあるが漠然と改革の必要性を自覚した事の一つ
の現れであるとは言えよう。

さて、小泉政権の発足からの「構造改革」を振り返りその頓挫の原因を改めて整理
すれば、次のようになろうか。

@痛みの先の目指すべき社会のビジョンがない事。
 辛うじて漠然とアメリカ型自由競争社会をイメージしているようであるが、一部
 取り入れる必要はあるが少なくとも急速、即物的にそれを行う事は日本の社会構
 造、国民の気質に適合しない事。
Aデフレ時に財政再建と不良債権処理を最優先して行う諸外国にも成功例の無い政
 策を取り、デフレ対策は事後的補完的に位置付けられている等、ミクロの視点と
 マクロの視点を整理出来ていない事。
Bこのため、デフレ進行により税収不足、株価下落、不良債権の新規発生、新規起
 業率の下落に歯止めが掛からず、企業淘汰により産業構造改革と経済再生を図ろ
 うとする目論みが既に全般的に破綻している事。
 また、これへの対策として打たれる戦力の逐次投入的財政出動により、今後もジ
 リ貧の加速が予想され財政再建のシナリオも破綻している事。
C社会保障改革、税制改革、郵政改革、道路公団改革、特殊法人改革、経済特区に
 見られるように収支の辻褄合わせが主目的化したり組織の形から入ったりしたた
 め表面的で本質的な改革になり得ていないものが殆どである事。

これらに代る政策としては、例えば「一定のナショナルミニマムを伴った自立社会」
のような大構えの社会の形・ビジョンを先ず示した上で、消費税の福祉目的税化の
ような確固たる社会保障制度の確立、包括的な規制緩和、効率化・経済効果を伴う
公共投資、投資促進型の減税、重点化先端技術の位置付けと財政支出、一括財源移
譲を伴う地方分権、量的金融緩和等を手順を整理し組み合わせて行う事が必要とさ
れよう。

また、それらにより2〜3%のGDP実質成長を実現させて行く中で、不良再建処
理と7〜10年を掛けての財政プライマリバランスの実現を図るべきだろう。
さらに、郵政改革、道路公団改革等については、ナショナルミニマムとして国が持
ち出しでも守る部分と自由経済・経済効果の原則に任せる部分のメリハリある切り
分けが組織の形より前に先ず必要である。

加えて、外交面では2月にも予想されるイラク攻撃では国連中心主義を一つの錦の
御旗としアメリカの単独行動とは距離を置く事、北朝鮮問題では米・韓・中・露と
緊密に結び暴発させずに牙を抜く事を主目的とし、北風と太陽を使い分け場合によ
っては金正日総書記の中国・ロシア亡命等のソフトランディング・オプションを用
意して置く事へ向けての側面支援も視野に入れる事等により、今後は国際秩序と中
長期的国益の最大化を念頭に、戦略をもって主体的に対応するべきだろう。

本年は文字通り内憂外患の年となろうが、歌舞伎役者のように外連味たっぷりの小
泉首相は一種政局の天才ではあっても、本来乱世の舵取りが必要とされる時に宰相
に就くべき器ではない。

今年の政局としては、小泉首相が石原慎太郎氏が都知事選再出馬を決め「石原新党」
の芽がなくなるのを見届けてから抵抗勢力との対決を演出して4月以降解散を打ち、
考えの近い民主党の一部に手を突っ込む等、政権基盤安定を図る事が予想される。

しかし、抵抗勢力との対決ごっこで国民を欺いている事以前に、大蔵官僚のシナリ
オとアメリカの指図に従う事を構造改革と捉え、「丸投げ」に見られるように当事
者意識と日本経済の現状認識が欠落している小泉首相が首班となる限り如何なる政
権となろうとも、その打出す「改革」が成功し日本が再生に向かう事は無い。

国民が自ら位に就けた王を、その存在と演出の虚構性を見破り自らの手で打ち倒す。
投票行動と世論により、小泉首相の意図する所にNOを突き付け、かつての小泉支
持への真摯な反省とその政策の誤りへの責任ある批判と共に意志決定を行うならば、
その選択がそれぞれに分かれても調整を経て打ち出される処方箋は不十分ながらも
「中らずと雖も遠からず」となるだろう。
そして日本が再生への第一歩を踏み出す事となる。

同時にそれは、市民革命を経ずに西洋近代化を果たした日本国民が真の主体性を獲
得する事をも意味しよう。

 

                       以上

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