全裸の女性3人との混浴という至福の一時。
こんな状況下、男性諸氏に必ず降り掛かる問題として、自分の息子、My
Son、の対応問題、という優先度の高い緊急課題がある。これにはかなり困ってしまってワンワンワワン、というところだったかもしれぬが、私の場合それほど若く無かったことと、何より「全裸女性3人対全裸男性1人」という状況に、どちらかというと緊張していたのかもしれない、ということもあってか、息子の処置には困ることは、幸か不幸か無かった(ある意味情けないぞー)。
こうやって書いているとどうも彼女達を凝視し続けていたように思われがちだが、ここで個人の名誉のために断わっておくが、あくまでも彼女達が正面にいたので、自然に彼女達が否応無しに視界に入ってきていただけである・・・コホン・・・。
そんな至福の時であったが、いつかは終わりを告げる時が来る。
さすがに彼女達は一度も湯から出ることは無く、一旦湯に入ってからは三人申し合せたように、ずっとつかりっぱなしだった。もっと自由に出たり入ったりしても僕は全然構わないのに・・・。
きっと私が先に出ていれば彼女達は自由に羽をのばして風呂の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしていただろう・・・でも果たしてここで私が出ていってしまうことが本当に彼女達の為となったか?それは定かでは無い(また始まったぞ・・・)。
もし私が出ていってしまった場合を想像した時、彼女達の落胆する表情が、一瞬私の脳裏をよぎった(ウソつけ!)。
私が彼女達の立場なら、きっと私にずっといてほしいと思うことであろう。(自分が単に女性の裸を見たいだけなんダロ!)。
少なくとも私は彼女達にいてほしかった。当たり前か。
父親が出て10分程たった頃であろうか、(とうとう)三人顔を見合わせると仲良くそろって申し合わせたように湯から上がっていった。
今度は私に尻を向ける形で脱衣所へと向かっていく。
三人とも入浴時と同様に前部には相変わらずタオルをあてがっているが、後部には何もあてがって無い状態なので、白いお尻が丸見えである。まさに彼女達は文字どおり、本当に字のとおり私に「尻を向けて」くれたわけである。
三人ともまぶしいくらいきれいな肌である。湯上がりの状態なのと照明のせいと、何より思い入れもあるかもしれぬが、私にはまぶしく見えてしまった。
すごく細かいことを言ってしまうが、当時彼女達の裸を見ることのできる状態にいたのは私だけであった。
だから、もし彼女達が「他人に自分の裸を見られたく無い」という理由で自分の体を隠すとしたら、背後から視線を浴びせている私に対して、尻、というか後部を隠すべきであったと思う。
彼女達の向かわんとする方向には脱衣所があるだけで、誰もいないのであるから、前にタオルをあてがっても他人(というか私)からの視線を防ぐという意味では全く意味が無いのである。少なくとも腰にタオルを巻くなりすれば、私対策にはなったはずである。
ここでも嬉しいことに「私」対策は非常にゆるいものなのである。
またまた調子にのって拡大解釈をしちゃうが、これは私に対しては、お尻見ちゃってもOKよ、ということではないのか?!
それとも尻を他人に見せるくらい別にどうってことないから大サービス!ということなのか?
それとも「隠す」というような意識は無く、単に「習慣上」前部にタオルをあてがっていただけなのか?(これ可能性高いね)
それとも目に見えぬものが正面にいて(何のこっちゃ?)、それらに裸を見られるくらいなら、私に尻を見られる方がマシ、と思ったのか?
ま、何にしろ私は得しちゃったのだから、よしとするか・・・。
とにかく母親を先頭に三人は仲良くシズシズと脱衣所A2に入っていった。どうも3人仲が良いのか行動がピッタリ揃っているのである。
「あ〜あ・・いっちゃったか・・・もっと髪でも洗ってけばいいのにな・・・」
この時が来るのは、もちろん分かっていたが、やはり一種の虚脱感が私を支配する。
それからこんな考えが頭をよぎってきた。
男と女が生まれたままの姿で温泉につかっている、一体そのどこに悪いところがあろう?。
同じ人間同志が一緒に温泉につかって、良い気分で出ていく、どこかいけないことがあるのだろうか?
どこにもおかしいところは無いではないか・・・。
彼女達は老婆達に比べ、大胆だと書いたが、実は彼女達の方が人間として素直にオリジナルな行動をとっていたのではないか?
「良かった・・・」。私は名残りを惜しみつつ彼女達の尻を、いや後ろ姿を見送った。
やがて着替えが始まったようだ。
欲を言うと着替えシーンも見たい!とっても見たい!ちょっと位置を移動すれば見られる!・・・
しかし私にはそこまでの勇気が無かった。これ以上はやはりねえ。
でももし彼女達が脱衣所A1だったら見えたのに!(もうこのお兄さん、すっかりスケベ心しか残っていないようである。露天風呂の満喫はどうなったんだ!)
そうこうするうちに下の娘の、上は着ているが下はパンティー一丁の姿が脱衣所出口に現れたりして、ちょっとドキっとする。タオルを絞っているような感じである。相変わらず私の方は見ない。ま、当然か。もう着替えは終わりつつあるようだ。
程なくすっかり衣服をまとった3人が仲良く揃って露天風呂を後にしていくのが見えた。
この露天風呂に来ると言うことは、まず間違い無く同じホテルの宿泊客ということである。
私も(延々)1時間半近くに及ぶ露天風呂満喫作業を終了し、湯から出ることにした。
そして衣服に着替えつつ思った。「彼女達、そして神なる父、ありがとう!新穂高、ベリーナイスで〜す!」。
今振り返って思い出されることは、あの父親は、私と彼の家族の女性達とを混浴させてくれる為だけに、わざわざあの露天風呂にやって来てくれたような気がしてならないということである。
タイミングといい、とった行動といい、そんな気がしてならない。
やはり本当に「混浴の神」(もしあるとすればね)だったのかもしれない・・・
私はいろんな意味で今日の目的は全部果たしたぜという充実感を覚え、露天風呂を去ることにした(結局ほとんどスケベオヤジのエロ話ダッタゾ!オイ!)。
翌日ホテルで朝食を終え部屋に向かう階段で、ふと一人の若い女性と視線が合った。
どうやら昨日の露天風呂のお姉さんの方だったようである。
あっ、という感じで向こうも私が誰かわかったようである。
【彼女の心の声(の推測)】「昨日のお風呂のカッコイイお兄さんだ!」・・・。
(1999.9.26) |