日本の隠れた名曲を追って  特別プロジェクトS-白季千加子 「ここは港町あたり・・・」

皆さんからのその他の情報  


●エピソード等

 皆さんから寄せられた白季千加子に関する想い出・逸話等いろいろな情報をご紹介致します(投稿者ご本人の許可を得たもののみ掲載しています)。
●hirotakeさん 
 私が多分高校生の頃ですが、あいらぶゆうが出た時だと思います。たまたまFMでエアチェックした、白季千加子さんのスタジオライブのテープがあります。十数年振りに聞いてみました。生ギターだけのライブは新鮮で思わずMDに編集してしまいました。
 当時はこのテープを繰り返し聴いたものです。今聴いても古さは感じませんね。レコードはプレーヤーの針を子供に折られてしまい聞くことが出来ません。
  私がエアチェックしたのは、ある年の6月最後の日曜日 午後3時からのFM東京生放送で、すがのおきひとさん司会、番組名はライブコンサートでした。
 ゲストは白季千加子さんと鴉鷺(あろ)の白鳥えみこさんです。しかし、今聞いてみると当時のFM東京は今のNHK以上にNHK風な司会進行で聞く側にも緊張感が伝わってきます。惹きつけるものがありますね。

●三重 古川さん 
 もう、20年以上前ですかね。東京で学生生活を送っていたとき、よく下北沢のライブハウス「スーパーマーケット」に白季千加子さんの歌を聞きにいきました。卒業前には弘前で喫茶店をやっているとのウワサのみをたよりに、なんと弘前までいってしまいました。(場所、わかんなかったんですけどね。)
 ライブハウスでは、何曲か歌っている間のトークもおもしろかったですよ。
 「私のうたはあんまり華やかな曲がないので、バスツアーの仕事で、バスの中で盛り上げるための歌の選曲に苦労しました。」なんてトークを覚えています。

これまた昔を知るお便りいただきました。
●Hiroyuki Moriyamaさん 
 青森放送のヤングオープリーという番組に一緒に出ていました。
 これは青森県内の3つの楽器屋さんがスポンサーで、地元のフォークグループを中心に毎週ライブ録音で放送していました。

 てんとう虫など地元の人気バンドが交代で出演していましたが、放送の後期で、デビューまぎわの彼女ががレギュラーで出ていたと記憶しています。

 青森文明堂という楽器屋さんがメインで音頭をとっていて、ギター講座などをやっていました。
 そこに遊びに来ていた中学生や高校生の中から、後にシングライクトーキングとしてデビューすることになった人もいたような・・・・・・。

 ちなみに、彼女は当時じぶんのギターのチューニングにあまり自信がなかったと記憶しています。
 でも、いい歌はいいということで、みな、納得して聞いていました。

 今は、確か、二人の子持ちのはずですが、。
 17年ぐらい前に、八戸のじゃみんというライブハウスであってからは、あったことがありません。
 自分も今は、フォークではなくブルーグラスばかりなので、状況があまりよくわかりません。

なんと、こんな貴重なお便りもいただきました。白季さんの昔を知るSINNさんからのお便りです。

●東京 SINNさん 
 知り合った頃、彼女は下北沢に住んでいました。彼女とは飲み屋で知り合いました。下北沢の「zaji」という店です。売れる前のやしきたかじんもよく顔を出していました。彼女とは何度か朝まで一緒に飲みました。よく笑いよく喋りよく飲む可愛い女性でした。コンサートには「渋谷エピュキラス」「下北沢スーパーマーケット」なぞに行きました。
 
 ちなみに私の好きな曲は「東京風来坊」です。その当時の心境に近かったからかもしれません。
 千加ちゃんが弘前に帰ったと人伝てに聞いた頃、映画「キャバレー日記」のラストでボーイが好きなホステスと想いを遂げようとするシーンで静かにゆっくりと「おてんとさま嫌い」が流れて来た時はひたすら感動しました。
 話はそれます、根岸吉太郎は「遠雷」が有名ですが「キャバレー日記」も小品ながらせつない映画です。

     *   *   *

 「うつむきかげんに」発売の頃、週刊ポストか週刊現代のどちらかのレコードレビューで相倉久人が絶賛していました。
 当時、私の仲間達の間で相倉久人といえばジャズ評論家(けっして解説者ではない)として一番有名な人だったので私も「千加ちゃんってすごいんだ」と喜んだ憶えがあります。

 (下北沢「ZAJI」は現在も営業中。白季さんが入り浸ってた頃とは場所は違いますが当時を知るマスターが現在もご活躍でいらっしゃるとのこと)。

●札幌出身、現在東京のS.Oさん 
 カーオーディオをカセットからCDに切り替えたのをきっかけに、いくつかのお気に入りのテープをCDに変えようと思い立ちました。
 白季千加子さんは、私のとてもお気に入りのひとつで、4枚のLPをカセットにコピーして聞いていました。
(流れのままに、うつむきかげんに、あいらぶゆう、そして、P.M.6:35 AUTUMNです。「あ・ん・た」 を買い損ねたのは、今考えるととても残念!)
 もう初めて聞いてから20年以上たっているのに、不思議に魅力が色あせない、とても音楽性のある歌手だと思います。

 CDを買い直そうとして探したのですが、残念ながらありませんでした。
 LPは、引っ越しの時に処分してしまい、もうありません。
 そこで、しょうがないので、カセットからCD-R に焼いて聞いています。(これって、CDをカセットにするのと違い、けっこう大変な作業です。。。)

 CD情報を探そうとしていて、このページをみつけました。もう手元にないLPのジャケットがとてもなつかしいです。
 そして、多くのファンが今も健在で、大変心強い思いです。早く、もう一度CDで出し直してほしいですね。

 私のお気に入りを4曲。

 ステージ・シンガー (P.M. 6:35 AUTUMN)
 * 中学校のころ、演劇に夢中でした。スポットの明かりとすべてが終わって消えた後の虚無感。わかります。シンガーとしての彼女の心境なので
 しょうか?でも、この歌詞、「演じてきたわ、どんな時も」 というのが比喩にもとれます。喧噪の中の演技とその後の孤独、もっと普遍的なものですね。

 真夜中に眠るあなたと一杯の紅茶 (P.M. 6:35 AUTUMN)
 * ちょっと倦怠感のある生活のひとこま。めずらしく、落ち着いた幸福感を歌った曲。こういう歌、合っていると思います。

 一枚の切符 (あいらぶゆう)
 * 私もそうですが、地方から東京に出てきて働いている人にはぐっとくる歌ですね。歌詞も旋律もとても優しい。ハーモニカもちょっと哀愁を帯びている。

 不死鳥のように (うつむきかげんに)
 * ちょっとつぶやくような歌い方。そしてとても緊迫感のある歌詞と旋律。今聞くとちょっと重いかな。若いエネルギーのぶつかりあいが、痛くもあり、うらやましくもあり。。。

 あと、東京でライブしてほしい。

●埼玉、S.Tさん 
『P.M.6:35 AUTUMN』を録音したテープを1本持っています。 

 私が高校1年生の時(現在39歳)、ある友人が『いいアルバムをみつけたんだよ』と言って、録音してくれたものです。(高校卒業以来その友人とは音信不通です。) 

 私はテープはもらったものの、アルバムのタイトルも、歌手の名前も知りませんでした。でも、初めて聞いたときから、すっかり気に入ってしまい、何度も何度も聞いてきました。幾度の引っ越しも決して捨てることなく、今でも車で聞いています。大事な1本なので、予備をダビングしておかなくてはと思いつつ20年以上たってしまいました。中でも『ケイへの手紙』が一番のお気に入りです。(自分でも不思議なのですが、なぜか『ケイへの手紙』というタイトルだけは知っているのです。) 

 カラオケなどに行っても無いのは解っているのですが、つい『ケイへの手紙』を探してしまいます(笑)。 

 22歳の時(歌になる年頃ですね)、ケイという女性に出会いました。(確か当時、彼女は30代前半)一夜だけ共に過ごした私の大切な思い出の人です。その人は突然に消えてしまいました。今はどうしているのでしょう。ケイへの手紙を聞くと、彼女のことも過ぎります。 

 そして今、またまたケイという女性に出会いました。『ケイへの手紙っていう歌があるんだよ。』彼女は当然知りません。その彼女が遠く外国へ行ってしまうことになりました。思いはあれども恋人ではないので、もう会えないかもしれません。(今度は消えてしまうわけではありませんが)私は思い出に『ケイへの手紙』をCD-Rに録音してあげようと考えました。で、もしかしたらレンタル屋さんにCDがあるかもしれないなどと思い、探しはじめました。(が、結局ありませんでした(笑)。) 

 そこでインターネットで検索してみたわけです。手がかりは『ケイへの手紙』だけです。音楽のジャンルやら何やら一生懸命検索してみましたが、何も見つかりませんでした。もうあきらめようと思いましたが最後に無理とは思いつつ、単純に『ケイへの手紙』だけで検索をしてみたのです。ところが、どうでしょう!なんと、このホームページが出てきたのです。(恐るべしインターネット!)私は初めて、白季千加子という歌手名を知り、初めて『P.M.6:35 AUTUMN』というアルバム名を知ったのです。ありがとうございました。何だか、とても嬉しいです。 

 彼女は明日、日本を発ちます。『ケイへの手紙』をあげることはやめました。(なぜって?私の持っている古いダブルのテープレコーダーはもう壊れているし、テープをコンピューターに取り込んで…とか、もう面倒くさくなってしまいました(笑)。仕事もありますしね。)私の中で、この歌にまた一つの思い出が増えました。私の持っているテープがダメにならないうちに早くダビングしておこう。(って思っているだけなんですけどね。死ぬまでこの1本かな?) (笑) … 

●水上遊戯人さん 
 あれは、もう22年になりますか?当時就職したばかりの私に、ある先輩が「こんな曲があるけど聞いてみる?」と貸してくれたのが白季千加子さんのLPでした。 
 一度聞いてはまったんです。(今は懐かしい) 
 当時、コンサートにも行きました。(よかったのは言うまでもありません)私本人は、あいらぶゆう(愛裸舞優)が好きです。
●大阪、Gaoさん 
 僕も烏丸せつこの番組で彼女の歌を知ったのですが、詞を多く提供している岡本おさみ(「港町あたり」も)が同郷だったこともあり、すっかり彼女の世界にはまってしまったのは中学3年生の頃でした。 
 その後、彼女が東京を去り、青森で「音夢(ねむ)」という喫茶店をやっているという話を、同じ烏丸せつこの番組で知り、一時は弘前大学に進学しようと真剣に考えたものです。 
 ただその頃は手がかりをさがそうにも何も手段がなく、NHK-FMでのライブ録音での彼女の歌が、最後のコンタクトとなりました。(ちなみにその番組は、プロデューサーの湊さんによる予告や新聞では彼女がメインの扱いだったにもかかわらず、実際は松村和子と司会の三上寛の歌ばかりで、彼女の歌は「夜汽車」一曲だけであり、大いに落胆したものです。聴取者からもかなり抗議があったようですが、後の湊さんの話によると、コンディションがかなり悪かったためのやむなしの策だったそうです。) 
 その後、「三波伸介の凸凹大学校」という番組で、シェリーというタレントが「東京風来坊」を持ち歌として歌っているのを偶然発見して一人興奮したりもしました。
●東京、T.Wさん 
 高校時代に白季千加子が好きでよくライブを聞きに行っていました。 

 最初に観たのは今はなき渋谷のジャンジャン。対バンは何とデビュー直後の佐野元春でした(佐野さんは後にも先にもこの1回しかジャンジャンではやっていないそうです)。最初は佐野さんを見に行ったんですけど、好対照な白季さんの歌に惹かれてしまいました。 

 その後ジャンジャンでは同じ事務所のカーティス・クリーク・バンド(レコーディングではバックをつとめています、ハーモニカの八木のぶおさんは日本を代表するプレーヤーです、「with you all day through」というCM曲を演奏していました)と一緒に出演しています。ただ、いつもお客さんは少なかったですね。下北沢のスーパーマーケットというところでやったときは確か10人いなかったような記憶があります(その日私は「P.M.6:35 AUTUMN 」のポスターをいただきました、もちろんサイン付き!)。 
 「P.M.6:35 AUTUMN」のレコ発の九段会館のライブもお客さんはまばらで、客席の赤ちゃんが泣き出すと演奏が止まるという何ともアットホームな雰囲気でした。確かベスト盤に収録の「あい・らぶ・ゆう」はこの時の音源のはずです(ベスト盤だけ持っていないのです=買っておけば良かった!)。 

 ちなみに4年ほど前に演歌の香西かおりがグローブ座でポップスを歌うという企画もののコンサートがあったのですが、その際アンコールの最後に白季作品の「ステージシンガー」を歌っていました。びっくりしてポリドールの方に、「あれ白季千加子の曲でしょう?」とたずねたところ「よくご存じで」と言う驚きとともに当日の音楽監督が白季千加子のファンで、もしレコードを持っていればぜひダビングして欲しいと頼まれたのです。でもよく考えると、最初の2枚はポリドールなんですけど――。社内でも忘れ去られた存在なんでしょうね(たぶん原盤はいまだにポリドールにあると思うのですが)。


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