Monologue46 (2000.11.28〜2000.11.30)

「2000.11.30(木)」・鎌倉街道、おまえだったか!

 「聖なる予言」によれば、自分の人生の進化の道筋に添った疑問ならば、宇宙は簡単に自分に答えを与えてくれるらしい。
 だから僕にとって、結婚はいつできるか?とか、自分の職業は何が良いか?とか、配偶者は誰か?といった疑問は、なかなか答えが見つからず、どうやら自分の進化の道筋に乗っていない質問だったらしい。

 一方街道好きの僕は、最近ちょっと鎌倉街道について知りたいなと思っていた。
 ここでちょっと知ったかぶって補足してしまうが、鎌倉街道というと多摩地区や神奈川県を通っている鎌倉街道をご想像されると思うが、鎌倉街道は実は都下区内にもあって、かつて鎌倉が首都であった時代には、鎌倉に向かうために23区内にも数本の鎌倉街道があったのである。

 その区内に残骸を残す鎌倉街道について知りたいなと、まあ割合軽く考えていた。
 ところがこの質問にまさにピッタリの回答となるような番組を、なんと今日MXテレビで放映していたのである。
 それは「鎌倉街道夢紀行」という15分の番組であった。
 こんなにいとも簡単に、知りたいものがわかるなんて、それも向こうからやってくるようにわかるなんてことがあるのだろうか・・・。

 僕は愕然とし、ぞくっとした。
 なんということだ・・・・!。
 これが、今の僕にとっての一番適切な問題だったのか・・・・?!
 鎌倉街道だったのか・・・
 おまえだったのか・・・、僕に必要だったのは・・・・。

「2000.11.29(水)」・実は好きでした

 無意識でやっていて自分では見逃していることが結構あるもんである。
 周りの人の方が、そういうことに気がついていたりする。
 そういう行動こそ自分の本質を表しているかもしれないのである。

 先日「タモリ倶楽部」を見ていて地図の話題をしていたのを見て、僕はふと思った。
 僕はまあどちらかといえば、本が好きな方なのであるが、僕が日頃良く読んでいる本は一体何だろうか?
 いろいろ考えて、一番手にとっている回数の多いものを思い出してみた。
 それは小説か?実用書か?写真集か?音楽関係の著書か?・・・

 良く考えたら、それは地図であった。
 アトラスで出している首都圏の地図である。
 他にも島根県、奈良県の地図、というのもある。
 そういえば江戸時代の江戸の古地図、というのも何枚か持っている。

 あまりにもいつも無意識で眺めているので全然気づかなかったが、タモリ倶楽部によって、ついにそれに気づかされた。
 地図は毎日必ず何かしら眺めている。別に地図の仕事をしているというわけでは無いのに眺めている。
 もちろん今までは別に地図が好きだと意識して眺めていたわけでは無い。
 例えば、何かテレビのロケの場面が出てその場所を確認したり、今日行ってきた場所を確認したり、ホームページの記事のために確認したり、昔を思い出して確認したり・・・。
 考えてみたら枕元の一番手に取り易い位置に置いてあるし「もしかしたらオレって実は地図好き?」そうも思えてきた。

 もちろん今まで本格的な地図好きでは無かったので、地図記号等の技術的知識はまだ欠けている。
 しかしながら地図を見るのは確かに楽しい。
 良くやるのが、地図にバス路線が書きいれられている場合に、それを辿っていくという作業である。
 まずバス路線を見つけると「あっ!、ここバスあったのか〜!」と、そこでまず一つ感動がある。
 それを辿っていくと、ある場所まで辿りつき「あっ!、ここもバス行けるのか〜!」と、そこでまた一つ感動がある。
 それから確認の為に、そこの路線バスの会社のホームページなどで、実際のその路線の有無や、乗り場、時刻表があれば時刻も確認し、次の機会に実際行って乗ってみるのである。
 それからバス停の名前を見て、命名された由来を推測するなどということもやる。

 そんな風に、ちょっとした小旅行をシミュレーションするのが楽しい。
 考えてみれば旅に行けない代償に地図を見て空想の旅をしているということであるから、どうもしみったれてはいるが、それらも含めて旅、ということはいえるとは思う。
 そもそも僕は静岡県出身なので東京で暮らしていること自体が、もう旅のようであると言えなくも無い。
 毎日が旅なら自ずと地図を見る回数も増えるというもんである。

 それから「聖なる予言」のような人生の地図の如き書物も愛読しているから、これはもうある意味無類の地図好きと言えるかもしれない。

「2000.11.28(火)」・さすらい

 日本の往年のバンド「はっぴいえんど」のアルバムに「風・街・ろまん」というのがある。
 僕はこの題名のこれらの言葉が大好きで、それから更にこれらに「旅」なんて単語を加えれば、フェイヴァリットワードカルテットは完璧になる。

 こうしてこれらの好きな言葉を並べて眺めていると、次第にそこから「さすらいの旅人」なんてのがイメージされてくる。

 人間は結構自分のイメージ通りに生きているもんである。
 よく考えてみると僕の場合自分がいつしか、人生を当ても無くさすらっている旅人のようになってしまっていることに気づく。まさにこれはイメージ通りと言えないことも無い。

 長男なのに実家を離れ、これという定職も持たず、明日をも知れぬ生活は、どうも良いのか悪いのか、知らぬ間に自分の「好きなイメージ」(=さすらいの旅人)通りになってしまっているような気もする。
 せいぜい今の自分としては、イソップ童話の「アリとキリギリス」のキリギリスにならぬよう気をつけたいと思っているが、キリギリスにも意義を見いだそうとしている自分もいることも確かではある。

 ところで「さすらい」というと、僕の大好きな曲で寺尾總の往年の名曲「出航(SASURAI)」(しゅっこうと書いてさすらい、みたいな)という歌がある。
 いいことなのか悪いことなのかわからぬが、僕はこの歌の詩の世界が、また実に好きで、例えばそれはこんなフレーズである。

 ”ひとつ、またひとつ、港を出て行く船
  別れのしるしに、俺の影、置いて行く

  自由だけを追いかける、孤独と引き替えにして

  おまえの匂いは、記憶の彩りだけど
  生きていく道連れは、夜明けの風さ”

 僕は19の時に郷里を離れて東京に出てきた。
 言うなれば、まさにその時が人生においての「出航」の時だったように思うが、ちょうど「出航(SASURAI)」を良く聴いていたのも偶然その頃で、今にして思えば自分の人生において妙に象徴的な歌だったように思えて、ちょっとハッとしているのである。
 そうなるとこれは、きっと何か意味のある歌だったんだ、と捉えたい。
 そうすると今の当ての無いさすらいの生活も、自分の歩んできた道としては、この時点ではとりあえず良かったのだ、と思いたい。

 でも良く考えてみると「さすらう」ということは、逆に「安住の地」を見つけたいのからなのかもしれない。
 常に現状に満足できず、あるのかどうかもわからない安住の地を求め、飽くなき追求の旅を続けていく、さすらい人・・・

 僕の「さすらい」は、いつ終わるのか?、それとも永遠に続いていくのか?・・・
 今の所は「さすらい」ながら見つけていくしか手が無いことだけがわかっている。

 この「出航(さすらい)」の収録されているアルバムは「HABANA EXPRESS」という曲で始まる。
 この曲の冒頭はこんな歌詞だ。
 「煙草をくわえて窓を開けたら、ようやく自分に戻った気がするぜ・・・」
 このフレーズは、どこか一人旅をしている気分とシンクロしていて、列車に乗った時などにしばしば思い浮かんで来る。

 そしてこのアルバムの最後を締めくくるのが上述した「出航(SASURAI)」。
 旅に出た男が様々な出会いを経験し、そして再びまた旅に出て行く・・・、そんな一連のストーリーを暗示させるかのような曲の配列。

 このアルバム「REFLECTIONS」全体は、洒落た都会の男女が繰り広げる恋の世界の話が中心だが、実はこのアルバムを通じて僕は、恋愛気分と同時に旅の気分、それも一人旅の気分を味わっていたんだ、と今更ながら気づいた。
 20年近くたった今初めてそれがわかり、こうして長い間付き合いができる曲がある、ということに少し感慨深いものもある。
(org0607)

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