・小泉再訪朝と東アジアの安全保障 (2004/5/30)

◆再訪朝の評価
5月22日、小泉首相が再訪朝し、金正日総書記との間で2回目の日朝首脳会談が行
なわれた。

この再訪朝を巡っては、賛否が分かれている。
拉致被害者の子供5人が帰国した事は、失われた国益の回復という意味でも当然なが
ら評価すべきである。

一方、前回訪朝時に北朝鮮が「死亡」「不明」とした拉致被害者10人については、
その後の生存目撃証言等があるにも係わらず、北朝鮮側の「再調査を行う」という抽
象的な言葉を聞いてきただけに終わり、加えて政府としては調査に期限を切らない事
を帰国後発表した。
それ以外に拉致された疑いのある200人とも400人とも言われる日本人について
は、会談で具体的な言及自体がされなかった。

また、前回会談での「日朝平壌宣言」に反し、北朝鮮は核拡散防止条約(NPT)脱
退を宣言し濃縮ウラン計画を推進しているが、日本側はこの事実と矛盾する「平壌宣
言遵守」を条件に経済制裁を発動しない事を約束した。
日本側は、その量とタイミングから見て事実上拉致被害者の子供5人帰国の見返りと
して、25万トンの食糧支援と1000万ドルの医薬品の提供の100億円相当の人
道援助を約束した。

筆者としては、これらをトータルで見れば、今回の小泉再訪朝は自身の年金問題のカ
モフラージュ等の政治的諸事情があった事を考慮しても拙速に過ぎ、今後の諸問題解
決への不透明さも勘案すれば、たとえ参院選前に横田めぐみさん帰国等の小泉首相と
金総書記の仕込んだサプライズや隠し玉があったとしても成功とは言い難いと思う。

北朝鮮側が政府高官の訪朝で拉致被害者の子供達を返す旨を事前に意志表示していた
事を考えれば、政府高官か政府特使の訪朝に留め、日本側の主張を先ず全て伝え切っ
た上で、拉致問題、核問題の進展に応じて段階的に現在の人道援助停止を解除して行
く事を主軸に交渉すべきであった。

◆平壌宣言の問題点
そもそも、2002年9月の日朝平壌宣言自体に問題があったと言える。
宣言では、日本側の植民地支配について「痛切な反省と心からのお詫び」との表現で
謝罪の言葉と義務的な経済援助などが盛り込まれているが、北朝鮮の核査察受け入れ
や日本人拉致については、その文言すら入っていない。

これは、現在進行形の犯罪である拉致や喫緊の安全保障問題である核開発問題と当時
の列強間による帝国主義的覇権競争の中で行われた植民地支配を、同列どころか優先
順位を取り違えて捉えた歴史観の欠如、当時アジア局長だった田中均氏始め外務省に
もあった戦後の歪んだ贖罪意識に拠るところが大きい。

筆者は、現在の観点からの反省として、植民地支配の謝罪や経済援助は65年の日韓
基本条約と同様、国交正常化のためにも必要なものだと思うが、拉致問題や核開発問
題と峻別してその完全解決後になされるべきものであり、これを混同することは日朝
両国に結果として不幸をもたらすと考える。

平壌宣言が曖昧で日本の国益を損ねるバランスを欠いたものになった原因は、先述し
た歴史観の欠如に加え、当時田中真紀子外相更迭で最低にまで落ちた内閣支持率の挽
回のため、パフォーマンスとして首相自ら敵地の平壌に載り込んだ事、首相が拉致問
題の全面的な解決よりも即時の部分的な拉致被害者帰国の画を欲した事等により北朝
鮮側への大幅譲歩を導いた事も否定できないだろう。
そして何より、日本社会から失われて久しい戦略性と国民の生命、財産、権利を守る
のが国家の第一の役割であると言う基本的な国家観の欠落が根本原因である。

第1回の小泉訪朝は、既に広く知られるように元々は首相当時の森喜朗氏と北朝鮮を
頻繁に往来する在米韓国人ジャーナリストの文明子(ブン・ミョンジャ)女史のルー
トをそのまま小泉首相が引き継いでなされたものだった。

北朝鮮が窮乏する現在、小泉首相でなく別の者が首相であった場合にも、恐らくは文
女史もしくは同様のエージェントが拉致被害者帰国等と国交回復、経済援助の3点
セットを持ちかけたと思うが、その首相は(1)歴代政権同様の消極的姿勢、(2)
小泉首相同様の内容の訪朝と共同宣言、(3)訪朝せずに韓国等の第3国での会談等
を含む戦略的な取り組み、の何れ態度をとったであろうか。
筆者は、(3)が本来の姿であり人物次第で有り得たと思うが、経済援助を欲する金
正日総書記の焦りからの強い働きかけがあったとしても(1)の可能性も高く、歴史
のIfというべきである。
何もしないよりは、たとえパフォーマンスだろうが何だろうが一部でも拉致被害者が
帰ってきた方が良く、悩ましくも小泉訪朝の評価が分かれる所以である。

◆今後の半島情勢
さて、6月8日からのシーアイランド・サミットや6カ国協議の継続によって、北朝
鮮問題は紆余曲折は在れど、大きな方向としてはソフトランディングに向かう可能性
が高い。
しかし、最終的には北朝鮮がどういう形に落ち着くのかは、各国の思惑に左右され複
雑系で予測し難い。

金正日総書記としては、第1に自身と一族の生命、財産の保障、第2に北朝鮮の存続
と実質的元首の地位に留まる事、そのための日本からの経済援助を考えているだろ
う。

韓国は、第1に安全保障、第2に将来の南北朝鮮の統一、第3に統一費用を日本を中
心とした国際社会が支出する事、第4に可能であれば統一後北朝鮮の核の継承を考え
ていると予想される。

中国は、第1に北朝鮮の暴発による半島へのアメリカの軍事介入の回避、第2にクー
デター等での北朝鮮崩壊による難民流入の回避、第3に北朝鮮民主化と南北朝鮮統一
による西側の核ミサイルの隣接回避を考えていると思われる。

ロシアは、北朝鮮の市場経済化と半島の輸送インフラ整備による経済的利益が主な関
心事項だろう。

アメリカは、第1にイラク泥沼化との関連で北朝鮮に当分の間大人しくしてもらう
事、第2に何れかの時点での金正日独裁体制の排除、第3に将来の中国との東アジア
の覇権争いに備え楔を打ち込むための半島全体の親米化、第4に日本を除く各国に共
通する事だが、金正日独裁体制後の北朝鮮インフラ整備への日本の資金の利用等と
いった順序で考えているのではないか。

何れも北朝鮮を暴発させずに牙を抜く事が、概ねの共通了解事項であろう。
なお、民主化と市場経済化は水が高きから低きに流れるような歴史のトレンドであ
り、また余程の善政を行っていなければ民主化後に独裁者は処刑される前例をを考え
ると、アメリカと中国の間で妥協が成り立ち、(1)北朝鮮の核排除、(2)何らか
の中立化措置、(3)市場経済化、(4)金正日一族の亡命と生命財産の保障、
(5)中国の民主化と歩調を合わせた緩やかな民主化の順序で進むと考えるのが現時
点では一番自然なのでは在るまいか。

もちろん、特にイラク中東情勢、中国のバブル経済の帰趨、その他の突発事項等によ
るアメリカ、中国の今後の力関係の変化等によりこのシナリオも幾通りにも変わり得
る。

◆日本の安全保障
これらを踏まえ、日本としては前述したように拉致問題の早急な全面解決、金を毟り
取られるだけで終わらない戦略性が肝要であるのは当然の事だが、第一には北朝鮮の
核開発、日本に向けて配備されているテポドンに対処しなければならない。

防衛庁によると、北朝鮮の弾道ミサイルを撃ち落とすためのミサイル防衛(MD)シ
ステムを全国規模で配置するには7000億円あれば足りるという。

ここを固めないと、北朝鮮の暴発を誘い兼ねないし、今後もこの脅しをチラつかされ
ながらの交渉をせざるを得なくなる。
自分の国は自分で守る気概が無ければ、アメリカの属国から抜け出すのも無理な話で
ある。
例えば、イラク復興支出で日本が約束した金額は約5000億円であり、アメリカの
属国で無くとも一定は出すにしても、頭抜けて多過ぎる。
ソロバン勘定だけとっても、自主防衛のための7000億円の支出は決して高すぎる
事はない。
更に言えば、北朝鮮の処理が終わった後は、潜在的な可能性として中国やロシアと対
峙せねばならず、ある意味残念ながら今後の安全保障のための必須ツールではある。

また、ミサイル防衛(MD)システムは、現在はアメリカから購入しなければならな
いと共に、情報網の面でもアメリカ軍のシステムに組み込まれる事に懸念する向きも
在るが、日本は元々アメリカの核の傘の下にあり今更の議論である。

また、核の傘について触れれば、日本は核拡散防止条約(NPT)の国際協調の精神
に沿って国家意志として核を持たない選択をしているのである。
そのため核保有国のアメリカの傘に守ってもらうのは当然であり、ある意味権利であ
り、何も萎縮する事は全く無い。
ただ、核の傘「使用料」は、適切な原価計算をした上で応分の負担はすべきかもしれ
ない。

現在アメリカは、イラク・中東と違い、石油の出ない東アジアでは、アーミテージが
仕切っている事もあり相当現実的な思考をしており、日本はパートナーとしてスクラ
ムを組むべきである。
また、アメリカによるイラク、イランの「悪の枢軸」指定は石油と覇権狙いの怪しい
ものだったが、結果として北朝鮮についてはアメリカの見立ては正しかった。

しかし、イラク・中東でのアメリカの振る舞いを考えれば、日本はアメリカの属国を
抜け出して置かないと心中する事になり兼ねない。
そのためには、通常戦力での自己防衛能力、ミサイル防衛能力を確保した上で、核保
有の選択肢と技術力を保持して置き、一朝事あればNPTを抜ける覚悟を示して置く
事が必要とされる。

また、ミサイル防衛システムは機を窺がいやがては国産化へのシフトを視野に入れる
べきものである。
本来、戦勝5カ国他の矛(核兵器)を持つ国は楯(ミサイル防衛システム)を持た
ず、矛を持たない日本のような国がこそ楯を持つべきであり、それらを通して核兵器
を縮小均衡、廃絶する方向が理想形としてNPTの精神に適うものである事を日本は
認識して置いてよい。

以上、小泉再訪朝を入り口に東アジア、日本の安全保障までをざっと述べて来た。
経済規模で世界第2の大国である日本には、独立の気概を持って現実を見据え国益を
確保すると共に、大義を掲げ今後の激動する世界を方向付けて行く義務がある。

 

                       以上

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