ベトナム旅行記
(旅行編)


一日目(1998.7.6 MON)


(出国)


バスがこない!

 朝バス停で、バスがなかなか来なくって、あわててひろったタクシーの中で幸先悪いなーと思ったんですが、サンダーバードの快適さに紛れてしまい、窓の外の景色を眺めていると、一人旅の開放感がじわっとわきあがってきました。家族には悪いですけど、たまには一人にならないと息がつまりますよねみなさん? 関空はもちろん初めて。新しくてきれいなのはいいんだけど、空港税2,650円て高いよね。

空港

 通関手続きなどが予想していたより早くて15分ほどで終了。出発まで二時間以上をゲート前の待合いロビーで待つことになりましたが、全く退屈しませんでした。飛行機の発着を見ているだけでもわくわくします。やがてスチュワーデスのミーティングが始まったり一緒の飛行機で行くらしい人も集まってきたりで出発前の例の雰囲気になってきました。。待合室の前の座席に座った二人連れの女性も「地球の歩き方」を持っていたので、途中少し話をする。二人とも初めての海外旅行で「これからベトナムを極めるんですー」とはりきってました。自然体でいいですね今の人達は初めての旅行でもちゃんとさまになってます。おじさんはああはいかないのがつらいところですね。

離陸−着陸

 飛行機は定刻より少し遅れて15:05離陸。天候はうす曇り、眼下に大阪湾やがて四国も見えてきてとてもきれいです。機内がけっこう空いていたので乗務員の人に勧められて空いている席に移動。ガイドブックを読んで飲み物や食事をとっている間に退屈するまもなくベトナム上空に到達。眼下にメコンデルタの風景がいっぱいに広がったときは本当にうれしかったです。タンソニャット空港は確かに日本の地方空港あるいはもっと小さいくらいですが、横に軍用へりの格納庫があるのが見えて、うーんという感じでした。


(入国)



イミグレーション

 入国審査は思ったより簡単でしたし、書類もちゃんと返してくれました。本に書いてあるように時間はかからなかったし、ちゃんとしてますよ。ただ一人ビザの申請書類に写真が貼付されてなくてコピーになっていた女の人がいて、審査の女の人が向こうの窓口で手続きをするように言ってるのですが、日本人のその女の人は気が動転したのか、言ってる事が理解できないようなので、窓口に行くよう教えてあげました。税関の審査をするころには無事戻ってきていたので大したことはなかったみたいです。

出迎え

 税関で「地球の歩き方」の二人に挨拶をして出口に出ると、タクシーの運転手がいっぱい声をかけて来る。ガラス越しに僕の名前を書いた男の子を見つけて、挨拶もそこそこに出迎えの人の群から離脱! とりあえず両替をすることに。 窓口で順番を待っていると後ろから誰か日本語で話しかけて来たのですが、よく聞き取れなくて怪訝な顔でいると、どうも「ハンの弟です」と言ってるらしいことがわかってびっくり、留学生のミー ハンさんの弟だったのです。お姉さんに空港まで迎えに行くように言われていたらしいのですが、事前に聞いていないとはいえ失礼な事をしてしまいました。確かに盗難とか詐欺には気をつけないといけないのですが、あまり警戒しすぎてると相手に失礼な事にもなりますし、難しいですねこのへんは。

けっこう街は明るい

 タクシーでゲストハウスまで向かうのですが、さすがに道はホンダのバイクでいっぱい。しかもバックミラーがついてない。道を渡る人もいるし、よく事故が起きないもんです。 もっと市内と空港は離れているのかと思っていましたが、空港の敷地をでるとすぐに町中でけっこういろんな看板にネオンが付いているし広告もあるし創造していたのとはかなり違った印象で驚いたです。15分ぐらいで到着。よくわからないけどけっこう裏通りみたいです。タクシー代は36000VDぐらいでした。迎えに来てくれた彼が払ってくれたのですが、ちゃんとお礼を言う前にどこかへ行ってしまって少し心残りです。多分オーナーの息子さんだと思うのですが。

部屋がない

 オーナーの多分40代の陽気な女性。挨拶を交わして部屋へと思ったら、実は満室で悪いが向かいの家に泊まってくれと言われてしまった。一瞬エーという感じでそれだったら事前に言ってくれよーと思ったが、留学生のかたの弟さんもいるし、迎えに来てもらった事でもあるしということでここは素直に案内された部屋に行くことに。家の奥さんらしい女性と値段の交渉12$というのをなんとか10$にしてもらって契約成立。

ベトナムコーヒー

 とりあえず宿も決まったので、弟のギアくんのバイクの後ろに乗って噂のベトナムコーヒーを飲みに行くことに、でも町中は暗いですね。日本が異常なのかもしれないけど外灯もあんまりないし、家のしばらく走って入り口にネオンの点いた中が薄暗い店に入る。しばらく待っていると例のアルミのサーバーがカップの上にのって登場。五分ぐらい待って飲むと甘い、下に練乳が入ってるらしいです。でもけっこういけますし、慣れると病みつきになるという話です。
 ギアくんは日本語学校に通う学生で大学で経済学部を卒業した後、日本に留学する予定たということなので、お姉さんにも頼まれた通りできるだけ日本語を使って話をしました。まだあまり上手ではないですが、半年でこれくらいできればすごいです。

宿を替えなくては

ギアくんと別れて部屋で一息。地図を眺めているとどうもここは市内観光にはいいけれどもファングラオという安宿街から遠くて、ツアーなどに参加するのにはかなり不便だということがわかった。おまけにベランダから見える風景が妙にうら寂しいので、紹介してくれたハンさんには悪いと思ったが、明日ファングラオの方に移ることにする。思ったより暑くもないし虫もいなかったが、興奮しているせいかあまり眠れない。空腹もあったよく考えたら5時ごろに機内食を食べてから何も食べていない。気をつけましょうね一日目はとにかく興奮してるので思わぬことがおきます。とろとろとしているとそのうち外が次第に騒がしくなってきた。まだ外は真っ暗なのにしきりと人が動く気配がする。

二日目(火) 街へ


朝の風景に感激

 やがて、外が明るくなってきたので、ベランダに出ます。その時の感動は今でも覚えています。これがベトナムなのか!という思いがわき上がってきました。見下ろす道路のあちこちに屋台が出ていて、そこで朝食をとっている人や買い物をする人の姿が目にとびこんできました。急いで写真を何枚かとり、シャワーを浴びてとにかく外に出る事にしました。

WIN95

 チェックアウトを家の人に頼むと昨晩値段の交渉をした女の人が出てきて、宿帳みたいなものを書かされました。お役所がうるさいのだそうで、このへんが社会主義国なんでしょうか? 玄関の横にパソコンがあるので、彼女に何に使っているのか聞くと嬉しそうに立ち上げてみせてくれた。なんとあのWIN95のロゴがでてきたのでびっくり。そりゃそうですよねdosの画面がでてくるわけがない。へーと感心していると、95じゃなくて98がほしいとか言い始めました。95なんか古いわよ ふんという感じです。モニターは800×600みたいだし、ゲームも素朴なものだったから、別に98なんかいらないんじゃないのと思いましたが、余計なお世話みたいでしたから口に出すのは止めておきました。やがてお礼を言って出発しようとしたら彼女も出かけるのだという、なんと彼女は高校生だそうで、30代ぐらいだと思っていたのでびっくりしました。ベトナムの女の人はしっかりしてます。

街へ

 朝8:30ごろゲストハウスのあるせまい路地を出て、とにかく一番近い観光スポットである中央郵便局とサイゴン大教会をめざして歩き始めました。天候は晴れ。本当はどこかで朝御飯を食べなくちゃいけないんですが、どこへ入ったらいいのかわからないし、かといって道ばたの屋台で食べるには、どうやって頼めばいいのかわからない。それにできるだけ早くファングラーオという場所にたどり着いて泊まるところを決めたかったので、 とにかく「地球のあるきかた」の地図を頼りにカバンを肩に担いで歩くことに。バスかシクロに乗るという方法もあったのですが、やっぱり歩いてよかったです。思ったほど暑くはありません。地図を確かめながら行くので自分のいる場所がしっかりわかりますし、歩きながら目に入る建物や道ばたの花や沢山の人々の姿、総てが新鮮で本当に飽きないです。 子供が生まれて初めて家の外を散歩するときもきっとこんな感じなんでしょうね。 

シクロなみなさん

さすがに、途中バイクタクシーやシクロには本当によく声をかけられました。まあほとんど道を歩いている観光客はいなかったから仕方ないんでしょうけど。多いときは10mおきぐらいに声がかかりました。これが男でなかったらいいんですけど;^^。 皆さん生活のために一所懸命でおそらく生活も楽ではないのでしょうが、今のままの状態だと観光という面ではマイナスの方が大きいように思います。もうほとんどのガイドブックにはシクロには夜絶対乗ってはいけないとか。料金のトラブルが多いとか書いてありますし、実際あんなにひつこいと乗る気になれないです。 ちょっと休んでいるときとか、道ばたで話をしてるぶんにはけっこういい人が多いのになんで、あんなにつきまとう運転手が多いんでしょうか。

気軽に保証しないで?

 それと日本人が書いたとかいう手紙やら推薦状もどきを皆さん持ってるんですが、ああいうの見せられると余計乗りたくなくなります。あれほんとに日本人の若い人が書いてるとしたらほとんど犯罪に近い行為だと思うのですが、どうでしょうか。御本人はすごく親切にされたのかもしれませんが、それでその人の保証をしてしまうのは少し軽率ではないでしょうかね。中にはめちゃくちゃ高い料金で乗っておまけに「この人は安心です」なんて書いて上げるというのは人が良いのを通り越してほとんどばかです。僕は決してなんでも現地の人と同じ値段でなければいけないとは思いません。多少割高なのは仕方がないと思います。けれど10倍も20倍もふっかけられてそれを安いと思うのはどうかと思いますし、決してその国のためにもなりませんよ。それに貴方の書いたものが犯罪に利用されないとも限らないのす。

 少し前の本なので今は少し高くなっているかもしれませんが、シクロの運転手は一日1−2$稼げばなんとか暮らして行けるそうです、だから日本人を一人乗せればうまく行けば何日分もの稼ぎになるので、ちょっと強引になるのもやむを得ないと言うことなんだとは思いますが、でも、もう少しなんとかならないでしょうかねえ。あんまりかまわれないのもさみしいんですけど....。

道に迷う...  噂通り... 

 なんとか町の中心部まで来たのはいいのだが、どうしてもサイゴン大教会が見つかりません。ちゃんとした地図もないし、案内板らしきものもどこにもない。 何度も同じところをぐるぐる廻っているらしい事がわかってきたので、何人もの人に道を尋ねたんですが、これがよくなかった。「サイゴン教会?そっちだよ」と言われてしばらく行っても何もない。別の人に聞くと「あっちだよ」 「まだかなり遠いよ」 「すぐそこだよ」 「そっちだよ」 の繰り返しで仕方がないので通りの名前をたよりに少しずつ進んでいって何とかたどり着きました。噂通りサイゴンの人は道の教え方がすごいです。

サイゴン大聖堂ー旧大統領官邸

 サイゴン大聖堂は煉瓦づくりの本当に美しい建物でした。中には誰もいなくて入口にシスターが二人静かにお話をなさっているのが、そこだけ別の時間が流れているような雰囲気でした。中央郵便局も中の雰囲気がとても落ちついていて、有名なホーチミンの大きな肖像画がかかったりしていて、出来ればゆっくり見たかったのですが、シクロのお兄さんの「どこからきましたか どこへいきますか? 日本人の友達沢山います」に参ってしまって早々に移動する事に。そんなに意固地にならなくても乗ればいいのにとも思いますが、何しろ暑いなかを歩いてその上まだ朝から何も口にしていなかったので行き先を確認して値段の交渉をするなんて気にはなれませんです。 それでもなんとかサイゴン陥落の日、戦車が迫っていった大統領官邸にたどりつけました。さすがに このときはホッとしました。

休憩

ここで何とかシクロのお兄さんを振りきることが出来たので、ホッとあたりを見まわす余裕が出来て、ドアのある涼しそうなカフェに入ることにします。「アラスカ」という名前でしたがもう少し好い名前はなかったんでしょうか、余計なお世話ですけど。
 カフェでは朝食のフォーが売り切れていて牛肉のニンニク炒めとオレンジジュース 合計 17000VD ちょっと高めですね。別にメニュー通りですからいいんですけど。味は良かったし、何より店の人が感じよかった。喉が乾いていたのでジュースを一気に飲んでしまいましたが、ちょっとはしたなかったですね。氷には気を付けてなんて事はすっかり忘れてました。でもこの後も滞在中はジュースを沢山飲みましたけど一度もお腹こわさなかったです。
 カフェというと パリの、シャンゼリゼ通りに面した、あんな物をつい想像してしまいますがベトナムのカフェは、そうですね、どちらかというと下町の食堂見たいなところが多いみたいです。椅子なんかも樹脂製だったりしますし、それが道に開放されているという感じでしょうか。もちろんステキな庭が付いたカフェもあったりするんですがそのへんは日本と同じです。

戦争記念館へ

 ここは旧大統領官邸裏手のベトナム戦争の様々な資料が集められた建物です。壊れた戦車や大砲爆弾なんかが無造作に並べられてました。日本語のパンフレットの表には写真家の石川文洋さんの文章が使われていて感激。一つずつゆっくり見ていけば興味深いものが沢山あるのですが、説明があまり工夫されていないのと暑さにめげて丁寧に見ることが出来なかったです。西洋人(古いなー)も多いですが、台湾 韓国の人も目立って多かったですね。もう少しお金をかければ観光スポットとしては有望なのでしょうが、あまりそういう風にはしてほしくない気もします。

ファングラーオへ バイン ミー

 一応見たい場所は見ることができたので、再び地図を頼りに歩き出したところで角にフランスパンの間に肉や野菜を挟んだバイン ミーの屋台を見つけました。ちょっとためらったのですが、思い切って手まねで頼んでみました。はさんでもらうものをこれとあれとこれっと言う具合に指させばそれで大丈夫なんですよね。何だ簡単だ!お金はファイブ サウザンドとか直接紙幣を向こうの人が出したりして教えてくれます。このときは3000VD はじめてのベトナム料理? 一口食べるとパリパリのパンと鶏肉の味が口の中にひろがってもう...おいしい!!!。この後も何度か食べたけど本当にうまいです。 

またつかまった

 パンを片手に何とかファングラーオの近くまで来ると、またシクロのお兄さんにつかまった。朝からもう三時間以上歩いているので、さすがに疲れてきて受け答えに棘があるのが自分でもわかるのですが、それでも付いてきますね。ホテルを世話するとかいろんな事言いながら付いてきます。ファングラーオの通りを教えてくれたのはいいけれど、強引にホテルの部屋を見せようとするんですよねこれが。思っていたより狭い間口のカフェやホテルが建ち並ぶ通りを、お兄さんにはかまわず目当てのホテルを探したけれど目印のカフェがなくなっていてお手上げ。仕方がないのでもう一つの少し離れたホテルに行くことにしましたが、やっぱりお兄さんは付いてきました。結局、親切にホテルの場所も教えてくれて最後はタダでもいいから乗れと言い出しました。きっと向こうもあきれたんでしょう。ケチな日本人やなーと多分思ったでしょうね、その通りですからいいんだけど。たかが140円ぐらい出して乗ればいいのかもしれませんが、後五分ぐらいのところで挫折?できませんよ。

バンカン(BANKANH) ホテル

 なんとか有名?なバンカンホテルにたどりつきましたが、さすがに安い(12$でまからないそうです;^^)だけあって風呂場の床に排水口はないし、うるさいしという部屋だったけど、部屋係の人は親切で一応お湯もでます。エアコンも付いてますし、部屋もひろいのでまあいいでしょう。市場とバス停が目の前で便利なことは便利なんですが。 とにかくシャワーを浴びて昼寝。昼食もまだでしたがとにかく休息が大事です。宿も決まってホッとしたのもあって、横になると自然に眠ってました。目が覚めて出かけようとするといきなりすごい雨、運がよかったようですね歩いている途中でこんな雨が降ってきたら大変でした。窓からしばらく下の道路を見物していると雨合羽を着てみんなバイクや自転車に乗ってます。歩いている人も笠をさしている人はごくまれにしかいません。雨が強くて笠が役に立たないのかどうかわかりませんが、日本の雨の風景とかなり違うし、またそれが周りの風景と合っていて、どれだけ見ていても飽きませんでした。軒下で雨宿りする人を見てるだけでも30分ぐらいすぐにたってしまいます。道路は側溝がないので、全部道路に貯まっていきます。当然深さ15センチほどの水たまりが歩道と車道の間に沢山出来るので、しばらく歩くのに往生しました。

バイクタクシーの人と話す。

 少し雨の様子を見に外へ出たところで、雨宿りをしながら中年のバイクタクシーのおじさんとお話。僕が話した範囲では英語は日本と反対で中年の人のほうが上手ですし、アメリカ英語に近くて聞きやすかったです。それに強引に乗れとか言いませんし。息子さんも同じ仕事をしているそうで、幸せそうでした。旅行中ずっと感じたんですが。ベトナムの人ってどうしてあんなに魅力的に微笑む事ができるんでしょうか。欧米の人とはまた違う、微笑み方なんですけど、うらやましいですね。顔の筋肉の付き方から違うのかもしれませんね。

ツアーの申し込みに  シン カフェへ

 さて ホテルを変わった事を家に電話して。有名なシン カフェへツアーの申し込みにいくことに。 ファングラーオにはシン カフェという欧米人向けのツアーをやっている有名な店があります。今度の旅行ではそのカフェというか旅行代理店にとても感心しました。今回はクーチーという有名なトンネル基地(ベトナム戦争当時)カオダイ寺院一日ツアー(8US$)とメコンクルーズ 一泊二日ツアー(18US$)いうのに参加したのですが、まず 料金がメチャ安ですよね。これガイドが二人とエアコンバス 入場料込みホテル代共の値段ですよ!! スタッフの人もとても親切で手際がよかったですし、バスの中ではベトナム戦争当時の話なんかも聞けて、思わず聞き入ってしまうことも度々という感じでした。日本の某旅行代理店(特に名前は秘すがマップツアー)なんか見習ってほしいもんです。聞いたところでは今この会社は急速にシェアーを伸ばしているようで、他のところは防戦一方という感じのようです。一緒にメコンクルーズに参加したイギリスのお姉さんは本当に誉めてましたから、やっぱり相当優秀なんでしょうね。 社長は50歳ぐらいの人らしいのですが、かなりの人物みたいで、時間があったらどんな人か調べてみようかなと思っています。 ベトナムに行かれたら是非この会社の利用をお奨めします。フリーツアーというのもありましたよ、サイゴンーハノイ乗り放題みたいなやつです。 

フォーを食べる

 無事申し込みも終わってホテルに戻った後、時間があったのでベトナム戦争当時西側のジャーナリストが定宿にしていたという、マジェスティックホテルを探しにでかけたのですが、どれだけ歩いてもみつからない。どうも地図と会わないんです。いい加減な地図を描きやがってと思っていたんですが、後で気がついたら、道を一本完全に間違えていたんですねこれが。(地図も出来はよくないんですけど)当然夕食を食べるはずの店も見つからない。しかたなくホテルへ戻る途中ちょっとこぎれいな店があったので、歩道においたテーブルに座りました。英語はつうじないようなので手まねでフォー(米麺)を注文。ついでにサイゴンビアーもテーブルの上には枝に付いた何かの葉が何本も置いてある。やがて丼が来て、モヤシの皿。どうやっていいのかわからないので、ニョクマムと葉っぱを少しちぎっていれてみておそるおそる口に入れる。う うまい。(こればっかり、でも本当においしい)

 名前の知らない何種類かの香草が新鮮で何とも言えずおいしいです。麺がまた涙がでるくらい自然で地味があるというんでしょうか、具の鶏肉も昔田舎で食べた鶏の味を思い出しました。ビール(サイゴンビア)と共にあっというまに食べましたが。あまりのうまさにもう一杯今度は店の女将さんが見かねて香草の葉っぱをちぎってかき混ぜてくれました。本当に沢山葉っぱを入れるんですね。大満足で27,000VD


三日目(水) クーチートンネル、カオダイ教寺院


ツアーの参加者

 朝食はシンカフェの近くの屋台でパンを食べる。ついでにミネラルウオーターも買いました。よく見るとみんな持ってますね。やがて大型のバスが来て乗り込みましたがすでに満席でした。シーズンでもないのに人気ありますね。ドイツ人と東欧の人それに韓国からの若いグループ豪州の人もいました。日本人はどこかのツアー会社の人とオジサンが(自分もだけど)2人。みなさんどういう理由でベトナムに来てるんでしょうか、ずいぶん長い期間旅行している人もいるみたいだし、一人ずつ聞いてみたいぐらいです。

バスの中で

 添乗員の人は幾つぐらいなんでしょうか、ベトナム戦争でも有名なハンバーガーヒルの闘いの場所にも行ったということですから多分50歳前後だと思います。戦争の事や政府の話、その他いろんな事を途中はなしてくれました。中でも記憶に残っているのは彼が今でも戦争中の夢を見るという話です。日本ではアメリカ軍のベトナム帰還兵が戦争の後遺症として、精神的に病んでいく話は映画や小説でよくしられていますが、考えてみればアメリカ人だけがそんな風になるはずはありませんよね。圧倒的な兵器の前で過酷な闘いを強いられたのはベトナム軍兵士のほうなんですから。戦死した人数の多さは無論の事生き残った兵士のが受けた精神的な傷の深さが、軽いはずがありません。祖国の解放のための闘いだからそんな事はないと言えるのは、よほど頭のおめでたい人間でしょう。彼が言った「戦争記念館に行った事は一度もない。あそこは私にはつらすぎる」という言葉の本当の重さを僕には感じる事はできませんが、少なくともまだ戦争が完全に”終わった”わけではないという事だけは覚えておきたいと思っています。

タイニン

 バスはカオダイ教の寺院が町中に建ち並ぶ町へ、メコンの田園地帯の村にこんな大きな寺院が幾つも建っているだけで不思議な光景なのですが、正面に描かれた大きな眼が何とも言えずシュールで不思議な光景でした。天眼 という神の眼をあらわしているらしいのですが、5大宗教を統一するとどういう教義になるのかよくわかりません。

コーラを売っていた少女

  うかつな事にここでフィルムを切らせてしまった。コーラを売っている少女が近づいて来たので、どこかでフィルムを売っていないが訪ねると、向こうの物陰で待っていてくれたら何とかすると言われた。いわれ場所でしばらく待っていると聞いたことのないドイツメーカーのフィルムを持ってきてくれた。少し不安だったのでコダックか日本製のがないか訪ねると、戻ってサクラフィルムを持ってきてくれた。言われた値段は別に高くはなかったもだが持っているドン紙幣が少なかったので、結果的にかなり値切る事になってしまった。それでも彼女は嫌な顔もせず、そのお金を受け取って丁寧に礼を言ってくれた。アオザイにすげ笠という、典型的なベトナムの少女のかっこうなのだがどことなく雰囲気が違うので、質ねてみると彼女は中国系のベトナム人だということがわかった。年はまだ12歳。学校に行きながらこうやってお金を稼いでいるらしい、きれいな英語を話すし、もちろん中国語は完璧でその他にフランス語もできるという。どこで習ったのか聞くと「学校でよ」と何をバカな質問をするのよと言う口調でで答えてくれた。どうせ日本人は何年習っても英語が下手ですよふんだ。邪気のない笑顔が本当に魅力的です。日本ではあまり見られない顔なんですよね、残念ながら。

寺院の中で

 カオダイ教は道教、キリスト教などの5つの宗教を混合させたという新興宗教なのですが、ベトナム全土にかなりの数の信者がいるということで、礼拝の会場は信者の方で一杯でした。宗教団体としては珍しいと思うのですが、礼拝の間も見学や撮影は全く自由でフラッシュをたいてもかまわないというおおらかさです。胡弓の演奏の中静かに進む儀式はそれ自体は壮麗で見応えがあるものです。

ハート型の折り紙

 寺院から出て周囲を撮影していると、さっきの女の子がこちらへ走ってきました。何か小さなものを差し出すので受け取ると少額紙幣で折ったハートが二つ繋がった折り紙でした。「彼女に渡すと幸福になるよ」そう言って笑いながら少女は走って去っていったのですが、少したって胸の中が熱くなってきました。 12歳に戻ってしまったような感じでしょうか。多分もう二度と会えないのでしょうが、もし誰か一人だけこの旅行で会った人に再会出来るとしたらもう一度彼女に会ってお礼を言いたいと思います。

昼食

  その後近くの店で豆腐とご飯をまぜたようないわゆる精進料理の昼食を食べるのですが、これは不味かった。ベトナムで食べたまずい料理二つのうちの一つです。

クーチートンネル

 どのガイドブックにも詳しい説明が出ている場所ですが、やはり実際観光用に拡げられているとはいえ、狭いトンネルを歩き回るとここで営まれていた生活の過酷さが実感できます。戦争のためとはいえよくこんな中で生活出来たものだと思います。ここには穴の中に槍が突き出ているような罠もいくつか残っていますし、ビデオの上映などもあって、観光スポットとしてもよく整備されているので、参加者もわきあいあいあいと楽しめるのですが、その分人と人が殺し合う戦争という感覚が希薄なように感じました。 僕なんかがどうこう言う事ではないのでしょうが。

両替

 定刻にツアーから帰ってシンカフェの近くの銀行で15$両替。 中に東欧からの旅行者らしい若い三人連れが順番を待っていましたが全員どこか病んでいるような印象で、・・・・となってしまいました。どこにでもいるんでしょうが、かなり長い間国に帰ってないみたいでしたね。ファングラーオからホテルまでの道は何度も歩いたのでなじんでしまいましたが、途中の暗いところではやはり少し緊張してしまいます。別に若い女性も歩いているし、道路にはバイクがたくさん走っているので危険はないのでしょうが、普段そんな暗いところを歩いていないので臆病になってるんでしょうか、いい年をして情けないですね。

夜の散歩

 夕食はビアホイと鍋を食べようと思い地図を頼りに歩き出したのですが、何処まで行っても目印になる建物が見えて来ない。 ホテルに戻って地図を間違えて見ていたことに気が付いた。途中ある店の前に人だかりがしているので何かと見ると、サンドイッチやハムを売っている。ここがガイドブックに載っていた有名なみせだと言うことにしばらく歩いてから気がついた。結局ビアホイの屋台が集まっている場所はわからずじまいだったので、戻ってさっきの店でサンドイッチを買うことにした。もう暗くなっているのに客が店の前であふれている。みなさんお目当てのハムやサンドイッチを買ってバイクで走り去っていくのですが、値段から考えると多分少し余裕のある人たちなんでしょうね。家族へのおみやげという感じです。
  • サンドイッチ 5000VD
  • バインミー  5000VD
  • 餅菓子    2500VD

    タンロン(果物)

     途中ホテルの近くでタンロンという赤紫色の果物を買う3000VDを二つ。ホテルでまずサンドイッチをこれがめちゃくちゃうまい。中の具が本当にうまい。日本のパン屋さんもフランスやイタリアばかり行ってないで一度ここへ来て勉強しろよ。といいたくなる味でした。量も十分で明日の朝の分に残しておきました。タンロンはキイウイのような味でこれもまあ美味というところ。しかし翌朝冷蔵庫に入れて置いたのを起きがけにかぶりついた時は しばらく絶句。生きていて良かったと思いました。本当にこれが病みつきになって機会があるごとにこの果物を食べてました。;^^

    四日目(木) 街を歩く


    サイゴン トライアングル

      明日からメコンデルタのツアーに行くことにして今日は市内めぐりとおみやげ探し。まず定番のサイゴン トライアングルを歩くことにします。普通はここからベトナム旅行が始まる場所ですね。ドンコイ レロイ ハムギの三つの通りで構成する三角形の中に人民委員会や市民劇場高級ホテルアートギャラリーやレストランが集まっているので外国人の姿も多いし、どの店でも英語が通じます。ホテルからまたてくてく歩いて15分ほどで目印の人民委員会に到着。シーズンオフのせいか観光客らしいのは僕だけでした。当然バイクタクシーが声をかけて来ますが手を振るとそれ以上何も言いません割とあっさりしてます。市民劇場は工事中でした。残念。途中シルクの布を買うのに店を探していると、中年のシクロのオジサンにかなりしつこくつきまとわれて参りました。英語で通してくれればいいんだけど、日本語で同じ言葉を何回も繰り返されるときついですよ。

    バクダン(カフェ)

     疲れてきたので、バクダンというファミリーレストランみたいな店でココナッツをくりぬいたアイスクリームを食べました。美味です。26000VDで結構高いです。 店を出るとさっきの運転手が待ってましたが、しばらくついてきてからあきらめて行ってしまいました。
     次はどうしても見たかった、マジェスティックホテル。開高健の本に何度も出てくる有名なホテルですね。最近改築したので真新しくなってしまったのは残念ですが、さすがに風格ありました。入って何か飲んでも良かったのですが、ま あんまり歓迎されそうもないので止めておきます。

    マイ サイゴン

     市内の地図を本屋さんで買って、気の利いた土産物がないかさがしているとちょっと変わったものを置いてある店があったので入ってみました。(マイ サイゴン)という名前です。ここは定番のベトナム土産ではなくオリジナルの版画やお面などが置いてありました。感じのいい女の人がご主人です。丁度ハノイから高校生の妹が夏休みで来ていたのですが、とても魅力的な女の子でした。狭い店でしたけど彼女が教えてくれた家賃は本当に高かったです。一瞬聞き間違えかと思いましたが、本当に日本と変わらないぐらいの値段なんですよ。どこでも商売はたいへんですよね。ここにあった銀細工のチェスのコマは本当に見事でしたけどちょっと高くて手が出ません。 いくつか気に入ったものを買ってホテルにもどりました土産物 妹がめちゃくちゃかわいい帰り道ホテルのボーイと乞食の男が激しい言い合い。をしてるのを目撃。乞食は何人か見かけましたがどうも本当に貧しいと言う感じではないのが不思議でした。飢えている様子があまりないのは気のせいでしょうか。

    チョロンへ


     午後はサイゴンのチャイナタウンチョロン地区へホテルの向かいのバスターミナルからのるのですが以外に簡単にバスは見つかって中に乗り込むと、制服がなかなか素敵な車掌さんがたってました。動き出してチョロンというと切符をくれます 3000VD 関係ないですけど美人でした。

    ビンタイ市場

     バスを降りると市場が目の前ですが、とにかくどこから市場なのかわかりません物があふれ返ってます。正面の入り口を入ると狭い通路の両側に雑貨や衣料品が積み上げられた店がどこまで行っても並んでいます。外には魚や果物の店がこれまたづっと奥まで並んでますし、通路で昼食を食べる人や値段の交渉をする人などで圧倒されました。市場でコーヒーフィルター とにかくこれを買わなければ話にならないのでアルミ製のコーヒーフィルターを二つ購入。

    天后宮

     それから通りを歩いて天后宮(テイエンハウ廟)へ向かう。思ったより小さなお寺でしたが、大きな渦巻き線香はすごい。ここだけ完全に中国という雰囲気です。外も漢字の看板とかがあるのですが、うまく溶け込んでいて違和感はありません。

    アヒル麺

     お寺を出て昼御飯はガイドブックに出ていたアヒル麺で有名な店で食べることに、しかしお寺のすぐ側のはずなのなのですがなかなか見つからない。おまけに店の漢字の看板を眺めていたり、中国式の結納の道具や祭壇何かに見とれたりするので余計わからない。途中高校生が学校帰りの一杯という感じで何か飲み物を飲んでいるので釣られて一杯。1000VD 多分カラマンシージュースでしょう。喉が乾いていたのでおいしかった
    何度も同じところをぐるぐる廻った後やっと見つけた店はテーブルが三つほど並んでいる小さな店でしたが、中に少女が二人恥ずかしそうにこっちを見ているのでとにかく入ることに。噂のアヒル麺は麺も美味しいのですが。とにかく一緒についてくるアヒルの唐揚げは最高でした。

    生春巻き

     チョロンからもどって今度こそと市街へでかけていきましたがやはりビアホイは見つからず。他の店を探そうと思いましたがどこの店がいいのかわからないし疲れてもいたので、昨日のサンドイッチ屋さんで今度は違う種類のサンドイッチを買う。途中の市場の入口で春巻を売っている屋台を見つけたので二つ買いましたが、釣りを持ってもたもたしていたら早くしまえというふうにおばさんに手ぶりで叱られてしまいました。やっぱりあぶないのかもしれません。気をつけましょう。生春巻き 2×1000VD

    ギア君とカフェ サイゴンで会う

    。 夕方シンカフェで明日のメコンツアーの申込をした後カフェサイゴンで留学生の弟のギア君と会う真面目なんでしょうか時間通りにバイクでやってきました。出来るだけ日本語で話をと言うお姉さんからの頼みに従ってゆっくりと会話。日本に留学する方法や就職状況を話してもらう。普通の会社と日本企業の給与の差が何倍もあるのではみんな外国企業に就職したがるのはわからないではないですが、日本の会社の人間関係のいやらしさみたいなものを考えると複雑な思いがします。お金だけがすべてじゃないよといいたいのですが、ちょっと説得力がないようで止めておきました。多分もう少ししたらいろんな事がわかってくるんでしょうきっと。ギア君からはお姉さんへの荷物を頼まれる薬と本らしい。別れ際きれいにしたおみやげをいただきました。恥ずかしそうにわたすところが、日本人のメンタリティと似てる気がしました。夜、昨日のタンロンをまた食べる

    五日目(金) メコンツアー


    朝食

     精進料理で有名なZENNの前まで行ってみたのですが、まだ開いていなくてしばらく待ってみましたがダメ。あきらめて近所のカフェでベトナム式のCOFEE 4000VD ここはカップが耐熱ガラスで下に溜まったミルクが見えるようになってました。サービスにお湯のポットが付いてきて何杯でも飲めるのが嬉しい。でもだんだん薄くなるけど;_^)。

    メコン一泊ツアーへ

     今回は人数が少ないので小さめのバスです。参加者の内訳は、まず僕の前の座席に座った美男美女のカップル、このカップルは本当に外見もハリウッド映画に出てくるような人たちでしたが、仕草もなんか映画みたいでしたね。それから オーストラリアのけっこうお年を召した母娘 英国人の女性二人組、ドイツ人の男二人、オーストラリア人の女性二人、それに添乗員が二人です。
     乗り込むとすぐおみやげのTシャツが配られました。けっこう好い記念ですね。絶対に着れないけど。昨日バスで行ったチョロン地区を通り抜けると、すぐにメコンデルタの風景が広がって来た。水牛がいて、水田が広がり時々刈り入れをする人々がいる。絵に描いたような風景です。添乗員のメコンの水量が年々少なくなっているという言葉が気になりますね。ここでも環境異変なのでしょうか。

    高速道路に入る

     高速道路といってもアスファルト舗装のただの道路なんだけど。何度かサイゴン川にかかった橋を渡るときなんかは説明が入るので窓の外を熱心に見たりするのですが、それ意外はフェリーの渡し場につくまでぼーっと外の風景を見たり、隣どおし話をしたりしているという感じです。別に白けてるわけではないんですけど。その間、僕は前の席の美男美女が互いに見つめ合ったり、髪に手をやったりするのを、部屋の隅のTVの画面を見るような気持ちで時々見ていたんですが、この人たちは何でこんなにしょっちゅう、相手に気持ちを伝えあっているんだろうと不思議で仕方がなかったです。なんか不安なんでしょうかね、それとも習慣なんでしょうか。 それ以外はずっと道路沿いに立ち並ぶカフェや小さな商店ガソリンスタンド、バイクに乗るアオザイ姿の女性なんかを見てました。ここでどんな生活が行われているのだろう、みんなどんなことを考えているのだろう。どうして煉瓦の店がやたらに多いのだろうとか。とにかく、頭の中に次々にいろんな事が浮かんできて面白いのです。

    茣蓙を作る村

     途中ござをつくっている村に寄ってつくっているところを見せてもらう。あまり広くない土間で女性が二人でござを編んでいた。何十年か前、田舎で見た風景に似ているような気がしました。だけどこれだけを作って食べていけるのでしょうか?お米を作るよりこのほうが収入になるのでしょうかね。本当に全部手作業でやっているのですが、出来る枚数もそんなに多くなさそうですし.....。

    不味い店もあるのだ

     昼食です。バスの中でガイドの人が言ったとおり、本当に高くて不味い店だった。ベトナムで食べた二つ目の不味い食べ物がこの店で食べたホーです。 多分フェリーの時間の関係でここで食べるしかないんでしょうが(周囲にはこの店以外に食い物屋らしいものはなかった。)ここまで不味いものは作るのは難しいというくらい不味かったです。 早々に店を出てフェリーの乗り場へ向かいました。

    ヴィンロンの街

     フェリーを降りてしばらくいくとヴィンロンの街で休憩。
     市場は肉ばかりを売っているところもあってなかなか壮観でした。出発間際になってトイレに行きたくなったので、あわててホテルでトイレを借りる。あーあせった。余談ですが便所は「バスルーム」より「トイレット」のほうが通じるみたいです。ここにあるはずの戦争博物館は場所がわからなかったのでパス。

    川下り

    さて街を出てしばらくしてからいよいよ川下りに出発。この日はメコンの本流を渡っていくので割と大きめのゆったりとした船でした。さすがに広大です。途中いろんな船がすれ違っていくのが嬉しいです。みんなこっちに向かって手をふるんですが、乗っているのが白人ばかりだからですね。大体みんな後ろに簡単なスクリューが付いた木造の船でした。 途中で会った水牛の目が悲しそうで辛かったですね。イギリス人の女の人が、牛も自分の運命がわかるのよーなんて言ってましたが、本当にそうみたいです。雄大なメコンをゆっくりと進んで行くのは本当に快適です。天気も良かったし。雨が降るとたいへんみたいですが。

    湯葉?

     途中日本でいう湯葉みたいな模のをつくっているところを見学たくさんの釜が並んでいて豆乳の上にできる膜を掬ってつくるんですが、そっちのほうより裏手にある道教の祠のほうが興味深かったです。小さなお寺見たいに立派な祭壇があってロウソクや線香が沢山燃えていました。祀ってあるのは関羽とか老子みたいでしたけど。

    カントー

     川風に吹かれてぼんやりと景色を眺めていると、やがて船はカントーヘつきます。ここはメコンデルタ最大の街でカントー大学もあるということで、市場はとてもにぎわっていましたし、コダックの大きなショップが店なんかもあって観光客も多いみたいですね。 船から下りると公園があってホーチミンのアルミ像?が銀色に光ってました。ホテルに着いた後少し時間があったので市場を散策。さすがに食料品の種類が豊富です。亀やナマズまでいたけど何でも食べる国ですねえ。 ここでもタンロンを買いましたがサイゴンより少し安い。夜は全員揃って市内のレストランへお食事に。ここはいわゆる変わった物を食べさせる店でそれぞれ好きな物を頼んでいましたが、中でもイギリス人の女性は蛇を食べ、なおかつ生き血の焼酎割りみたいなのを飲んてました。さすが大英帝国の末裔です。この人、話し方から想像すると、多分いい大学を出ているキャリアの方か大学院の学生というところでしょうか、世の中に恐い物なしって様子です。こういう女性を相手に恋をしたり結婚したりするのはさぞかし大変なんでしょうね。日本人でよかったです。って冗談ですってば。僕は普通のエビを炒めたものとビール(サイゴン)。みなさんでビールを飲んでワイワイとしているうちに、例の美男美女のお二人は先にどこかへいってしまいました。しかしよくやるよね。 途中食事を運んでくれた男の子が日本語で話しかけて来たので、びっくり。 カントー大学の学生で経済学を勉強中とのこと。でおもみんなよく勉強しますよね。帰り道「かっぽん」とがいう民間療法を見学。あやうく実験台にされそうになって後ずさり。日本人だから;^_^)

    六日目(土)メコン−−出国


     朝 サイレンの音が響きわたって、何かと思って通りをみていると。警官のバイクを先頭に宣伝カーらしい車が何かをがなりながら数台走り去っていった。どうも政府の車らしい。ドイモイ前は毎朝あんな車がスローガンをがなりながら走っていたということですが、たまらんなー。

    水上マーケット

     今日ははメコンのせまいせまい支流を人が二人やっと並んで座れる小さなボートで船遊び。まず船で有名な水上マーケットに。本当に沢山の船が米や果物を乗せてあつまってきてました。物物交換だときいたのですが、本当でしょうか?中には船の中で住んでいるみたいな家族もいて、なんか本当にいいんですよこれが、丸木橋を渡ったり果樹園でミカンやジュースを飲んだり食べたりで結構退屈しませんし、途中川縁の家の子供たちが川で水浴びをしていたり、船を走って追っかけて来たり、子供たちに手をふったり、本当に生活の場所だというのがわかります。時折すれ違う小さな船では子供が操作している船もありました。ベトナムの子供は本当によく働きます。
     船旅を満喫して帰りはひたすらバスに乗っているだけです。まあ窓の外を見ていれば別に飽きないのですが。途中昼食に入ったのは中華系の店で、麺もどことなく中華風、おいしかった。オーストラリアの母娘と話しているときに、ベトナムの映画なら「天と地」を見なさいと奨められた。そういえばまだ見てなかったですね。ハイウエイに入ってしばらくするすごい雨が降り出して来て景色が見えなくなった。スコールっていうのでしょうか。

    大蛇のカフェ

     しばらく行ってバスが休憩のためでしょうか、とあるカフェの前で停まりました。丁度喉も乾いていたので急いで中に入って床を見ると、眼が点。床に大きなヘビが這ってるんですよ、長さ5−6mぐらいでしょうか、別に害はないというんですが、とても体に巻き付ける気になんかなれません。みんな喜んで写真撮ってましたがどういう神経しとんじゃい。ヘビは子供のころから大嫌いです。まあ話の種にはいいのでしょうが、二回も行きたいとはおもわないです。やがて周りが暗くなっていきサイゴンの市内に近づいてきました。

    終わりです

     これで今回の旅行は全て終わりです。短い間でしたが普段の生活の何倍も凝縮された時間を過ごせたように思います。自営業で子供もまだ小学生という環境で、結構休みを取るのは大変でしたが本当に来て良かったです。まだまだ何かに感動出来るということがわかっただけでも大きな収穫でした。体力もまだ充分残っているようだしまだしばらくは旅行ができるようです。  ところで、このメコンの一泊ツアーは本当に強くお奨めします。 料金も安いし一緒に行った人ととても親密な感じになれるのが本当にいいですよ。

    予約は守りましょうね

     さて無事バスも定刻通りシンカフェに戻ってきて後は飛行場に行くだけ。夕食を食べて、空港までのミニバスに乗りあわせるはずの二人組を待っていたのですが、時間になっても来ない。予約しておいて連絡もなし、なんて最低ですね。カフェの人も車と人を用意して待ってるんだから、バカな真似は止めてほしい。この時間に空港に行くのは日本人以外にいないんだから信用なくしますよ。

    お別れです

     それでも何とか時間に間に合って空港へ、手続きもすぐに終わってロビーに行くとこんなに日本人がベトナムに来ていたのかと思うほど人でいっぱい。でもおばさんとオジサンのあの傍若無人ぶりはなんとかなりませんかね。団体になるとなんであんなに品が悪くなるんでしょうか、勘弁してほしいよ。リムジンバスに乗って機内へ。定刻から少し遅れてタンソニエット空港を飛び立つと、眼下にはサイゴンの街の灯がひろがって何とも言えない美しさです。この下にカオダイ寺院の少女もメコンデルタの人々もシクロのおにいさんも一生懸命に生きているんですね。そんなことを考えながらに感傷的な気分で窓の下をずっと見ていました。翌朝無事関空に到着。さすがに眠たい。

    帰った後

     家に帰って来た次の日の朝、窓から道を見下ろして見ましたが、もう誰も歩道に腰掛けて朝食を食べてはいませんでした。バイクにまたがって仕事場に向かう人達の姿もありません。けれどサイゴンの街の匂いがどこからか漂ってきたように感じました。
     終わり。

  • 1998.09.10
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