−提 言−

 ・小泉改革に観る理念とビジョンについての小考察 (2002/1/19)

早、旧聞に属するが、正月明けに小泉政権が改革の「ビジョン」をインターネットで公募する等しながら、今秋にかけ作り上げて行くという発表があった。

では今までの「改革」はやはりビジョン無しに進めていたのか? 今頃ビジョン作りかとも言いたくなるが、無いのならさっさと作ったほうがいい。

それはさておき、在らしむべき社会の「ビジョン」を示すためにはその前に核となる「理念」が必要だろう。
およそ大事業を成就させるためには、本来「理念」「ビジョン」「戦略」「戦術」の順で落とし込んで実行して行くべきだ。
「理念」や「ビジョン」の核となる部分は、一人のアイデアや少数のチームで作ることが必要だ。
オープンソースの参加型議論によって作り上げるといえば聞こえが善いが、この方法で作られたコンピュータのOS(基本ソフト)のリナックスにはもともと創始者の作った原型があり、それと伴に思想が付随されていた。

今までの一連の小泉改革では、「アメリカ型自由競争社会に対する漠然とした憧憬」が、「理念」の代わりになっていた感がある。
「戦略」に当たるのは、旧大蔵省伝統の単純明快な緊縮財政・増税路線だろう。
「戦術」は、道路公団への税金投入停止、医療費の患者負担増等だ。

つまり、理念が漠然としている上に、一方向に突撃するような戦略だけに強くコントロールされていた。具体的内容の是非は別にして、一般論としてこういう「構造」を持たない行動原理は極めて危険なものになる可能性が在る。
何やら、戦争目的も漠然としたまま陸軍の単純な拡大戦略に主導されて遂行された6、70年前の戦争を思い出させる。

これらをそのままにして、その隙間に後付けで作られる「ビジョン」がどれ程の意味があるのか。
また、6月を目処にアウトラインを描くと言う税制改革との整合性、時間的な前後関係は? 「骨太の方針」との位置付けは? と疑問を言い出せば切りがない。
恐らく、小泉政権がもし3月危機を凌いで秋まで持ったとしてもこの「ビジョン」作りは早晩立ち消えになってしまう事は十分に予想される。

とはいえ、「理念」や「ビジョン」を整合的に組み上げ、政策体系をつくり実行する事は、誰がやっても難しいのは事実だ。
また、オープンソースの参加型議論によって作り上げる事自体を否定するものではない。
小泉政権に要求したいのは、1)理念とビジョンの核となる部分の政権案を先ず簡潔明瞭に示す事。2)それへの賛否を条件にせず情報公開を十分に担保しながらオープンソースの参加型議論を進める事である。
後者は、実名で身分を明らかにする等投稿ルールを整備した公開のインターネット上の掲示板を設定する事等で十分対処可能なはずだ。

因みに、現在の政治家の中で、小沢一郎氏は理念に「規律ある自由社会」を上げ、亀井静香氏は「心身ともに美しい日本」を上げている。
私は、理念に「発展と調和の同時実現」を、ビジョンの一つとして「一定範囲のナショナル・ミニマムを伴った規律ある自立社会の建設」を上げたい。

今回の「ビジョン」作りを掛け声倒れに終わらさず、小泉政権の実効ある対応を期待したい。

 

                       以上

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