−提 言−

・イラク単独攻撃は正義なのか (2003/2/11: 『軍縮問題資料』 2003年4月号 NO.270掲載

そもそも正義とは何だろうか。
筆者は、正義には2種類あると考える。
1つは既存の秩序を維持する正義、もう1つは既存の秩序を打ち倒し新しい秩序を
建設する正義である。
通常の場合には前者が正義と呼ばれる。一方、時代が大きく変動する場合には後者
が正義となる場合がある。そして、それは最終的には歴史によって審判される。

しかし、何れの場合にも、それは人類に対しトータルでの繁栄と調和をもたらすも
ので無ければならない。

さて、現在アメリカのブッシュ大統領は、イラク攻撃に突き進もうとしている。
フセイン大統領が亡命をしない限り、たとえ国連安保理での新決議を得られない場
合でもその勢いは止められないだろうと言われている。

フセインが大量破壊兵器を未だに保有している可能性は、高い。
しかし、十分な査察の機会と物的証拠、それに基いた新しい国連決議を経ないで単
独もしくは英国等少数の同盟国で攻撃を行ったとき、それは正義の名に値するだろ
うか。

それは、西部劇にたとえて言えば、バッジの無い保安官が嘗ての無法者がガトリン
グ銃を隠し持っているという状況証拠だけで、彼の住む家に火を放ち、彼を撃ち殺
す事を意味するだろう。

その場合に、果して街の治安が保てるだろうか。
なるほど、無法者がガトリング銃を乱射して多くの住人を殺戮する危険は取り除か
れ、暫くの間は街に平穏が訪れるだろう。

しかし、結局焼け跡からはガトリング銃が見つからず、本当に隠し持っていたのか
疑問が残ったままの場合、彼の同郷の者や息子達、あるいは彼に同情する者達が
「彼は謂れ無い罪で殺され、家も焼かれた。」と長期に渡り保安官とその仲間に対
し復讐の機会を窺がうのは、ある意味「人情の自然」だろう。

そして、眼には眼をと血で血を洗う抗争が続き、街の治安は乱れ、繁栄と調和は長
い間失われる事は想像に難くない。
これは、十分な調査の機会と物的証拠に基いて、保安官が正統なバッジを与えられ
ていた場合と全く違った結果をもたらす。

バッジの無い保安官の行為は、やはり正義とは言えないだろう。

なるほど、国連安保理も、アメリカのみならず石油利権等を巡る大国間のパワーゲ
ームである事は確かである。
しかし、自国内の少数民族や世界の眼が注がれている以上、各国が剥き出しの国益
追求だけで挙動するには一定の制約がある。
イラク攻撃には、やはり新しい国連決議が必要である。

昨年可決された専門家間でも解釈の分かれる難解でテクニカルな国連決議を根拠と
し、性急にイラク攻撃に突き進むアメリカの姿は、勝ち馬に乗りたい各国政府を服
従させる事は出来ても、決して世界の人々の尊敬を集めないだろう。

大きな力には、大きな責任が伴う。そして、そこには大義が無ければならない。
アメリカが、世界の尊敬を集める自由と民主主義のシンボルとして、健全な行動を
取る事を切に願う。

 

                       以上

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