Monologue2002-52 (2002.11.12〜2002.11.19)
 「2002.11.19(火)」晴・夢一匁

 ウォークマンは屋外で手軽に音楽を楽しめるようにした画期的な発明だったと思う。

 よく魚の”脂が乗っている”、などと表現する。
 音楽も外で聴くと、まさに脂が乗るように、外気に溶け込むように”音”が乗ってくるかのように感ずる時があるもんだ。
 ”音”が乗ると、ストレートに心に音楽が入ってくる。一音一音が普段よりクリアに聞こえ、やがて音楽と自分とが融合するかのような一体感が生まれる。

 昔の曲を聴く時は、その曲を聴いていたのと同じ季節に聴くと良い。まさにこれも食べ物と同じように”旬”があるのである。
 真っ青な空、澄み切った星空の下、なども”音”が乗りやすい。
 夜の静かな街、朝の静かな街、休日の昼下がりの川の土手、見晴らしの良い高台、等等・・・。

 仕事が終わり、オフィスを出て夜の街を音楽を聴きながら帰って行く。
 解放感で一層”音が乗る”感じがする。
 今日は、さだまさしの「夢一匁」(自分症候群)を聴いていたところで、あまりの”ノリ”に感極まってしまった。回りは行き交う人々で一杯だ。
 ただ今は寒いから、周りの人には垂れ流れる鼻水に困っている青年、くらいにしか見えなかっただろう。

 この歌は、生まれてきた命に対する愛の歌、親心を歌った歌。
 この一時は、一瞬かもしれないが、僕の波長が宇宙の愛の波動と同調する瞬間だ。

 やがて曲が終わり、電車に乗り、人との距離が近づいてくると、あれほど高まった波動も急速に下落していく。そしていつしか又”いつもの僕”に戻ってしまう。
 その後はジキルとハイドも真っ青の豹変ぶりで、自分でも呆れるほど低い波動に陥ってしまうのである。

 低い波動に陥るのは精神的にも肉体的にも苦しいもんだ。だからずっとそこに居座り続けるわけにはいかない。
 今の僕は、あの奇跡的な瞬間をできるだけ沢山自分の中に蓄積し、なるべく強く自分の中に焼きつけて、いつでも想い出せるよう、それを持って少しづつ低い自分を上書きしていくよう、どうにかこうにか少しづつやっているところだ。

 「2002.11.18(月)」晴・ちょこっと革命

 今僕の生活にはちょっとした革命が起きている。
 革命などというと大げさだが、それは食生活の革命だ。
 簡単に言うと”菜食中心”になったのである。
 今日の夕食の例で行くと、野菜と豆腐だけの鍋、生野菜サラダ、納豆2パックである。まあ大体夜は、こんな感じだ。平日の昼は社食で、御飯一膳、冷や奴、ほうれん草、惣菜一品と味噌汁、こんな感じである。
 もうかれこれ5〜6ケ月こんな生活をしている。体調は以前と全く変わらない。どうやら”菜食中心”でも人間生きて行けるようだ。

 僕は揚げ物や甘いものが大好きだ。これらも今は量は減った。
 ただ、これらの好物は、別に絶ってしまったわけでは無い。
 僕の革命も徹底している訳では無い。外で野菜以外のものをご馳走されたら遠慮無く食べる。友人などと会食の機会があったりする時などは勿論普通に飲み食いする。そうそう、酒も煙草も極端に減ってしまったが、これも絶ってしまった訳では無い。
 こんな点が普通の菜食主義の人とは違う所かもしれない。まあ、革命とは言いがたいとこかもしれない。
 好物の揚げ物などは、日を決めて、たまーに食べる。
 せっかく人間が築いて来た食文化を、いくら野菜が身体に良いからといって簡単には捨てたく無い。

 まあ要するに今は野菜以外は全体的に極端に量を減らした、ということになる。ベースがほとんど野菜になったという訳だ。
 白米などの炭水化物も量を減らした。洒落では無いが、まさに”一日一膳”を限度としている。

 このスタイルになって以前と目立った変化は、嬉しいことにお腹の肉が減って来たことだ。ベルトの穴が以前の最奥レベルの穴まで戻った。

 だからと言って僕は今のような菜食生活を他人にも勧めるつもりは全く無い。
 確かに野菜中心は良いと思うが、食生活は全く個人個人でそれに合った、その時と場所に合った食生活があると思っているからだ。

 僕個人に限って言えば多少の食欲は犠牲にしても、今のスタイルを選ぶことにした、という訳だ。
 理由はいろいろあるけれど、大きいものとして、まあこんなことを言っても、なんのこっちゃと思われそうだが、”霊的な力”を身につけたいと思ったからだ。
 只これじゃあ、又”結婚”からは遠のきそうだな・・・。

 ところで、こんな食生活だと寝る前や食間に腹が減らないか?、という疑問が出るだろう。
 こんな時は、家に居たら、やはりなるべく野菜や海藻で腹を満たす。魚肉ソーセージやチーズかまぼこなどを取る時もある。
 仕事中は、以前は菓子類で満たしていたが、今は砂糖菓子を直接体内に摂取することも減らしている為頻繁には食せない。
 そこに具合良く出て来たのが、10月23日の当日記でもお話しした、扇雀(せんじゃく)飴本舗というところで出している「はちみつ100%のキャンディー」という飴なのである。
 はちみつはアルカリ性だそうで、砂糖は使用していないが甘いもの欲しさの欲求を満たしてくれる。本物のハチミツを業中に舐めるのは気が引けるから、そこへ本当に渡りに舟の如く、このキャンディーが出て来たので、これを会社では常用しているのである。

 こういう風な生活だと、たまに食べた好物の甘いもんなどは、すごくオイシク感じるもんだ。
 昨日はセブンイレブンで「さつまいものドラヤキ」というのを買って食べたが、これが染み入るように甘く、おいしかった。

 「2002.11.17(日)」曇・私とギター

 今日はフジテレビの”ちびまるこちゃん「移動図書館がやってきた」”で、一泣き、最後の方は号泣、などというと大げさだが、かなり長いことウルウルしていた。そのすぐ後、テレ朝の”グレートマザー物語”の立松和平氏の話で、又一泣き。
 日曜の夕方って、こんなヒューマンな時間帯だったけな・・?。
 ん?感動して泣いた話などして好感度を上げようとしてないかだって?。ありゃ!、めっかちゃった!。

 それはさておき、この間懐かしい再会があった。
 何年ぶりだろうか?。当時高校に入学したてだったという記憶があり、その頃からだとすると、実に24年ぶりになる。

 出会ったのは、昨年亡くなったカントリーギターの名手チェット・アトキンス(Chet Atkins)というギタリストの「私とギター(Me and my guitar)」というアルバム。

 その昔NHKのFMの番組で、この「私とギター」を特集していた。
 僕はたぶん、ビートルズのジョージ・ハリスンが、このチェットアトキンスを尊敬しているということを聞いていたので、それでこの特集をカセットテープにエアチェック録音したのだと思われる。

 チェットアトキンスは他にもアルバムを沢山出している。でも僕は残念ながらこの「私とギター」しか知らない。
 このテープ、当時は何かと折りに触れ良く聴いていたもんだが、何かの折りに、やはり何かのアルバムを録音する為にこのテープを上書きしてしまった。馬鹿なことをしたもんだ。

 社会人になってから、この「私とギター」が懐かしくなりCDが無いかと探してみた。でもレコードも廃盤になっておりCD再発も無かったようだ。
 それが最近になって追悼の意もあり遂にCDで再発されたという情報を入手し、輸入盤屋でようやく手に入れることができたのである(「The First Nashville Guitar Quartet」とのカップリング)。

 正直このアルバムには、もう巡り合えないのでは無いか?と諦めていたくらいだ。
 それが24年を経て再び出会うことができた。あの頃と全く変わらない軽快で柔らかく暖かい音で・・・。素晴らしいね。もうずっと昔に忘れていた高校生になったばかりの頃の新鮮な気持ちが蘇ってくるなんて・・・!。

 僕はついつい、恋もこんな感じで、何十年も経た劇的な再会などがあるのかなあ、などと夢想してみた。
 ただ音楽は変わらぬ姿でも、人は変わっちゃうんだよね・・・少なくとも外見は。
 でも外見を超えた劇的出会い、ってのも、きっと有り得るんだろね、世の中には(ここは是非とも立松和平口調で読んで下さい)。

 「2002.11.16(土)」曇・ちと早いが

 11月も半ばを過ぎた。もう12月がヒタヒタと足音を立てて、せまってきている。
 早え〜っ。ちょっと早すぎないかね、全く。
 今年は、ここ数年では、かなりハードな年だった。初夢や正月近辺に、苦しい悪夢を見てたけど、今考えると、どうやらそれらは、その後の仕事の緊張を暗示していたようだ。

 最近の夢の話をすると、いつになく意外と鮮明な夢を見ている。悪夢では無い。たぶん来月の忘年会辺りに何かしら動きがあるのだろう。
 それにしても、オレ、飲み会の夢良く見るんだよね・・・。そんなに僕の人生のとって飲み会は重要だったのかなあ・・・?

 「2002.11.15(金)」晴・モンスター

 遅刻はしょっちゅう、業中居眠りをして叱られ、門外不出の会社の備品をウッカリ自宅に持って帰ってしまって問題になったり、そういう”チョットだらしないな”、と思っていた人が、新しく入ったそれより”更にだらしない”というか頼りない人と仕事を始めた途端、まるで人が変わったようにシッカリしだして、精力的に仕事をこなしはじめるようになったのを見た。時にはその新入りを叱咤などしつつ活き活きと立ち振舞っていた。今までのその人の姿からは想像できぬくらいだ。

 人間には天の邪鬼的性質があって、ダメなものを見ると、自分は良い人間なのだ、と思いたくなり、逆に、良いものを見ていると、自分はなんてダメで小さいんだと卑屈になりたくなる・・・、そう!、”なってしまう”のでは無く実に”なりたくなる”、そういう衝動に駆られる、生き物なのである。

 こう考えると、人間を真に向上させるのは、実は悪環境なのでは無いのか?、そんな風にも思えて来てしまう。しかし過去の偉人達が潜り抜けて来た茨の道を思うと、それもそんなに外れてはいないのだろう。
 それに対して勇気を持って立ち向かえるかどうか・・・。

 一番理想的なのは人生の悪環境さえも、ゲームに出てくるモンスターに対するように、あるいはスキーのコブ斜面のように、それ自体を引っくるめて楽しめてしまうことだろう・・・。まあそこまでできるようになったら修行は完成だな。

 「2002.11.13(水)」晴・ソースキャベツ

 無性にキャベツにソースかけて食いたくなった。小学校の給食みたいに。
 あの時のソースはウスターだったかな?、それとも中濃か?、トンカツかな・・・?
 今日は中濃にしてみた。感触としては当たっていた気もするが・・・ともあれ明日はウスターも試してみよう。

 ちなみに最近は、ほうれん草のごまあえ用の味噌が売っていて、それを生野菜にかけて食べるのが、ちょっとしたマイブームでもある。

 「2002.11.12(火)」晴・色っぽい

 女性の仕草で僕が色っぽいな、と思うのにこんなのがある。
 電車で椅子に座っている女性、それも列の端の手摺りのある席が良い。電車は夜の電車で比較的空いているのがベターだ。
 そこで女性は本を読んでいる。
 その内女性は少し疲れたようで、読んでいた本を膝の上に降ろしパタンと閉じる。
 そしてここからがポイントだ。
 女性は目を閉じながら(ここ大事)、ゆっくりと頭を横に(ここも大事。前や後ろでは無い)倒し、そのまま手摺りに頭をもたれかけるのである。
 正面で立っている僕から見ると、この時ダイレクトに視界に入ってくる、女性の首から横顔にかけてのラインが、やけにグッとくるものがあるのである。もたれかかると同時に女性が閉じていた気を解放モードに切り替える瞬間が伝わってくるのが何とも言えない。

 色っぽいといえば、平田裕香ちゃん、最近グラビアに良く出るようになったみたいで、どんどん色気が出て大人の女性らしくなってきたような・・・。

 んな、とりとめないことを考えている、少し暖かさが戻った秋の一日でした、とさ。

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