モテナイ独身エトランゼの魂
(ジョンレノンミュージアム潜入記)


その2

 展示室は時代を追って順にZone1〜Zone9までの9つに分かれている。
 Zone1〜Zone3が4階、Zone4〜Zone9までが5階にある。
 残念ながら場内での撮影は禁止されているので本ページには展示物の写真は無いことをお断りしておく。

 客層は結構様々で、中には若い高校生か大学生くらいの女の子のグループもいたりして、モテナイ独身エトランゼ的には上々な気分になる。

 冒頭のZone1で早速僕の目を釘付にしてしまったものがあった。
 それは若い女の子のグループのブラジャーの・・・・いや失礼。
 それはビートルズ時代の名曲「ジュリア(Julia)」の自筆作詞原稿であった。
 (最初に断っておくが、ここから以下時々単なる1ミーハーファンの大ハシャギになってしまう部分があるやもしれぬがご了承いただきたい)。
 この曲はジョンの実母ジュリアとオノヨーコ氏のイメージがオーバーラップしたラヴソングとして知られている。ギターの弾き語りで歌われるちょっと凝ったコード進行の幻想的な美しい曲である。通称「ホワイトアルバム」に収録されている。
 僕は思わずガラスの展示ケースを食い入るように見つめ「おおおうう、ジュリアだーーー!ぞくっ(背筋がゾクっとする音)」と心の中で叫ぶ。回りに人がいるので表面的には静かに展示を見ているが、心の中では叫びまくっている。
 これだけでも元は取れたなと思う。

 更に展示室を進むと、またまた鳥肌ものの展示品が出てきた。
 それは若い女の子のグループのブラジャーの・・・・いや失礼。
 それはビートルズ時代の名曲「恋におちたら(If I fell)」の自筆作詞原稿であった。
 この曲は全ビートルズの楽曲中僕が最も愛する歌曲に属する名曲である。
 ジョンとポール(ポール・マッカートニー)のハモリが切なく美しい青春の名叙情歌である。
 「ア・ハード・デイズ・ナイト」に収録されている。
 僕は思わずガラスの展示ケースを食い入るように見つめ「おおおうう、イフアイフェルだーーー!ぞくぞくっ(背筋がゾクっとする音)」と心の中で叫ぶ。これだけでもかなり元は取れたなと思う。
 これがまさにあのイフアイフェルの原点のメモかあ、と思うと、もはやウス汚れてしまったメモ帳にナグリ書かれたものでもそこからビンビンパワーが伝わって来るようで、正直なところ思わず目頭がジーンと来るような思いであった。

 ビートルズ時代の作詞原稿は他にも「ヘルプ」「イン・マイ・ライフ」「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オヴ・ミスターカイト」などがあり、つい他の人の観覧の妨げになってしまうくらいの釘付品がオンパレードである。
 他にもジョンの愛用のギターやジョンの少年時代の日記、ビートルズがデビュー前に出演していたライブハウス「キャバーンクラブ」のメンバーズカードなどもあり、ビートルズフリークには嬉しいものばかりである。
 こんなメンバーズカードのような取るに足らなそうなものでも、ことビートルズ級の人間に関連したものとなると途端に超貴重なお宝に変貌してしまうのだから、物は大事にするに越したことは無いもんである。
 オネエチャンパブなどの名刺の類いでも、いつ貴重なお宝に変貌するかワカラナイもんである。ちと違うか。えっ?、今だって個人的にはお宝級の名刺もあるって?、そうか、カワイイコの名刺だったらソリャあるかもな、うんうん・・・。っと、こりゃ失礼、脱線しかけてしまいましたな。

 それからやはりビートル時代の名盤「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」のジャケットでジョンが着用していた黄色のミリタリールックの衣装もある。これはレプリカだそうだが、その鮮やかな黄色に、きっとこんな感じだったのかなと撮影時の様子がまざまざと浮かんできそうで、これもまた感慨ひとしお。

   *   *   *

 4階のゾーンは主としてジョンの幼少時代からビートルズとしての活動に関したものであるが、5階からは主として、ジョンの良きパートナーであり理解者であり最愛の妻でもあるオノヨーコ氏との出会いに関わるものが展示されている。
 日本人はヨーコ氏がジョンの奥さんになってくれて本当に本当にラッキー民族である。

 入ってすぐに階段がある。
 上がった先には何も無いようであったが、上がってみて合点が行った。
 天井には小さな「Yes」の文字。ジョンがヨーコに初めて会ったヨーコの個展で、ヨーコを好意的に感じることとなった運命の文字である。この文字が人を茶化したり裏切ったりするような「No」とか「インチキ」みたい言葉だったらジョンは個展を出ていったが、そうでは無く肯定的で心温まる気持ちにさせてくれる「Yes」という字を見て、これはいけるという気持ちになったそうである。
 モテナイ独身エトランゼも、しばしジョンになったような気分になり「Yes」と小さく呟く。
 
 1970年頃ジョンは「プライマルスクリーム」(アーサーヤノフ著)という本を読んだのがきっかけで、「プライマリー精神療法」という心理療法を受けていたそうだ。当時のジョンは精神的に不安定でかなりの苦痛に苦しんでいたようである。
 この療法は当時のジョンの作品に大きな影響を与えて、これによりジョンの創造力は大きく解放され、その結実が「ジョンの魂」や「イマジン」となったようである。

 昨今少年犯罪のニュースが良く流され、人々の心を傷めている。
 そうした問題に関して、幼少時の教育や親の責任が議論されている。
 確かに問題の多くは、子供と両親との関係に原因のある場合がほとんどのようである。
 僕もその点では、そうした親の教育問題に関しては十分慎重な議論と対応がなされるべきだと考えている。
 ところでジョンの幼少時代の家庭環境は、ほとんど崩壊といっていいようなものであった。
 しかしそうした崩壊した家庭環境からジョンが出てきたことを考えると、僕はちょっとわからなくなってくるのは確かである。
 もしジョンが親の愛に恵まれ何不自由無い環境で育っていたら、どうなっていただろう。
 今の世界中の音楽シーンはどうなっていただろう。
 そう考えるとジョンの無責任とも言える両親に、非があったとは一概にも言えなくなってしまう。
 ただ一つ重要なことがある。
 それはほとんど不良少年だったジョンに、存在意義を与えたロックンロール、そしてエルヴィス(プレスリー)の存在である。
 こう考えると、子供のいない僕などがやるべきことは教育問題についてあれこれ考えることでは無いのかもしれないな、と感じるようになった。そうしたことはそれに適切な人達がすべきことで、僕があれこれ気に病むことでは無いのだなとと感じるようになった。
 それよりもエルヴィスがジョンの魂を覚醒させたように、僕などが後進の為にすべきことは、人が魂を目覚めさせるようなものを遺してやることでは無いかと思えてきた。
 いささか気負いすぎですかな・・・。

 ジョンの1974年頃のパスポートがある。
 それを見た途端真っ先に僕の目に飛び込んできたのは職業欄の記述であった。
 そこには万年筆のたどたどしい字で「musician」と書かれていた。
 これでまた鳥肌が立つ。今日は良く鳥肌の立つ日である。お日柄はイマイチであるが、鳥肌の立ち具合はよろしいようであった。

   *   *   *

 展示物を見終えてからミュージアムショップに寄る。
 ここでプログラム等を購入。
 この冊子でJLMの展示品についてはもちろん、ジョンの活動についてのあらましを知ることができるので、入門資料としても良い冊子である。
 他に自筆作詞原稿のリトグラフなどが売られていて、喉から手が出そうになったが値段を見るとその勢いもヒュルルルとしぼんでしまうようなタマゲタ値段であった。
 この本文では僕が特に印象に残ったものしか触れなかったが、他にもファンにとって貴重なアイテムが他にも展示されているし、ジョンを知らない人でも年代順の展示や解説も付随されていて、一見の価値はあるミュージアムである。後は是非実際に来訪されて見ることをお薦めする。

   *   *   *

 スーパーアリーナを出ると、日も早くなってきたことと折りからの天気とで、外は早くも薄暗くなっていた。
 まだまだ開発途上という感じのこの辺りであるが、それでも人は結構行き交っている。帰宅ラッシュ時が近づいたからであろうか。
 僕の好きな(?)女子高生の絶対数も俄然増えてきた。

 ジョンは世界中で最も愛された人物の一人だと思うが、ジョンの魂はこうして今でも生き続けているんだなと強く感じた。
 片やモテナイ独身青年の魂は、今こうして埼玉新都心の地に浮遊するように漂いつづける。
 そして世界中の人に愛される前に、まずカワイイ女性に愛されることを願い続け、今日も夜の街へ繰り出すのであった・・・(そんな余裕もネエってか)。

おしまい。

●上記レポートを読む場合の推奨BGM
                  ジョン・レノン:「ウーマン」(「ダブルファンタジー」収録) 

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