・9・11アメリカ素描 (2004/9/13: 『月刊 世相』 2004年10月号掲載

私事で恐縮だが、筆者は休暇を利用してニューヨーク、ワシントンと旅した。
物見胡散の旅ではあるが、漫然と行くのではつまらない。
10年足らず前の冬、同じく両都市を旅したが、少々大袈裟だが9・11同時多発テ
ロ以降のアメリカの空気の変化を定点観測するのを今回のテーマとした。

期間は1週間、本業の隙間を縫って日程を立てると偶然にも丁度9月11日が、帰国
便が前日にワシントンダレスを発って成田着の日に当たった。
毎年夏季休暇を利用し、政治的にホットな国か経済的に勃興している地域を旅する事
にしていて、今年は当初イランに行くつもりだったが、日程を優先すると便の連絡が
悪いためと、ガイドブックが市販されていない等(後に1社から出ている事が判明)
情報が少なくリスク計算がし難いため、更にこれが一番大きい理由だが禁酒の国のた
め断念した。禁を破れば鞭打ちもしくは更に重い刑の模様である。

現在、アメリカもしくはイスラエルによるイラン核施設攻撃が噂されているが、もし
その計画が在ったとしても11月のアメリカの大統領選投票日までは恐らく行わない
だろうから、9・11の3周年を機にテロリストがアメリカ本土を狙う可能性を考え
ると却ってイランの方が安全だったかもしれない。

「イラン戦争」が勃発したら、この先何年かは少なくとも一般的な形での入国は不可
能だろうから、少し悔やまれる。

◆アラスカ上空にて
数年前、中国を北京、西安、上海と旅した時に、筆者は長城や兵馬俑、蘇州の水路、
上海の大電波塔の展望台等で思わず感に打たれて漢詩の詩作を試みた。
律詩と絶句の区別も怪しく、白文も正確には読めないが、今回も行きの機中から神秘
的な夜明けの景色を見て興が乗り「自由律漢詩」と称して無手勝流で詩作をしてみ
た。
なお帰国後調べると、絶句や律詩のいわゆる近体詩が出来る唐代以前は、比較的形式
に囚われない古体詩も詠われており、その中に更に長短句混在の雑体と言うものも
在ったというが、それでも韻は踏んでいたとの事なので、筆者のはやはり野狐禅の類
に属す。

 ■ アラスカ上空にて ■
 機上より見る 美国の陸
 冠雪の山塊 暁に映ゆ
 不図想う 渡洋爆撃の計
 敗戦に塗れ 幻に終わる
 昔日の敵は 今日の盟友
 往時の事は 雲海の果て

具体性、現実性に乏しいものだったろうが、太平洋戦争当時、実際に使われた風船爆
弾とは別に日本軍による大型爆撃機を使ったアメリカ本土渡洋爆撃の計画も在ったそ
うだ。
物騒だが、何故かその事が浮んで手帳に書き込んだ。
ユナイテッド・エアライン機で、日本人乗務員は乗っていないようだったが、時期が
時期だけに万一中途半端に日本語が読めるスチュワーデス等がいて目にされたら拙い
と思い、「昔日の敵は 今日の盟友」以下の部分を大きく書いた。

ところで、例え筆者の作った偽物であっても、漢詩を詠むと何故か浩然の気が身体か
ら湧き出る感がある。
益荒男振りというのはあるが、我が国の短歌や俳句ではどうしても瑣末軟弱に流れて
しまう気味なしとしない。
漢詩は西洋の詩歌と比較しても、天下国家を盛り込み易いと思われるのは、例えば三
国時代随一の英雄、曹操が同時に当時冠たる詩人であった様にその歴史によるのか。
反面、中国語は分裂語に属し、膠着語である日本語、屈折語である英語等に較べて繋
ぎの言葉が無く、幾通りにも読める事が逆に儒学を訓古学と化し、歴代中国王朝の政
治が硬直化した一因となったとも言えよう。

さて、今日、例えばイラク戦争を巡り世界の言論は喧しいが、どうしてもそれらは双
方自陣営に向かうものに留まり勝ちで、相手陣営にも届くものになっていない。

筆者は、ここに散文の限界性を感じる。
世界で活躍するミュージシャンの坂本龍一氏が、先日自作の曲「戦争と平和」の日本
語詞を募集していた。
音楽の事はこれまた疎いが、漢詩によって天下国家を盛り込み、それに何らかの曲を
付ける事は可能だろうか。
それによって、広がりと現実性を持った、大きく世論を方向付けるツールが出来ない
ものだろうか。

話がそれた。渡洋爆撃計画に戻す。
実際は歴史に刻まれた通り、逆にアメリカのB29等による本土爆撃、広島、長崎へ
の原爆投下で、日本の主要都市は灰燼に帰し、日本軍によるそれは幻に終わった。

◆ニューヨーク9・11の跡地にて
ニューヨークに着いた翌9月6日、筆者等はホテルからバスを乗り継ぎ、いわば今回
の旅の第一の目的地であるロウアー・マンハッタンにある9・11同時多発テロの
現場の一つ、ワールド・トレード・センター跡地に行ってみた。

 ■ ニューヨーク9・11の跡地にて ■
 初秋の朝 晴天の奇襲
 摩天の双塔 夷狄に倒る
 古跡に似る 廃墟の巨溝
 企図す 更なる高楼再建を
 美国の兵 今砂漠に駐す
 大道在りや 解放の義旗
 覇道為らずや要衝の侵攻

フェンスで囲まれていた跡地には、巨大な穴が空いていた。
ここにフリーダムタワーと称し、住宅・商業複合施設として長方体を捻った形の巨大
タワーを建てる計画となっていて、完成図を貼ってあった。
聞けば、当初は記念碑等の追悼施設を造るつもりだったが、イラク戦争を機にアメリ
カの不屈の精神を示すものに切り替えたとの事だ。
計画に当たり賛否が別れたが、概ね遺族は良い印象を持っていない模様だ。

巨大な穴は、残骸の撤去と、巨大タワーの基礎造りによるもののようである。
例えて言えば、古代ローマの剣闘場を数倍に引き伸ばした形状であり、ブルトーザー
が入り工事を進めていた。

全体にゆったりした明るい雰囲気で、筆者等を含め、周囲では多数の観光客が写真撮
影をしており、事実上観光スポットとなっていた。跡地の下にある地下鉄駅は再開さ
れており、電車が止まる度一挙に掃き出されて来る乗客は、殆どが跡地を見るのが目
的のようだった。

初老の婦人が「犠牲者を殺したのは、アメリカ政府だ。」と大声で訴えていた。
また、人の疎らな通路を選んで、路上では物売りがみやげ物をひっそり売っていた。
さすがに、ニューヨーク名物の真っ赤なオープンデッキの2階建て観光バスは、遠慮
して一つ離れたブロックをルートにして、そこから眺めさせる趣向だった。

被害を受けた幾つかの周囲のビルは、黒いネットが掛かり修復工事中だった。
跡地の前面には、「メモリアル・ヒルトン」と称して丁度跡地を展望出来る位置に黒
い巨大な追悼碑のようなビルでヒルトンホテルが営業をしていた。

◆イラク戦争の実相
ニューヨークのホテルのテレビは、CNNが入っておらず、ABCや、NBC他しか
見られなかった。大統領選の特番は時々やっていたが海外ニュースは極端に少なかっ
た。
その中の争点としてイラク戦争の事も当然あったが、直接ではなくあくまでも国内政
治の一環として、イラクが捉えられている事を今更ながら感じた。
イラクで米軍の死者が1000人に達した事と、ブッシュの新たな軍歴疑惑が大統領
選に及ぼす影響等を報じていた。

ニューヨークの街は活気付いていて、大規模な抗議デモが行われた共和党大会が先日
終わって機が抜けた感もあり、一介の旅行客には9・11を前にした影は感じられな
かった。
タイムズスクウェアの広告は、一糸纏わぬ若い黒人女性が(さすがに局部は脚で隠し
ながら)笑顔でこちらを向いているものや、セックスを連想させる姿勢で抱きあって
いる白人カップル等のものがあり、以前よりも過激になっていた。

さて、イラク戦争の事実上の当初最大の開戦理由である大量破壊兵器は、現在発見さ
れていない。大統領選を前にブッシュ政権がタイミングを図って最後の隠し玉として
出して来る事も考えられるが、少なくとも大規模な量の発見を発表したとすれば、客
観的状況から見て内外の目には取って付けたものに映るだろう。
現在大統領選は、共和党大会を終えて、テロとの戦いを前面に打ち出したブッシュ
が、国際協調を唱えるケリーを各州の世論調査で大きく引き離している。

イラク戦争を現時点で総括してみたい。
先ず、アメリカによる自作自演との陰謀説がある。ベトナム戦争当時のトンキン湾事
件等の「実績」を考えればそれも有り得ない話ではないが、例えそうでも現時点で立
証は不可能だろうから、立証できない物は存在しない物と仮定して理論を演繹するデ
カルト的手法に従う事とする。

イラク戦争は、ネオコンが主導したアメリカ支配層の各勢力の合意による、9・11
テロの機会を利用した、石油資源確保と石油ドル決済体制を維持するため中東覇権の
足掛かりを作る事を目的とした、サダムフセイン退治の戦争だった。

石油ドル決済体制が崩れれば、ドルが基軸通貨の地位を退位する事になり、膨大な財
政赤字と貿易赤字によって成り立っている現在のアメリカの繁栄の維持は不可能にな
る。
また、冷戦後、経済力を付けつつあるEU、中国、アジア諸国、ロシア等によりアメ
リカが相対的に衰退する事を防ぐ事と資源の供給不足に備えるためにも、石油ドル決
済体制と石油資源確保は長期戦略の中心である。
これに軍需利権、復興利権を求める軍産複合体、イスラエルの中東での地位と安保を
確保したいユダヤロビーが加わり、これに再選と父ブッシュの復讐戦を果たしたい子
ブッシュが乗って開戦が行われた。

アメリカ国民は、ユダヤの支配するマスコミの世論操作も加わり、大量破壊兵器によ
るテロ再発の恐怖のためにイラク戦争開戦を支持した。

上記のようなアメリカの恣意性と「中東の民主化」の理念が「大中東構想」の下に表
裏一体となって、かつ両者が鬩ぎあっており、イラク戦争の功罪と帰趨を分かり難く
している。
これは、かつての大日本帝国によるアジア支配と「八紘一宇」「欧米の植民地からの
アジア解放」の理念が「大東亜共栄圏」の下に表裏一体であった事に似ている。

筆者は、「欧米の植民地からのアジア解放」が歴史の必然であった様に、「中東の民
主化」もまた歴史の必然と見る。

その上で、「欧米からのアジア解放」が、日本の進駐と敗北、アジア各国のナショナ
リズムの芽生えによる旧宗主国に対する解放戦争によってなされた歴史の弁証法的展
開を見れば、今後の大きな流れとしては、曲折を経つつも「中東の民主化」がアメリ
カの進駐、反米感情によるナショナリズムの勃興、アメリカの撤退という展開によっ
てなされると見る。

しかしながら、アメリカ、イスラエルによるイラン、シリア、サウジアラビア等に対
する小型核を使った先制攻撃や、露骨な利権確保、それらに対抗するテロの世界への
蔓延等が起これば流れる血は限りなく、両者を掣肘すべく国際社会の責任が高まって
いる。

◆空港にて
9月8日明け方、ニューヨークのホテルからワシントンD.C.行きの便に乗るため
ニューアーク空港へ向かう。
その前に、予約しておいたシャトルバスのドライバーから部屋に電話があり、事故を
起こしたためホテルには行けない。代りにタクシーを筆者自身が呼んで、払った代金
はその運転手からシャトルバスのバウチャーと引き換えに貰ってくれとの事だった。
そんな事は不可能だろうと抗議しても埒が明かない。
しかたなく、ホテルのロビーでタクシーを待っていると、同じシャトルバス会社のド
ライバーがいたので掛け合ってみたが、ホテルのフロントに聞けという。
フロントは、バス会社に聞けという。
タクシーに乗ってドライバーに言ってみると、案の定自分は関係無いという。
聞けば、2年前にサント・ドミンゴから来たと言う。アメリカグッド、タクシードラ
イバーグッドと言っていたが、酷く英語が通じ難かった。
会社との無線は、英語ではなかった。

空港に付き、シャトルバス会社にTELを入れると、散々たらい回しにされた挙句、
バウチャーを郵送しろとの事だった。
アメリカ国民は単純、合理的であると捉えていたが、これに加え改めて個人主義で成
り立っている社会だと実感した。

さて、ワシントンD.C.のダレス空港に着いてトランクを取ってみると鍵がこじ開け
られて壊されていた。
中から、TRANSPORTATION SEQURITY ADMINISTRA
TION の名前で、トランクを開けて検査した旨、もし質問やコメントがあれば電
話して来いと書いてあった。

前のシャトルバスの件があるのでどうせ埒が明かないだろうと思ったので電話をせ
ず、30分程トランクと格闘して、歪んだフレームを叩いて、曲がった金具を力で曲
げて、ようやく鍵が掛かる所まで直った。
直る程度に壊した事を考えれば、これもテロ予防の必要経費か。
その他、検査所で靴を脱がされたりしたが、旅行を通じて、聞いていた程セキュリ
ティーは厳しくはなかった。

◆ワシントンD.C.
ワシントンD.C.では、ホワイトハウス等では見学が休止となっていたが、キャピト
ルヒルにはセキュリティーチェックの後入れた。
上院議場の傍聴席からは、議事の様子が見られた。
委員会だったため、議長席に座っているのはチェイニーではなかった。
以前キャピトルヒルに来た時には、各州の代表的人物の像が集められた彫刻室に入れ
たが、今回は終了時間を過ぎていた。
雑然と置いてある像の中に、インデアンの酋長やカメハメハ大王のものもあり、アメ
リカが嘗てこのハワイの王を謀略に掛けた歴史を位置付けられていない姿が現れてい
た。

ペンタゴンは、大胆にも地下鉄の駅の上にあり、地上に出ると背後に巨大な薄茶色の
建物が広がっていた。
丁度5時過ぎで、軍服や背広の職員が帰宅のためにどっと出てきた。
写真撮影は建物全てについて禁止であり、周囲を歩いて行くと人影が疎らになった。
9・11テロで旅客機が突入したと言われる側壁は綺麗に修復されていたが、クレー
ンが残っていて工事が続いている様だった。
メモリアルウォール等と名付けられており、建物内の見学再開は未定の旨の看板が
あった。
歩道を歩いていたが、監視小屋にいた黒張りの窓を明けて顔を出した米兵に怒鳴られ
た。もう一つ外側の歩道を歩けとの事だった。

スミソニアン航空宇宙博物館にも、今回時間が無く行けなかった。
前回、B29エノラゲイ号が翼下に原爆の模型をぶら提げた姿で展示されている事に
は正直驚いた。
スミソニアンは、アメリカの戦勝の栄光と科学の業績を誇示する、日本で言えば戦利
品を収めた明治神宮の昔の宝物殿のような空間で、原爆投下もその栄光の文脈に位置
付けられているのが実感された。
日本の有志団体が、原爆の被害についても合わせて展示するよう働きかけているが、
エノラゲイをスミソニアンから引き出して、例えば国連本部等、別の場所に展示し直
さない限り、それは非常に難しいだろう。

さて、エジプトのオベリスクを模したワシントン記念塔を通り、リンカーン記念堂に
も足を運び、2時間程過ごし思索しかつ詩作した。

 ■ リンカーン記念堂より望む ■
 石像の偉人 知将の尖塔
 美国の重心は 当に其の狭間に在り
 驕る莫れ 地上の覇者
 忘るる莫れ 立国の志

遥か遠くにあるキャピトルヒルとワシントン記念塔、リンカーン記念堂は一直線に並
んで建てられている。ホワイトハウスは、その直線の横に張り出すような位置に建っ
ている。
筆者は、この独立の気概を象徴する記念塔と、平等の理念を象徴する記念堂の間の長
方形の池の当たりにアメリカの重心が在ると感じた。
即ちパワーポリティックスから言うと世界の中心がここに在る事になる。

前日に地下鉄で行ったアーリントン墓地は、リンカーン記念堂の斜め裏手、ポトマッ
ク川を渡ったところに在る。
川を渡る白い石橋の欄干には、金色の人馬の像が立っており、三途の川、異界の入り
口を感じさせる。
国家、公のために殉じた戦士の事を思うと、国籍を越えて伝わってくる普遍的なもの
を感じ、自然に涙した。
その時の拙作を示して結びとしたい。

 ■アーリントン墓地にて ■
 聖堂の対岸 小高き丘
 整然と並ぶ 白石の墓標
 願わくば王道たれ 祖国の政
 古来将兵 大義に死す

 

                       以上

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