午前中で確定申告書を書き上げ地元の市役所にそのまま提出。今年はかなりスピーディーに税金がらみの作業を終えることができた。
その後旧三井銀行の通帳とカードが古いままだったので新しいものに切り替えてもらう為、さくら銀行に赴く。
自分の番が回ってきたので窓口に行き、切り替え希望の旨を告げるとなぜか担当の男性行員の顔が俄に曇った。
「うわ、面倒なの来ちゃったよ・・・」という表情である。
どうやらこの通帳移行作業は合併がらみでいろいろと面倒らしい。
端末で僕が最初に口座を開いた支店を検索しているらしいが、なかなか出てこない。
結局調べるので少し待ってくれ、という話になった。
実際僕が口座を開いた支店は吸収合併で既に無いらしく、どこかに移管されているようであった。いかにも面倒そうな話である。
10分程して新しい通帳が出来上がっていた。
ようやく無事僕の口座がヒットできたらしい。
行員は通帳を僕に手渡し、やっと一段落、と思いきや僕の旧カードに目が行き、また表情が曇った。
そして何を言うかと思ったら「あの・・カード使いますか?」、などと突然耳を疑うようなオカシナ質問をしてきた。
コイツ、カード作らねえでこれで切り上げるつもりなのかよ、と内心ちょっとムッとしつつつ
「あのーできれば。急ぎませんので・・・」というと
「そーですよねえ・・・」などと言いつつ、ようやく申し込みの書類などを出してきた。
いかにも銀行員だな、と思う。
一応一通り手続きは済ませ無事さくら銀行がらみの作業は終える。
通帳を見ると支店番号は当然として、口座番号までが全然別な番号に変わってしまっている。
こちらとしては聞いて無いよという感じであった。こういう大事なことは客に知らせんのか?と思ったが、まあこちらも住所変更等してなかったし、ま、どっちもどっちであった。
* * *
時間があったので京王線で新宿へ出て大江戸線に乗って見ることにした。
新宿の大江戸線のホームは、異常に深いところにある。温泉でも出てきやしないかと思ってしまうくらい深い。
当初ずっと先まで行くつもりが東新宿の駅で人が沢山乗ってきたのでウンザリして降りてしまう。
改札を出て地上に出ると大久保通りと明治通りの交差点の付近に出た。
「そういえば!!」
ここから東に数百m行った所に旧鎌倉街道があったことを思い出し、ちょうどいいから歩いて見ることにした。
このルートは先日歩いたが確か面影橋の辺りで、更に東寄りにルートがある説があることを思い出し、今日それを探索して見ることにした。
都電の早稲田駅まで出て、そこから北に歩いて見る。
この辺は道が古いようでもあるが、鎌倉街道!という決定的な手掛かりはあまり無さそうであった。
そうこうしているうちに、いつの間にか護国寺付近まで出ていた。
とりあえず地下鉄の護国寺駅でトイレを借りた後、鎌倉街道は一旦離れて、昔住んでいた大塚方面に向かうことにした。
護国寺前から新大塚を経て、JRの大塚駅までのなだらかな坂を歩いていく。
駅に近づくにつれ、次第に懐かしさが込み上げて来る。
大学の為に上京した僕は、住込みで新聞配達の奨学生をすることになった。
1年先に現役で上京していた友人達は中野区や世田谷区に下宿する中、僕だけが住込みの店の関係で半ば強制的に大塚に住まわされることになってしまった。
僕としてはやはり山の手線の西側に住みたかったのであるが、最初自分の住まいが大塚になったと聞いてひどくガッカリした覚えがある。何大塚ってドコソレ?カッコワリー・・などと言う具合に。
しかもいよいよ東京生活初日に初めて大塚の駅に降り立ちその街を見た時、なんてすすけた黄昏た街なんだ!と、切なさでやり切れなかった思いを感じたのを覚えている。
狭苦しい道路を無造作に行き交う車、駅前の薄汚れた盛り場・・・、故郷ののどかな街並みとはあまりにも違う殺伐とした風景に、早くも都会拒否症、ホームシックになってしまった。
あれから15年以上経った。
時の流れは本当に人の気持ちを変えさせるもんだな、としみじみ思う。
あんなに嫌だった嫌いだった大塚が、今や東京では一番好きな街の一つになっている。
あんなに切なかった、すすけた黄昏た街の具合が、今はちょうど良く馴染んでいる。
今はむしろ大塚で良かったんだと思える。
不思議なもんである。
JR大塚に着く。
いつもは歩いて板橋や巣鴨まで足を伸ばすが、ふと久しぶりに都電に乗って見ようと思い立つ。
都電は160円、これは僕が大塚にいた時と変わっていない。
毎月4日14日24日は酉の市が立ち巣鴨の地蔵通りが老人達で活気づく。そうすると都電も老人達でギッシリになる。新聞屋はこの4の日は人が出て配達がしづらくなるので敬遠する日なのである、なんてこともふと思い出す。ちなみに今日は4の日では無かったが帰宅時のせいか結構な混み具合であった。
西ヶ原4丁目で降りて、また旧鎌倉街道に入ることにした。
そしてルートを北に向けて、十条方面に向かうことにする。
この辺りも道が大部消えている。
只十条台のちょっとした高台を歩いて遠くに暮れかかった空や、公園の木々が目に入って来ると、道は無くとも、うっすらと往時の街道の感覚が蘇ってきそうな気持ちにもなって来る。
自衛隊の十条駐屯地を過ぎた後に、ようやくわずかに残存した街道後を辿ることができた。
この道は東十条駅手前で旧岩槻街道と合流し赤羽まで行っている。
日が大部暮れてきたので左折して十条駅に向かい今日の鎌倉街道探索を終えることにした。
ちなみに十条近辺はかつて平家落人の集落があったという伝説が有り、それに加え商店街も沢山あるので、どこかしら惹かれる街である。それから僕個人にもちょっと気になる思い出があり、それはまた機会があればこの欄でも述べて見たいと思う。
* * *
今日は曇りだと思いカメラを持参しなかったので写真を撮らなかったが、結局晴れたので持ってけば良かったと後悔した。
代りに以前撮った写真を載せて置くことにする。
ここは北区滝野川の四本木(よもとぎ)稲荷神社付近で、やはり旧鎌倉街道が通っていたとされる場所である。
写真の道をずっと真っ直ぐの方向に進むと途中道は途切れるが、やがて今日行った十条辺りの道へかつては通じていたようである。
実はこの場所僕が大学の2〜3年の2年間新聞配達の区域を担当した地域で、日記欄で以前お話しした豊島区上池袋と共に非常に馴染み深い地である。
ここがまさか鎌倉街道だったとは・・・
こちらの方が在籍期間も長く、ある意味上池袋より驚愕の度合は大きいかもしれない。
この四本木稲荷付近は配達の順路で行くと最後の方でなので精神的にも解放されリラックスした良いイメージがあった。
そして何といっても、僕には当時この付近の都営アパートに住んでいたと思われるOLが朝通勤するのと時々エレベーターで遭遇した思い出がある。
キラめく朝日の中で出会う、その女性の美しかったこと・・・。
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