Monologue48 (2000.12.8〜2000.12.12)

「2000.12.12(火)」・76系統の縁

 今日東京では都営地下鉄大江戸線が全線開通した。
 都内散策が趣味の僕にとっても、なかなか便利になることだと思うが、そんな中これに伴って廃止の憂き目にあったバス路線もあった。

 そういえばこんなことがあった。
 つい先日のことであるが、秋葉原に寄り、その後時間があったので例によりどこかへ散策に行こうと思い立ったが、さてそこからどこに行こうか迷っていた。
 秋葉原からもバスが出ているので、とりあえずバス停に向かった。
 バス停は何の理由かわからぬが、臨時のバス停が創設されていて、僕がそこに差しかかると実にちょうど良いタイミングでバスがやってきた。
 いつもの僕なら、これは乗れということだろうと判断し、迷わず乗車するのだが、そのバスは新宿行き、つまり僕にとっては帰る方向のバスだったので、せっかくこれからどこかに行こうというボルテージが高まっている矢先、方向的に帰る方向というのが乗車を躊躇させてしまった。
 結局バス停付近で迷った挙げ句、僕は浅草方面に向かって歩きだす、という選択をした。
 後ろ髪を引かれる想いで何度かバスを振り返ったが、程なく出発してバスは消えて行ってしまった。

 変な話だが、思えばこれが彼(バスのこと)との最後の出会いになってしまった。
 そのバスは都営の76系統新宿車庫〜秋葉原駅東口のバスであった。
 このバス実は僕は一回も乗車したことが無かった。
 いつもこのバスに乗ろうとすると新宿のバス停では、客が沢山乗車待ちをしていて、どうも抵抗が有り乗る気になれなかった。僕としては座って景色でも見ながら行くのが都内バス散策の醍醐味と感じているので、その点この路線はいつも僕が行くと混んでいるので、なかなか乗る機会が訪れなかった。

 上述の、秋葉原で偶然良いタイミングでこのバスが来た時は、始発ということもあってか、空いていた。
 まさに乗車には絶好の機会であった。しかしなぜか僕は乗らなかった。

 今日の大江戸線の開通に伴い、廃止されるバス路線の中に彼(76系統バスのこと)の名前があった。
 ああ、なんだ無くなっちゃったのか・・・。あの時が乗れってことだったのかな・・・?。

 ここで僕は、ふと連想することがあった。

 自分が普段結構イイな、と思っている異性がいるとする。しかしそういう子は別のクラスや別の職場だったりして、自分とは離れたコミュニティにいて、通常の自分とは接点がまず無い。
 しかし時に奇跡的に、その異性と接する機会ができることがある。まさにハレー彗星が地球に近づくように、一期一会の機会である。
 だがそれはほんの短い期間なので、大抵は今までの思いの丈を述べたり、何か後につなげる展開をしたりする余裕も無く終わっていく。しかしながらまたこういう機会もあるだろうと、次回のチャンスを待つ。
 ところがこれが二度とやってくることは無いのである。程無くして自分もしくは相手が、お互い知らぬ内にその各自のコミュニティを去り、そこでこの環境は消滅していくのである。

 好きならば強引にその対象にアタックする、という手もあったと思うが、それ程唐突で急激な展開をさせる程のものかというのと、そうして失敗し今までの状態が壊れるのが嫌だということもあるし、第一普段遠くにいる対象のことを本当にそれ程自分が真剣に好いて考えているのか、という問題もある。
 結局その対象と何か縁を深める為には、そのハレー彗星の機会をうまく活かすしか無かったのである。

 こんなことを繰り返して結婚しない人というのが結構いるのでは無かろうか。
 つまり自分が好きになれそうな対象はちゃんといるけれど、そこには縁がつかない。なぜかちょっと遠くにはちゃんといるのである。
 片や自分の身近にはそういう好きになれそうな対象がなかなかいない、というケース。

 こういうのは、縁が無い、という。

 僕は思ったが、縁がつか無い人というのはなかなか縁がつか無い。ところが不思議なことに縁のある人というのは自分が付けたく無いと思ったって、どうしてもいずれ縁がついてしまうのである。

 例えば自分の配偶者になるような人だったら、きっと前世だって深い縁だったに違いない。
 そんな強烈な縁を持った人が、ハレー彗星のようなはかない現れ方をするものだろうか。
 それ程縁の深い人だったら太陽や月のように嫌でも現れては、きやしないだろうか?
 きっとそんな強烈な縁を持った人であれば、ハレー彗星のようなチャンスであっても、彗星は衝突してくれて深い強烈な縁を築くに違いない。
 自分を素通りして消えていくはずは無い。

 都バスから変な方向に話がいってしまったが、かくして76系統のバスというのは、結局僕にとっては縁の無いバスだったということを述べたかった、という結末。

「2000.12.10(日)」・狭い部屋のメリット

 お金持ちの人の家などで、何も置いていない部屋というのを見かける。余裕のスペースである。客人の来訪時にでも使用する心づもりなのであろう。
 つくづくうらやましい限りである。
 当然であるが、かような家においては、居間・寝室・食堂・客間・・・などと用途によって、その部屋の役割は厳密に区分けされている。
 そんな何も無い部屋のある家に一度は住んでみたいもんである。
 えっ?住んだことあるじゃないかって?そーかなあー?
 ああ、あの頃ね・・・
 ある意味確かに何も無かったけどね・・・。そうじゃなくって・・・。

 ところで一方モテナイ独身青年(僕のこと)の部屋は狭い。
 狭い上におかげさまで物も増えてきた。
 今や上記のような用途によってその部屋の役割を厳密に区分けすることなどは到底できる状態では無い。区分けしようが無い。できない。
 一部屋しかないからである。
 居間・寝室・食堂・客間・・・、多種多様な用途が一つの部屋にニ層三層にも重なり混沌とした様相を呈している。僕はこの自らの部屋を’混迷の平面的擬似四次元空間’などと称している。
 まさに混迷しまくっている。

 用途が重なってくれているだけなら殊更問題は生じないように見える。
 人によっては、便利でいいじゃないか、と賞賛してくれる方もいるであろう。

 が、実体はかなり悲哀に満ちた状況にある。
 居間・寝室・食堂・客間・・・、などと多種多様な用途があるが、中で「倉庫」という用途がある。
 この「倉庫」という用途が、かなり厄介な曲者なのである。
 近年とみにこの「倉庫」が己を誇示し始め、欲望の赴くままに己の勢力を拡大してきた。
 その横暴は他の用途の勢力を徹底的に侵食し、他の用途の反発を買うまでに及んでいる。

 食堂としての用途を実行する際に、冷蔵庫などから食料の運搬作業を実施する際、運搬人(僕のこと)の身体の一部が、通路にまで侵食を始めた倉庫貯蔵物の体積層に偶然接触してしまうとする。
 こうなると事は一大事となる。
 体積層は瞬時に倒壊、散乱する。
 それだけなら良いが、この倒壊によって通路は塞がれ食料運搬に支障をきたす。
 倒壊した物件が、カワイコタレントのビデオのようなVIPクラスの物件(?)であれば(・・・)、倒壊の混乱で身体のバランスを失いつつあった運搬人は、倒壊物に損壊を与えぬよう最大の注意を払う。その結果食料方面への注意が一時的に散漫になる。
 この際食料の中に汁物物件が混入していた場合、事態は最悪の結果となる。全面紛争の様相を呈す。
 結果的にバランスを失い汁物物件も散乱する結果となり、埃まみれの狭い部屋の絨毯、それからVIPクラスのビデオ物件両方に被害が及んでしまうことになる。
 ここでモテナイ独身青年のボルテージも頂点に達し、全居住空間を巻き込んだ大戦にまで発展することもしばしばなのであった。

 かような紛争がモテナイ独身青年の狭い部屋では日常茶飯に勃発している。
 まるで世界のどこかの国々のようである。一触即発の状態である。
 かような事態を避けるため、通路の進行時に体積層に接触しないようにと、身体を変な形に折り曲げて歩くような他では何の役にも立たない小技を身につけてしまう、ということにもなる。
 こんなことが得意になって、一体いいのだろうか?とも思う。
 こんなことにエネルギーを費やしていて、一体いいのだろうか?とも思う。
 こんな小技を身につけるためにオレは地球に生まれてきたんだろうか?とも思う。

 こんな雑然とした部屋であるが、これだけ一杯物があると確かに寂しくは無くなる。
 一応モテナイ独身生活ではあるが、ビデオ・本の類いを消化するのに忙しく寂しくなっている暇は無くなった。
 まあそれくらいが強いて言えばメリットであろうか。

「2000.12.9(土)」・鎌倉街道、おまえってやつは

 先日MXテレビの「鎌倉街道夢紀行」という番組について、自分がちょうど興味を持っていたことの回答となるようなタイムリーな番組だったので驚いた話を述べた(こちら)。
 この間の木曜に、そのシリーズの続編をやっていて、その時は鎌倉街道中つ道として、杉並の大宮八幡近辺から赤羽までの西回りのルートについて放映していた。
 これを見ながら僕は終始「ここ行った!、行った!」(クイズ100人に聞きましたのアルアルコールっぽく)と頷いていた。
 もう10年ほど前になるが、東京は練馬に住んでいた時に、当時マウンテンバイクを購入したので乗り回したくて、フラリと出かけたことのある道だったのである。

 もちろん当時そこが鎌倉街道だなんて知りもしないし、まさか鎌倉街道がそこにあるなど夢にも思わなかった。
 ここで当時の単なる「サイクリング」と、現在の「歴史・街道への興味」という元々全然別のラインから発した事象が、10年の歳月を経て今ここに「鎌倉街道」というキーワードの元で、晴れて出会い、統合されたわけである。
 僕はこの悠然とした物事の流れに感慨も新たなものがある。
 きっと忘れていたもの、あきらめていたものが何十年か後に、何かのキーワードの元に、急に存在意義を帯びて来ることも十分あり得るのだ、ということを教えてくれる。ずっとあとになって答えがヒョッコリ出て来ることがままあるのである。
 それだからとりあえず生き長らえること、というのは大事なことなのかもしれない。

「2000.12.8(金)」・寺社仏閣

 僕はマニアという程では無いけれど、寺社仏閣を探して歩いたりするのも結構好きである。
 まず寺社仏閣がある所には、門前町がある場合が多いので、商店街の好きな僕には大変魅力的なのである。

 東京という街が結構面白く感ずるのが、街のド真ん中に神社があって、しかもその神社の創建された年代を見ると意外に古かったりするので、それも面白いのである。
 東京だから江戸時代かな、なんて思ってると結構奈良時代なんかが、あったりして、古いのでは西暦600年代なんてのもあるし、「なにー!大化の改新のすぐ後じゃんっ!」みたいな驚きがあったりする(オレっておかしいかな?)。

 それから寺社仏閣には、実際結構霊験あらたかと思える場所も確かにあることがある。
 まあ、あやふやな言い方になってしまうが、そこに行くと気分がスッキリするというか軽くなる感じのするところも確かにある。
 非常に非科学的で説得力も無くて申し訳ないが、言わば良い「気」みたいのがあるんでないかと思わせるところがある。
 これはちょうどその場の空気とか環境とか自分の気持ちの状態など全ての条件がうまい具合にピッタリはまったからなのかもしれないが、確かに「いい雰囲気」であることには変わりはないと思う。
 東京だと例えば、明治神宮、浅草寺などで、早朝なら尚更良い。
 寺社仏閣では無いが広尾辺りにも良い雰囲気のところがある。
 最近行って無いが、そういえば明治神宮のおみくじは明治天皇・皇后の作った和歌になっているので、おみくじ好きの貴方(?そんなのいるの)には一回引いて見ることをお薦め。

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