「2000.12.12(火)」・76系統の縁
今日東京では都営地下鉄大江戸線が全線開通した。
そういえばこんなことがあった。
変な話だが、思えばこれが彼(バスのこと)との最後の出会いになってしまった。
上述の、秋葉原で偶然良いタイミングでこのバスが来た時は、始発ということもあってか、空いていた。
今日の大江戸線の開通に伴い、廃止されるバス路線の中に彼(76系統バスのこと)の名前があった。
ここで僕は、ふと連想することがあった。 自分が普段結構イイな、と思っている異性がいるとする。しかしそういう子は別のクラスや別の職場だったりして、自分とは離れたコミュニティにいて、通常の自分とは接点がまず無い。
好きならば強引にその対象にアタックする、という手もあったと思うが、それ程唐突で急激な展開をさせる程のものかというのと、そうして失敗し今までの状態が壊れるのが嫌だということもあるし、第一普段遠くにいる対象のことを本当にそれ程自分が真剣に好いて考えているのか、という問題もある。
こんなことを繰り返して結婚しない人というのが結構いるのでは無かろうか。
こういうのは、縁が無い、という。 僕は思ったが、縁がつか無い人というのはなかなか縁がつか無い。ところが不思議なことに縁のある人というのは自分が付けたく無いと思ったって、どうしてもいずれ縁がついてしまうのである。 例えば自分の配偶者になるような人だったら、きっと前世だって深い縁だったに違いない。
都バスから変な方向に話がいってしまったが、かくして76系統のバスというのは、結局僕にとっては縁の無いバスだったということを述べたかった、という結末。 |
「2000.12.10(日)」・狭い部屋のメリット
お金持ちの人の家などで、何も置いていない部屋というのを見かける。余裕のスペースである。客人の来訪時にでも使用する心づもりなのであろう。
ところで一方モテナイ独身青年(僕のこと)の部屋は狭い。
用途が重なってくれているだけなら殊更問題は生じないように見える。
が、実体はかなり悲哀に満ちた状況にある。
食堂としての用途を実行する際に、冷蔵庫などから食料の運搬作業を実施する際、運搬人(僕のこと)の身体の一部が、通路にまで侵食を始めた倉庫貯蔵物の体積層に偶然接触してしまうとする。
かような紛争がモテナイ独身青年の狭い部屋では日常茶飯に勃発している。
こんな雑然とした部屋であるが、これだけ一杯物があると確かに寂しくは無くなる。
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「2000.12.9(土)」・鎌倉街道、おまえってやつは
先日MXテレビの「鎌倉街道夢紀行」という番組について、自分がちょうど興味を持っていたことの回答となるようなタイムリーな番組だったので驚いた話を述べた(こちら)。
もちろん当時そこが鎌倉街道だなんて知りもしないし、まさか鎌倉街道がそこにあるなど夢にも思わなかった。
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「2000.12.8(金)」・寺社仏閣
僕はマニアという程では無いけれど、寺社仏閣を探して歩いたりするのも結構好きである。
東京という街が結構面白く感ずるのが、街のド真ん中に神社があって、しかもその神社の創建された年代を見ると意外に古かったりするので、それも面白いのである。
それから寺社仏閣には、実際結構霊験あらたかと思える場所も確かにあることがある。
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